04:魔法少女

 主人公らしいものが僕の中にもあったということなのだろうか。


 魔法使いと契約を交わすことで魔法使いは魔法少女となる。それは僕にしかできない僕の使命だ。つまり、僕は知らなかっただけで、主人公の資質というものを持っていたことになる。


 でも……嬉しいはずなのに、浮かれていてもおかしくないはずなのに、わだかまりを覚えずにはいられなかった。


 主人公へと近づく上で使命という道しるべは大いに役立つ。なぜなら、物語の主人公の多くは何かしらの大きな使命を背負っているからだ。物語の主人公は使命に流されるように進み、やがて憧れる何かを手にするものなのだ。


 だけど、僕自身はそれで納得できるのか。使命を果たすことが主人公になる条件であるなら、もしもこの使命がなければ僕は主人公になれないということになるのではないか。


 何も持たない僕が、それでも願望という呪いを良い形で解いてやるんだと決意したはずなのに、その決意をなかったことにしているように思えてならない。


 何という贅沢な悩みなんだ。


 僕は思考を放棄する。少なくとも、今考えるべきことではないのだから。


 僕の体は無事なのか? 魔法使いと魔法剣士の状況は? 新たに現れた悪魔は今どこで何をしている? 優先すべきは現状把握だ。


 僕は次なる灰の悪魔を視界に入れる。二足歩行ではあるが腕がなく、その代わりに背中から尻尾のような触手が無数に生えていた。


 背中の触手は一本一本が意思を持つように別々の動きを見せる。それも目で何とかギリギリ追えるかというくらいには素早いのが厄介だ。目で追えるだけというのはつまり、この猛攻に体が付いていけるわけではないという意味なのだから。


「マイカさん! わたしが囮になりますので、先にここを退いてください」と、これは魔法使いの声だ。


「そしたら、ミナが危ないでしょうが。幸いあたしを積極的に狙う気がないみたいだから援護するわよ。ていうか、なんでこんなに強いわけ!」

「分かりません。今まで戦ってきた悪魔がたまたま弱かっただけなのかもしれません」


 魔法使いと魔法剣士が必死に灰の悪魔と戦っている。いや、魔法使いは僕を抱きかかえながら悪魔の攻撃に対処しているだけで、魔法剣士だって離れた所から手助けしているに過ぎない。


