2-1 アーニャとミナ

 トリスタニアの街の中央街は、だいたい大きく五つの区画に分類される。


 商業区が広がる北東地区。

 一般住宅街が広がる南東地区。

 工業地帯が広がる南西地区。

 身分の高い貴族などが住まう北西地区。

 そして、行政等の重要施設がある中央地区だ。


 その中でも占める割合が最も広く、この街で一番に活気のある地区が、商業区にあたる北東地区である。


 トリスタニアの街を蜘蛛の巣状に貫くメインストリート。

 その道に沿うように、大小さまざまな店が軒先を並べ、日々多様な商売にしのぎを削っている。


 食料品や服飾品などの一般雑貨はもちろん、魔道具やスクロールといった特殊な工芸品の数々。

 日々の日用品からマニアックな嗜好品まで、この街では金さえ払えば手に入れることができる。


 売り方や買い方にこれといった決まりはない。

 もめごとや喧嘩にさえならなければ、街の衛兵も口や手を出してきたりはしない。


 広場に所狭しと並ぶ露天に関しても、出所が怪しいものや、そもそも店自体が怪しいものも多いが──、客が金をだし、店がそれを売るかぎり、それは取引であり、誰かが口を挟む理由にはならないのである。


 まさに地獄の沙汰も金次第。

 ある意味、金持ちだけに生きやすい街であり、貧民には生きにくい街でもあるだろう。


 だが、それでも世界中から人は集まる。

 様々な人種が、職業が、身分が、この街には溢れている。


 なぜならば、彼らは経済力に溢れるこの街で、さらなる高みに登ることを夢見ているからだ。

 そしてまた、実際に夢を掴み、富を手にする者がいるからだ。


 もちろん、夢を掴むものの数が多いほど、夢に破れるものの数もまた膨大であるのだが。




 さて、そんな活気あふれる中央街のメインストリートの一角。


 夢追い人や夢破れ人たちに食事や酒を振舞う、近年人気の酒場が存在する。


 『リターシャの枝』。


 トリスタニアにおける夜の喧騒の一つは、間違いなくこの酒場の客が担っているだろう。


 酒もうまいが、料理が絶品。

 テンプレートな料理に加え、変わった創作料理やどこぞの郷土料理を振舞う店として、酒飲みたちに親しまれ、食通たちに愛されている店である。

 



 時刻は十七時と二十五分。


 店内はまだ開店前のようで、客の姿は見当たらない。


 質素な石造りの壁と、年季の入った木製の梁。

 長い年月を感じさせるその店内の空気は、ほどよく静かで心地よい。

 おそらく夜になれば、この静寂も打って変わり、常連たちの賑やかな喧騒でごった返すことだろう。

  

 そんな開店前のテーブルの一角。


 一人のエルフの少女と一人のヒュームの少女が、かたや満面の笑顔、かたや無愛想な呆れ顔で、木製の小洒落たテーブルを囲んでいた。


「美味しい、美味しいよう…!わたし昨日からずっと何も食べてなかったから……!ていうかもう、明日も明後日もまともなごはんなんて食べれないかと……」

「そうですか。では好きなだけ食べてください。実際ここの料理──、リタさんの作る料理は、最高に美味しいですからね」


 アーニャのその言葉が嬉しかったのだろう。

 珍しく得意気な笑みを浮かべた少女は、同時に少し目を細め、


「もし不味いとか言いだしたら挽肉にして明日の食材の仕込みにしてたところでした」  

「こわっ!不味くなんてないから!むしろ最高に美味しいから!」


 アーニャは夢中でパンとスープをかきこみ、口をもぐもぐさせながら少女の方へと向き直る。


「でも、ごめん。わたしあなたのこと誤解してたかもしれない。恐ろしいほど強いし、何考えてるかわからないし……。得体の知れない化け物だと思ってたけど、あなたはわたしの救世主、いや、神だよ!これから毎日拝んでもいい!」

