3-2 湖のほとりと追憶の魔法(前)


「いやー、空気が澄んでて気持ちいいね!」

「まあ、気持ちいいのは同意しますけど……」


 突然のアーニャの誘いにより、なぜか山に来ることになったミナである。


 とりあえずミナは、リタから外出の許可はとってきた。

 日帰りで山に行ってくると告げると、困惑顔で「はぁ、山……?気を付けてね?」と言われた。

 

 夕方の開店には間に合うとわかってはいるものの──、ここまで距離が離れた場所に来ると、やはり理屈ではない不安は残る。


 だが、しばらくすると、そんな不安もいつのまにか消えていた。


 トリスタニアの東、アスーロ山の中腹。

 二人は大きなリュックを背負い、木々の間を歩いている。


 天蓋を覆う葉の隙間から差し込む木漏れ日。

 周囲の枝々から聞こえる風の音。

 踏みしめる大地には根が重なり、見上げる木の幹には苔が蒸している。

 自然が豊かな土地に立っているせいか、気持ちも普段より晴れやかになっていくのを感じる。



 そして、こんな場所に一瞬で来れてしまう、文字通りのとんでもない魔法を行使した人物。


 希代の天才であろうそのエルフの少女は、ミナの眼前を、アホみたいに腕を大振りしながら歩いているのである。


 失礼ではあるが──。

 とてもじゃないが、そんな偉業を為す人物には見えず、ミナの思考は困惑せざるをえないのだ。



「どうかした?ミナ。さっきから変な顔して」


 そんなミナの様子に気づいたのだろう。

 アーニャは金色の髪を揺らして振り返り、ミナの顔を覗き込んで問いかける。


「あ、もしかしてちょっと不安?まあ、たしかにクマとか出たら怖いよね。……どうしよ、なんかわたしも急に不安になってきた……」

「べつに、クマくらい殴り倒せるので平気です」

「えぇっ……???……そ、そうなんだ……」


 半ばドン引きした表情を浮かべるアーニャである。

 

「じゃあなんでさっきから、そんな何とも言えない表情してるの?」

「いえ。べつに……なんでもないです。人は見かけによらないんだなって」

「?」


 アーニャの転移魔法。

 それにより、この場所に来るのにかかった時間は、文字通りの一瞬だった。


 ミナは、また術が失敗でもするんじゃないかとも考えていたのだが――、それはまったくの杞憂に終わった。


 今回の成功要因としては、まずアーニャの魔力と体力が十全だったこと。

 そして、なんとアーニャは前回の失敗を踏まえ、転移魔法の術式を二人用の術式に改良していたらしい。それも、たった一晩で。


 ミナは魔術のことは詳しくはないが、それが神業であるということは推察できる。



 ……もしかしてこの人、本当に凄い魔術師なのでは……?



 先を行くアーニャは、相変わらず能天気に腕を振り回し、鼻歌まじりに森を歩いている。

 重ねて言うが、とてもじゃないが、そんな天才的な魔術師には見えないのである。


「本当に、人って見かけによらないですね」

「ん?なんか言った?──あ、キノコ生えてる。食べれるかな?」

「絶対やめてください。アーニャさんが死んだら夕方までに帰れなくなるので」

「そっち?!わたしがお亡くなりになったことは気にしないの!?」


 ぷりぷりと腹を立て、木々の間を抜けていくアーニャ。

 ミナは微笑を浮かべ、彼女の背中を追いかけるのだった。






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