第一幕

第1話

 人は誰しも、生まれ育った環境が全てと言っていいかもしれない。

 どれだけ過酷な環境であっても他者が生まれ育った環境と比較できない以上、生まれ育った環境が当たり前だと思い込んでしまうのだから。


 もし、他人の記憶を自分の記憶と比較できるとしたら――その時、人は何を思うのだろうか。


 アガルタオンラインゲーム内の眠りの中で再生されるこのアバタールイ・ラ・ソーンに紐づいた記憶データは、否応なく自分檜山塁の記憶と比較されていく。


 このアバタールイ・ラ・ソーンの幼年期の記憶は自分檜山塁の記憶と比べて酷く寂しい。


 ◆◇◆

 

 ――5歳になったのに、どうして僕にはみんなと同じ祝福神具クレイスがないの?


『…………祝福の儀は、今のルイ様のお身体に障るからでございます…………』


 ――僕が聖痕スティグマ持ちだから?


『…………どこでその事を…………』


 ――お屋敷から、この別宅に移ってくる日に執事長達が立話をしているのを聞いたんだ……。


『…………左様でございますか…………』



 


 物心ついた頃から、ソーン家の執事やメイド達から腫れ物を見るかのような視線を感じていた。

 その原因が身体に刻まれた聖痕スティグマにあると理解したのは皮肉にもソーン子爵家領都の屋敷最後の日だった。


 

 ――魔王軍に動きあり。

 


 その報を受けてアドラ王国の魔王領と領地を接する領主達は、各家の騎士団を興し防衛線を構築する。激戦を経て魔王軍を押し返した頃、ソーン子爵家の内政を担う保守派により1つの提案がなされる。

 


 ――魔王軍との戦いで荒廃した国境付近の領地の視察を行う際、ルイ様を伴ってはどうかと。

 


 嫡子は、若輩ながら魔王軍との戦いの中でも戦功をあげた。

 次男は、嫡子を支えるべく内政面での素養を養うべき――そのためには、幼い頃から領地のことを知ることから始める教育を施すべきではないか。

 


 ソーン子爵家領から魔王軍を押し返していた事もあり、保守派の提案に特に反対する声は上がらなかった。革新派でもあるソーン家騎士団が展開していたこともあり、まずは安全な魔王領との境にある砦へ移ることとなった。


 

 ◆◇◆


 

 眠りの中で再生される記憶データを見た時、最初は、戸惑うことが多かった。


 繰り返し眠りの中で再生される記憶データに触れ続けても――こんなことは

 

 このように思ったのは、記憶データがあくまでも創りものなのだという意識が根本にあったからだと思う。


 繰り返し眠りの中で再生される記憶データに触れ続けるなかで1つの想いが醸成されていく。


 ――俺がこのアバタールイ・ラ・ソーンの立場なら、自分の意志で道を切り拓いている――と。


 いつの間にかこのアバタールイ・ラ・ソーンを見下し、批判するような姿勢になっていることに気づいた。


 それほどまでに、このアバタールイ・ラ・ソーンが幽閉されて過ごした少年期の記憶は、気の置けない友人に囲まれ過ごした塁の記憶と比べて酷く悲しいものだった。


 

 ◆◇◆


 

 専属メイドのクレアと護衛として雇われた数人の狩猟探索者ハンターを伴い、馬車で砦へと赴いた――慣れない馬車での移動のためルイは、体調を崩してしまう。


 

 砦では落ち着いて療養できないとの医者の見立をうけ、付近の村落の協力で維持管理されていた別宅で休息を取るも、高熱が続き生死を彷徨うこととなった。

 


 どれだけの間、伏せっていたかはわからない。

 体調が安定した頃には、魔王領との境での戦いは終結していた。

 


 魔王軍との戦いの爪痕は深く、魔王領付近の村落は放棄することが決定された。

 ソーン子爵家領も例外ではなく、付近の街へ魔王領付近の村落を統合――村民の街への移送と村落の放棄が実施された。

 

 

