1-3 全力疾走と転移の魔法


 リザードマンの血を引く亜人種。


 それは亜人種全体の割合からすれば、決して多いというほどではないが、この街に限って言うならば、彼らはそれほど珍しい存在ではない。


 トリスタニアは商業も活発であり、そのため人の流れも流動的である。


 つまり必然、そこに集まる亜人の種類も多様になるのだ。


 世界的にはかなり希少である妖精種なども見かけるし、魔術で生み出された人工生命であるゴーレム種なんて変わり種も、呑気にそこら辺を歩いていたりする。


 リザードマンのような獣人族の系譜にあたる者も、この街には他にいくらでも存在する。


 猫族であるミーア種、鳥の翼を持つハーピィ種、獅子の牙と顔を持つライオネル種、等々。


 彼らは純粋な攻撃力としての腕力と、防御力としての頑堅さを合わせ持つ猛者である。

 そして往々にして、その気性もまた荒く、粗雑な者が多い印象だ。


 もちろんこの街はそれなりに混乱を排除し、秩序を守るシステムも存在している。 

 だからこそ、あの二人組のように凶行や暴力に走る者はごく稀ではあるのだが。



「あーもう!あの子、何であんな暴言なんか……!ていうかあれじゃ、もはや挑発じゃん……!」


 アーニャは曲がり角から様子をうかがいつつ、手に汗を握り、額に冷や汗を垂らす。


 あれではもはや、このまま無事に逃がしてもらえるという選択肢はなくなったに等しい。

 彼らが児戯と笑い飛ばし、戯言と呆れて帰ってくれることを祈るしかないが……。

 だが世の中、そううまくはいかないらしい。




 ──ふと、路地に再び静寂が訪れたことに気づく。



 ふしゅうう、と牙の隙間から息を漏らし、二人の亜人が口を開いた。


「このガキ……、今なんつったよ、ああ?」

「……ちょっと遊んでやるつもりだったんだが、どうやら本気で殺されたいらしぃなぁ」


 リザードマンたちの気配が変わる。

 今までの威圧の空気とは一線をかくす、殺気混じりの気配。


 とりあえず、あれはマズイ。


 彼らは完全に怒り心頭といった様子であり、その目に先ほどまでの遊びの空気は見えない。

 それも当然だろう。

 種族としても弱く、年齢としても下。

 おまけに女の子相手にあんな啖呵をきられては、彼らも黙ってはいられないのだ。


(どどどうしよう、助けるべきか、見なかったことにするべきか……)


 もちろん、アーニャだってリザードマンと喧嘩なんて御免であるし、彼らと波風などたてたくはない。


 彼女は、研究室に引きこもるタイプのインドア派魔術師であるので、いさましく魔獣と闘うようなアウトドア派の魔法使いとは訳が違うのだ。


 燃え盛る炎の魔法で敵を薙ぎ払い、凍てつく氷の魔法で敵を砕く──。


 いや、憧れるし、かっこいいけど!


 残念ながらアーニャはただの技術畑の魔法使いだ。

 勇者の物語では最初の街の背景を歩いていたりする存在である。

 

 それに、エルフは殴り合いとかどつき合いとか、そういう野蛮なことは好まない主義なのだ。

 ちなみに決してビビリではない!


(けど、……一応なんとかすることも、出来なくはないんだよなぁ……)


 そう、戦うことはできずとも、逃げることはできるのだ。

 無論、単純な追いかけっこでは彼らに敵うはずもないが──。


 アーニャには不可能を可能にする『手段』がある。


(そう、わたしの転移魔法ならね!)


