第10話 多少のコストを払っても、将来性を手に入れよう!
おそらく100匹以上は存在しただろう。
三十分全力で戦い続け、キルラビットのパレードを全滅させた晴輝は、動くものが見当たらないのを確認すると、背中から地面に倒れ込んだ。
背中からむにゅっと柔らかい感触が伝わる。
すっかり忘れていたが、肉がパンパンに詰まった鞄を背負ったまま戦っていたらしい。
喉の奥も、体も、頭も熱い。
晴輝は必死に呼吸を繰り返す。
緊張状態が緩むと、途端に体が震え出す。
もしあのとき、攻撃を受けていたら。
もしあのとき、キルラビットの通過を赦していれば。
頭に浮かんだ最悪の結末に、体が小刻みに震え出す。
そんな未来が訪れなくて、本当によかった。
途中から、晴輝は笑っていた。
魔物との戦闘が面白かった。
だが感興と恐怖のベクトルは別だ。
ジェットコースターのように、あるいはお化け屋敷のように、
面白いと怖いは容易く同居する。
だから晴輝はいま、笑いながら怯えていた。
「あー。生きててよかった」
生存のありがたみを、ひしひしと感じる。
「あの……」
ぜぇぜぇと荒い呼吸を繰り返す晴輝の耳に、か細い声が届いた。
こわばりが感じられるが、まるで小型犬を撫でるような優しい声だった。
「はい?」
「ひっ!?」
顔を向けると少女が怯えた。
そういえば変な仮面を付けっぱなしだった。
んー、ま、いっか。
こっちが大声を上げなくても気づいてもらえたしね!
「で、なに?」
「……助けて頂いて、あ、ありがとうございました」
「なにも――」
それ以上、晴輝の言葉は続かなかった。
少女が真っ赤な目をして、晴輝の手を握りしめたから。
「本当に、本当に……ありがとうございました。私、死んだかと、思いました。冒険家の人達に、捨てられて……もう、ダメだって……」
鼻をすすりながら、何度も何度も、少女は感謝の言葉を継げる。
ああ……。
彼女が生きていて良かった。
彼女を助けられて、本当に良かった。
晴輝の心の底から、暖かい感情がじわじわわき上がってくる。
もし死んでいればこんなふうに、辛かったのだと、心細かったのだと、表現することだって出来なくなってしまうのだから。
呼吸が落ち着いた晴輝は、床面を覆い尽くすキルラビットの死体から角をピックアップする。
さすがに肉はこれ以上持てないし、血抜きしないまま屠ったのでおいしくない。無理に持って返って販売しても、廃棄処分にお金が取られるのが関の山だ。
角は全部で48本になった。
晴輝の鞄には入りきらないので、少女にも持って貰うことにした。
ふっふっふ。
これでさらに収入アップだ!
なんとか防具の出費を挽回し、収支がプラスに傾きそうだ。
「……私は、黒咲火蓮です。助けていただいて、本当にありがとうございました」
「ああ。無事で良かった」
「あのっ、もしかして札幌のランカーさんですか?」
「いや? 俺は普通の下級冒険家だ」
札幌にも『なろう』のランキング100位以内に入る実力者は存在する。
だがそれは決して晴輝ではない。
「下級!? どうしてモンパレに飛び込んで平気だったんですか!?」
「ああ、えっと……無我夢中で?」
「『ちかほ』の9階で活動されている冒険家でさえ逃げ出したモンパレですよ? 無我夢中になったからって、下級冒険家が切り抜けられるとは到底思えません」
火蓮は真剣な表情で晴輝の瞳を見据えた。
「身分を明かせない理由があるんでしょうか?」
「いやあ……」
火蓮の言う通り。
口に出来ない理由が晴輝にはある。
晴輝がモンパレを殲滅出来たのは、スキルポイントを振ったおかげだ。
そう説明したい気持ちはある。
だがポイントを振るだけで、モンパレ殲滅という偉業を成し遂げる事が出来る。
この現実がどれほどの騒動を巻き起こすか……。
あらゆる冒険家がこのスキルボードを手に入れようとするに違いない。
たとえ晴輝を殺してでも。
「そうだ。あの3人の冒険家は知り合い?」
答えに窮した晴輝は無理矢理話題をねじ曲げた。
「いえ……」
口をすぼめた火蓮が、陰鬱な表情を浮かべた。
「冒険家になろうで募集したチームの人です。今回、魔物の討伐を手伝って貰おうと思って……なのにっ」
見捨てられたときのことを思い出したのだろう。
彼女の瞳にうっすら涙が溜まる。
一般人ならば、誰かを見捨てて逃げたとしても仕方がない。
しかし、冒険家の彼らが素人当然の彼女を見捨てたことは決して見逃せる問題ではない。
おまけにあいつら、なにを企んでいやがったやら……。
彼らの雑談を思い出し、晴輝の胃がむずむず動く。
冒険家は人を守る職業だ。
決して乱暴を働いたり、自分よりもか弱いものを見捨てる存在であってはならない。
もちろん、赤の他人ならば見捨てても仕方が無い場面はある。
チームメンバーだって見捨てなければいけない状況もあるだろう。
だが彼らは、自ら請け負った仕事をあっさり放棄した。
だからこそ、晴輝は具合が悪くなる。
自分が憧れたランカーや、その他大勢の冒険家達を侮辱する彼らの振るまいを、晴輝は許容出来そうになかった。
*
「ほぅら、見なさいよー。あたしの店の収支。去年の200%越えよ200%越え!」
「ぐぬぬぬ……」
夕月朱音は五時少し前に武具販売店を閉め、隣の素材買取店を冷やかしにきていた。
この日の売り上げが記載された紙を支店長、大井素才加の前でひらひらと泳がせる。
「ねえ、こっちの店はどんな感じ? ねえどんな感じぃ?」
「うざっ。まじうざっ! 同じ支店長だからって、一応私は先輩なのよ? それ相応の態度というものがあると思わない?」
「世の中結果が全てよ。結果が出せる若くて美しいアタシと、普通の業績で普通の見た目のちょっと年老いた大井素と、どっちが優れてるか判るでしょう?」
「誰が年老いてるって!?」
なんて器の小さい人なのでしょう?