 魔王軍からの防衛――この方針に基づく村民の街への移送により、別宅へ通っていた奉公人や村落で収穫される食料も届けられなくなった。

 

 

 領都からは数ヶ月に1度の食料配給があるだけ。

 別宅を維持するための人員として、メイドや執事は派遣されなかった。

 

 

 護衛として雇われた狩猟探索者ハンターの善意で、狩られた獣や採取された野山の山菜や果実で食い繋ぐ日々。

 

 そんな中、約半年後に王命が発布された。

 

 

 ――アドラ王国として対魔王軍の常駐軍を設立する。

 


 この王命は、魔王領に接している貴族家に対して等しく負担を求めるものだった。

 魔王領に接している貴族家各々が、負担を避ける姿勢を見せ始めたことで、対応方針を策定する協議が2転3転する。


 更に3ヶ月経過後、業を煮やしたアドラ王国王家から対魔王軍の常設軍の方針が王命により発布された。


 

 ――ソーン子爵家は、対魔王軍の常設軍の要を担うこと。



 を対魔王軍常設軍設立準備に充てる――王命を受けてのソーン家当主ガウルの方針は、ソーン子爵家領都の保守派を統べる執事長により――別宅へ配給するを全て対魔王軍常設軍設立準備へ回す――へと変換された。

 

 

 

 ――どうして、お屋敷に帰れないの?

 



『対魔王軍へ備えるため…………馬車での移動の際、ルイ様の御身を護る追加人員をまわせないとのことです…………まずは、療養を優先いたしましょう。』

 


 ――そうなんだ……僕は、ケッカン……レイソク?というやつだからなのかな……。

 

 

 何気なく執事長が使っていた言葉を呟いた時――クレアの驚きと悲しみ、そして怒ったような表情を忘れることが出来ない。

 

 それが例え、眠りの中で再生されるこのアバタールイ・ラ・ソーンの創られた記憶データであったとしても。


 

 それから10年間、ルイは別宅での生活を余儀なくされることになる。



 ◇◆◇

 

 一定の周期で揺れる馬車の振動が、夢という過去の記憶の再生から意識を覚醒状態へと切り替える。


 アガルタオンラインゲームの中であっても夢から覚めると何故かホッとすることが多い。 


 眠った際に、強制的に夢として記憶データが再生される創りものの記憶――創作物なのだと思い込もうとしても目を逸らすことが出来なくなっている。

 

 胸が締め付けられるのと同時に、最近は、このルイ=ラ=ソーンというアバターに救いがあって欲しいと思うようになっている。


 そんな思いを抱くほど、このアバタールイ・ラ・ソーンの15年間の創られた記憶データに触れることが辛くなっていた。


 深く嘆息し、馬車の大きめの窓から流れていくどことなく既視感のある風景――西洋風の街並みを抜けて郊外にある王立学院へ続く街道沿いの草原や丘陵地帯をぼんやりと眺める。

 

 ――ああ、『世〇の車〇から』っていうTV番組で似たような風景をみたんだっけ。


 既視感の理由を自分の中で勝手に解決する――と、鈴の音を思わせる声が耳朶を打つ。

 

「ルイ様は、馬車から見る風景がお好きなのですね。」


 声の主第三王女に視線を向けると微笑ましいものを見守るような微笑に思わずどキリとする。


「……本日は、ご一緒させていただいてますが1人で通学する際は、ずっと馬車から風景を眺めていることが多いのです……」


 言いながら『馬車』という言葉から、畑からの収穫物を満載にした荷馬車や狩猟探索者ハンターが移動に使う乗合馬車が脳裏を過ぎる。


(……『物流輸送論』の課題で調べた、欧州某国の旧王家が使ったような豪奢な馬車に乗る日が来るとは思わなかったけれどね……)


 小声で呟きながら、普段、王都を回遊する寄り合い馬車で移動する貴族らしからぬ行動を思い出し、浮かびそうになった苦笑いが目立たないよう目線を下げる。

 

