第5話

 窓ガラス越しに、夕暮れ時の茜色に染まる波間が途切れることなく続く、海岸を眺める。

 ふと視線を下げると、近未来的な流線形のデザインを取り入れた作業机デスクの上に、重箱とお箸が添えてある。


 お湯が沸いたことを知らせる鍋型のケトルのアラームが鳴る方を見る。

 濃灰色のスタイリッシュなパンツにタートルネックの朽葉色のセータの上から白衣を羽織った童顔の男性が、マグカップの上に載せたドリップコーヒーのフィルターにお湯を注いでいる。


「……この前と同じコーヒーですか?」


「うん。そうだよ。気に入ってもらえたようだからね。」


「……ドリップコーヒーで苦みがそれほどないものって、あまりないですからね。」


「じゃあ、似たようなものをがあれば取り寄せてみるよ。」


「ありがとうございます!……ただ久間さんの好きなものを優先してくださいね。」


 久間さんはコーヒーを注いだマグカップを2つ持ちながら近づいてくる。

 流線形のデザインを取り入れた作業机デスクの上にマグカップの片方を置く。

 マグカップには、クマらしきキャラクターがプリントされている。


「……カルラさんは、飲まれないんですか?」


 ちらりとディスプレイに向かいながらキーボードを叩いているカルラさんの後ろ姿を見やる。

 

「あー……カルラはコーヒー苦手なんだよ」


「……なるほど。」


「あ……出前のお弁当にコーヒーは合わないかったかな?」


「いえ。食後に飲むので大丈夫ですよ。」


 そう応えると、近未来的な流線形のデザインを取り入れた作業机デスクの上の重箱の蓋をあける。湯気と共に、揚げたてのカツをとろみのある卵でとじたカツ丼が姿を現す。


「あ、これって『柿野屋』のカツ丼ですか?」


「うん。そうだよ。カルラが、一度、食べてみたいって言ってたから出前を取ってみたんだ。」


 視線をカルラの向けると、いつの間にかキーボードを叩く音の代わりに、カツを咀嚼する音が微かに聞こえる。しきりに頷いている。どうやらカルラなにり味わっているようだ。


 喉を鳴らして箸を取ると重箱のカツを挟み、一口、食する。


 バリッ カリッ カリッ パリッ


 十分に味わって嚥下する。

 

「……卵でとじていても、カリカリのカツなんですね」


「僕も初めて食べた時は、今までにない食感に感動したよ。」


「『柿野屋』っていつも賑わっていて、お店に入れたことないんですよ。」

 

「お、なら夕食として丁度良かったかな。」


「十分ですよ!ありがとうございます。」


「……夕食後、少し休憩を挟んでから、VRMMOのテストプレイの進め方を確認しょうか。」


「あ、はい。お願いします……というか久間さんは夕食、摂らないんですか?」


「あー……僕は『液体金属の組成』の報告書をまとめないといけないから、ちょっと難しいかな」


「そうですか……あ、『液体金属の組成』の件ですが、組成シュミレーターに入力するパラメータの組み合わせパターンをいくつか思いついたので連携します。」


 お箸を重箱の上に立てかけた後、トートバッグから研究ノートを取り出す。

 

「お、いいアイデアだったらいいな。ありがとう。」


 取り出した研究ノートには、青と黄色の付箋が各ページに挟み込む形で貼付されている。

 このうち、朱色の付箋が貼っているページを開く。


「このページです。」


「うん?……この組み合わせは……うーん、これは以外と盲点だったかもしれないな。」


「……使えそうですか?」


「多分ね。一度、組成シュミレーターで試してみるよ。塁君は、ゆっくりしていてね。」


「あ、はい。ありがとうございます。」


 そう言うと、俺の研究ノートを見ながら奥まった作業机デスクの自席へ戻る久間さんを目で追う。

 作業机デスクの上のマグカップから琥珀色のコーヒーを啜る。

 ちらりと窓ガラス越しに外へ視線を向けると、すっかり暗くなり辛うじて波間の見える海岸が視界に入る。


「……本来は、こっちがメインのバイトだったんだけどな……」


 ぼやきながらも、マグカップから琥珀色のコーヒーを啜った。


 ◇◆◇

 ◆◇◆◇


 シュミレーター・ルーム中央部部分に設置されたリクライニングシートの上に座り、ヘッドギアを装着する。リクライニングシートの正面からコンソールがせり上がってくる。


『準備は良いかな?』


 直径5メートルの球形のシュミレーター・ルームの全天周囲モニターのディスプレイ越しに、備え付けのコンソールパネルを立ちながら操作する久間さんを視界に入れる。

 