「はぁ、……どうも。ていうか、わたしのことそんなふうに考えてたんですか……」


 アーニャは涙でも流し出しそうな態度であるのだが、少女は先程とうって変わって興味なさげな態度で答える。

 少女にはリザードマンの威圧もアーニャの称賛も、のれんに腕押しらしかった。


「あ、注文追加していい?このぼろねーぜ?ってやつ」

「いいですけど……、もうすぐ開店なので、あまりリタさんの負担にならない程度にしてくださいね」


 少女は店の奥で料理に腕を振るう店主に気遣うような視線を向け、アーニャに対してはその無遠慮さに呆れたような目線を向ける。


 が、当のアーニャは遠慮なしに店の奥に注文内容を叫び、満足そうに鼻を鳴らした。

 続いて、なかば不満げな少女に視線を向け、逆ににこりと人懐こい笑顔を浮かべる。


「あ、そういえば名前聞いてなかったよね。わたしはアーニャ。見ての通りのエルフ族の偉大なる魔法使いだよ!」

「……ミナです。とくに自己紹介すべきことはないです。他人に話すような素性もないので。好きなように想像して、好きなように呼んでくれればいいです」


 自己紹介とはとても言えない雑さ加減、べつにどうでもいいだろと言わんばかりの適当さである。

 アーニャはむぅ、と口を尖らせた後、「それじゃあさ」と口元をにやりと歪ませる。


「そういえばさ、リザードマンを素手でぶっ飛ばしてたけど……、ミナって、じつは可愛い顔して中身はオークだったりするー?」

「ぶっ飛ばされたいんですか。人間ですよ。ああ、ヒュームでしたっけ。まあどちらでもいいですけど」

「……んん?」


 軽いからかいに対しての返答の中に、少し引っかかるような物言いがあったような気もするが。

 アーニャはまあいいか、と料理を口に運ぶのだった。

 うん、美味しい。




 さて、料理に舌鼓をうつアーニャの姿をしばらく眺めていたミナであったが。

 

 唐突に、「ところで──」と、前のめりに口を開いた。


 がたりと椅子から腰を上げ、ミナはぐいとテーブル越しに身を乗り出す。


 彼女の白い服のすそが揺れ、酒場の丸いテーブルの上に影を作る。

 珍しく積極的な様子に、アーニャも思わず料理を口に運ぶ手を止め、ミナが次に続ける言葉を待つのだった。



**********


「……あなたに、一つ聞きたいことがあるのですが」

「どしたの?あらたまって」


 突然身を乗り出したミナに、少々面食らうアーニャである。


 ミナは、少しだけ言いにくそうに口を閉じた後、躊躇うように言葉を続ける。


「あの魔法……、私を助けたときの──、いや、私を助けようとしたときの、あのワープの魔法についてなんですが……」

「ああ、あれ」アーニャは思い出したように頷き、「すごいでしょ、転移魔法。望む場所に空間転移できる魔法なんだよね。まあ、一部開発途中だから、そこまで万能でもないけど」


 こともなげに、再びパンを齧りながら答えるアーニャに、ミナは何か信じられないものを見たような──、

 それでいて苦い果物をかみしめたときのような、なんとも複雑な表情を浮かべる。


「転移……。そんな魔法聞いたこともないです」

「そりゃわたしのオリジナルの術式だからね。一応神代にはあったらしいよ。わたしが古文書を解読して、欠けたところを継ぎはぎして、ようやく一つにまとめあげたわけ。まあつまり、8割か9割はわたしの主観と修正が入ってるからね、もう元の魔法とは似ても似つかなくなってるかもね」

