第二幕
第1話
雲1つない澄み渡すような蒼穹の空。
地平線の向こうまで広がる草原の向こう側から、黒い巨体が尋常ではない速度で近づいてくる。
「あれが……魔獣……」
右手に持った90センチほどの長さの片刃の片手剣の柄を握りしめ、柄の根本のスイッチを押す。
ブゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥン
低い音と共に片刃に青白い光が薄っすらと灯る。
ちらりと、その片刃の刃に目を向ける。
「これが、今、魔獣に唯一効果がある接近戦用の兵装……『高周波ブレード』か……」
『ウォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォン!!!』
呟いた瞬間、鼓膜をビリビリを振るわせる雄叫びと同時に、突風が正面から叩きつけられる。
思わず、腰を落とし、左腕で頭を庇う姿勢を取る。
そして視線を正面に戻すと、数メール先に迫る巨大な顎が視界に入る。
「ッ!?」
慌ててサイドステップにて、黒い巨体の突進を辛うじて躱す。
と同時に、手に持った片刃の高周波ブレードを、その黒い巨体に叩きつける。
ギンッ!
「くッ!?……弾かれる?」
叩きつけた片刃の高周波ブレードによる剣戟が弾かれたことで、逆にバランスを崩してよろける。
何とか態勢を立て直し、黒い巨体が過ぎ去った方向に視線を向ける。
『グガァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!』
目の前に、開かれた巨大な顎によって、俺の身体は嚙みちぎられてしまった。
『Battle Practice Mode Over』
同時にポップアップメッセージが表示されると、雲1つない澄み渡すような蒼穹の空や、地平線まで続く草原が目の前から消え、真っ白になる。
『はい。お疲れ様でした。で、どうだったかな?ダンジョン内での魔獣との戦闘。』
どこか含み笑いをこらえるような久間さんの声がシュミレーター・ルーム内に響く。
装着していたヘッドギアを外す。
周囲を見渡すと直径5メートルの球形のシュミレーター・ルームが視界に入る。
いくつものディスプレイ・パネルを組み合わせた全天周囲モニターとなっている。
ディスプレイ越しに、備え付けのコンソールパネルを立ちながら操作する久間さんが視界に入る。
シュミレーター・ルーム中央部部分に設置されたリクライニングシートの上で身じろぎし、上体を起こす。
「……えっと、魔獣ってこんなに強いんですね……」
言いながら、両手を見ると震えているのに気づく。
意気込んで『アガルタ・オンライン』で魔獣との戦闘を体験させてもらったものの、想像以上の強さに、ただただ慄くしかなかった。
『まあね。僕も一度体験してみたけど、魔獣は半端なく強いってことが分かっただけだったよ。』
「……なるほど……」
震える両手を何度も握りしめていると、震えが収まってくる。
『落ち着いてきたかな?』
「はい……」
『うん。じゃあ、説明をするね。』
言いながら久間さんはディスプレイ越しに備え付けられたコンソールを操作する。
『まず、今回、塁君にやってもらいたいのは、魔獣の強さのチューニングなんだ。』
「強さのチューニングですか?」
『そう。学生や一般の人が今の状態で戦闘訓練を積もうとしても、強すぎる魔獣に恐怖して
「あ、はい……俺も、そう思います……」
『だから、初心者が少し頑張れば倒せるようにパラメータを弄って戦闘訓練用の魔獣の強さを調整したいんだよ。』
「ああ。まるほど……つまり、最弱の強さとなるパラメータの組み合わせを、俺が戦ってみて評価するわけですね。」
