第一幕 

第1話

 曇天の朝。


 起床後、身支度を整え、手早く昨晩の残り物で朝食を済ませる。

 先週まで蝉の鳴き声が聞こえていたのだけど、いつの間にか朝露が降りるようになった朝の寒さを受けて、くしゃみをする。


「……もう、秋だな……」

 

 気を取り直して通学のために、クローゼットに掛けている濃紺色の詰襟の制服に着替える。


 キッチンの流し台に朝食の食器を置き、3LDKのマンションの窓から雨模様の空を見る。

 タワーマンションの20階からは、地平線までの先まで曇天の雲が広がっているのが見える。


「傘が必要かな……」

 

 玄関口の傘立てからネイビーの傘を取る。

 玄関の扉を開けようとして、ふと、振り返って誰もいないリビングを見る。


「……いってきます……」


 誰もいないリビングへ声をかける。

 

 カチリッ

 非接触型のカードキーをかざして玄関口が施錠されたのを確認する。

 20階のエレベーターで1階エントランスに降りると最寄りの環状線の駅へ向かう。


 あの日。俺がしでかしたことで姉さんは居なくなった。

 母さんに聞いても、困ったような表情を浮かべて俺に姉は居ないと何度も言い聞かせられた。


 暫くして避難所に父さんが海外出張から帰ってくるなり俺達を探しにやって来た。

 父さんに姉さんが居なくなったことを言っても、母さんと同じように困ったような表情を浮かべて俺に姉は居ないのだと言い聞かせられた。


 避難所で合流した近所のおばさんやおじさん達も、困ったような表情を浮かべて俺に姉は居ないと言われた。


 周囲の大人の戸惑いを感じ、いつの間にか俺は姉さんのことは話題に出さなくなった。

 そんな父さんや母さん、近所のおじさんやおばさん達も、避難所からより安全な国防軍のシェルターへ移動する途中で魔獣の群に飲み込まれて死んでしまった。


 国防軍の救援が来たときは、俺しか生き残らなかった。

 そして、俺は、孤児となった。

 

 国防軍のシェルターの端で泣いて過ごしたところを、本田と名乗る父さんの会社の同僚が奇跡的に俺を探し出し、救い出された。


 父さんは睦月グループが買収した商社に所属しており、人工幻夢大陸ネオ・アトランティカという太平洋上の人工島の建造を支援する仕事をしていたと聞いた。


 睦月グループは、日本国の旧華族の流れを汲む創業者一族がオーナーとなっている。

 創業者の方針なのか、食糧関連を中核事業としており、軍需産業などには参入していない。

 

 そんな穏やかな社風だからなのか、相手先から身売りを受諾する形で睦月グループは大きくなってきた。その躍進を支えるのは社長配下の企画室であり、どうやら俺の父さんも所属していたそうだ。


 日本国本土で突然出現した幻想洞窟ダンジョンから溢れだした魔獣の群れをTV中継で知った父さんは、仕事の引継ぎをそこそこに俺達家族を日本国本土から避難させるべく帰国したのだと聞いた。


 父さんが建造に関与していた人工幻夢大陸ネオ・アトランティカという人工島には、街も建設されており、父さんは家族で引っ越しをすべく段取りを整えていたそうだ。

 

 辛うじて機能していた新成田空港から、俺は太平洋上に建造されていた直径23kmの人口島へと救い出された。

 父さんが手配してくれた3LDKのワターマンションの1室に辿り着いた時、その広さに寂しさと心細さを感じ、俺はただ泣き続けた。


 ひとしきり泣いた後、TVから流れる幻想洞窟ダンジョンから溢れだした魔獣の群れに蹂躙された日本国の東京の映像に、一時期身を寄せていた避難所の廃墟が写し出された時は罪悪感に苛まれた。