軽く煽っただけで顔を赤くするなんて……。
うん。最高の気分だ!
「悔しかったら年齢以外でアタシに勝ってみなさい?」
「ぐぎぎぎ」
当然ながら、朱音が大井素このような態度を取っているのはなにも、彼女の性格が悪いからではない……はずだ。
年下に良いように言われている。
その憎悪を起爆剤に、今後大井素は業績を伸ばす努力をするようになる。
つまりこれらは全て、会社のためを思っての行動である。
……たぶん。
朱音が煽っていると、店に男性と女性の冒険家ペアが現われた。
「いらっしゃいませぇ」
朱音に煽られていた時の顔などすっかりかき消し営業スマイルを浮かべた大井素が、猫なで声を発した。
いつもならばそんな様子を見て、横から煽りの一言でも飛ばしていただろう。
朱音はしかし、ペアの片方――男性に意識が取られていた。
男は見れば誰しもギョっとする仮面を装備している。
彼は今日、アタシの店にきたカモ――じゃないお客様だ。
早速ダンジョンで武具の調子を確かめたのだろう。
鎧が少しだけ汚れている。
おまけに半ば押しつけた呪われそうな仮面まで付けて……。
怖い物知らずとは恐ろしい。
そして特殊な仮面をかぶった彼を見ても、声色一つ変えないここの支店長もさすがである。
やはり朱音とは年期が違う。
さて、その彼がダンジョンからどのような素材を持ち帰ったかだろう?
朱音は興味を抱いた。
これが判れば、彼の実力と財布の中身がいよいよ正確に判明するだろう。
さらにぴったりな商品を売りつけることも出来るというものだ。
壁際に隠れながら、素材買い取りの様子を窺う。
彼の鞄と、隣にいる少女の鞄から取り出されたのは大量の角だった。
あれは確かキルラビットの……。
キルラビットは攻撃力もさることながら、それまでの階層では見られなかった回避やフェイントなどの行動を取る知的な生き物である。
倒すためには戦闘技術が必要なので、ズブの初心者が討伐するのは難しい。
おそらく成長の早い冒険家でもキルラビットを倒すのに、ゼロからスタートして1ヶ月はかかるだろう。
その素材である角を100本以上。
雌には角がないので、雄だけを狩ったとしても100羽。
雄雌の混合率が1対1なら200羽は倒した計算になる。
もしあれをたった1日で収集したのであれば、彼はブロンズに留まる人材では決してない。
なぜならば角を100本毎日納品すれば、たった10日で二百万円――シルバーの最低基準を満たしてしまうからだ。
やはりあの男性は最低でもシルバークラス。
下手をすればゴールドクラスの実力の持ち主であるらしい。
「本日は誠にありがとうございました。買い取り価格ですが、キルラビットの角が101本で202,000円となります。この査定でよろしかったでしょうか?」
「はい!」
「……ええと、チーム分配機能をご使用になられますか?」
「え? なんですかそれは?」
ここまで常にソロだったのだろうか。
どうやら彼は、チーム分配機能を知らなかったらしい。
ICカードは収入や支出を一手に管理している。
後で分配するにしても、リーダーがチーム分の収入を得ると、カードは個人の収入として計算してしまう。
無論ICカードから直接チームの分配金を差し引いていくことも出来るが、脱税対策に引っかかるため経費扱い出来ない。
そのためリーダーだけが尋常でない税金を支払うことになってしまう。
それをカバーするのが、チーム分配である。
予め素材販売などで得たお金を、レジスター側で入力処理することで、一人ずつ分配金をチャージしていくことが出来るのだ。
分配は数値の直接入力から、割合方式まで対応出来る。
綺麗に割り切れない金額の場合、お店が一桁台を補填することも可能である。それは店によってのサービスだ。
もちろん、この店でもサービスは行っている。
「じゃあ、分配でお願いします」
「そ、それはダメです! 私は何もしてませんから」
「いや、角を運んでくれたでしょ?」
「運んだだけです。戦闘は手伝ってません」
もしかすると少女は|荷物持ち(サポーター)だったのだろうか?
