第3話

 茜色に染まった空が、ゆっくりと夕闇に包まれつつあった。

 

 吐く息が、夕闇の中で白く広がり消えていく。

 

「……今日は、一段と冷え込むな……」


 6限の授業が終わった後、足早に環太平洋総合技術大学TPCTUのキャンパスからテクノパークへと歩を進める。


 あの後、詩織は『兄貴が死んだときのことを思い出しちゃった……今、頭の中がぐちゃぐちゃだから帰るね』と力なく呟いて自宅に帰っていった。


 オフィス街が広がるテクノパークのビル群に差し掛かる。


 ビルの窓ガラスに映る、俺のトータルネックのフリースとデニムのジンズ姿をチラリと見やる。


「……フリースだけであったかいと思たんだけど……明日はコートが必要かな……」


 バイト先のオフィスがある白を基調としたオフィスビル前に到着すると、入館用に支給されたカードをオフィスビルの通用口横の非接触リーダーに照らし、通用口のドアのロックを解除する。

 エレベーターのエントランスから高層階への直通エレベーターに乗り、何も映っていない液晶パネル下部の非接触リーダーに入館カードを照らす。

 液晶パネルに、移動先の階40階のボタンだけが表示され、40階のボタンを押すとエレベーターがゆっくりと加速しながら上昇を開始する。

 

 上昇していくエレベーターからテクノパークのオフィス街が、見下ろす形で視界に入ってくる。


『な、なんで詩織が『久間さん』の名前をしっているの?』


『……なんでって……そいつが、私の兄貴を見殺しにした奴だからだよ……』


 昼時の詩織の言葉がふと、脳裏を過ぎる。


「……久間さんが、詩織のお兄さんを見殺しにしたっていうのは、どういうことなんだ?」


 独り言ちるも、答えは出なかった。

 

 最上階40階で停止したエレベーターから降りる。

 エントランスから、『セトニクス・エレクトロニクス』と明示されたプレートが掲げられている無人のオフィスの受付を通り過ぎ、通路の奥に備え付けられた入口となっているドア前へと移動する。

 ドア横の、非接触リーダーに入館カードを照らしロックを解除する。

 オフィスに入ると、濃紺色のスタイリッシュなパンツにタートルネックの藍色のセータの上から白衣を羽織った童顔の男性が迎えに出てきてくれた。


「あ、遅くなってしまいすみません。」

 

「やあ、待っていたよ。こちらは大丈夫だよ。さあ、入って入って。」

 

 エスコートされて訪れたオフィスでは、肩口まである明るい赤毛を後ろにまとめてポニーテールにした女性がキーボードを叩く音が響いていた。

 向こう側に向かって備え付けの椅子に座りディスプレイをジッと見ている。


「カルラ……今、話しかけても大丈夫かい?」


「……久間?何?」


 振り返ることなく、少しぶっきぼらぼうな口調の返事が返ってくる。


「あー……例のテストプレイヤーのバイトの学生を紹介したくてね。」


 久間さんの言葉に、女性はキーボードを叩くのをピタっと止める。

 そしてやおら立ち上がると振り返る。

 

