幕間1
図書館で塁君と別れた後、エントランスの下駄箱で上履きからローファーに履き替える。
「本田さんからの連絡では、病院で手術中ってことだけど……」
お母様とお父様は、どういう経緯で怪我をなされたのか。
怪我の程度はどれくらいなのか。
死んでしまうのではないか。
「いけない……悪いことを考え始めたら負のループに入っちゃう。」
不安で心が押しつぶされそう。
鞄を胸にギュッと抱きながら校舎のエントランスから『聖ヨゼフ・パシフィック学園』の校門前に移動する。
「お嬢様!こちらです。」
見ると、光沢があるグレーのスーツに身を包んだ本田さんが、校門から少し離れたところに停車しているリムジンの側に佇んでいた。
「あ、本田さん!お父様とお母様の容体は?」
「緊急手術を先ほど行い、一命はとりとめました。」
「ッ!?……そんな危険な状態だったのですか?」
「……詳しくは、移動中に……」
本田さんは、停車させたリムジンの後部席のドアを開くと社内へと促す。
停車しているリムジンを、チラチラと後輩とおぼしき生徒が見ている。
視線が背中に突き刺さるのを感じながら、本田さんが開けたドアから車内の助手席に乗りこむ。
シートベルトを装着した本田さんは、リムジンをゆっくりと走らせる。
徐々に速度を増すリムジンのドア窓から、流れていく『聖ヨゼフ・パシフィック学園』の学舎と下校途中の生徒たちが視界の端に映る。
公衆の面前で自分が特別扱いされるのは、未だに戸惑う。
特別扱いせずに接してくれる同級生が友人なのは、素の私を見てくれることに好感を持てるからなのだと思う。
リムジンの後部座席のシートに身を委ね目を閉じる。
普通の女の子として接してくれる、黒髪の自信なさげな同級生の端正な顔が脳裏に浮かぶ。
「……だから塁君を好きになったのか……」
自分でも意識しないまま発した言葉に、運転席の本田さんが反応する。
「そういえば、お嬢様は、檜山の息子と、お付き合いされているのでしたね。」
「え……あ、はい……」
思わず赤面する私に、本田さんは優しく微笑む。
「檜山の息子は、きっと、何があってもお嬢様を守ってくれそうですね。」
「多分……そんな気がしています……」
『えへへ……フレンチじゃなくて、ディープキスでした……またね……バイバイ』
唐突に、先ほど図書室で塁君と交わした言葉が脳裏を過ぎる。
「…………」
我ながら、大胆なことをした事実に遅まきながら気づく。
顔の表面温度が上がっていくのが分かる。
「……社長と奥様も、檜山のことはとても信頼していました。檜山が内地で死んだと知った時は、何故、内地へ行くのを止められなかったのかと悔やまれていました。」
「…………」
「ですが、檜山の息子を内地の避難所で見つけたことを御報告した時、我が事の様にとても喜んでおられたのです。」
「お父様とお母様は、塁君を本当の息子と思っているって仰ってました。」
膝の上に載せた鞄の持ち手をギュッと両手で握りしめる。
「わ、私も……塁君とは、本当の家族になれたらなって……思ってます。」
勢いで言った後、先ほどと同じかそれ以上、顔の表面温度が上がっていくのが分かる。
本田さんは、バックミラー越しに、私の様子をチラリと見ると微笑を浮かべる。
「相思相愛のようで安心しました……今の状態なら、少し、離れ離れになっても大丈夫ですね。」
「えッ!?……ど、どういうことですか?」
本田さんの言葉の意味を、驚きながらも確認する。
「……現在、緊急手術にて一命をとりとめはしましたが、社長と奥様の意識が戻らない状況となっています。」
「えッ!?」
頭を殴られたかのような衝撃を受ける。
「睦月グループの代表権は、現在、社長の次が奥様となっておられます。」
「代表権?」
「睦月グループという巨大な企業連合の取り舵を握れる権利とお考え下さい。」
「…………」
「社長と奥様の身に何かあった場合、その代表権は、お嬢様に移ることとなっております。」
「わ、私ですか?」
「はい。お嬢様です。そして、その代表権を持つ方でないと、睦月グループの決済を行えない仕組みとなっているのです。」
「え、えっと……つまり、私が睦月グループの取り舵を握らないといけないってことですか?」
「そうなります。なお、お嬢様が決済を行わないと、檜山の息子の生活にも影響が出ます。」
「る、塁君の!?」
「彼は、睦月グループで卓越した業績を残した社員の遺族に対して提供される住居に住んでいます。その家賃や光熱費等も睦月グループが毎月、不動産管理会社に対して支払いを行っています。」
「ッ!?……つまり私が決済を行わないと……塁君が今の住居で生活ができないってことですか?」
「その通りです。」
「……分かりました。やります。」
気が付くと、膝の上に載せた鞄の持ち手をギュッと握りしめた両手が白くなっていた。
はっ、と気が付いて握りしめた手を緩める。
「それと……申し上げにくいのですが、お嬢様は、明日から北米連合のインターナショナル・スクールに転校していただきます。」
「ッ!?……な、何故ですか!?」
明日から急に転校!?
「昨日、社長と奥様が協議の上、1つの経営判断をなされたからです。睦月グループは、拠点を『
「えッ!?……け、経営判断というのは解ります。で、でも何故、私も北米連合へ行く必要があるのですか?」
震える声で、本田さんに訊ねる。
「拠点を移すのにあわせて、現地で新たに提携する企業の経営者の方々との会合に、ご同席いただくためです。」
「そ、そんな……勝手です!」
クラスの友人にお別れの挨拶もしないままに転校!?
「お嬢様は睦月グループの創業者一族に類するかたですので、この決定に従う義務がございます。」
「義務って……そんな義務、今、初めて聞きました!」
何より、塁君と明日から逢えなくなることに、焦燥感が胸を焦がし始める。
「睦月家に生まれた時点で、義務が発生します。ただ、未成年の間は知らされず、詳しい説明がなされるのは成人されてからとなります。ですが、今回、社長と奥様が重篤により業務遂行が困難となったため、例外対応で説明を順次行ってまいります。今日は、その先触れとなります。」
「……せ、せめて明日、転校することを担任のセラ先生に説明する時間をいただけませんか?」
「……明日、北米連合の新しい拠点で提携会社との契約締結を行う運びです。その場に、お嬢様にもご同席いただく必要がございます。」
「あ、明日ですか!?」
口に出した直後、お母様と今朝会話した内容が脳裏を過ぎる。
『加奈……明日、北米連合での仕事があるから、今日の夜には旅客機で移動なのよ……少しの間、1人にしてしまうけれどごめんなさいね。』
『ううん……お仕事だもの仕方がないわ。寂しいなって思ったら塁君と一緒にいる時間を増やすから大丈夫!』
『あらあら、塁君と仲良くなるのはいいけれど、程々にね。』
『はーい。』
「……き、今日の夜には、移動なのですよね。」
「はい……その通りです。」
「……担任のセラ先生には、丁寧に説明をお願いしてもいいですか?」
「承りました。では、これより空港へ向かいます。」
そして、私は塁君が進路を決めたその日に、旅客機で『
塁君が決めた
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