 興味津々の視線に、少し気恥ずかしさを感じる。


「そッ!……そうなのですね!」


 妙な声音の上がり具合に、思わず目線を上げると視線を明後日の方向に向けて頬を赤らめる第三王女イリス様と、そんな主人をジト目で見る専属メイドマリアンナが視界に入る。

 

 不思議そうな表情を浮かべると、専属メイドマリアンナが嘆息する。


「……ルイ様……本日は姫様のご予定の変更を受けての通学路でのご歓談となりましたが……ルイ様の学年の学舎までのお付き合いとさせてくださいませ。」


「あ、はい。それは当然のことかと……それまでは、よろしくお願いします……」


 第三王女イリス様は、王立学園の3年といて在籍している。

 ただ、ソロン教の助祭としての仕事が立て込んでいるとあまり出席できないようだ。


 過去にも何回か、今回のように通学馬車をご一緒することを第三王女イリス様が発案されるも、ソロン教の助祭としての仕事で流れてしまったことがある。

 

 ――と、専属メイドマリアンナの言葉に第三王女イリス様が頬を膨らませる。


「庇護下に置いた子爵家令息との通学路での歓談……これ以上は、余計な詮索を招きますのでご自重くださいませ。」

 

 第三王女イリス様の視線が、文字通りじぃっと専属メイドマリアンナを見つめるもイイ笑顔で迎え撃たれ嘆息する。


「マリアンナのいじわる……」


「ただでさえソロン教のお仕事で、御婚約話が遠のいているのです。司祭位のミレティ様の御子息と懇意にされていることが原因などと、余計な詮索をされないようされませんと」


「……私はそれでも「何か仰いましたでしょうか」」


 専属メイドマリアンナがイイ笑顔で第三王女イリス様の言葉を上書きするように大きめの声で被せる。


 微妙な沈黙がその場を支配する。


 数舜の沈黙の後、専属メイドマリアンナを見つめる第三王女イリス様が降参とばかりに嘆息する。

 

 ――と、気を取り直したかのように別の話題と共に、どこか上ずった鈴の音が耳朶を打つ。


「……離宮から王立学院への通学経路でお気に召した景色はございましたか?」


「……見るもの全てが初めて見るものなので、日々、興味深く拝見させてもらっていますよ。」


 少し考えて紡いだ言葉に、第三王女イリス様の顔が曇る。


「……ソーン家領では、軟禁状態にあったと伺いました。」


「……自宅療養兼修行期間であったと考えれば……まあ……あながち悪くはありませんでしたよ。」


(軟禁というよりは……忘れ去られて放置が正確だけどね……)


 浮かびそうになる苦笑いをかみ殺す。

 

 第三王女イリス様の表情を見ると、自己嫌悪に陥っているようだ。


 このアバタールイ・ラ・ソーンの15年間の人生は、何気ない話題でも地雷になってしまうことに思い至り内心、嘆息する。


 ――そういえば、第三王女イリス様はあまり授業に出ていらっしゃらないみたいだね。


 ――なんだ、ルイは知らないのか。第三王女イリス様は、実技の授業が多いから頻繁に学園に来る必要はないみたいだぞ。

 

 気まずい空気を変えるように、昨日、テレアから聞いた第三王女イリス様の話題を口にする。

 

第三王女イリス様の学年の講義は、座学ではなく実技の割合が多いとお伺いしました。」

 

「……実技……そうですわね……魔獣討伐に同行することもありますから、魔法を体系的に実習形式で使う授業が中心になっていますわね。学園では、最小限の内容を学び、大半はを行う形ですわ。報告書を出せば単位として認めていただけますので。」


 思案顔で第三王女イリス様の言葉を聞く。


 ――授業で体系的な魔法の実習と現地での演習――討伐を繰り返すことが、アガルタオンラインこのゲームでこのアバターの能力を効率的に上げる手段になるかもしれないな……。


 そんなことを思考に巡らせた時、馬車が音を立てて止まる。

 

「……どうやら、ルイ様の学舎前に到着したようですね。」


 マリアンナさんが言葉を発したのと第三王女イリス様がむくれたのは同時だった。

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