「はい。VRMMOのテストも『Battle Practice Mode』と同じという理解でいいですか?」


『うん。ただ、ヘッドギアの電源を入れる前に、『Mode』を切替る必要があるよ』


「『Mode』の切替ですか?」


『正面コンソールの液晶パネル上部にあるよ。』


 見ると液晶パネル上部に、赤いボタンが1つと青いボタン表示が2つ並んでいる。


「えっと……『Battle Practice Mode』『VRMMO Mode』『Tactical Practice Mode』の3つが見えます。」


『今は、『Battle Practice Mode』が赤、『VRMMO Mode』と『Tactical Practice Mode』が青で表示されているのは確認できるかな?』


「はい。」


『じゃあ、『VRMMO Mode』の表示を触ってくれるかな?』


 言われるままに、『VRMMO Mode』の表示を触ると、青だったボタン表示が赤に切替わる。

 同時に、『Battle Practice Mode』のボタン表示が青に切替わる。

 

「あ、『VRMMO Mode』のボタン表示が赤に変わりました。」


『ありがとう。その状態でヘッドギアの電源を入れてくれたら『VRMMO』のテストプレイができるよ。』


「なるほど……ちなみに『Tactical Practice Mode』ってなんですか?」


『ああ、それは機動兵器アーム・ムーバーを用いた対魔獣戦の訓練を行うものだよ。』


「えッ!?機動兵器アーム・ムーバーを使って対魔獣戦ですか?」


 機動兵器アーム・ムーバーは、各国の国防軍が従来の機動性に劣る戦車の代わりに対魔獣戦用の兵器として開発してきたものだ。四足歩行型のものが主流で人型のものは研究されているものの実用化には至っていないと報道で見たことがある。


『うん。まだ報道されていないけれど、先週、北米連合が大規模な対魔獣殲滅戦で1000機の機動兵器アーム・ムーバーを投入してね、その有効性を証明したところなんだ。』


「1000機もですか!?」


 機動兵器アーム・ムーバーの数に思わず驚きの声を上げる。


『うん。うちの会社も駆動系の部品を下ろしていてるホーイング社が開発した新型機動兵器アーム・ムーバーを北米連合に供与する形で実現したらしい。』


「えっと……ホーイング社って、確か戦車とか戦闘機での軍需産業でしたよね。」


『うん。初期の魔獣災禍スタンピード・ヘルでは、魔獣には核も含めてミサイルや機銃といった兵装が一切通用しなかったからホーイング社製の兵器は売れなくなってたね。』


「あ、俺もそのニュース知っています。辛うじて接近戦用の4足歩行の機動兵器アーム・ムーバーで対魔獣戦に対応できていたけど、売上が相当落ちていたから倒産するか他社に買収されるんじゃないかって話でしたけど。」


『良く知ってるね。まあ、そのホーイング社を救済する企業が現れてね。その企業によるテコ入れで、人型機動兵器アーム・ムーバーの開発に成功したらしい。』


「えッ!?そうなんですか?」


『うん。その結果、人型機動兵器アーム・ムーバーなら軍隊の戦術がそのまま使えるってことが証明されてね……北米連合の国防軍向けにホーイング社製人型機動兵器アーム・ムーバーの訓練用シュミレーターを開発しろって依頼がうちに来たんだよ。』


「なるほど……」


『この訓練用シュミレーターの仕組みをコックピットとして採用するならいいですよって言ったら採用されちゃったんだよね……』


 全天周囲モニターのディスプレイ越しに、久間さんが苦笑を浮かべ頭を掻く姿が視界に入る。


「えッ!?この訓練用シュミレーターって、ホーイング社製の人型機動兵器アーム・ムーバーのコックピットに採用されたんですか!?」


 予想を超える事態に少し慌てる。

 

『あ……そういえば言ってなかったね。といってもこのシュミレーター・ルームそのままじゃなくて基本仕様をコンパクトにまとめた操縦機構をモジュール化したものだけだよ。ちなみに納品前のテストは塁君にお願いしようと考えているからよろしくね。』