 つまりは防戦一方という感じで、とてもじゃないが戦えているとは言えない状況だった。


 そして、僕の熱を帯びた体は少しも動かせる気配がない。やっぱり、現実の世界では致命傷を負ったままというわけだ。


「あの……魔法使い……さん」

「目を覚ましてしまいましたか。だけど、今は何も喋らない方がいいです。絶対にあなたを助けますので、だからどうか逃げ延びるまで持ちこたえてください」

「いや……僕と契約……しよう。魔法少女に……なってほしいんだ」

「魔法少女……?」

「うん。そしたら……君も僕も……まだ戦える。……灰の悪魔と渡り合えるんだよ!」


 魔法少女というものが何であるのか彼女には、もちろん僕にだって分からない。もしかしたら、その得体の知れない力はとても危険なものである可能性だって考えられるのだ。


 だけど、一瞬のためらいが死に直結するこの状況で悩んでいられる贅沢な時間なんてものは存在しなかった。


「……何も分かりませんが、それをすれば勝てますか?」

「もちろんだよ」


 勝てるかなんて分からない。だけど、勝ちたいと望むのだから、何がなんでも勝つしかないのだ。


 僕は彼女に儀式の手順を伝える。


 魔法使いは僕の小さな体を顔の前に持っていき、吸い込まれそうなほど澄んだ真紅の瞳を真っ直ぐ僕に向けた。


「魔法少女……何だか気恥ずかしい言葉の響きですね」


 魔法使いは僕と同じ感想を小さく口にして、唇同士をそっと触れさせた。そして、彼女はこの森になる甘く熟したリンゴのように赤面したがら、僕と一緒にこう叫ぶのだ。


「「オープンハート──合言葉はまほろば」」


 そこには光があった。世界を創造したとされる希望に満ちた光がそこには確かに存在したのだ。


 果実の香りに満ちた樹海に純白の花嫁が舞い降りる。第一印象は魔法使いの時の格好とそう大差ない。


 純白の長髪に真紅の瞳。透き通るような白い肌。そして、鈍器にも見える大きな杖を構える。しかし、衣装には決定的な相違があった。


 骸骨は言っていた。


「魔法使いは……なんていうか古臭い。根暗というか暗いイメージだ。そんで地味。一方で魔法少女は今風な感じで、キラキラと派手なイメージだな」


 言いたいことは何となく分かる気がする。装飾が多く施された衣装はまるでお人形さんが着ているドレスのようで、少女というに相応しいものであった。


「さあ、一緒に戦おう。僕は君の杖となるよ」


「はい、よろしくお願いしますね」と魔法使いは、いや魔法少女は答えた。


 僕たちはもう逃げ回るだけじゃない。今なら戦えるんだ。目の前の悪魔と今度こそ対峙する。


 灰色の炎によって蒸された果実はその甘い香りをより一層際立たせていた。


 燃える樹海の中心で灰の悪魔が僕らをあざ笑うかのように咆哮を上げ、背中の触手を自在な動きで振りかざす。


 この触手に触れてはいけない。触れてしまえば、その箇所からたちまち灰色の炎が発火する。木々が燃えているのはこれのせいだ。


 だけど、今の僕らにとってこの攻撃は脅威とはならなかった。


 目にも止まらぬ速さと言っても差し支えなかったのに、魔法少女の瞳にはスローモーションのように映る。そのおかげで、攻撃をかわす最小限の動作を判断するための時間があった。


「先ほどの恥ずかしいセリフにはどんな意味があったのでしょうか?」

「僕も自分で言ってみて分かったよ。意味なんてなくて、やっぱりあいつに騙されただけなんだって」

「あいつ……とはどなたなのでしょう」

「それは灰色の世界にいた……えっと……思い出せない。気を失っている間、僕は確かに誰かと会っていたんだけど」

「そうですか。まるで夢のようですね」

「なるほど、確かに思い出せないこの感覚は夢にどこか似ている」


 魔法少女は触手の猛攻を器用にかわしながら、少しずつ悪魔に近づいていく。懐に潜り込んだところで、杖の先端を悪魔の腹部に叩き込んだ。


 一度、二度、三度。数を重ねるたびに力は蓄積されていき、魔法少女が指を鳴らすことで衝撃は一斉に流れ出す。それは悪魔を上空へと打ち上げるほどのものであった。


 悪魔は空中で体勢を立て直すと、反撃とばかりに空洞になっている口から灰色の炎を広範囲に吐き出した。


 魔法少女が杖を手前に突き出して魔力を流し込むと、空気が水晶玉を覗いたように屈折する。球体が泡みたいに弾ければ、そこから生じた突風が迫りくる炎を穿ち活路を切り開いた。


「この炎は風で吹き飛ばせるのですね。何を燃料にして燃えているのか気になります」

「考えるのは後だよ。奴が前方から来る!」


 風が突き破ったのは目の前の炎のみで、大気を燃やす灰色の業火は今も左右の退路を塞いでいる。そうなれば選択肢は一つしかなかった。


 魔法少女は空高くへ大きく跳躍する。だけど、僕たち地上の動物は鳥のように空を自由に飛べるわけではなのだ。これ以上の追撃に対処する手立てを僕たちは持ち合わせていなかった。