 綺麗な焦茶色の瞳でこちらを胡乱気に見つめている。長いまつげが、整った鼻筋と控えめな紅色に色づいた可愛らしい唇とともに、健康的な小麦色の肌に映える。

 クリーム色をしたコットン生地のワンピースに、白衣をカーディガンのように引っ掛けただけの姿が妙に堂に入っている。


「!?ッ……姉……さん……」


「……誰かと間違ってる?」


 形の良い眉を顰めると、険がある片言の日本語が返ってくる。


「あ……すいません……昔、死に別れた姉の面影がありましたので……」


「フーン……で、久間……彼がテストプレイヤー?」


「あ、うん……そうだよ。カルラ。こちらは、今回、アルバイトで手伝ってもらっている檜山塁君だよ。塁君、彼女はカルラ。カルラ=マンリオ=加藤。今回の助っ人さ。」


 そう言いながら、久間さんは、俺に向かってウインクをする。


「……じゃあ早速、Tryしてもらえる?」


「せっかちだね。」


「Sekka?……Japaneseは難しいな。Scheduleが押しているから早くしたい……」


 眉をひそめるカルラさんに、久間さんは苦笑いを浮かべる。


「あ、うん。そうだね……塁君。方針説明は、一度、改修した状態の操作感を確認してからにしたいんだ。来て早々に申し訳ないのだけど、評価してもらえるかな。」


「あ、はい……操作方法は、前回と変わらずですか?」


「あ、まあ基本的には変わらないのだけど……この腕輪を左手首に装着して試して欲しいんだよ。」


 そういって、久間さんから渡されたのは、幾何学模様が刻まれた白銀色の腕輪だった。


「えっと、これをですか?……わかりました。でも手首が入らないですよ。」


 左手首に入れようとするも、掌の部分で引っかかってしまう。


「ああ……幾何学模様がない箇所を押すと左右に伸びる形で開閉されるから、それで装着してもらえるかな。」


「あ、はい。でもこれって何ですか?」


 話しながら、幾何学模様がない箇所を押すと『カシャッ』という音とともに、腕輪が左右に伸び、楕円形の形になった。


「なるほど……これを右手首に装着して、広がった部分を押し込んで装着するのか……」


『カチッ』という音とともに、腕輪がロックされる音とともに右手首に装着される。


「それは、『アガルタ・オンライン』での訓練結果を効率的にフィードバックする装置だよ。」


「……訓練結果をフィードバックっていうことは、訓練結果を数値化するためのものですか?」


 俺の言葉に、カルラさんが驚きの表情を浮かべ、口笛を吹く。


「……ヒヤマ……だったか?こちらの意図を見抜く洞察力はあるようだ。」


「……ありがとう……ございます?」


 姉さんと似た容姿で、片言の日本語というギャップに戸惑いながらもお礼を言う。


「フフッ……カルラに悪気はないから気にしないでね。単に日本語が苦手なだけだから。」


「……Japanese……難しい……」


 眉をひそめ、頭を横に振るカルラの姿に、俺は苦笑を浮かべる。


「分かりました……では、準備しますね。」


「うん。お願いするよ。」

 

 オフィスエリアからシュミレーター・ルームへと通じるドアへ向かい歩を進める。


「……えっと、今回の評価結果を受けて、追加機能の開発を決めるんだっけ?」


「そう……今は、少しでも『クレイス』のフィードバックデータが欲しい……」


 シュミレーター・ルームへ入る時に聞こえた久間さんとカルラさんのやり取りの中で『クレイス』という言葉が妙に耳に残った。


 ◇◆◇

 ◆◇◆◇


 シュミレーター・ルーム中央部部分に設置されたリクライニングシートの上に座り、ヘッドギアを装着する。リクライニングシートの正面からコンソールがせり上がってくる。

 コンソールのパネルに文字が次々と表示され流れていくのを横目に、専用ヘッドギア横の電源を入れる。


 ヘッドギアに起動時のメッセージが順次表示されていく。


 最後に『Agartha Online will start .』というメッセージが表示されたのを最後に、一瞬、気絶するような感覚を経て視界が暗転する。

 

 気が付くと、雲1つない澄み渡すような蒼穹の空が目の前に広がっていた。

 視線を落とすと、地平線の向こうまで広がる草原が視界に入る。


「……この前と同じか……」


 右手に何か堅いものを握っているのに気付き、見下ろすと、90センチほどの長さの片刃の片手剣の柄を握りしめている。


「高周波ブレードの剣か。」

 

 柄の根本のスイッチを押す。


 ブゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥン


 低い音と共に片刃に青白い光が薄っすらと灯る。


 『ウォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォン!!!』

 

 同じタイミングで、鼓膜をビリビリを振るわせる雄叫びが聞こえる。

 少し遅れて、突風が正面から叩きつけられる。


 正面を見やると、前回同様、草原の向こう側から、黒い巨体が尋常ではない速度で近づいてくる。

 よく見ると体長5メールほどの狼に似た魔獣だった。


「……今回は、どんな魔獣なのかを確認する余裕があるな……」

 

 腰を落とし、右手に持った片手剣を目前に掲げる。


 前回同様、数メール先に迫る巨大な顎が視界に入ったタイミングでサイドステップにて、魔獣の突進を躱すと同時に、手に持った片刃の高周波ブレードを、その黒い巨体に叩きつける。


 ザシュッ!


 前回とは違い、確かな手ごたえとともに魔獣の傷口から青い血とおぼしき液体が噴き出る。


「……今回は、いけるか?」


『グㇽㇽㇽㇽㇽㇽㇽㇽㇽㇽㇽㇽㇽㇽㇽㇽㇽㇽ』


 傷つけられたことに警戒を露にすると、魔獣は俺から距離ととって身をかがめる。

 

 じっとその様子を見る。

 右前脚の付け根辺りから、青い血が流れ出しており、こちらを憎々し気に睨みつけている。


 しばらく睨み合いながらも、俺の方からじりじりと距離を詰めていく。


 こちらの間合いにもう少しで入りそうな距離まで近づいたタイミングで、魔獣が痺れを切らして飛び掛かってくる。

 

 予想の範囲内の動きだったので、振り上げられた魔獣の右前脚を、危なげなく片手剣で叩くかのようにして軌道を逸らしながら、左へと避ける。


 切り付けられた右前脚に力が入らないのか、踏ん張れず崩れ落ちる魔獣を横目に、出来た隙をついて、振り上げた片手剣に左手を添えて魔獣の首筋に叩きつける。


 ザシュッ!


 『グギャァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!』


 先ほどよりも確かな手ごたえとともに、苦しみもがきながら暴れる魔獣の右前脚を踏みつけ、青白く輝く刀身を魔獣の首筋に押し込んでいく。

 

 と、急に抵抗がなくなるり、力なく向こう側へ横倒しになる。

 こちら側に無防備な腹を見せ、脚が痙攣するも動かなくなる。


『Battle Practice Mode: You win !』 


 同時にポップアップメッセージが表示されるとつづけて、見慣れない画面が続けて表示される。


 ■ルイ=ヒヤマ

 [Activity Value(活動値)]

  HP(体力):E

  MP(魔力):E-

  PP(気力):E


 [Ability Value(能力値)]

  ATK(筋力):E+

  VIT(耐久力):E+

  AGI(器用):E+

  DEX(速度):E+

  LUC(幸運):E


 [Special Skill(固有スキル)]

  None


 [Common Skill(共通スキル)]

  None


「なんだこれ?」


 怪訝な表情を浮かべながら見ていると、雲1つない澄み渡すような蒼穹の空や、地平線まで続く草原が目の前から消え、真っ白になる。


 そして、直径5メートルの球形のシュミレーター・ルームの全天周囲モニターが外の映像を映し出す。

 ディスプレイ越しに、備え付けのコンソールパネルを立ちながら操作する久間さんが視界に入る。


『はい。お疲れ様でした。前回と比べて、魔獣の強さとかはどうだったかな?』


「あ、はい。前回は強すぎでしたけど、今回はなんとか勝てたっていう印象です。」


『だよね……パラメータの数値をかなり弄ったからね。』


「なるほど……それより、今、表示されている画面ってなんですか?ステータスっぽいですけど。」


『うん?あ、これは檜山君のステータスだよ。さっき左手首に装着してもらった腕輪から、身体情報をスキャンして評価したものなんだけどね……というか……表示設定したかな?カルラ確認できる?』


