1-2 巨大都市と家なし少女

 ──王都トリスタニア。


 かつて魔族と人、二つの種族の間に大規模な戦争が起きていた時代。


 この街は最前線の城塞都市であり、難攻不落の砦でもあった。


 だが、それも今は昔の話。当時の荒々しい面影はなりを潜め、現在は活気あふれる経済の街である。


 当時の姿を残す物といえば、中央街を囲む、立派で古臭い城壁くらいのものであろう。

 細かく刻まれている矢傷の跡、大きく跡を残す魔弾の弾痕等が、それが長い年月を経た歴史的建造物であることを匂わせている。


 そして、その城壁の内と外。

 それぞれの壁を跨ぐように、トリスタニアの街並みは広がっている。


 元々は城壁の内側だけであった街並みも、大戦が終わり、壁がモニュメント以上の意味をなさなくなると、自然と壁の外側にも広がり始めた。


 王城を取り囲むように放射状に伸びつつ、蜘蛛の巣状に広がり続けてきた街が、トリスタアの街の拡張の歴史である。


 かつては血と油にまみれていた閉鎖的な城塞都市も、今では人や亜人種があふれる開放的な経済都市。

 賑わう市中の最中においては、もはや落ち着いた場所を探すほうが難しいくらいだ。


 

 さて──、アーニャ=クロイスという少女は、一応エルフの血を引いている。


 一応、というのは、彼女がいろいろと変わり種であるということに起因するのだが──、それはともかく、彼女はそれなりに長命であるし、数十年前からトリスタニアを見てきた一人でもある。


 エルフの寿命からするとまだまだ成人とは言い難い若造であるが、この街に根を下ろした者の中ではかなり年季の入った古株だろう。


 あの埃臭い田舎街が、ずいぶん小洒落た都会になったものだなぁ。

 などと感慨にふけりながら、アーニャは家を無くした現実から逃避しつつ、とぼとぼと中央街付近の細道を歩いていた。


「ああ、お腹すいた……。ほんと、どうしてこんなことに……」


 安住の我が家を追い出され、流浪の身に落とされたのが昨日のこと。


 ほぼ着の身着のままで追い出されたせいで、昨日から何も腹にいれていない。

 まさに空腹の極みであるが、あいにく金の持ち合わせが無い。

 彼女の家財は丸ごと吹き飛んでしまったし、宵越しの金は元から持たない主義ではあるのだが──、直近の生活費まで失くしてしまったのは手痛いところだった。


「とりあえず何か腹にいれないと……。ほんとに餓死するぞこれ……」


 すでに満腹度は底をつき、疲労度は天井を抜けている。

 水の魔法で魔力から絞り出せば、水分に関しては一応なんとかなるが──、食べ物に関してはそうもいかない。

 

 さすがにいきなり知人に金をせびるような情けない真似はしたくはないし、そもそも引きこもり系魔法少女である彼女には頼れる友達が少ない。


 ちなみに物乞いは衛兵に捕まるので論外である。


 ──かくなる上はサバイバルか……?