 ネオ・アトランティカの街の小学校へ編入したあと、中学・高校への進学は、父さんや母さんが残してくれていた財産のお陰で無事に進学することが出来た。

 悪い大人に騙されてお金を巻き上げられないように、信託銀行に預けられた財産から毎月の生活費や住居費、学費が支払われるように手配されていた。


 父さんや母さんは、自分達にもしものことが起きた場合に備えて信託銀行で準備をしていたそうだ。本当に頭が下がる。

 とは言っても、大学進学後は、授業料は払えそうだが、生活費を自分で稼がないといけないと信託銀行の担当の方から報告を受けた。

 そのため、大学進学はよく吟味したうえで、就職を見据えて無駄遣いをしないように生活をする必要があるようだ。まだ高校生だけど、大学進学後の今後の自分の人生は、自分の足で歩んでいかなければならないと思いを新たにした。

 もう、泣いてばかりの俺じゃないんだから。


 降り出した小雨を、折り畳み傘を広げて避けつつ小走りで急ぐ。


 結局……あの時、短剣を抜いて願った魔獣をやっつける特別な力は、俺には宿らなかった。

 そんな力があれば、父さんや母さん、近所のおじさんやおばさん達も救えていたのに。

 あの時も、俺は今でこそ狩猟探索者ハンターと呼ばれるようになったPMCプライベート・ミリタリーの人達から助けられただけだった。

 自分の無力さに何度も絶望したけれど、助けてくれたPMCプライベート・ミリタリーの人達に叱咤激励されて生きる目的を見つけられた。

 この世から魔獣や幻想洞窟ダンジョンを駆逐してやるって目的を。

 

 昏い想いに心を焦がしながらも、足早に通学先への通学路を急ぐ。

 今日は、通学先である聖ヨゼフ・パシフィック学園の高等部3-Aクラスの進路指導の日だった。

 

 担任のセラ先生が「ルイ君!空いてる時間がホームルーム前の20分だからよろしく!」と、昨日の帰りのホームルームで宣言されたのを思い返す。


「え!?明日の朝ですか?俺、明日の放課後希望で進路指導のプリントを提出したんですが」


「明日の放課後は、予定が入っちゃったんだ!よろしく!」


「えっ!?ちょ、ちょっとまってくださいよ!」


 制止する間もなく、腰まである銀髪を靡かせながら、パンツスーツ姿のセラ先生がハイヒールの音を響かせて去っていったのを思い出し苦笑する。


「あれで、ハーバード大学を飛び級卒業した才女だから凄いよなぁ」

 

 ぼやきながら交差点の横断歩道前で信号機が青に変わるのを待つために止まる。

 そして、ふと目線を上げると白いワンピース姿の少女が傘もささずに交差点の中央に立ち、普段通勤に使う地下鉄ではなくモノレールへ続く道を指し示していた。


「ッ!?……姉さん!?」


 目を擦りもう一度、少女を見るが誰も居なかった。

 横断歩道が青に変わるが、立ち止まったままの俺を通勤を急ぐサラリーマン達が怪訝な表情を浮かべながら横目に見て通り過ぎる。


 一瞬、思案するも、なにか注意を促す暗示なのではないかと思い直し、横断歩道の信号が変わるのを待ってモノレールの駅へ向かう道を行くために交差点を曲がった。

 屋根の無い通路を小雨の中走り抜け、エスカレーター横の階段を駆け上がる。改札を抜けて、いつも通学に利用しているよりも1時間ほど早いモノレールをホームで待つ。


 ホームに到着したモノレールの開いたドアから車両に乗り込み、ドア近くの空いている座席に座る。


「通学ラッシュ時間よりも1時間早いからか……流石に座席は空いてるよな。」


 スマートフォンのワイヤレスイヤホンを通学鞄から出して耳に着け、音楽を流す。

 聞こえてくるポップミュージックをBGMにスマートフォンのブラウザからネットニュースを表示する。


幻想洞窟ダンジョンからのスタンピードによる被害が原国家体制連盟フェストゥーン加盟国で拡大』


幻想洞窟ダンジョンからのスタンピードの発生により、北米連合、首都ワシントンの放棄を決定』


幻想洞窟ダンジョンからのスタンピードの発生により、日本国、旧都東京東部で国防軍が防衛線を展開』


 幻想洞窟ダンジョンによるスタンピードの被害を報じるニュースに目を通す。


幻想洞窟ダンジョンめ……」


 俺は、歯噛みしながら高校の最寄り駅まで、ネットニュースを読み続けた。


 ◆◇◆◇

 ◇◆◇◆◇


 「それで、ルイ君の進路は決まった?」


 銀髪の麗人もといセラ先生が優し気な微笑を浮かべる。


 「ルイ君の成績とこないだのSATの模試結果なら、私と同じハーバード大学に行けると思うよ。」

 

 教室での傍若無人……もとい天真爛漫な振る舞いが嘘のような大人の女性の雰囲気に少し面喰う。


「……過大な評価ありがとうございます。でも、俺は環太平洋総合技術大学TPCTUを考えています。」


「……人工幻夢大陸ネオ・アトランティカで、3年前に、新設された大学だっけ?」


 俺の回答に、セラ先生は、思案気に腕を組む。

 組んだ腕のために図らずも、パンツスーツの上からでも分かるぐらい胸が強調される。


 多分、Gカップはあるんだろうなと頭の隅で考えながら、視線が胸の方に向かないように意識しながら、セラ先生の目を見る。

 

「はい。環太平洋条約機構TPTOが、産官学連携を行うために新設したと聞いたので。」


「産官学連携を行うって言っても関与するのは軍需産業ばかりって……あ、もしかして、対幻想洞窟ダンジョンの兵器を開発する軍需企業への就職が目的なのかしら?」


 俺の返事に、セラ先生は美麗な眉を寄せながら明藍色の瞳に若干の不安を浮かべる。

 

「……幻想洞窟ダンジョンのせいで俺の家族は死んだんです。俺なりに自分に折り合いを付けようとしたんですけどね。一番は狩猟探索者ハンターになってダンジョンをこの世から消し去る方法を探ることですが……狩猟探索者ハンターって、今、軍人しかなれないじゃないですか。残された道は、対幻想洞窟ダンジョンの兵器を開発する軍需企業への就職が約束されている環太平洋総合技術大学TPCTUの理工学部に進学することかなって。やっぱり俺は、幻想洞窟ダンジョンが許せないんです。だから……」


「……加奈ちゃんのことは考えたのかな?」


 諭すような言葉に、頭を鈍器のようなもので殴られたかのような衝撃を受ける。


「……加奈ちゃんのご両親も、ルイ君のことは気に入っているみたいだからさ。私としては2人には幸せになってほしいかな……」


 優しい微笑を浮かべながら、セラ先生は静かに言葉を紡ぐと、じぃっと俺を見つめる。

 

「……止めはしないけれど……復讐のための人生って悲しいだけだよ……」


 加奈の人懐っこい笑顔が脳裏を過ぎ、胸を締め付ける感情に何かを言いかけて口を閉じる。

 

「…………もう決めたので。」


 俺の意を決したように言い切った言葉に、セラ先生は深いため息をつく。


「…………分かった!ルイ君の人生だものね。決めたからには頑張れ!応援するよ!」

 

 さっきまでの不安な表情をひっこめると、陽気にニカっと歯を見せながら笑った。


「…………ありがとうございます。」


 セラ先生って芸能人並みに歯が白いよなとか、どうでもいいことを考えながら神妙に頭を下げた。

 

「じゃあ、この後は、ホームルームだから一緒に教室へ行こう!」


 僕が選んだのは復讐という修羅の道だ。この先に待っていることを思うと暗澹たる気持ちだ。


「あ、健全な男の子だから仕方ないけれど……女性の胸はあんまり凝視しない方が良いよ。」


 言いながら、セラ先生は悪戯っぽくウインクをする。


 やばい、バレてた!

 思わず赤面すると、慌てて謝罪をする。

 

「えっ……あ、はい……すいません。」

 

「はい。よくできました。あと加奈ちゃんガールフレンドから反対されたら相談に乗るよ!」

 

 言われて、セミロングの栗色の髪にダークブラウンの瞳をしたブレザーの姿の華奢な同級生の顔が脳裏を過ぎる。心配そうな表情を浮かべて反対されるだろうな。


「あ、それと……校内で不純異性交遊したらダメだぞ!」


「しませんって!」

 

 僕の心中を慮ってか、ハスキーボイスで明るく振舞うセラ先生に、どこか救われた気がした。

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