『……さっき、画面作ったばかり。On/Off Function無い。』


『あ、そうなんだ……というか、昨日ステータスみたいなのがあったら便利かもってことだったけど、もう作れたんだ。』


『標準男性の数値をBaseLineにして、ScanDataを変換するだけ。No Problem』


『なるほど……というか、やっぱりレベルとかは難しいよね。』


『Experience Point……経験……値の数値化無理。Level Concept よりPractice Conceptの方が実態に合うし、現実的。』


『そっか……難しいんだね。』


「えっと……Level Concept とかPractice Conceptって何ですか……」


 置いてけぼりにされそうな雰囲気だったので、思わず質問してみる。


『ああ……ごめん。Level Concept とかPractice Conceptっていうのは……うーん……よくあるVRMMOとかって、敵を倒すと経験値が貯まってレベルが上がっていくのに合わせて、ステータスの数値も上がっていくよね?』


「あ、はい。そうですね。今はやっているVRMMOもモンスターを倒して経験値を稼いでレベルを上げていくタイプですし。」


『そうだよね。だから今回の改修でもレベルを上げていくシステムにできないかってカルラにリクエストしてたんだけど……』


「ああ……それでExperience Point……つまり経験値の数値化が難しいという話に繋がるんですね。」


『その通り!……やっぱり塁君は優秀だなあ。なので、レベルを上げていくシステムが難しいって結論になっちゃったからどうしたもんかなぁと考えてたらさ、熟練度を上げるのはできるかもってことになったんだよ。』


「熟練度……ですか。」

 

『最近はそれほど人気ないけど、レベルではなくて熟練度を上げていくタイプのVRMMOもあるからさ……今回の改修では、プレイヤーの強さを順練度で表示して訓練の成果を数値化しようって方向で対応を進めているんだよ。』


「なるほど……それで、今、表示されているのがステータス画面と……でもこれって、数値というよりは……」


『うん。数値を絶対値で表示すると色々と比較してしまう人がでてくるからさ、標準的な身体能力と比べた相関から算出した差分の大きさがプラスで大きければE以上のアルファベットのランクで表示しているんだよ。』


「なるほど……ちなみにスキル欄とかありますけど、ゲームみたいなスキルって作れるんですか?」


『うーん……それは、まだ結論が出ないんだよね。現実世界ではスキル概念ってないからさ、VRMMOというゲーム内のものに留まりそうだね……』


「そうですよね……現実世界でスキルとか魔法なんて実現できないですし。」


『まあね……難しいかなあ……』


「……ですよね」


『ところで、今回のフィードバックを受けて戦闘補助システムのようなものを実装する予定なんだ。明日以降も、続けて評価してもらってもいいかな?』


「えッ!?戦闘補助システムなんてものが実装されるんですか?」


『まあ、学生や一般人に狩猟探索者ハンターとしての訓練を施しても限界があるからね。せめて戦闘補助システムのようなものがないと戦力にすらならないよ。』


「……まあ、確かにそうですね……」


『ただね……単なる戦闘訓練じゃ、今回、塁君にやってもらったような単調に訓練になりがちで、訓練の効果が今一つなんだ。』


「……今回のような戦闘訓練をただ続けるのは……単調になって確かに苦痛になってきますね。」


『だろう……だから自分事として訓練効果を最大化するための仕組みとして、VRMMOで設定したキャラクターに成り代わってゲームをプレイする形を考えているんだ。』


「……VRMMOをプレイする形で訓練……ですか。効果って出るんでしょうか?」


『そうなんだ、だからVRMMOのゲームを実際に塁君にプレイしてもらって、訓練効果が出るかを評価して欲しいんだよ。』


 ディスプレイ越しに、悩まし気な表情の久間さんに向かって頷く。


「なるほど……そういうことなら、やりますよ。」


『お!快諾ありがとう!じゃあ、VRMMOの舞台設定とかをまとめた資料を後で渡すから、明日のアルバイトの時間までに中身を読んでおいてくれるかい?』


「あ、はい。それくらいなら大丈夫ですよ。ところで、俺がプレイするVRMMOの舞台って、複数プレイで強い魔獣を狩る感じのタイプとかですか?」


『あー……完全に僕の趣味になるんだけど……』


 久間さんはディスプレイ越しに少し目を逸らし、恥ずかしそうに続ける。


『……魔王をやっつけるような……剣と魔法の異世界風のものだよ。』

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