 悪魔が目だけでニヤリと笑う。この状況を計算していたかのように、無数の触手を僕らの方へと伸ばしてきた。


「あたしが居ること、忘れるんじゃないわよ!」


 横から飛んできた白く波打つ水の刃が悪魔の触手を切断まではいかないものの弾くことに成功する。


 しかし、全部を絡めとるまでには至らず、打ち漏らした触手が魔法少女の足首を鞭打つのであった。


 そこまで強いわけではない。それなのに触手に触れた箇所が途端に熱を持ち始める。内側から溶けてしまうのではないかと思うほどの苦痛が足首を襲う。


 地面に着地した魔法少女は痛みをかばうように膝をつく。


「マイカさん! ありがとうございます、助かりました」

「せめて援護くらいは任せて。一緒に戦いたいけど、正直足手まといにしかならなそうだから」


 魔法少女は攻撃を受けた足首を確認する。


「高く跳べても自由に動けないのでは隙にしかなりませんね。これは明日以降の課題です」

「それより大丈夫……なの? ううん、大丈夫なわけないよね」

「わたしの中にいるあなたもまた、同じ痛みを感じているのですよね。ダメージを半分こしてくれるから、まだ戦えます」

「戦えたとしても、また同じ手を使われたら今度こそ僕らの負けだよ」

「おそらく広範囲の炎を出すには準備が必要なんだと思います。そうでなければ、あなたが目を覚ますより前に私は負けていたはずです」

「タイムリミットがあるってことだね」

「そうではありません。連発できない理由にこそ、打開策があるのではないかということです」

「それで、その理由というのは?」

「まだハッキリしません。そうですね、あと一つピースが欲しいです」


 そうか。彼女の行動はきっとその全てが相手の能力を、引いては勝つための情報を得るための布石になっていたんだ。もしかしたら、攻撃を受けたのだってそうなのかもしれない。


「流石にそれは違います。わたしだって痛いのは嫌ですから。ですが、得られる情報がないわけではありません」


 しかし、あと一つのピースが中々埋められない。


 悪魔の攻撃は灰色の炎だけではなく、背中から生えた無数の触手もまた今の状況では充分に脅威となる。魔法少女の瞳に映す世界がいくらスローモーションであったとしても、痛む足首をかばいながらではそれを避けるのが精一杯なのだ。


「くしゅん!」

「危ない」


 不幸にも命の駆け引きをしている最中にくしゃみという生理現象が起こる。もちろん、悪魔が都合よく待ってくれるなんていうことはない。


 先ほどのお返しとばかりに、腹部に触手を叩きつけられる。それと同時に、僕にもまたお腹に衝撃が走った。


 足首に受けた時よりも確実に痛い。だけど、体を一度貫かれて感覚が麻痺しているのか、歯を食いしばれば耐えられないほどでもない。


「どういうことでしょう……。痛くも熱くもありませんでした」


 魔法少女は強がっているわけでもなく、本当に今の攻撃でダメージを負ったようには見えなかった。だけど、その理由が全く分からない。感覚が麻痺しているとはいえ、僕には確かに今の攻撃が作用したのだから。


「よく分からないけど、こっちに都合がいいならそれでいいんじゃないかな」

「そうでしょうか。何だか嫌な予感がするのですが。それと、先ほどから鼻がかゆいのは……灰が空気中を漂っているからでしょうか」

「ああ、それでくしゃみが出ちゃったんだね」

「そ、それは聞かなかったことにして下さい」


 くしゃみぐらい恥ずかしがる必要もないだろうと思うが、魔法少女は律儀に顔を赤く染めた。


 燃える草木が灰となって、そこら中を漂っている。だけど、目を凝らせば微細な粉が空気中で散布しているのが、うっすらではあるが見てとれた。


 この粉を深く吸い込むと、まるで悪魔の住み処に迷い込んだ感覚におちいる。それはきっと、あの悪魔の匂いが染みついているからなのだろう。


「くしゃみの原因かは分からないけど、灰だけじゃなくて凄く小さな粉みたいのが見える。きっと、この粉は奴のものだと思うんだ」

「粉ですか。わたしの視力では見えないので助かります。そうなると、その粉が発火の原因だと考えられますね。恐らく時間的に猶予がないので、この仮説が正しいと仮定して打開策を考えようと思います」


 魔法少女は顎に手を当てながら空を見上げる。燃え広がる森が作る禍々しい色の綿のような雲がそこには広がっていた。


「これなら、いけるかもしれません。……と言いたいところですが、思ったよりもタイムリミットは短かったようですね」


 魔法少女は悪魔が操る炎への対抗策を思いついたのだろう。だけど、それを実行するだけの猶予が残されていなかった。


 悪魔が灰色の炎を吐き出す予備動作に入る。次の瞬間には辺り一面が火の海に包まれるのだろう。


 どうする? どうすればいい? 僕だって一緒に戦っているんだ。主人公になると決めたんだ。彼女が勝ち筋を常に考えていたように、僕も何か時間を稼ぐ手立てを考えろ。彼女を守る手段を考えろ。