 先日は盛大に失敗し、見事に無様を晒してしまったが──、あれはそもそも『特別な場所』へ転移することを目的としたものであり、そのために開発途中だったものだ。


 特別な魔法の中においても、さらに特殊な呪文だったから失敗したのである。

 通常の転移魔法の範疇であれば──、ただ既知の近場にジャンプするだけのことであれば、まずあのような事態には陥らない。


 そう、一度行った場所に転移するだけのことであれば、今の彼女にとって、じつはそれはそれほど難しいことではないのだ。


 二人同時の転移の経験はないから、その点について不安は残るが──。


 まあ、最悪あの少女は助けられなくても、自身はそのまま転移で逃げてしまえばいいのだ。

 そのあと衛兵に通報してやってもいいし、成仏を願ってやってもいい。

 しくじったとしても、ベストを尽くしたとあらば、見て見ぬふりをするよりは後味も悪くないだろう。


「ああ、もう、なるようになれだ!」


 魔力を集中し、制御の術式を構築する。


 良いことをするのだから、神様だってご加護と見返りをくださることだろう。たぶん。


「頼むよ、神様……!裏切ったら教会に居座って一日中泣いてやるから!」


 曲がり角から飛び出し、彼らの方へと向き直る。


 アーニャは、硬い石畳を蹴り、薄明るい細道を走り出した。


**********




 頬を撫でる、風をきる感触。


 静寂の空気を叩き割るように、アーニャは石畳の地面を走り抜ける。


 気配に気づいた二人のリザードマンが、アーニャの方に顔を向けた。


 不意を突かれ驚いたのか、彼らの視線は少女から離れ、ぽかんと気の抜けた顔でアーニャを見ていた。


 その空白の時間に割り込むように──、アーニャは二人の男の隙間を通り過ぎ、追い詰められていた少女の眼前に滑り込む。


 魔術の瞬間詠唱、速攻発動。


 ──問題ない。

 転移先は細かく指定しているほどの時間はないから、再出現位置はテキトーに決定されることになるが──。


(まあ、やつらの視界から外れればいいだけだし、ランダムな転移先でも問題ないでしょ!)


 魔力残量からして、二人ではどのみちそれほど遠くにはいけない。


 だが、近場への転移しかできずとも、建物一つ分のワープさえできればそれで充分だ。

 

 アーニャは、目前の少女に手を伸ばし、叫ぶ。



「そこの女の子!わたしの手、つかんで!離さないでね!」



 ヒュームの少女は、はっとしたように目を見開き、反射的に手を伸ばす。

 二人の指先が柔らかに触れ、その掌が固く繋がった。


「――az――o―。――vig――─m─!」


 流れるようにしなやかに。そして素早く紡がれる転移の呪文。

 時を歪め、空間を繋げる転移の術式が、アーニャの魔力を燃料に発動する。


 それはまさに瞬きの間、刹那にも満たない瞬間だった。



「じゃあね、クズトカゲども。腐った性根と汚い顔面リフォームして出直してきな!バーカ!」


 アーニャの不敵な笑みと捨て台詞を最後に、彼女たちの姿を光が包む。


 リザードマンが怒りの声を上げる間もなく、鋭い爪を振り下ろす間もなく──、

 エルフの少女とヒュームの少女は、転移の奇跡と化した魔力に包まれる。


 そして、魔力の残滓が光の粒子となり散っていく頃には──、二人の姿はその場から消失し、影も形もなくなっていたのだった。




 リザードマンの男たちは、突然目の前で起きたことに理解が追い付かないようで、開いた口を閉じたり、また開いたりを繰り返す。


「お、おい、消えやがったぞ!」

「どこいきやがった……?まさか逃げられたのか?」

「……いや。……待て。あれは何だ?」


 ──だが。

 やはり、世の中そううまくはいかないこともあるわけで。

 


 それはまさに、二人の少女が消えた、次の瞬間のことであった。


 男たちのちょうど真正面にあたる空間。

 それはまさに、彼らが手を伸ばせば届くほどの距離で、目と鼻の先に毛が生えた程度の距離。


 突然に、そのまっさらな空間がぐねりと歪み、淡い光が漏れ出でる。


 その穴とも窓とも思える空間の隙間から、先ほど消えたばかりの二人の少女──、エルフとヒュームの二人組が仲良くポンと飛び出し、そのままずでんと地面に墜落したのだった。


 目を丸くしているヒュームの少女がすとんと石畳に尻餅をつく横で、耳の長いエルフの少女がべちゃりと地面に顔面を打ち付ける。

 ぐえっ、というカエルのような悲鳴もセットであった。

 

 路地の石畳みから、埃がぶわりと舞い上がり、小石がころりと転がり落ちる。



 一瞬の静寂──。


 二人の男と二人の女。

 地面から持ちあげられた視線と、それを見下ろす視線が交差し、お互い無言のまま現状を脳内整理する。


「「……………。」」


 ようやく混乱が収まった次の時点には、両者の立場は決定的なものとなっていた。


 片方は邪魔者を再度とらえた捕食者。

 もう片方は逃亡に失敗した獲物。

 狩る者と狩られる者とは、まさにこのことであろう。


「あ、あれぇ?……お、おかしいなぁ…?」


 アーニャは、冷や汗を垂らしつつ、小首を傾げる。

 逃走失敗の原因を探るよりも、打ち付けた顔面の痛みを感じるよりも先に。


 アーニャは、彼女に迫る身の危険を感じ、ぶるりと体の芯を震わせるのだった。

 



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