第4話 新田義貞の太刀

 名刀には霊力があり、奇跡をすら引き起こす――平安・鎌倉の昔から、合戦の中で生きる武将たちはそう信じてきた。

 この名刀の神秘的な力を巧みに利用したのが、足利尊氏と競い合って鎌倉幕府を打倒した名将新田義貞にったよしさだである。

 元弘げんこう三年五月、後醍醐ごだいご天皇の綸旨りんじを奉じ、北条執権家に叛旗はんきをひるがえした義貞は、小手指ヶ原こてさしがはら分倍河原ぶばいがわらの戦いで幕府軍を撃破し、鎌倉へと兵を進めた。

 黄金造こがねづくりの太刀を佩いた堂々たる総大将ぶりに、士卒のだれもが勝利を確信した。

 ところが、義貞は鎌倉に一歩も入れなかった。

 鎌倉に攻め込むには東、西、北の、三方の山間に設けられた七つの切通しのいずれかを突破しなければならない。南は海である。荒波が打ち寄せる断崖があり、しかも幕府軍の船団が行く手をはばむ。

 西から鎌倉へと進軍した義貞は、化粧坂けわいざか極楽寺ごくらくじなどの切通しで、幕府軍に猛反撃され、多数の死傷者を出した。完敗であった。

 天然の要害を利用した防衛線、切通しをどうしても突破できないと悟った義貞は、やむなく南の稲村ヶ崎いなむらがさきに向かった。しかし、ここでも相模湾の荒波と幕府船団からの矢の集中攻撃により、軍勢は七里ヶ浜に釘付けにされた。

 万事休す。

 義貞は天を仰いだ。

 目の前の海には折からの強風で大波が立っている。進軍を強行すれば、多くの兵馬が波にさらわれるのは必至であった。

 聖福寺に陣を構えて沈思する義貞に、側近の武将が耳打ちした。

「浜の漁師から聞いた話では、今夜、引き潮とか。しかも、この陸からの強風により、幕府軍の船は沖に流されることでありましょう」

 ――ならば、稲村ヶ崎の難所を押し渡るのは、今夜しかない。なれど、この数日の連敗により、兵の士気は衰えておる。ここは策を弄してでも、稲村ヶ崎を押し渡り、鎌倉へ雪崩なだれ込むしかあるまい。

 胸のうちで決然とほぞを固めた義貞は、月光を浴びて稲村ヶ崎に立ち、竜神に祈りを捧げた。

「願わくば潮を万里の外に退け、道を三軍の陣に開かしめ給え」

 そして、佩いていた黄金造りの太刀を海中に投じたのである。

 眦を決した義貞のびんを強風がなぶった。

 軍勢の目の前で奇跡が起こった。

 少しずつであるが、逆巻く潮があきらかに引きはじめたのである。しかも、陸から吹き下ろす強風と引き潮により、幕府の船団は沿岸から遠く引き離され、船影が小さく見えた。もはや船からの矢は届かない。

 義貞は咆えた。

「神のご加護ありて、勝利疑いなし。われにつづけ!」

 潮の引いた崖下を駆け、一気に鎌倉へ攻め入った義貞は、五月二十一日、鎌倉幕府を滅亡させた。

 孫子いわく、兵は詭道きどうなり――と。

 義貞は、兵を鼓舞するために、刀剣を神器として奉納するという芝居をここぞというところで打った。天与てんよの機会を逃さなかった義貞は、まさしく名将であったのだ。 

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