「そもそもどうして僕を必要とするんだ?」


 魔法の力は魔法使いである彼女にのみ与えられたものであり、僕はその才能を何一つ持たない。


「なら、僕には魔法以外の役割があるんじゃないか?」


 魔法少女とは灰の悪魔に魔法で対抗するための力。戦うための手段だ。


「悪魔の常識外れた攻撃を一度でもまともに受ければ人間の体は持たない」


 触手の強烈な攻撃をお腹に受けた時、僕だけがダメージを負ったことを思いだす。あれは、僕が全てのダメージを肩代わりしたからだと考えられる。


「そうだよ……僕の役割は防御なんだ。魔法少女を守る盾なんだ」


 僕は答えを導き出した。


「まだ時間切れじゃないよ。僕が時間を稼ぐから、君は思いついた対抗策を実行してほしいんだ」

「ですが! それだとあなたが!」

「頭のいい君なら分かるだろう。もう僕たちはあの炎から逃れられない。だけど、その時に僕は君の意思に関係なく君を守る。なら、せめてその後の状況が僕たちに有利な状態であってほしいんだ」

「……分かりました。だけど、必ず生きてください」


 その言葉に僕は返事をすることができなかった。


 魔法少女は目をつぶる。耳を塞ぐ。五感の全てを魔法に向ける。そして、雲を囲うほどの魔方陣を空に描いた。


「一つ──全にたゆたう塵あくたよ。今が使命を果たすとき。昇れよ昇れ、天まで昇れ」


 空に広がる雲の層が見る見るうちに濃く厚く変わっていく。そして、今にも落ちてしまいそうな雲の化け物を生み出した。


 僕はやっぱり特別なものなんて何も持ってない。だけど、主人公になりたいと望んでしまった。僕は呪われてしまったんだ。


 その時、灰の悪魔が咆哮を上げる。空気中に散布する灰色の粉が赤く染まり熱を持ち始めた。


 灰色の炎が悪魔の口から微細な粉を伝って燃え広がる。


「うわぁぁああああぁぁあぁあぁ」


 呪われてしまったのなら、望みを叶えるしか呪縛から解放される術はない。だけど、を持たない僕にとって、この呪いは手に負えない代物だ。


「あああぁぁあぁああぁぁあああああ」


 普通でしかない僕が過ぎたるものを望んでしまったのなら、自分という存在の全てを、それこそ命だって捧げる覚悟でなきゃ叶えられるはずがないんだ。


 この世界はきっと優しくできていて、だけど、優しいだけじゃ何も手に入らないのだろう。


 だから、僕は自分の命を張ってでも君を守る。君が受ける全ての痛みを僕が貰うんだ。これが特別なものを持たない僕の唯一の戦い方であり、呪いを解くための最初の一歩なんだ。


「ああぁぁああああぁぁあぁあぁ……」


 魔法少女は灰色の炎に包まれながら、それでも冷静に詠唱を続ける。


「二つ──雫は昇り姿を授かる。けれども、それは仮初の夢。天へと昇り地へと降りるは幾星霜。夢はうたかた雫は恵む」


 微かな衝撃がポツンと一つ、続けざまにもう一つ。気づけば、雨粒が視界の上から下へ落ちてきた。そして、炎もまた地に集まるように勢いが失われていく。もう灰色の炎を恐れる必要はない。


 そして、これは魔法少女も計算していたわけではなかったが、都合の良いことに悪魔の動きが完全に止まる。


 この好機を逃さない手はない。魔法少女は更に詠唱を続けた。


「三つ──怒れる神の雷鎚よ、さあ落ちて下さい」

「これで終わりだぁぁぁぁああああああああ!」


 僕は叫んだ。


 一瞬とも永遠とも思えた時間が終わりを迎える。僕は君を最後まで守り抜くことができたんだ。


 魔法が紡ぐ雷雲の中心に一筋の光が差し込む。その光は悪魔の心臓を穿ち、数秒遅れで勝利の雄叫びをあげた。


 灰の悪魔は初めからこの世界に存在などしていなかったかのように、一片の姿形も残さずに消えていた。


 この時、僕は僕にとっての主人公というものが何なのかを理解する。結局は魔法少女が言っていた通りだったのだ。

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