Episodio 2 Lo Inizio degli Esame 《試験開始》
この試験のために特別にイーゼルとカンヴァスが並べられた謁見の間には、予選を通過した二十人の画家が一列に並び、跪いていた。ヨシュアの声を合図に、各々が顔を上げる。そのうちの一人から発せられる『あの怒気』を含んだ視線は、わたしを一瞬捉え――次に皇子に注がれた。皇子もきっと、それに気づいていただろう。
皇子の脇に控える審査員の列から、ジョルジュが一歩進み出て縦長の羊皮紙を拡げると、中空にそれを留まらせる。彼は国家魔法師の職を辞し、画学院を起こしたのだった。
「それではこれより、エートル王国ヨシュア皇子御抱え画家のための最終選抜試験を執り行う。受験者、第一番ロレンツォ・グイドバルド、第二番フェリーペ・ストロッツィ……」
豊かな銀色の髭を揺らしながら、年の割にのびやかな声でジョルジュが試験規定を読み上げた。この試験で、選ばれた二十人の画家のうち、更に三人のみが最終的な「御抱え画家」の位に就くことができる。皇子の前に整然と並ぶ、老いも若きも腕に自信のある者達は、粛々と読み上げられていく規定にじっと耳を傾けていた。
正式な『御抱え画家』の位に就くのは僅か三人――千五百人を超す応募者の中から、書類審査、一次試験、二次試験を勝ち抜き、そしてこの最終試験を潜り抜ける、いわば精鋭中の精鋭、王国の芸術家の中の芸術家である。この試験を勝ち抜くというのは、その証明をも意味していた。もっとも、その地位を得られずとも、一次予選を通ったというその時点で、その者の実力が十分であることは証明されたに等しい。
だが芸術家というものは、往々にして野心的なものだ。そのような『生温い』想いと意気込みで挑んでいる者は一人としていなかっただろう。
「試験時間は二時間、画題は事前に通告した通りである。
ジョルジュが羊皮紙を巻き終わるのを合図に、二十人の受験者が次々にイーゼルと机の前にすわっていく。一次試験、二次試験はどちらも完成した作品の審査を基に合否を判定した。だが、やはり自らの眼で『直属の臣下』を見極めたいという皇子の意向もあり、最終試験は皇子の目の前で執り行われた――ここに座っている者達には、画家としての裁量だけでなく、王家の者を背後に控えてなお動じぬ胆力と、幾重もの重圧の中で裁量を遺憾なく発揮しうる強い精神が、意図しない形で求められることになった。
ちなみに御抱え画家であれば、大画面を構成する技量、細部を適切に描き出す描写力がどちらも求められるであろうということで、一次試験は風景画、二次試験は動物画が課された。最終試験の主題は静物画となった――神話画や肖像画を含めない点が気にかかってはいたが、試験理事の判断らしいので、わたしはあまり考えないようにしていた。
最後の一人が椅子に座ると、謁見の間の緊張が最高潮に高まった。王宮の外でさえずる鳥たちの声が、いやというほど広間に入り込んでくる。張り詰めた沈黙を突き破るように、ジョルジュが試験開始の合図を告げる。同時に象嵌と蒔絵で装飾された絹の国(ヤムタル)渡来の大きな砂時計がごとりと音を立てて上下を反転し、真っ白い砂がゆったりと零れ落ちる。弾かれたように画家たちが一斉に下絵を開き、木炭やチョークを思い思いにカンヴァスに走らせていくのが背中越しに見えた。
――ただ一人を除いては。
そのただ一人である彼は、――ロレンツォは、イーゼルの隣の机に行けられた花瓶を二、三度回し、満足のいく角度に設えられたと見るや否や、カンヴァスを茶色に塗りつぶし始めた。流れるようなペインティングナイフの動きが、淡い色の麻布をみるみるうちに強烈な褐色に塗り替えていく。
ロレンツォはわたしたちから一番離れた位置に、受験者たちの集団では最前列の一番左の席に位置していたので、彼らの中にはその技法に驚き、手が止まってカンヴァスに釘づけになっている者もいた。彼らはもちろんすぐに自分のカンヴァスに向き直ったが、どうにもロレンツォが気になって仕方のないように見えた。その様子を彼の後方からわたしたちは、声を上げずにはいられなかった――もちろん今は試験の真っ最中であるし、皇子の前ということもあり声を抑えていた。が、驚愕と怒りは隠し切れなかったようだ。
