2-2 リタと提案

「はい、ボロネーゼお待ちどうさま」

「きたきたー!」


 アーニャの背後から、料理を乗せた皿がテーブルに置かれる。

 香ばしい肉の香りと、ふわりとしたチーズの香り。アーニャは思わず垂れそうになる生唾をごくりと飲み込む。


 さっそくフォークを手に取り、料理を口に運ぶアーニャ。

 その目の前の席――ミナの隣の椅子に、料理を運んできた女性が腰を下ろし、次いで、にやりとした笑顔がアーニャを見つめる。


「ミナを助けてくれたエルフっていうのはあなたね。この子が世話になったわね」


 アーニャは夢中で口にフォークを運びつつ、その女性に視線を返す。

 この子、という親し気な言葉からするに、ミナとの関係性は親戚か親子といったところだろうか?

 

 彼女の様子を上目遣いに伺いながら、その容姿をそれとなしに観察する。


 まず目についたのは自分と同じ長い耳だ。

 エルフか、もしくは魔人族だろうか。

 少なくともヒュームではないし、リザードマンのような亜人とも違うように見える。


 アーニャには同族に対して一目見て感じる気配というものがわかるが、彼女に対しては注視しても今一つピンとくるものがない。

 だが、ミナとは明らかに種族が違うのはわかるし、彼女とは微妙に顔の作りも異なる気がする。

 ただの親密な知り合いだろうか?もしくはただの考えすぎということもある。


「――いや、まあ助けたというか、むしろ助けられたっていうか……、こうしてタダ飯食らってるのが申し訳ないくらい、わたし何もしてないんだよね……」


 実際アーニャがしたことと言えば、敵の暴漢から1メートル強ほど遠ざかったことくらいである。

 とてもじゃないが助けになったというにはおこがましいし、むしろ邪魔になったということまである。


「あ、でもこの料理は返さないから!もう食べちゃったから!あとお金なんて持ってないから!」

「あはは、必死だね。べつに取り上げたりしないし、それは奢りでいいわよ。正直な人は好きだしね」


 彼女は切れ長の瞳を細め、その口元を緩ませる。

 どうやら悪印象を与えることはなかったようで、アーニャは胸をなでおろした。

 ミナのとげとげしい雰囲気と異なり、彼女はずいぶんおおらかな雰囲気を持った性格のようだ。

 小柄なアーニャとは違い、背も大きいし、まあ他の部分もいろいろ大きい。

 大人の女性とはこんな感じだろうな、というアーニャのイメージを、外見も中身もそのまま当てはめたような人だった。


「私はリタ。一応この店の主でありこの家の家主よ。よろしくね」

「アーニャです。今は……、一文無しの住所不定エルフです……」

「そ、そう。なんだか大変そうね……」


 なんだか急に哀れみの視線を向けられた気がする。

 まあごはんが美味しいので気にしないことにしよう。


 アーニャはがつがつと皿に手をつけつつ、彼女に話を振る。


「――ところで、リタって、ミナとは知り合いなの?」

「ええ、そうよ。知り合いというか、ミナはこの店の従業員でもあり、私の家族でもあるわね。まあ、直接血がつながっているわけじゃないのだけど」

「娘みたいな?」

「そうねぇ。年の差を考えると孫っていったほうが近くなっちゃうかもね」


 丸テーブルに頬杖をつき、リタがくすくすと笑う。

 彼女が何気なく言った『家族』という言葉に、ミナの口元が少しだけ綻ぶ。

 その様子を視界の端に捉えつつ、アーニャはもう少しだけ切り込んでみることにした。


「リタさんもエルフ、だよね?でも、なんていうか、私とはちょっと気配が違うような……。なんだろ、植物油と動物油みたいな?」

「その例えはよくわからないけど……、でも鋭いわね。まああまり大っぴらに公言するもんでもないし、隠しごとも嫌いだから先に言っておくわね」


 リタは少しだけ次の言葉に間を取り、答える。


「――わたしはハーフエルフよ。人とエルフの、混種」

「へぇ!珍しい、わたし初めて会ったよハーフエルフ!すっごいレア体験!」


 思わずテンションがあがるアーニャである。

 基本的に、亜人種間の間には子どもができにくい。

 婚姻を交わす例は昔より多くなったと聞くが、それでもその家族に子孫が生まれる例は非常に稀だ。

 エルフとヒュームは比較的外見が似通っているため、古来から結ばれる例もわりと多かったと聞くが――、やはり文献を漁っても子どもが生まれたという記録は非常に少なく、その実態はかなり不明瞭なのだ。


 とたんにきらきらと大きな目を輝かせ始めたアーニャの様子に、リタは逆に当惑したような表情を見せる。 

 その些細な表情の変化――ともすれば珍獣でも目の当たりにしたような感情に気づき、アーニャは小首をかしげた。


「どうしたの?変な顔して」

「ああ……いえ、なんでもないの。……エルフっていうのは、基本的にハーフエルフに対して当たりが強いものだからね。ちょっと意外だっただけ」

「あー、そういうこと」


 アーニャは、ふむ、と少し考える。

 もちろんアーニャもエルフの端くれであるし、里ではそういった話も耳にした記憶がないでもない。

 ただ、基本的にハーフエルフのことに関しては、話題にあがることすら稀――というか、タブーであったため、比較的若い世代の彼女にとっては、爺さん婆さんの噂話程度の認識であった。