 ディスプレイ越しに、久間さんがウインクをする。


「……人型機動兵器アーム・ムーバーでの対魔獣戦も、今後増えていきそうだからお手伝いします……」


 それに対魔獣戦を生身の人間でなく人型機動兵器アーム・ムーバーで行うのが主流になるなら幻想洞窟ダンジョンの駆逐という目的がより現実的になるだろうし。

 

 言葉に出さず心の中で呟く。

 それを見透かすかのように久間さんは苦笑を浮かべながら続ける。


『恐らく人型機動兵器アーム・ムーバーでの対魔獣戦が主流になっていくだろうから塁君の『復讐』もより現実味が増すだろうからね』


 ディスプレイ越しに、じっとこちらを見ている久間さんから視線を逸らし、話題を変える。

 

「……ちなみにホーイング社を救済した企業ってどこなんですか?」


『ああ……確か『睦月グループ』って話だよ。』


「えッ!?」


 予想外の企業名に驚く。

 逸らした視線を戻してディスプレイ越しに久間さんを見る。


『2年前に『睦月グループ』がこれまで忌避していた軍需産業へ、ホーイング社を救済する形で参入することを決めたのと合わせ、情報漏洩を防ぐために拠点を人工幻夢大陸ネオ・アトランティカから北米連合へ移転させたみたいだね。ほら、何気に中華大国資本の企業も人工幻夢大陸ネオ・アトランティカに進出してるからさ。』

 

「……」


 加奈が急に『聖ヨゼフ・パシフィック学園』から北米連合のインターナショナル・スクールに転校した時期と久間さんの情報にある『睦月グループ』の拠点移動の時期が重なり合う……か。


『……どうかしたかい?』


 ディスプレイ越しに久間さんが怪訝な表情を浮かべるている。


「……いえ。何でもないです。テストプレイ前に、いろいろ聞いてしまってすいません。」


『いや。こちらこそバタバタしていて説明できてなかった情報を共有できたから良かったよ。北米連合の動きを見ると、今後は人型機動兵器アーム・ムーバーでの対魔獣戦が主流になっていくだろうけど狩猟探索者ハンターを養成するための基本的な戦闘訓練が前提だからね。』


