第3話 鬼丸国綱

 天下五剣のうち、わが独断と偏見で一位は童子切安綱、二位には大典太光世と、名刀ランキングが確定した(異議がある場合は、各々存念を申し立てるべし)。残るは三日月宗近、数珠丸恒次、鬼丸国綱である。

 さて、この三振りの名刀のどれを三位にするべきか。これは難問である。というのも、ここまで来るとさすがに甲乙つけがたく、順位付け自体に意味があるのかという疑念すらも湧いてくる。もはや嗜好レベルの問題領域といえよう。

 そこで、筆者は好き嫌いのみの独善的基準から、三位に鬼丸国綱を推すこととする。

 なぜなら、まず由来がいい。

 『太平記』が伝えるところによると、鎌倉幕府初代執権たる北条四郎時政は、夜な夜な枕元に現れる体長一尺の小鬼に苦しめられていた。悪夢である。加持祈祷かじきとうも効かない。

 ある晩、時政の夢の中に翁が現れていわく、

「自分は太刀の国綱である。ところが、刀身が錆で汚れているため、鞘から抜け出せず、そなたを救えない」

 翁の言うとおり、時政は錆を拭い清めて、抜き身のまま居間の柱に立て掛けておいた。

 すると、突然、国綱が倒れ、近くの火鉢の足を切断した。見れば、その足は銀でつくられた鬼の形をしており、国綱は鬼の像の頭部を斬り落としていた。

 名刀の霊力、恐るべし。

 以来、小鬼の悪夢から解放された時政は、この太刀を鬼丸と名付け、北条家重代の家宝とした。

 鬼丸国綱は、のちに執権北条高時を討ち破り、鎌倉幕府を滅ぼした新田義貞の手に渡った。

 このとき、義貞は渡辺綱わたなべのつなが京都の一条戻橋もどりばしで鬼の片腕を斬り落としたという伝説の名刀「鬼切」を所持していた。そこに、もう一振りの名刀が手に入ったのである。

 義貞はこれを喜び、最期まで「鬼切」「鬼丸」の両刀を佩いて合戦にのぞんだ。

「左右の手に抜き持ちて、下がる矢をば飛び越え、上がる矢にはさしうつぶき、真中を指して射る矢をば二振りの太刀を交えて、十六までぞ切っておとされける」

 と、太平記にある。

 鬼切、鬼丸の太刀を両手にひらめかせ、矢の降りしきる最前線で奮戦したというのである。太平記の記述を額面どおりに受け取れば、胸躍る活躍というほかない。

 新田義貞の戦死後、鬼丸国綱は越前守護斯波しば高経たかつねの手に落ち、さらに高経から足利尊氏の手へと移り、足利重代の名刀として受け継がれることになる。

 足利幕府滅亡後は、織田信長、豊臣秀吉の手を経て、刀剣鑑定の大家本阿弥ほんあみ光徳の預かるところとなり、のちに江戸に幕府を開いた徳川家康からも管理を任された。

 現在、鬼丸国綱は宮内庁で管理され、皇室御物となっている。

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