2-3 勝負と秘密


 リターシャの枝の盛況ぶりを目の当たりにすると、やはり人気店というものは凄いと感じる。


 この店の良さは改めて述べるまでもないが、とにかく集まる客たちの熱気が凄まじいのだ。

 トリスタニアには世界中から様々な人々が、多様な職を求めて集まってくる。

 労働者たちは美味い酒で日々の疲れを洗い流し、旨い料理で明日への英気を養う。

 だからこそ、質の高い酒場の席は、彼らにとって生きる糧を取り合うようなものなのだ。


 開店と同時に押し寄せる人の流れは濁流のようで、注文の嵐が飛び交う様はまるで戦場のようである。

 それまで静寂に包まれていた店内が、一気に喧騒の波に押し出される。

 その瞬間を、五感で感じられる。


 冗談を交わす笑い声や、職場に対する愚痴の声。

 理不尽な悩みに対する嘆きの声や、ともすれば腹に据えかねた怒りの声。


 そんな現世に生きる者たちの生々しい空気が、直に肌に感じられるのである。



「うう、人に酔いそう……」


 じつのところ、アーニャは根っこからインドア派の魔術師であるため、このような喧騒の場には免疫が足りていない。


 正直、自分にとってこの仕事は苦手と断ずるほどではないにしろ、少なくとも得意とはいえないようである。


 だが、それでも仕事は仕事だ。

 せっかく誘ってくれたリタの期待にも応えたいし、なにより当面の生活資金もいただきたい。日々の生活のためには、ときには踏ん張りが必要なときもあるのだ。


 それに、このフリフリのついた制服は意外と可愛いく、けっこう好みだ。

 店長の趣味なのだろうか。

 ミナが渋い顔で嫌々着こなしているのも、普段とのギャップが可愛らしくてじつに良い。

 仕事の合間にこうして横目で観察しているだけでも、恥じらう姿がなかなかに眼福である。

 うーん自分はちょっとSっ気があるのかもしれない、とアーニャはにやにやしながら考えていた。

 


「おおい、そこの新人ちゃん!注文頼むよ!」

「あ、はーい!ただいま!」


 アーニャは空になった皿を片手に、バタバタと店内をかけずり回るのであった。

 


*********************************

 


 これはマズイ、とミナは歯噛みする。


 ミナはこの店でこの仕事を始めてから、かれこれ一年とちょっとになる。

 年季の入ったベテランと言えるほどではないが、全くの初心者とも言えない職歴であろう。


 だが、正直なところ、これまでの経験から考えても――、彼女はこの仕事が得意というわけではないし、むしろどちらかといえば苦手である。


 生来の仏頂面に加え、むすりとした口元。

 目元の目つきの悪さに関しては生まれつきで、そこは自他共に認めるところである。

 とにかく生来、愛想というものを振りまくのが苦手であり、むしろ無愛想の方が標準装備なのだ。



 つまり、ぶっちゃけ接客業には根本的に向いていない。

 向いていないのだが──、

 しかし今、ミナには負けられないライバルがいる。



 中央のテーブルの列を挟んだ、店内の奥側のブロック。

 注文を取るためにかけずり回っているアーニャの姿を、そっと気づかれないように横目で伺う。


 じつのところ、店長の思いつきで始まったこのバトルは、すでに勝負の行方が決まりつつあるのだ。



 ちなみに、新米ウェイトレスであるはずのアーニャの働きっぷりは、だいたいこんな感じである。


「店員さーん、注文いい?」

「はいはーい、ちょっと待っててね、すぐいきまーす」


「おい、さっき頼んだ酒がまだ来ねーぞ!!」

「はい、大ジョッキ二つ、お待たせ!遅くなってごめんねー!」


「ぐへへ、店員さん、可愛いねぇ?」

「やー、嬉しい!お客さんもイケてるねぇ!」



 じつにスムーズでスマートな対応である。

 ちなみにミナの場合はというと、


「店員さん、注文いい?」

「忙しいのでちょっと待ってくださいっ!」


「おい、さっき頼んだ酒がまだ来ねーぞ!!」

「あーもう!たまには自分でとりにきたらどうですか!」


「ぐへへ、店員さん、可愛いねぇ?」

「……ふざけたこと言ってるとぶち殺しますよ」

「え、あ……、はい、すんません………」


 だいたいこんな感じである。



 どちらが勝利者なのかは、もはや見るまでもなく明白であった。


 ちなみにミナ自身は全く知るよしもないが、彼女は一部の常連からやたらと密かな人気があるのだが──。それはまた別のお話。



「このままじゃマズイ……、マズイです……」


 ミナは両手に乗せた料理皿を揺らしながら、焦燥に塗れたうめき声をあげる。

 いくら苦手な分野であるとはいえ、未経験者が相手であるならば……、正直勝てると思っていた。


 ミナが初めて仕事場に立った時はてんやわんやだったし、アーニャが初めて仕事場に立った場合も当然同じだと思っていた。


 もっと常連客や酔っ払いどもの対応に苦慮し、片付けやひっきりなしの注文にあたふたするものだと思っていたのである。

 べつに舐めていたわけではないのだが、自分と同じステージで考えていたのだ。

 蓋をあけてみれば、アーニャの意外な有能さと、ミナの順当な無能さが、見事に対称的に浮き彫りになっただけであった。

 