客2人がもめ始めた。
こういうことは希にある。
とはいえ通常は、荷物持ちがお金を要求するのだが……。
「じゃあ、火蓮が運んだ分だけ半分にしよう。火蓮が角を運ばなかったら、その分だけ収入がゼロになっていたんだから、これはもう火蓮のおかげってことでしょ?」
「けど……」
反論を口にしようとする火蓮と呼ばれた少女の耳に、男性が口を近づけた。
なにかを囁くと、火蓮はあっさり男性の案で妥協した。
しっかし……。
2人のやりとりを見ていて、朱音は体が甘く痺れてしまった。
てっきり朱音は、2人でキルラビットを倒したのだと勝手に納得していた。
だが実際は違う。
恐るべき事にキルラビットの角を集めたのは、奇妙なお面をかぶった彼一人だったのだ!
魔物の討伐は、平均して一日に50体がせいぜいだ。
なろうのランカーや、いわゆるガチ勢と呼ばれる人達でさえ多くて100匹。
それをさらに倍は倒してしまうなんて……。
もちろん朱音は数日分の角を運び込んだ可能性は考慮した。
だが、そうであれば「持ってこなければ収入がゼロ」とは口にしない。
つまり彼はたった1日で……。
朱音の瞳が怪しく燦めく。
彼がお得意様になれば、ますますうちの店の利益が上がるだろう。
じゅる、と朱音は舌なめずりをする。
「大変申し訳ありません。角48本分の査定のみを分配することは出来かねます」
「ちょいまっちぃ!!」
支店長の言葉に、たまらず朱音が飛び出した。
(ちょっと、いきなりどうしたのよ?)
(アンタなんで計算してやらないのよ!?)
(だって持ち込み分を再鑑定したら、残業確定するじゃない)
(はあ!?)
(うちは残業に厳しいのよ? あとで怒られたくないわ)
(あんた馬鹿でしょ。ねえあんた馬鹿なんでしょ!?)
朱音は支店長の襟首を、ガクンガクン揺さぶる。
彼らは間違いなく上客である。
そのお客様の要望に応えないとは、一体なにごとだ!
ここで査定を断れば、彼らは強豪他社である川前や番磨のお店に行くだろう。
得られるはずの角101本がパアになる!
おまけにライバルに塩を送ってしまう!!
「大変申し訳ありませんが、少々お時間をいただけますでしょうか?」
「あ、えっと……はい。大丈夫です」
朱音の出現に驚いたのだろう。男性は目を見開いて、ぎこちなく頷いた。
ここで恩を売れば、彼はますますお店に通ってくれるだろう。
そのチャンスが、目の前にぶら下がっているのだ。
ふいにするなどあり得ない!
朱音は即座に48本分の査定をイチからやり直した。
53本分と、48本の50%を男性側に振り込み、残る金額を少女のICカードに入金した。
「ありあっしたー」
分配が終わり店を後にする冒険家らを見送って、朱音はひらひらと手を振った。
その横で大井素がプルプルと震える。
「あなたねぇ……。私の店でなにを勝手なことをしてるのよ!」
「そんなこともわかんないから、あんたはいつまでも利益が上げられないのよ」
大井素の行動はマニュアル通りではある。
おまけに査定をやり直すなど、大変な手間だ。
鑑定時間(コスト)に対して、得られる利益が少なすぎる。
おまけに時間外労働をすると、本社やエリアマネージャから怒られるのも怖い。
だから分配方法の変更を誘導した方が、短期的には適切だし、楽である。
だがあくまでそれはこちらの都合だ。
冒険家――お客様には知ったことではない。
目先の利益に囚われて、大きな魚を逃しては意味が無い。
こういう細やかなサービスを積み重ねてこそ、将来大輪の金――ではなく花が咲くのである。
たとえいま、上司からどやされようと、いつかそれが帰って来る確信があるのなら、どんどん行動を起こすべきなのだ。
「今日のことは上に報告するからね」
「いいわよ別に。いつかアンタはアタシのおかげで、上客を一人確保出来たとむせび泣くに決まってるんだから。そのときに謝ったって遅いわよ?」
「まったく、口の減らないっ」
もちろん、この大井素が朱音にむせび泣く未来は訪れない。
なぜなら大輪の花はいつだって、朱音の直上で咲き誇るのだから。
具体的にはすぐそこの未来。
朱音に花束が送られる。
その花束を運んでくるのは、不幸の使者だったが……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます