第5話 佐々木小次郎の長刀

 佐々木小次郎の刀といえば、だれもが思いつくのは「物干竿ものほしざお」であろう。この長大な刀を振るって、宮本武蔵と戦った巌流島の決闘は、あまりにも有名である。

 しかしながら、この物干竿の太刀の銘を知る人は少ない。

 安永五年、熊本藩細川家筆頭家老の松井家の二天にてん一流兵法師範の豊田景英が著した宮本武蔵の伝記『二天記』によると、物干竿の作刀者は、備前長船長光びぜんおさふねながみつだったと記されている。

 長光は、正応年間に活躍した備前国の刀工で、その父の順慶長光は足利家重代の宝刀として知られる大般若長光をはじめとする数々の業物を手がけた順慶じゅんけい長光という名工である。

 話は変わるが、徳川幕府は武士に対して二尺九寸五分(約八八・五センチ)以上の刀の所持を禁止し、武士以外の者は一尺八寸(約五四センチ)以上の刀の所持を認めていなかった。

 なぜか――。

 屋内ではともかく、屋外の広い場所で戦うなら、刀身の長い刀が有利だからだ。徳川幕府が長刀を危険視した理由はここにある。

 物干竿は長刀の所持禁止令以前のものであるが、小次郎の圧倒的な強さは、長大な太刀を「燕返し」等の技を駆使して、自在に使いこなせたからにほかならない。

 しかも、小次郎は小太刀術で知られる冨田勢源とだせいげんのもとで、打太刀うちだちをつとめた。 

 打太刀とは、稽古で技を仕掛ける立場、すなわち攻め込む役の人をさす。

 この打太刀を長年つとめた小次郎は、太刀の間合いをはかる術に精通したといわれる。そのような手練れが、物干竿のような長刀を手にすれば、無敵となるのは必然であろう。

 片や宮本武蔵とて稀代の剣豪である。

 当然ながら、刀は長ければ長いほど、実戦に際して有利であることは、幾多の修羅場をくぐりぬけた実体験上、痛いほど知り尽くしている。

 武蔵は小次郎との決闘にのぞみ、考えた。

 小次郎に勝つには、一瞬でも早く相手を斬り下ろさねばならない――つまり、物干竿より長い得物を使わねば勝てないと考えたのだ。

 そこで、武蔵は舟のかいに着目した。

 この長さなら小次郎に勝てる。

 武蔵は櫂を削り、何度も素振りしながら、自分が自在に使いこなせる軽さに調節した。

 ――勝負は一瞬で決まる。

 小次郎の物干竿より一尺(約三〇センチ)以上も長い木刀を手に、武蔵はつぶやいた。

 結果は自明の理である。

 武蔵の長大な木刀が、潮風を切って一閃したとき、小次郎は額を割られて巌流島の砂浜にたおれていた。

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