とりわけ苦虫を嚙み潰した顔で低く唸ったのは、画学院長のジョルジュである。「あのような制作はまるで絵画に対する冒瀆ではないか……!」とさえ苦々しげに漏らした。この老人は皇子を挟んで反対側に立っていたのだが、あまりにもとげとげしい調子だったので、ざわめきの中でも一際鮮明に聞こえた。
一次予選と二次予選で作品を見ているはずの彼らがロレンツォの技法を見て不快感を抱くというのは些かおかしな話のように思われるかもしれない。たしかに、皇子、ジョルジュ、ヨセフの三人は試験理事として、二回の予選で提出されたすべての作品を観ている。だが、その制作過程まで目にしたわけではない。
つまり、ロレンツォがあくまで正統な技法と手順で、かの真新しい絵画を制作したものだと思い込んでいたのだった。そういうわけで、ジョルジュまでもが、いきなり塗りつぶされるカンヴァスを見て驚愕したということだった。
しかしながら、ジョルジュがロレンツォの技法を『冒瀆』と評したくなるのは、何も理解不可能なことではない――画学院で採られる『正統的な』手法に全くもって対抗するものだからである。
エートル王国に
そのような時代にわざわざ命の危険を冒してまで、さらに凶暴な獣人族の族域を掠めない可能性に賭けて黒々とした山脈を越えるような連中は、命知らずの学者か、国家魔法師の資格を求める見習いの魔法使いか、ヤンと名乗ったその放浪の画家くらいだっただろう。
そのヤンという画家について、わたしは詳しいことを知らない。何しろ、王国最北西の街メディオラからほど近い何とかという村に暫く留まり、ロムルスに出てきたときには彼の名を知らぬ画家はいなかった、とだけ語り継がれているのだ。作品はいくつか残っているものの、文書がないので――聞いたところによると彼が構えていた郊外のアトリエが全焼したらしい――ほとんど伝説とか作り話に近い存在だと言ってもいい。
ヤンはまったく弟子をとらなかった。ただ一人、ボンドという画家にのみ、その技法を教えた。ボンドは、ジョルジュの曽祖父であった。つまりジョルジュにしてみれば、誇りあるエートル王国を訪れた伝説の画家から賜り、先祖代々受け継いできた『正統な』油彩の手法こそ、魔法に劣らぬ力を持つ絵画を作る唯一の手法だったのだ。
だからこそ彼は画学院を起こしたし、そこで正統な絵画技法を教授することによって、画学院は王国の芸術を権威あるものにする最善の場所となると信じていた――『雑多な』輩が世に蔓延っていては、美しき芸術など在り得ようはずもなかったのである。
そうこうしているうちにも、ロレンツォは筆を進めていった。カンヴァスを丹念に塗りこめ、顔料のこびりついたナイフを脇の机に置くと、次にこれまたかなり年季が入っているように見てとれる、いたって簡素な作りの尖筆を手にした。右手で数度しなやかに弄ぶと、それをカンヴァスについと突き立て、地塗りの層を削って線を引いていく。
その所作には一切の迷いがなかった。課題の静物を見たのは間違いなく初めてのはずだった。しかし彼のその天性と、これまで描いてきた中で培われた経験とが、まっさらな布の上に線を浮かび上がらせている――食い入るようにロレンツォの一挙手一投足を見ていたわたしたちは、きっとみなそう思っていたことだろう。
相変わらず苦々し気な顔をしていたジョルジュだったが、今ではロレンツォがどのようにしてああいった絵を作り上げるのか、逆に興味津々といった様子であった。ヨシュア皇子もまた、少しばかり年上の、田舎から出てきた天才的な青年が、見たことも聞いたこともない方法を使って絵画を描いているという事実に、かなり興奮している様子だった。
謁見の間には、カンヴァスに走る木炭とチョークの乾いた音、絵具の層を削るロレンツォの尖筆の硬い音、それらには無関心にひたすら時を刻む砂時計の音が混じり合っていた……。
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