『その通り!やはり、塁君は優秀だね!』
「ありがとうございます……ただ、最弱となる強さを作るだけじゃ無いですよね。」
『まあね。訓練で強くなってきたら、それに合わせて魔獣も強くしないといけないからね。』
「……ちなみに、パラメータの種類ってどれくらいあるんですか?」
『種類……まあ……ざっと、500項目ぐらいかな……』
「ご……」
『実際の魔獣の強さを再現するために細かい制御をするためにいろいろ追加していった結果みたいだけどね。』
ディスプレイ越しに肩を竦める久間さんは、苦笑しながら続ける。
『……まあ、
「えッ!?」
『……どうしようもないから必要に応じてリバースエンジニアリングをしながら、ソースコードを抽出して改修していく形で進めているんだよ……現在、75%は把握できているのだけど、本格的な改修準備が整うまでは『液体金属の組成』評価の方を進めてもらえると嬉しいかな。』
「……わかりました。というか、他の人が開発したシステムを改修するのって、とても大変なんですね……」
『まあね……ただ今回のケースは、きちんとソースコードや設計書が管理されていなかったことが、難易度を跳ね上げているだけだよ。』
久間さんは、力なく苦笑い浮かべると続ける。
『なので塁君はせめて『液体金属の組成』の評価については、評価方針とか評価方法を第三者にわかるように整理してくれると嬉しいかな。』
「あ、はい!わかりました。頑張ります!」
何処か縋るような久間さんの視線に、俺は力強くうなづいた。
◇◆◇
◆◇◆◇
「そういえば、なんで『アガルタオンライン』って名前なんだろう……」
テクノパーク内の『カサンドラ』のテラス席で、注文した珈琲を啜りながら呟く。
「久間さんに、今度、聞いてみるかな……」
ブー ブー ブー ブー
「あ、電話……智也か……」
テラス席のテーブルの上で、消音モードのバイブレーションが振動しているスマートフォンのディスプレイを見る。
表示された友人の名前を確認し、通話ボタンをタップした。
『塁か……悪い、今着いた。どこにいる?』
「大丈夫だよ智也……今、テラス席にいるよ。」
『テラス席……あ、見つけた……今行く。』
「あ、うん……」
通話を切る。
『加奈と……睦月加奈と連絡が取れた……』
先日、ここカサンドラで智也と再会した際に、伝えられた言葉を思い出し、鼓動が早くなる。
「加奈……急にいなくなって……今さらなんで……」
どうにも考えがまとまらない。
「塁!待たせた。悪い!」
声の方を向くと、デニムのジンズ、黒いTシャツの上に濃紺のジャケットという出で立ちの智也が足早に近づいてくる。
今日は、篠崎さんは一緒ではないようだ。
この間かなり睨まれていたから、篠崎さんが一緒でないのは正直助かるな。
近づいてくる智也をぼんやり見ながら、内心ホッとする。
「……いや……大丈夫だよ。まだバイトまで時間あるから。」
「……バイト……そういえば、お前なんでバイトなんかしてるんだ?」
智也は言いながら、テラス席に備え付けられた向かい側の席に座る。
「……学費分のお金はあるんだけど、生活費が先細りでさ……」
苦笑いしながら伝えると、智也は、怪訝な表情を見せる。
「塁は実家暮らしだろ?あ……もしかして親御さん、仕事辞めたのか?」
若干、ばつの悪そうな表情を浮かべる智也に、こちらもばつの悪い表情を浮かべる。
「あー……智也には言ってなかったよね。俺……日本国の内地出身なんだけどさ……両親は、
「えっ!?」
驚く智也に続けて伝える。
