第6話 沖田総司の菊一文字

 沖田総司おきたそうじといえば、新選組随一の遣い手、夭折の天才剣士といったイメージで、現在も多くの人々に愛されている。

 何しろ局長の近藤勇や鬼の副長土方歳三よりも強く、性格は天真爛漫で屈託がないというのだから、人気を集めるのは当然といえよう。

 この総司の愛刀は、茎に菊紋と「一」の字の銘が切られた菊一文字則宗のりむねだったといわれる。 

 というのは、時代小説作家の子母澤寛『新選組始末記』や司馬遼太郎『新撰組血風録』での話なのだが、フィクションだからまったくの作り話かというと、そうでもなさそうなのである。

 労咳にかかった総司は慶応四年、幕府の医師松本良順りょうじゅんの治療を受けながら、江戸千駄ヶ谷の植木屋兵五郎宅で療養するが、半年後、近藤勇の斬首なども知ることなく短い生をえた。

 このとき、その枕頭には細身の遺愛刀が置かれ、そのなかごには菊紋と「一」の字の銘が切られていたというのだ。

 では、菊一文字則宗とはどういう刀であろうか。

 則宗は承元二年の正月、後鳥羽上皇に召し出されて御番鍛冶をつとめ、第一位の栄光に浴したことから十六葉菊、いわゆる菊花紋章を茎に切る特権を与えられた名工である。

 しかしながら、菊一文字則宗は古刀最上作の業物であり、江戸時代には大名間で稀に贈答に供されるほか、ほとんど流通しておらず、入手困難であったという。当時、金回りがよかった新選組隊士とはいえ、いわゆる「大名差し」と称された稀少な名刀を果たして手に入れられたであろうか、という疑問は少なからず残る。

 実際、沖田総司が用いていたのは、加州清光かしゅうきよみつ(非人清光)、あるいは大和守安定やすさだであるという説が現在では有力となっている。

 大和守安定は徳川八代将軍吉宗も佩刀していた名刀であり、総司はこの業物を池田屋事件で使用したという。

 池田屋事件では、永倉新八の刀は折れ、藤堂平助の刀はのごとくとなり、沖田の刀は帽子ぼうし折れ、つまり切っ先の部分を欠いたといわれている。まさにしのぎを削る激戦であった。 

 たとえ、総司が菊一文字則宗を所持していたとしても、このような刃を交える白兵戦で使用することはあり得ない。菊一文字はそれほどの名刀なのである。

 司馬遼太郎の新選組作品の中でも、菊一文字の佩刀時には、前から剣客が来ても、総司は刀を抜くことを避け、新選組一番隊士を斬った武士の仇討ち時に、一度だけ菊一文字をふるったという筋書きになっている。

 史実はともあれ、若くして病に斃れた悲劇の天才剣士、沖田総司には細身で優美な菊一文字がとてもよく似合う。

 作家の子母澤寛や、その作品に影響を受けた司馬遼太郎が、総司の愛刀を菊一文字としたことにうなずけるのは、何もこの筆者一人だけではなかろう。

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