 頭をよぎる究極の選択。

 そもそもエルフとは自然を愛し、自然に生きる種族なのだ。

 だから街を出て野に帰る生活を始めても、べつにおかしくはない、……はずである。


「でもそれはイヤだ……!わたしはまだ、文明を捨てたくない……っ!」


 つまりのところ、アーニャはここ数十年のトリスタニア生活で、すっかり俗世へと染まってしまったのであった。

 エルフの癖に菜食主義ではない。

 おまけに肉も食うし、魚も食う。

 アーニャがはぐれエルフである由縁は、まさしくそこにあるのだ。


「とはいっても、どうしたもんか……。あーもう、そこらへんにパンとか肉とか落ちてないかなぁ!今なら犬みたいにムシャムシャかぶりついてやるのに!っと、────ん?」


 ふと、静謐な空気を裂くように──、不穏な気配が、意識の中に割り込んできた。


 エルフとしての特性か、魔法使いとしての能力か。


 いずれにせよ、アーニャは他の人間よりも、気配の察知に敏感である。


 ちょうど目の前。

 煉瓦造の建物の曲がり角の先から──、不穏な気配を乗せた、威圧を伴う声が聞こえてきたのだ。


 アーニャはぴくりと長い耳を動かし、そちらにそっと意識を向け、声を拾う。


 聞こえてきたのは、野太い男たちのしゃがれ声。


 そしてそれに抗する、無機質で可憐な少女の声であった。



********



「そこ、どいていただけませんか」


 鈴の音のような、涼やかで通りの良い声が響く。


 そしてすぐさま、その声に被せるように、男どもの強気な言葉が続いた。


「連れねーなぁ。ちょーっと仲良くしようって言ってるだけじゃねーか。なあ、嬢ちゃんよぉ」

「そうそう。おれたち金に困っててさぁ。ちょっと融通してくれりゃいいんだよ。そしたらお礼に遊んでやるからさぁ?」


 曲がり角から少し顔を出し、声の先をうかがう。


 どうやら不穏な気配の大元、野太く、しゃがれた声の主は、亜人種の二人組らしかった。

 凶悪な面持ちから覗くエグい牙を見るに、リザードマンの血を引く亜人だろうか。


 対して壁際に追い詰められているのは、鋭い牙も鋭利な爪も持たない、一人の人間の少女のようだった。


 種族はおそらくヒュームだろうか。


 彼女は切りそろえられた前髪の奥から覗く静かな瞳で、二人の男をじっと見続けている。


(しっかしリザードマンの大人が二人がかりで揺すりたかりとは……。しかも相手は女の子。まったく情けないやつらだなぁ)


 アーニャは心中で非難の声をあげるも、


(…………ま、まあ、私は関わらないでおこう、怖いし)


 とりあえず静観することにする。

 情けない話であるが、これは戦略的静観である。


 さて、少女の背丈はアーニャと同じか、少し低いくらいか。


 光の強い赤みがかった瞳が、じっと睨みつけるように目の前の二人に向けられている。

 顔はなかなかに整っているが、表情はむすりとしたしかめ面だ。


 静かな雰囲気の中から立ち上る、じりじりとした苛立ち。

 ジトリとした目つきの端から感じるピリピリとした気配が印象的である。

 

 しかし、アーニャはこうして遠くの物陰から覗いているから良いものの──、リザードマンを目の前にして一歩も引かない度胸の強さ、肝の太さはたいしたものだと思う。


 リザードマンはそこらの大人でも立ち合いたくないほどの牙と腕力を有しているし、その肌は簡単には砕けぬ固い鱗で覆われている。

 普通の人間があんな状況に陥れば、睨みつけるどころか、命乞いを始めてもおかしくはない。

 間違っても争いごとになりたくない部類の相手である。


 だが、全く怯むことのない少女の姿が気に食わなかったのだろう。

 

 男たちは、ずいと少女の前に立ちはだかった。


「おい、聞いてんのかてめぇ。さっきからだんまり決め込みやがって、自分の立場がわかってねえのか?それともヒュームのガキは言葉もわからんアホなのかぁ?」

「やめてやれやめてやれ、怖くて固まってやがるんだ。なんせヒュームってのは牙も爪も持ってねぇ、弱くてみじめな生き物なんだからなぁ」


 リザードマンたちは鋭い牙を剥き出しにし、鋭利な爪を少女に向け、下品な声で笑い出す。


(ど、どうしよう、なんか本格的にヤバい雰囲気だけど……。衛兵とか呼んだほうがいい?大声とかあげた方がいいかも?と、とりあえず刺激しないでよー……!)


 アーニャは内心、冷や汗物である。


 当の少女の方は、はぁ、と一つ息をつき、男たちを再度一瞥する。


 伏せた瞼が上がり、閉じられていた唇が開かれ──。


 その少女は、ガラスのように透き通る声で、貫くようにはっきりと、告げた。




「いちいちうるさいですね。トカゲの言葉なんて理解できませんよ。まあ、理解するつもりもないですが」




 そう、言ってのけた。


 ぴしりと固まる空気。

 

 やがて止まった時間が動き出すと同時に、アーニャの顔は蒼白になっていく。

 

(い、いや、何言っちゃってんのこの子ーー!???)


 あかん、アレ絶対殺されるやつだ!

 アーニャは心の中で白目を剥くのだった。

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