 それに、里を離れて暮らしている今となっては、もはや他人事にも等しいことである。


「……まあ、自分で言うのもなんだけど、わたしってエルフの中では、はぐれ者で変わり者だし。全然気にしないよ。ほら、こうして肉だって食べてるでしょ。うーん美味しい!」

 

 そんなアーニャの様子に、リタは少しほっとしたような表情を浮かべた。


「そう、よかった。わたしは堅物エルフよりあなたみたいな柔軟なエルフの方が好きよ」


 リタはにこりと笑い、隣に座っているミナの方へ振り返る。


「――ね。ミナもそう思うでしょう?」

「いや、なんでそこでわたしに振るんですか……」


 突然の同意を求められ、ミナは困惑したように眉をひそめ、口を尖らせる。


「わたしはべつに……。アーニャさんはむしろ柔軟すぎるというか、軟弱すぎるというか。むしろ、もうちょっとぴしっとしたほうがいいと思います」

「リタぁ、ミナが厳しいよー」

「よしよし、気にしちゃダメよー。ミナは良い子だけど、ちょっと堅物ヒュームだからねぇ」

「なっ!?ちょっと、リタさん!」

 

 和気あいあいとした食卓。

 アーニャが里を出てから、久しぶりに味わう空気である。

 少しだけ懐かしさを感じ、同時に物寂しさも感じる。

 こんな気持ちを覚えたのは、じつに何十年前ぶりだろうか。

 思えばずっと一人でこの街とともに生きてきたのだし、たまには故郷の土を踏みに帰っても良いのかもしれない。


 そんな和やかな空気を肌で感じ、感慨にふけり始めたときだった。


 ――ふと。リタが思いついたように口を開く。


「ところで、アーニャちゃん。ちょっといいかしら」

「ん?なに?」


 フォークを咥えたまま答えるアーニャに、リタはにこりと笑ってぴんと人差し指をたてる。


「提案!――うちの酒場で、しばらく働いてみる気はない?アーニャちゃんさえよければ、だけど」


 リタの言葉に、アーニャはぽかんと口をあけ、ミナは目を丸くする。


「ち、ちょっとリタさん、突然なにを……!?」

「さっき文無しで住所不定って言ってたし。うちも人手不足で猫の手も借りたいところだからね、ちょうどいいかと思って」


 リタは立てた人差し指をくるりと回し、アーニャに視線を向けた。


「もちろん見合ったお給金は出すし、余ってる部屋も使ってくれていいわ。食事代はさっぴかせてもらうけれどね。どう?」

「そりゃもちろん!!仕事もらえて家もついてくるとか、断る理由なんてないよ!……あ、でもわたし料理はできないよ?自慢じゃないけど、錬金術の実験と間違われたことあるし」

「うーん、食べたらなんだかおぞましいことになりそうね……。まあ安心して。仕事内容は給仕と雑務。料理は私が担当だから」

「よかった、それならわたしにもできそうだし、是非お願いしたいと―――」



「ち、ちょっと待ってください!わたしは認めません!それはダメです!絶対に!」



 すかさずミナが慌てたように割って入った。

 普段の落ち着き払った様子とは明らかに異なり、今はどこか焦燥感と忌避感を感じさせる様子である。


 その行動をある程度予測していたのだろう。リタは、とくに動揺することもなく、さらりとそっけなく言葉を返す。

 

「あら、どうして?何か理由でもあるの?」

「い、いえ……、アーニャさんは店員なんてやったことないだろうし、いきなりは無理だと思いますし……」

「そう?とりあえず仕事ぶりを見てからでもいいんじゃないかしら」

「で、でも……、それは……」


 俯くミナと、それを見つめるリタ。


 なんだか微妙な空気である。

 当事者であるはずのアーニャが、どこか置いてけぼりの空気だ。

 どうやら先ほど声を荒げられたこともあるし、自分はミナにあまり歓迎されていない様子だ。

 嫌われている、ということはない気がするが、おそらく何か事情があるのかもしれない。

 そしてリタもそれについて疑問を感じ、ミナの心理を探っているのだろう。


 うーん、ちょっと気まずい。


「よし。それじゃあ、こうしましょう」


 その曖昧な空気を裂くように、リタは、ぱん、と両手を合わせ叩いた。 


「今夜の開店後、二人には店員として仕事してもらいます。そして、どちらが店員として優れているか、勝負してもらいましょう。アーニャちゃんが勝てば、実力は十分。晴れてうちで雇うことにします。ミナもそれならいいでしょう?」

「ええ?!」

 

 突然の強制イベント発生を告げられ、ミナは脳天から飛び出たような声をあげる。


「逆に、ミナが勝てばミナの意向を汲みましょう。ということで、その場合はアーニャちゃんはすっぱりクビです。これまでの話はなかったことにします」

「へあっ?!!」


 雇われてもいないうちのクビ予告に、アーニャはすっとんきょうな声をあげる。


 リタは合わせた手をほどき、ひらひらと揺らす。

 そして無情にも勝負の開始を告げるのだった。

 

「はい。これで決まりね。じゃあ二人とも、今夜は頑張ってね」


「「えええええっ!?」」


 リターシャの枝に、二人分の絶望の怒声と困惑の悲鳴が響き渡ったのだった。

 








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