「『聖ヨゼフ・パシフィック学園』の時は、セラ先生や加奈は知っていたんだけどね。他のクラスメイトには気を使わせてしまうから伝えてないで欲しいってセラ先生にお願いしていたんだ。」
「加奈ッ!?……なんで加奈は、知ってたんだ?」
智也は、怪訝な表情を浮かべる。
「俺の死んだ父さん……睦月グループの……えっと確か『経営企画室』ってところに所属していたらしくって……睦月グループの社長……加奈のお父さんからも信頼されていたそうなんだ。」
「はあッ!?睦月グループの『経営企画室』に所属していただぁ!?」
「えっと……そんなに凄いことなのか?」
智也の反応に不思議そうに首をかしげる。
「おま……睦月グループの『経営企画室』の凄さを知らないことが逆に驚きだぜ……」
何故か疲れた表情をした智也に、あははと乾いた笑みを返す。
「どこの会社も経営企画室は『少数精鋭の超エリート』だが、親父のカバン持ちで参加した経営者同士のサロンじゃ『企業再生請負人』とか『空想具現化の魔法使い』って言われているぜ。」
「『企業再生請負人』に『空想具現化の魔法使い』……なんかすごい評価だね……」
海外出張の度に変わったモノを買ってきては、姉に小言を言われて困り顔の父を思い出す。
『企業再生請負人』とか『空想具現化の魔法使い』……じゃあないよな……。
どうにも凄腕仕事人や高名な魔法使いっぽくない父親とのギャップが埋まらない。
「はあ……まあいいや……それで塁の親父さんが睦月グループの『経営企画室』に所属してたから加奈の父親……睦月グループの社長とも面識があったってことなのか?」
「あ、うん……俺を
ピクリと智也は、眉を動かす。
「……なるほど……だから、加奈はお前のことを、あれ程信頼していたんだな。」
はー、と嘆息すると何処かすっきりした表情で、智也は俺を見る。
「最初、加奈にアタックしていたのは、俺だったからさ。転校してきたお前と、いつの間にか一緒にいる加奈の行動がようやくわかったぜ。加奈を獲られた腹いせに絡んで悪かったな。」
そういって、ニカッと笑う智也を見て、俺も苦笑いを浮かべる。
「あの時は、流石にイジメっこに絡まれていると思って、びっくりしてたよ。」
「イジメじゃねえって、単なる腹いせだ。」
「余計悪いよ。」
智也や加奈と初めて出会った『聖ヨゼフ・パシフィック学園』の小等部でのことを振り返りながらお互いに笑い合う。
ひとしきり笑い合った後、智也は真剣な表情で俺を見る。
「……で、だ。今日、塁と会いたかったのは、加奈の……睦月加奈ことを伝えたかったからだ。」
加奈という名前に、俺の鼓動が早くなった。
「……加奈は……元気なのか?」
恐る恐る聞くと、智也は、何処かきょとんとした表情を浮かべる。
「……お前も、そんな表情浮かべるんだな……ちょっと安心したぜ」
『イイ笑顔』を浮かべながら、悪戯ッぽくウインクする。
「……まあ、急にいなくなられてしまったら、振られたと思うよ……普通はさ……」
「ま、まあな……で、だ。」
ムッとした表情を浮かべた俺に、智也は咳払いをする。
「肝心の加奈だが……塁、お前は振られてなんてないよ。どちらかというと、加奈はお前と逢いたがっているぜ。」
智也の言葉が一瞬、理解できなかった。
「……えっと……ちょっと待ってくれ……振られていないってどういうことだよ……」
震える自分の声が他の誰かが話しているかのようだ。
「……睦月加奈は、お前のことをずっと想っていたってこと……」
俺の様子に眉を顰めるも目だけは逸らさずに紡がれる智也の言葉を、俺は遮るように怒鳴る。
「はあッ!?振られていない?あの状況で!?どうやったらそんなことが言えるんだよ!」
ドン!