「ミナちゃーん、注文!」

「っ、今いきま──」


 そして、焦りは失敗を生む。


 客の注文をとるべく、急いで振り返ったその瞬間。


 床に転がっていたグラスに気を取られ、ミナはよろけるように体勢を崩し──、

 思わず、跳ねた右腕が、もっていた皿を宙へと放り上げてしまったのだった。

 


「あっ!?し、しまっ………!?」


 ミナはもちろん、周囲一体がスローモーションを共有する瞬間とは、まさにこういったときなのだろう。


 声を上げるミナ。

 宙を舞う料理皿。

 それを見上げる客たち。


 一秒にも満たない間ののち、皿は地に落ち、料理は客たちの頭にぶちまけられる。

 誰もが避けられない未来の惨状を予感し、諦観とともにその結末を受け入れた。


 ──そのはずであった。

 



「──al──d──ov─!」




 声が、響いた。


 誰もが注目し、注視する中。


 客にぶちまける寸前だった皿と料理たちが光に包まれ、空間へと消えた。

 音もなく、前兆もなく。

 まるで煙が散らされるかのように。


 店内にいた人々がかろうじて理解できたのは、それが今日入ったばかりの『エルフの新米ウェイトレス』がとっさに発した声だったということ。

 そして、彼女が今このとき、なんらかの魔術を行使したのだということ。


 ――そして皆がそれを理解した次の瞬間。


 皿と料理は何ごともなかったかのようにテーブルの上に現れ、──最初からそこにあったかのごとく客の目の前に鎮座していたのであった。



 場を支配する、一瞬の静寂。

 誰もが目を瞬かせたその後のこと。



「うおおおおおっ!!すげぇ!嬢ちゃんの魔法かよこれ!」

「エルフの秘術かなんかか?初めて見た!」

「お嬢ちゃんナイスフォローだぜ!」


 わっ、と一斉に歓声があがった。

 まるで見事な一発芸が披露された宴会のノリである。

 

 アーニャはその反響に「いやーそれほどでも、あるんだけどー」と、にやけ顔で頭をかき、ミナは客への粗相を回避でき、ほっと胸を撫で下ろしていた。



 そしてその一部始終を見ていたのは、何も客たちだけではない。


 厨房のカウンター越しに偶然フロアを眺めていたリタである。


 彼女は驚きに目を丸くし、その後、ようやく何かを理解したといった表情でミナを見る。

 そして全てを察したかのように眉をひそめ、困ったような笑顔を浮かべるのだった。



*******************************




「さて、まあ結果は言うまでもないわね?」

「ぐ……」


 本日の営業も無事に終了。

 さっそくリタの結果発表の時間である。


 だが、朗らかなにやけ顔のエルフと、苦虫を噛み潰したような渋い顔の少女を見れば、結果は自ずと察せられるだろう。


「ふふん、どう?ミナ。わたしもなかなかやるもんでしょ?さあ、わたしを称賛し、潔く負けを認めるのだ!」

「うぐぐぅ…………っ!」


 ビシっ、とアーニャの人差し指が突きつけられ、ミナのこめかみがピキリと鳴る。

 ど素人との勝負に負け、同時にピンチを救われ、最後に生意気に煽られる──。

 ミナの感情は、屈辱と感謝と怒りでぐちゃぐちゃ、まさにこの世の終わりみたいな表情であった。


「…………け、です」

「んん?なんだって?ミナちゃん聞こえませんよー?」

「うるさいですね!わたしの負けです!あと助けてくれてありがとうございました!もう居候でもなんでも勝手にしてください!」


 ミナは鼻息も荒く、足音も大げさに、酒場の二階へと上がっていってしまった。

 逃亡先は自室だろうか。

 あんまりからかいがいがあるので、ちょっと調子に乗ってしまったかもしれない。


「ありゃりゃ、怒らせちゃったかな?」

「大丈夫よ。ミナも、本気でアーニャちゃんのことを嫌っているわけじゃないから」

「そうかなぁ?」

「ええ。たぶんむしろその逆。遠慮なく感情をぶつけるってことは、相手を信頼しているってことだから」


 リタはくすくすと笑い、アーニャはそんなものかなぁ、と首を傾げる。


 そんなアーニャの姿を見て、リタはゆっくりと瞳を閉じ、──しばらくして、再び口を開いた。 


「――ねえ、アーニャちゃん。あなたに、話しておきたいことがあるの」

「え?」


 リタの突然の真剣な様子に、アーニャはぴくりと長い耳を動かす。

 リタの表情はいつもどおりの優しそうな笑顔であったが――、アーニャはその裏に一抹の寂しさのようなものを感じ、真面目な話なのだと理解して彼女へと向き直る。


「あなたの魔法──、転移の魔法を見たときにわかったの。あの子が──ミナが、何に戸惑い、何を恐れていたのか」

「戸惑う?恐れる?それってどういう──」

「笑わないで聞いてね」


 リタは一度大きく息を吸い込み、深く空気を吐き出す。

 

 そして、再度小さく息を吸うと、次に続く言葉とともに、一息にそれを吐き出した。




「あの子はね、この世界の住人じゃない。――こことは違う世界から来た、女の子なのよ」

「……え?」




 リタの突然のその言葉に、アーニャは戸惑いの表情を浮かべざるを得なかったのだった。


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