「……そうですね。一足飛びに機動兵器アーム・ムーバーの戦闘訓練はできないですしね……まずは間の前のVRMMOのテストプレイから始めますね。」


『うん。お願いするね。』


 VRMMOのボタンを赤にしてから、コンソールのパネルに文字が次々と表示され流れていくのをチラリと見て専用ヘッドギア横の電源を入れる。


 ヘッドギアに起動時のメッセージが順次表示されていく。


 最後に『Agartha Online will start .』というメッセージが表示されたのを最後に、一瞬、気絶するような感覚を経て視界が暗転する。


 ◇◆◇

 ◆◇◆◇


 眩暈にも似た感覚の後、目覚めるような感覚とともに五感が戻ってくるのを感じる。


 するとそれを待っていたかのように、ハスキーボイスが聞こえる。


「お目覚めになられましたか。ルイ様」


 腰まである艶やかな栗毛を後ろにポニーテールのようにまとめた、メイド姿の少女が綺麗なブラウンの瞳でこちらをジッと見つめている。

 長いまつげが、整った鼻筋と控えめな紅色に色づいた可愛らしい唇とともに、健康的な小麦色の肌に映える。


『塁!いつまで寝てるの!?』


 ――あの日、慣れない避難所の配給の仕事をして疲労困憊の中でも気丈に振舞っていた姉に似た少女の姿に目を見開く。


 多忙を言い訳に記憶の奥底に追いやっていた、あの日の出来事が走馬灯のように脳裏をよぎる。

 動悸が収まらない。思わず胸のあたりをかきむしるように掴む。


「ルイ様?」


 メイド姿の少女がブラウンの瞳に怪訝な表情を浮かべこちらを伺う。


「な、何でもない……」


 ゆっくりと深呼吸をして、辺りを見渡すと、ワンルームマンション一部屋分の広さの部屋のようだ。中央付近のカフェテーブルの横に設置された来客椅子へ腰かけているようだ。

 よく見ると紺色の胴衣を着ているのに気づく。ドア付近を見るとキャスターの無いスーツケースのようなものが2つほど置いてある。


「えっと……ここは。」


「……ある意味、豪胆といいますか……選抜試験直前ということを考えると少し心配になりますね。」


 怪訝な表情から少し呆れたよう表情で応じる少女にムッとするも、聞こえてきたキーワードに思わず聞き返す。


「選抜試験!?」


「……えっと……アドラ王国王立学院の選抜試験でございます。昨夜遅くまで試験対策で四苦八苦されていたのも、お忘れですか。」


 呆れから困惑へ変化する表情の動きが妙に人間らしく内心驚く。

 と同時にVRMMOのテストプレイ前の久間さんからの説明を思い出す。


『VRMMOでは、まるで誰かの人生を途中から始める感じで始まるんだよ……学生や一般人向けにアガルタ・オンラインを解放して早期に狩猟探索者ハンターとして戦力化するためだけど。最初は予備知識を思い出すような感じでにしてあるから。学生や一般人がとっつき易いように剣と魔法のファンタジー世界でのミッションを一通り体験してもらうことで狩猟探索者ハンターとしての戦い方を自然と身につけて貰えるようにしたんだよ。まあ、とっても斬新だから楽しんでくれると嬉しいな。』


 予備知識を思い出すってどんな感じになるんだ。

 そう素朴な疑問を覚えた時だった。


「ぐッ!?」


 鈍い偏頭痛に顔を顰める。

 同時にの試験勉強や武技の特訓などの記憶とともに、自分の名前ルイ=ラ=ソーン


『クレア……『選抜試験』では、こんなことをするの?』

 

『……ルイ様いいですか。子爵家令息として最低限、成さねばならないものがございます。これまで御健康のこともあり武技全般の基礎訓練を積めなかった事情は考慮されるとは思いますが……さあ、もう一度、型を最初から繰り返しますよ。』

 

『うん。ありがとうクレア。』


 夕暮れの中。

 どこかの別荘の中庭らしき場所で目の前のメイド姿の少女の指導で片手剣の重さによろめきながらも、ゆっくりと振る。


『まずは、ゆっくりと。はい。では次に重心の置き方をお伝えいたします。』

 

『うん。ありがとうクレア。』


 別の誰かの記憶を、さも自分の体験であるかのように思い出す。


「ルイ様!?」

 

「大丈夫……ちょっと寝不足なだけだよ……」


 思い出すような感じでのに、若干、吐き気を催し口を押える。

 胃からせり上がってきたものを吐き出さないよう必死にこらえる。

 

 心配そうに慌てているメイド姿の少女に、落ち着かせるように促す。


「大丈夫。武技の選抜試験対策にクレアにも協力してもらったからさ……絶対に選抜されたいって思って頑張った疲れかな……もう落ち着いたから。大丈夫だよ。心配してくれてありがとう。」


『VRMMOで話相手は、まるで人間のように振舞う疑似人格AIだけど、不自然さがあったらあとで教えて欲しいな。』


 久間さんの説明を思い出しながら、本当に人間のように振舞う目の前のメイドに内心驚く。


 ゆっくり深呼吸をしながら、メイド姿の少女クレアに向かって微笑む。


「ッ!?……で、であれば良いのです。……メイドとしてはルイ様のことを第一に考えて行動しておりますので、試験対策にご協力するのは当然のことですので!!」


 少し頬を赤らめている姉に似た少女クレアの姿が、どこか微笑ましい。


『コンコン』


 とドアを外からノックする音がする。


 即座に余所行きの表情に戻ったクレアが、ドアに近づきゆっくりと開ける。


 赤を基調としたハーププレートメイルを纏った騎士然とした女性が握った右手を水平に掲げ佇んでいる。後ろに纏めた緋色の髪と強い光を湛えた瞳が印象的だ。


 何処かの西洋ドラマで見た貴族家の令息令嬢に相対する騎士の礼に見える。

 同時に本当に細かいところまで作りこまれている所作の完成度に舌を巻く。


 クレアは少し眉を顰めるも、スカートの裾を両手で少し掲げて軽く膝を折って答礼を行う。


「時間でしょうか」

 

「はい。ソーン子爵家御令息殿に入場いただくお時間となりましたので……会場までご案内いたします。」

 

「近衛の方が案内とは聞いておりませんでしたが……」

 

「……少し事情が変わりましたので……では、こちらへ。」


 近衛騎士の女性は、有無を言わさない形で会場までの移動を促す。


 どうやらとやらが開始されらしい。


 心の準備無しにいきなり始まるんだなと、内心ぼやいたのはここだけの話だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る