少し、声を荒げ、気が付くとテラス席のテーブルを握った右手で叩いていた。
何事かと、他のテーブル席の客や外を歩いているひとが視線をこちらに向ける。
「あ!何でもないです。さーせん……」
智也が何事かと近づいてきたカフェの店員さんに謝罪する。
「……気持ちは分かるが……落ち着けよ。」
智也の視線を追ってチラリと周囲の視線が集まっているのを確認し、ハッとする。
意識してゆっくりと深呼吸をする。
「……」
「落ち着いたか?」
「ああ……悪い……」
「続けるぞ……加奈とは、俺が推薦で入学したUCLAのネオ・アトランティカ校のイベントが北米連合のボストンで開催されたインカレのイベントで偶然再会したんだ。」
「加奈は、北米連合の大学に通っているのか?」
「ああ、加奈は、お前が進学するって言っていたハーバード大学に通ってるぜ。」
「ッ!?……そうか……俺、結局、
智也の言葉に、加奈と最後に逢った『聖ヨゼフ・パシフィック学園』高等部の図書館でのことが脳裏を過ぎる。
『……明日、加奈に進学先について、俺の考えていることも含めて話してみるかな。』
結局、加奈に俺の考えていることを伝えられなかったばかりにすれ違ったのか……。
「……再開した加奈に、色々聞かれて、お前が
「だろうな……」
「……しかも、目の前でボロボロ涙流して泣かれてさ……俺、加奈のSPと専属メイドに吊し上げられたんだぜ……」
うんざりした表情を浮かべる智也の言葉に、驚く。
「SPと専属メイド!?」
「あ……悪い。加奈のことを伝えてなかったな。加奈は、今、睦月グループの代表として仕事をしながら大学に通ってるってさ。」
「睦月グループの代表!?」
驚く俺に、智也は続ける。
「どうやら加奈が急に転校したのは、加奈のご両親が重篤になったため、急遽、加奈に代表権が移譲されて睦月グループを率いる必要が出たためらしい。」
智也の言葉に、図書館での加奈と交わした言葉が脳裏を過ぎる。
『……加奈……どうかしの?』
『……うん……お母様とお父様が怪我をなされて、今、病院で手術中って……』
『えっ!?……大変じゃないか……直ぐに向かわないと……』
『うん……ごめんね……この後、塁君と愛し合いたかったけど……今日は……』
『大丈夫だよ!加奈とは、いつでも会えるんだからさ。』
『うん!ありがとう!……本田さんがこの後直ぐに校門前まで迎えに来てくれるらしいから、今日はここでお別れでいいかな?』
『もちろん。じゃあ、また、明日ね。』
『うん。また明日』
愕然とする俺に、追い打ちをかけるように、智也は続ける。
「ご両親の容態が安定したらしいから、ご両親が入院されている病院がある『
「えッ!?」
「その時に、塁、お前と逢いたいってさ……」
そこまで言って、智也は嘆息する。
「というか、塁。お前……この間、この席で一緒にいた佳奈って娘と付き合ってるんだろ?」
「……うん……」
「楓……あ、篠崎楓のことな。あいつも、俺と同じUCLAのネオ・アトランティカ校に入学したんだ。だから加奈と再会したインカレのイベントも一緒だったんだ。だから事情を知っていてさ。」
「だから……あの時、怒ってたんだね……。というか篠崎さん、UCLAのネオ・アトランティカ校に入学できたんだね。ということは、智也は篠崎さんと付き合っているの?」
「はぁ!?……なんで、俺が楓と付き合わないといけないだ?」
「……いや……前回、一緒にいたから、てっきりデート中なのかと思って。」
「前回は、加奈とお前をどうやって引き合わせようかと話してただけだぜ。」
「……」
篠崎さん……前回、俺を睨んでたのって、八つ当たりもあったのかな。
ぼんやり考えていると、智也が続ける。
「いずれにしてもさ……お前、このままだと最低の二股野郎ってことになるから何とかしろよ。」
「……分かってる……俺が、加奈から振られたと思ったのが、原因だから……何とかするよ……」
「できるのか?」
「……」
智也の言葉に、俺はただ嘆息するしかなかった。
ブー ブー ブー ブー
「あ、電話……佳奈?……」
テラス席のテーブルの上で、消音モードのバイブレーションが振動しているスマートフォンのディスプレイを見て、ドキリとする。
俺の反応に智也がピクリと方眉を動かす。
表示された『滝澤 佳奈』の名前を確認し、通話ボタンをタップした。
「……佳奈?……どうしたの?」
『あ、あのね……塁……その……ね……』
「うん……」
『あの……私とのお付き合いなんだけど……』
「……うん……」
『私とね……別れて欲しいの……』
「えッ!?……ど、どういうこと!?」
『本当にごめんなさい!』
プツッ ツー ツー ツー ツー
その言葉を最後に、通話が切れる。
「どうしたんだ?」
怪訝な表情を浮かべる智也を見ながら、俺は、思考がまとまらず、途方に暮れるしかなかった。
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