3-1 アーニャとミナ2(後)


 さて、時刻は朝の八時前。

 酒場のフロアの丸テーブルで、三人は食卓を囲んでいた。


「美味い!美味すぎる!ほっぺたが落ちる!お腹が幸福で満たされていくぅ!」

「ただのベーコンエッグとサラダなんだけどね……。アーニャちゃんのリアクション激しくて作りがいあるわね」

 

 アーニャは獣のようにがつがつと料理にくらいつき、リタはそれに対して少々引き気味に笑顔を浮かべる。


「………!!」


 リタの「作りがいがある」という言葉に反応したのか、ミナが食いつき気味に声をあげる。

 

「リ、リタさん、わたしだって凄く美味しいと思ってますから!!これはもう美味しすぎて……その、あれです……凄く、美味しくて……美味しい!」

「ミナちゃん、大丈夫だから!無理してリアクションとらないでいいのよ!?」

 

 己の語彙のなさに絶望するミナ。

 すっかり項垂れてしまったヒュームの少女の頭を撫でつつ、リタは苦笑いで彼女を慰めるのだった。



***********************



 そんな和やかなやりとりを楽しみ、リタの素晴らしい朝食に舌鼓を打ち、満腹感と満足感を同時に味わった後のこと。

 空腹感が満たされたと同時に、思考もようやく回り始める。


 リタは晩の営業に向けて店内の清掃を行い、アーニャとミナとで洗い物を手伝うこととなった。

 二人は隣同士に並び、洗い物を行いつつ、ついでに水場まわりの掃除も行う。

 

 トリスタニアの住宅街には、魔動機による水道設備が引かれているため、他の街に比べて格段に良い生活ができる。

 このあたりも、この国が諸外国に比べて抜きんでた技術力を持ち、高度な生活水準を誇る証であろう。


 お互いしばらく無言の時間が続き、水の流れる音だけが響く。



 やがて、アーニャは、ふと唐突に皿を洗う手を止め――、ミナの方へと向き直った。


「――ねえ、ミナ。ちょっと知りたいというか、聞いておきたいんだけど」

「なんですか?あらたまって。答えられることしか答えませんよ」


 まだ眠気が覚め切っていないのか、あくびをしながら、ミナがぶっきらぼうに答えた。

 かちゃかちゃと食器の触れる音だけが、一瞬の静寂の間に割って入る。 


 皿洗いの方に視線を向けているミナに対して。


 ――アーニャはまっすぐにミナを見つめ、言った。




「ミナは、帰りたい?元の世界に」




 アーニャの唐突な言葉に、ミナがぴたりと動きを止めた。

 瞳に走るのは、一瞬の動揺と困惑。

 何か反射的に言葉を述べようとしたが、彼女はすぐに理性でそれを飲み込む。


 そしてミナは、まるで何事もなかったかのように、何でもないことのように言葉を続けた。


「ああ……、リタさんですか。まったく、わざわざ話さなくてもいいのに」


 ミナは表情の端に苦笑を浮かべ、


「……べつに。わたしは、このままでいいです」


 喉につかえた何かを飲み込むように、ミナはそう答えた。


 その返答に、アーニャはむっと顔をしかめ、眉をひそめる。


「嘘でしょ、それ」

「……嘘じゃ、ないですよ」

「本当?本当に本音?」

「………というか、どうして嘘だと思うんですか」 

「だって、最初に会ったとき、わたしの魔法をやたら気にしてたじゃん。わたしを助けてもくれたしさ」


 ミナは、一瞬だけ次の言葉に詰まると、視線を手元の皿に落とす。


「それは……ちょっと珍しいから気になっただけというか……ほら、珍しい動物を見たら保護しなきゃですし……」

「おいっ、わたしは珍獣かなにかかっ」


 アーニャは思わず鋭く突っ込みをいれてしまい、対してミナは気まずそうに目をそらす。

 

 そんな彼女の顔を、アーニャの瞳が再度凝視する。



 やがて――、

 ようやく何かを決心したように、アーニャは一人うなずいた。

 黄金色の前髪、その奥の大きな瞳が、きらりと青く光る。


「ミナ。これからちょっとわたしに付き合ってよ。デートしよデート」

「はい?」ミナは首をかしげ、「いやデートはしませんが……、まあ気分転換にちょっと出かけるくらいならいいですけど……。でも夕方までには戻らないとダメですよ。仕事ありますから」

「オッケー。そこは問題ない」


 指で丸を作るアーニャを、ミナは胡散臭い目で見つめ、ため息交じりに問いかける。


「で。いったいどこに行きたいんですか?」


 ミナの問いかけに対し、アーニャはさらりと何でもないことのように、



「えーっとね、山」

「山ぁ!?」



 ミナのすっとんきょうな声が、朝イチの酒場に響き渡る。

 その視線は驚きに見開かれ、やがて呆れたように細まった。


「いや、なんでいきなり山なんですか……。というか日暮れまでに帰ってくるの無理でしょ!近場の山でも、この街からどれだけ距離があると思って………。――あっ」


 そこまで言いかけ、ミナは気づく。


 そう、彼女であれば──、この小柄なエルフの魔法使いであれば、それは可能なことなのだ。


 ミナの察したような視線に、アーニャはにやりと笑った。


「じゃあ、急いで準備してね。目的地はトリスタニアの東のアスーロ山。日帰り転移ツアーの始まりだよ!」

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