「……もしかして、けっこう凄い魔術師だったんですか、アーニャさん」

「いやー、それほどでも……」


 アーニャは、あはは、と軽く笑いながら答える。

 普段は貶められるようなことはあれど、あまり褒められるようなことがない彼女である。

 素直な称賛の言葉に、少々恥ずかしいというか照れくさいものがある。


 ミナはそんな彼女の心の内を知ってか知らずか、一度顔を伏せ──、少し経って面をあげ、彼女を見た。


 しばらくその姿勢のまま何かを言いたげに固まっていたミナであったが、やがて意を決したように──、その口を開き、問いかけた。


「単刀直入に聞きます。その魔法は、別の世界──、『異世界』へと転移することも可能な魔法ですか?」

「……へ?」


 ぽかん、とアーニャの口が開きっぱなしになる。

 続いて、指を顎にあて、考えこむように唸る。


「うーん、まさにそれをやろうとして、このまえ盛大にやらかしたんだよね……。結論としては──、今はまだ、無理。」

「今は……?」

「うん。今は。……でも、わたしはずっとそれを目指してるし、諦めるつもりもない。いつか異世界への扉を開く魔法を完成させて、その扉の向こうを見たいんだ」


 アーニャは前を見つめてそう告げ、対称的にミナは目を伏せうつむく。

 アーニャが至極本気であることがミナにも通じたようであったが、彼女は次に続く言葉を躊躇っているようだった。


 ミナの口が何か言いたげに開きかけ、やがてその口が何も紡げずにまた閉じる。

 アーニャはそんな彼女のらしくない様相を疑問に思いつつも、首をかしげ、返答を待つ。


 数秒の沈黙ののち。絞り出すように彼女が返した返答は──、



「……そんなこと、無理ですよ」



 そのような──、強い否定の言葉だった。

 

 いつもの無表情とはかけ離れた、強い感情の起伏を感じさせる表情。

 その理由が何なのか、アーニャにはわからなかった。


 何か隠された事情や理由でもあるのだろうか。

 浅い思考に疑問がよぎったものの、深い考察にまで落とすには至らない。

 彼女の心情を察し、その意図を推察するには至らない。


 もう少しアーニャがミナと早く出会い、もう少し彼女の表情を読めるほどに仲を深めていれば──。


 それなりに聡いアーニャならば、不用意にそんな返答を返すことはなかったのかもしれない。


「いやまあ、…それはやってみないとわからないと思うけど……」


 


  


「無理ですよ!──絶対に、無理です!!」





 突然の大声に、空気が震え、次の瞬間には静寂が訪れる。

 それは絞り出すような拒絶の言葉であり、苦し紛れの苛立ちの言葉でもあった。


「──うぇっ!?あ、……えっと……え?」


 アーニャの心臓がびくりと跳ね上がり、目が丸くなる。

 何か気に障ることを言ったのだろうか。

 思い返してはみるものの、当然思い当たる節はない。

 

 すかさず、ミナはハッとしたように伏せていた顔をあげ、慌てたように口を開いた。


「あ、す、すいません!、気にしないでください。ちょっと……変なことを言いました」

「ああ、いや、わたしは別に良いんだけど……大丈夫?」

「はい、大丈夫です。ほんとに気にしないでくださいね」


 しゅんとして肩を落としているところを見るに、どうやら先ほど声を荒げたのはまったくの不本意であったらしい。

 まぁ、何か事情があるのは明白であるが、アーニャとしてはそこを深く追求するつもりもないし、浅はかな慰めの言葉をかけるつもりもない。


 ミナぐらいの年頃だと、たぶんいろいろあるのだろう。

 アーニャは一応年上であるし、ここは大人の余裕を見せるべきところである。


「ぜ、全然大丈夫だから!ミナも気にしないでいいからね!」


 ちょっとだけ焦ってしまったが、これぞ大人の余裕というやつである。


 アーニャの少々無理したような反応に、ミナは、はぁ、と息をつき、再度申し訳なさそうに言った。


「ほんとすいませんでした。お詫びに今回の食事代はわたしが全部出しますね」

「えっ……?ちょっと待って、今までおごりじゃなかったのコレ!!?」


 そんなアーニャのすっとんきょうな声が、開店前の店内に響き渡ったのだった。

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