第5話
後期の講義開始にあたってのオリエンテーションの翌日、教務課に履修登録申請を提出した後、俺は、キャンパス内のカフェのテラス席でぼんやりしていた。
「透き通るような蒼だよな……」
テラス席から見える雲1つない蒼天の空を見ながら、独り言ちる。
空だけ見ていると
入学直後は、理工学部の授業と大学生活に慣れるとことに忙殺されていた。
高校までと違う、自由度が飛躍的に高まった講義。特にディベートでの論理展開など、思いのほか苦手意識をもったものものあった。
佳奈や詩織からは『凄い!凄い!』との褒め言葉しかなかったけれど。
講義の単位取得の試験期間中は、普段授業に出ていない、自称同学年の学生に講義ノートのコピーをお願いされたり。
詩織が『塁の講義ノートをコピーするなら、しおりんを通してね!もちろん、それなりの対価が必要だよ!』とか言い出して勝手にビジネスを始めたのには呆れてしまったけれど。
慣れない環境をそれなりに、楽しく過ごしたのだと思う。
「あ、塁だ!佳奈~。塁いたよー!」
「えっ!?本当?」
テーブルに頬杖をつきながら雲ひとつない真っ蒼な空を見ていると、聞こえてきた詩織と佳奈の声に何事かと振り向く。
佳奈は、胸元まで伸びたセミロングの茶髪に、膝下丈のネイビーのデニムワンピースに白のカーディガンを羽織っている。
ベージュのトートバッグを右肩に掛けている。
詩織は、長くなった黒髪をポニーテルに纏め、花柄の膝上丈のワンピースという出で立ちだ。
青い幅広のトートバッグを左腕に掛けている。
「おはよう。佳奈、詩織、どうしたの?」
「聞いてよ~。佳奈が後期の履修登録で迷いまくりでさ。」
言われた佳奈が頬を膨らませている。
「だってー。」
「塁に相談したらって言ったら、最近忙しそうだから迷惑かもってだって。いじらしいでしょ?」
「しおりー、ばらすなー」
顔を赤らめて、トートバッグをもっていない方の手で詩織をバシバシと叩く。
2人のやり取りにクスリと笑う。
詩織と佳奈は、じゃれ合いながら俺が座っているテラス席の空いている席に座る。
「ちなみに、塁は履修登録したの?」
同じく、俺が座っているテラス席の空いている席に座った佳奈は、トートバッグから
青と赤の付箋が頁の合間に沢山、挟まっているのがチラリと見える。
「ああ、もうしたよ。ちなみに、佳奈はなんで迷っているの?」
「佳奈は色んな事に興味あるんだよ~。」
「へ~。そうなんだ」
「昔からなんだけど1つに絞り切れなくてね~。」
詩織がドヤ顔で、我がことのように佳奈のことを話す。
ドヤ顔の詩織をチラリとみて、佳奈が苦笑いを浮かべる。
「それもあるんだけど、せっかく大学に進学したから……大学でしか学べないことってあるし。」
「なるほど……じゃあ、その中で一番やりたいことってあるのかな?」
「一番やりたいこと?うーん……やりたいことというより、数学とかが面白そうだなって思うよ。」
「ああ、だから佳奈は、理工学部の数学科に入ったんだっけ?」
「うん。それと……就職率の高い研究室が数学専門みたいだから、それもあってさ。」
「数学専門で就職しやすい研究室って……あ、西尾教授の研究室だっけ?」
「うん。バリバリのキャリアウーマン風だけど、きっちり論文でも成果だしているから、他の娘たちも狙ってるみたいなんだ。」
「じゃあ、受けてみたい数学の講義を中心に履修登録して、残った登録枠は関連するテーマを扱ってそうな講義を登録したらどうかな?」
何気なく呟いた俺の言葉に、佳奈と詩織を顔を見合わせる。
「「それだ!」」
いそいそと履修登録表に、履修科目のコードをボールペンで書き込んでいく佳奈を見ながら詩織が俺の方を見る。
「あ、そういえば、塁ってなんで最近、忙しいの?」
「ああ、バイトを探しているんだよ。学費分のお金はあるんだけど、生活費が先細りでさ。」
「えっ?塁って実家暮らしだよね?生活費って関係なくない?」
「言ってなかったっけ?俺、日本国の内地出身なんだけど、
「「えっ!?」」
何気なく言った俺の言葉に、佳奈と詩織が固まる。
「両親が残してくれたお金で、大学の授業料は払えるんだけど、生活費までは賄えなくてさ……それで割のいいバイトを探してるんだ。時給は良くても続けられるか確認するために、先週から実際に体験で入ってバイトしてるんだよ。」
「えっと……で、でも塁が住んでるのって、テクノパーク近くの1等地のタワマンでしょ?ご両親がいらっしゃらない状態で、どうやって住んでるの?」
困惑気味の詩織に、苦笑いを浮かべる。
「俺の死んだ父さんさ……睦月グループに所属していてね……貢献度が高かったのと遺族への補償という形で俺が就職するまで無償で利用できるようになっているんだよ。だから……就職が決まった時点で出ていかないといけないんだ。」
「「…………」」
気まずそうな表情をする詩織と佳奈に、優しく微笑む。
「いつか言おうって思っていたけど、ちょうど言えたから良かったよ。」
「あー……知らなかったとはいえ不躾だったわ。ごめん。」
両手を合わせて、『すまん』というポーズを取る詩織に、大丈夫だよと伝える。
「……あ、でも睦月グループって……半年ほど前から
心配そうな表情する佳奈に、にっこり微笑む。
「それは大丈夫だよ……タワーマンションの物件は、睦月グループから委託された不動産会社の管理でね、俺が卒業するまでの家賃は全額支払われているらしいから。」
「そ、そっか……じゃあ、大丈夫なのか。」
ホッとする佳奈と詩織に、笑顔を向ける。
「佳奈、詩織。心配してくれてありがとうね……あ、これからバイトを探しに学生課行かないと。」
「あ……うん。」
「…………」
テラス席の座っている椅子に掛けていた黒のスタイリッシュなトートバッグを掴むと、マグカップとトレイをカフェの返却口に返す。
ちらりとテラス席を見ると、佳奈と詩織が頬杖をついていた。
◇◆◇
◆◇◆◇
ただ、大学入学時点でやりたいことや専門分野が決まっていなかったこともあり、アルバイトの求人を見ても、すんなりと決められなかった。
そのため、前期は単位を取ることに集中し、アルバイトは後期から探すことにした。前期の授業でなんとなく気になったテーマが自分の中で出来つつあったので、関連するアルバイトがないかを先週から探していた。
ただ、生活費のことを考えると時給が高い求人を中心に、気になったものを先週から体験で働くにとどまっていた。
「もう少し、時給が高かったらよかったんだけどな……」
昨日、体験で働いたアルバイトは、日給7000円の素材の研究開発を行う研究所の助手だった。
ただ、拘束時間が8時から22時までで、時給換算すると約540円だった。
「業務内容は面白かったんだけどな……試薬濃度を変え、素材組成の推移を見る内容だったし。」
ぼやいても仕方ないんだよね。
「お、檜山君、昨日の大山工業さんのバイトはどうだった?」
と、学生課の建物に入ったところで、色々と相談させてもらっている、小太りで眼鏡をかけた男性が俺を見かけるや声をかけてくれた。カウンター越しで書類を整理していたようだ。
チノパン、白いYシャツの上に緑の厚手のセータという出で立ちだ。
「あ、丸山さん。こんにちは。昨日は、大山工業様のアルバイトをご紹介いただきありがとうございました。」
「で、続けられそう?」
にこやかに笑ってはいるものの、胡乱な目をしながら確認される。
「……あ、えーと……業務内容はおもしろかったんですけど……」
反応に困りながら、しどろもどろになる。
「あ~……やっぱり、拘束時間が長いってのがネックになりそうか」
「すいません……授業とその課題をこなしながら、8時から22時の時間拘束は物理的に無理です。」
「だよなぁ~……このバイトは、単位を取って就職先が決まっている、比較的時間に余裕がある学生向けのものだからね。」
うーむと腕を組みながら、1回生でもできるやつがあればいいんだけどな、と呟きながら手元のコンソールのキーボドを叩き始める。
と、学生課の奥から、丸山さんを呼ぶ声がした。
「丸山さーん、求人を出したいっていう企業様からのお電話ですー」
「あ、はーい……じゃあ、何かよさげなものがあったら連絡するよ。」
「あ、はい。よろしくお願いします。」
なんとか便宜を図ってくれようとしてくれる丸山さんに深々と頭を下げる。
「まあ……自分でもさがしてみるかな」
ちらりと、学生課に設置されているアルバイトの求人を検索できる端末が置かれたブースを見る。
「今なら、誰も使ってないから検索できるかな……しかし、昨日は、すごい行列ができてたよな。」
端末が設置されたブース席に座る。
マウスを操作すると、幾何学模様を繰りし表示するスクリーンセーバーから画面が切り替わり、求人一覧が表示される。端末を操作して求人を時給が高いもの順にソートする。
「えっと……一番高い時給は……5000円!?」
思わず応募しそうになったものの、求人をよく見ると、
「……これも、大山工業のと同じで、単位を大半取り終えてる学生ぐらいしか応募できないじゃないか……授業が終わった後に入れるバイトを探さないと……」
再び端末を操作して求人票のソート条件を変更してみる。すると、理工学部の学生向けのアルバイト求人のトップに時給7000円の求人が表示された。
「えっと……さっきまでは表示されていなかったぞ……セトニクス・エレクトロニクス……か……」
求人内容を見ると、『液体金属の組成および方式案の検討』との記載があった。
「拘束時間は……平日19時から22時で、土日は割増で午前中もしくは午後のみの勤務形態を選択可能か……随分と気前がいいけど……ブラックな職場とかかな……聞いたことがない企業だし」
うーむと唸りながら、一応、求人をプリントアウトする。
ブース席横に設置されているプリンターから求人が印刷される。
手に取って、改めて眺める。
うーむと唸っていると、丸山さんが俺を呼ぶ声が聞こえた。
「丸山さん、どうされたんですか?」
学生課のカウンターに行くと、丸山さんが一枚の求人を見せてくれた。
「ちょうど今、入った求人なんだけどさ、よさげな内容だったからどうかなと思ってさ。」
そうして見せてくれたのは、ちょうど俺が印刷した求人と同じものだった。
「えっと、これと同じものですか?」
「ああ、そうだよ。どうかな?」
「あ、えっと……随分と良さそうなのですが、聞いたことがない企業だったので。」
「あ、そうだよね……世間じゃ有名ではないからね。」
「世間では?」
丸山さんの物言いに、眉を顰める。
「そう……実は、この会社は、タイ・ムーン・コーポレーションの100%資本の会社なんだよ。」
「えっ!?……タイ・ムーン・コーポレーションって民生から軍需産業までのシェア40%を占めている巨大企業じゃないですか!」
「……どうやら、
思わず、ゴクリと喉を鳴らす。
「……じゃ、じゃあ……学生のアルバイトで関わっておいて、高評価を得られたら就職とかも……」
「間違いなく、採用されるんじゃないかな……タイ・ムーン・コーポレーションの関連企業って、公募では採用せずにリファーラル採用……つまり従業員の紹介でないと入社できないことでも有名だしね。待遇が良いのは、単に優秀な学生を見つけて青田買いしたいって意図だっていうのは、さっきの電話で確認したから大丈夫だよ。」
「なるほど……」
「少し考える時間が必要なら……」
「ここにします。」
「えっ?」
「……セトニクス・エレクトロニクスの求人内容で、体験で働いてみたいです。」
これが、俺の目的……
大学入学後の楽しい記憶に埋もれていた、俺の昏い想いが首をもたげ始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます