03:灰色の世界
生きるというのはきっと選択の連続だ。だけど、一つの選択肢を明確な基準で正解と不正解に分類することはできない。
つまり、全ての選択肢が満足いかない結果に繋がる可能性もあれば、納得できる結果であっても後悔がどうしても付きまとうことだってあるという意味だ。
そもそも、正解なんてあるのだろうか。後悔が微塵もない選択肢なんて存在し得るのだろうか。
「いや、そんなものはない。分かってる。分かってるけど……」
僕は最後に主人公らしい選択をできたはずなんだ。この回答が間違いだなんて思わない。それなのに、どうしても後悔が後を絶たない。その理由が僕には分からなかった。
涙でできた水溜まりを足跡と一緒に残しながら、僕は覚束ない足取りで灰色の大地を進む。そこは空も大地も全てが灰色に覆われた空っぽの世界だった。
どれだけ歩いただろうか。僕を呼ぶ誰かの声が聞こえた気がした。僕はその声を懐かしいと思った。
「そりゃ分からないだろうよ。だって、お前はまだ終わっちゃいないのだから。さあ、手を伸ばしてみろ。その先には願いを叶える魔法があると、お前は知っているはずだ」
懐かしい声に引き寄せられて僕は顔を上げる。そこには切り株に腰かける人間の骸骨があった。
「終わってない……? だって、僕は灰の悪魔に体を貫かれたんだ。ここは死後の世界じゃないのかい」
「お前は死後の世界を知っているのか? それなら、どんな所かぜひ教えてもらいたいね」
骸骨の口が動くわけでもないのに、男の人の懐かしい声が聞こえる。
「いや、知らないけど……。でも、君こそ骸骨なんだから知ってそうじゃないか」
「骸骨がみんな死後の世界を知ってると思ったら大間違いだ。それに、ここは死後の世界じゃなくて。そうだな……世界のことわりから外れた場所ってな感じだ」
「世界のことわり……? 何を言っているのか僕には分からないよ」
「わざと理解できないように言ってるからな。すまないが、訳あって今はここがどこなのかも俺が誰なのかも言えないんだ」
「……あなたの骨の体をバラバラにすると脅しても?」
「見た目に反してえげつないことを言うな。そんなんされたら、意味ありげな俺の姿が惨めな格好になっちまうだろう」
「それなら教えてくれるの?」
「無理なものは無理だ。俺は心理戦みたいのが苦手なのよ。これ以上詰められたらゲロッちまいそうだ」
「わ、悪かったよ。もう尋ねないから。それで整理すると、僕はまだ生きてて、ここは死後の世界じゃないと。つまり、僕はあの森に帰れるってことなのかな」
「見事な推理、流石は俺の子だぜ」
「いや、僕の親は骸骨なんかじゃないよ」
「まあ冗談はさておき、戻りたいと念じるだけでいい。そうすれば、お前はあの森に帰ることができる」
「そうなんだ。なら、僕は今すぐにでも帰ろうと思う。きっと魔法使いがまだ灰の悪魔と戦ってると思うから」
しかし、帰り方を教えてくれた骸骨が僕を引き止める。
「待て待て。一番大事な話をまだしてねえ。このまま帰っても、今のお前らじゃ灰の悪魔に負けるのが落ちだ」
確かに僕があの森に戻ったところで足手まといにしかならないのかもしれない。だけど、その言い方ではまるで魔法使いが万に一つも勝てないと言っているみたいじゃないか。
僕は自分のことでもないのに少しだけ腹が立った。
「あれは小賢しくも不意をつかれただけだ! もう魔法使いは……主人公は決して負けないよ」
「お前の気持ちも理解できる。そりゃ、ご主人様のことを悪く言われちゃ腹も立つだろう」
「いや、ご主人様ってわけじゃ……」
「真面目な話あと何回あの化け物と戦うんだ? その全部に絶対に勝てると言い切れるのか?」
魔法剣士がやられてしまった時に僕も同じことを考えた。
魔法が使えることを除けば、普通の人間と何ら変わらない。心臓を一度でも貫かれれば死んでしまうことは同じなのだから。
「ごめん……あなたの言い分は正しい。でも、絶対に勝てるなんて、そんな都合のいい方法があるとも思えないよ」
「誰も絶対に勝てるとは言ってないだろう。ただ、確率を格段に上げる方法ならある」
「それは……彼女本人ではなく僕が聞いても意味のある方法なの?」
「ああ。お前とあいつ、どちらが欠けてもいけない方法だからな」
「でも、僕は特別なものなんて何も持ってない。そんな僕が欠けちゃいけない方法だって?」
「あれこれ考えず、とりあえず話を聞けばいいさ。ただ、その前にお前は灰の悪魔のことをどれだけ知っているかな?」
「全身が灰色だとか、そういう一般的なことくらいなら……」
「まあ、いいか。おさらいがてら説明するとだな。通称灰の悪魔──十数年ほど前から突如現れた灰色の怪物を指す言葉だ。世界の脅威とも言われ、悪魔は世界を無差別に破壊する。世界に住まう生きとし生けるもの、その全てを害する存在だ」
骸骨の説明はいわゆる一般的な説明の範疇で、僕でも知っていることしか含まれていなかった。
「今更って顔をするんじゃない。お前にとっての常識が、必ずしも世間の常識とは限らないだろう」
「そうだけど、ここには僕らしかいないじゃないか」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないな」
「って、違くて。あなただけが知る灰の悪魔の秘密とかはないのかなって思ったんだよ」
「うーん、正直に言えば俺もほとんど知らないんだよな。もちろん、今のお前よりは知っていることもあるが、正解だけを教えるってのも味がない」
「つまりは教える気がないってことでしょ。もういいから、本題に戻ろうよ。灰の悪魔に勝つための方法があるんだよね」
「そうだな。んじゃ、本題といこう。お前のご主人様はな。本当は魔法使いじゃないんだ」
あの白髪の少女が魔法使いじゃないだって? だけど、一体目の悪魔を消し去った時に魔方陣のようなものを浮かび上がらせた。あれが魔法じゃないというのなら何だっていうんだ。
「本当は──魔法少女──なんだ」
骸骨は魔法少女と、そう言った。だけど、僕はその言葉の意味を知らなかった。
彼女のような、まだ若い女性の魔法使いを魔法少女と呼ぶのだろうか。仮にそうであるならそれは言葉の定義の話であって、灰の悪魔の対抗策とどう繋がるのかが僕には見当もつかなかった。
「魔法少女……? なんだか気恥ずかしいような、そんな言葉の響きだね。魔法少女というのは、魔法使いと何が異なるというんだい」
「それを説明するのは難しいな。魔法使いは……なんていうか古臭い。根暗というか暗いイメージだ。そんで地味。一方で魔法少女は今風な感じで、キラキラと派手なイメージだな」
ますます意味が分からなかった。いや、おそらくこの骸骨は僕をおちょくっているのだろう。それだけは分かる。
「怒るなよ。違いを聞かれたから答えただけじゃないか。つまりは言葉の違いなんて重要じゃないんだ。今の力とは違う、もう一つの本当の力があるということなんだよ」
「もう一つの力……それを行使するのに僕が必要だっていうのかい」
「そうだ。魔法少女という力を使うために、お前とあいつで契約を交わせ」
骸骨が言うには、契約といっても仰々しい儀式めいたことをするわけではないらしい。物理的な距離を近づければいいという。それは同時に心の距離も近づくのだとか。
まあ、具体的に何をするのかというと、つまりは口づけをすればいいらしい。
「別の言い方をすればキッスだ!」
「ま、まあ……僕は別に……それぐらい何てことないよ」
「ほうほう、さては経験がないのかな?」
「うるさいな……何だっていいだろう」
「だけど、儀式はキスして終わりじゃないんだぜ。もっと恥ずかしいことをしなくちゃいけないのさ」
口づけよりも恥ずかしいことって、もしかしなくてもあれだよね。僕は口の中に溜まった唾を、喉を鳴らして飲み込んだ。
「最後にお前らでこう叫ぶのさ──」
予想とは大きく異なってホッとする。だけど、確かにそのセリフを叫ぶのは小っ恥ずかしくある。
やっぱり骸骨は僕をおちょくってるだけなんじゃないかと考えたが、儀式の失敗がそれ即ち僕らの死であることを盾にされれば、骸骨が説明した通りのことをする以外に選択肢はなかった。
魔法少女になる方法を教わった僕はあの森に戻りたいと心の中で念じて、この灰色の空間を後にする。
そういえば、僕の体は灰の悪魔の不意打ちで風穴を開けられてしまったわけだが、この空間で体に異常はなかった。このまま森に帰ってしまって大丈夫なのだろうかと疑問に思ったがそれももう遅い。
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