魔法使いは異世界の夢を見るか?
@sabamisokan
1章
1-1 魔法使いと古の魔法
──時刻は夜明け前。
窓の外、暗い水平線の果てが明るくなる。
夜と朝の境目、闇に光が満ちるこの瞬間こそ、大気にマナが溢れだす時間である。
大丈夫。
内の魔力も、外のマナも。状態は十全、準備は万全だ。
大きく息を吸い、そして深く吐いた。
朝の空気は冷たく、軽い。
肺を涼やかに満たしたあとは、体外へと静かに抜けていく。
少女はその瞳を静かにつむり、一拍ののち、──その唇を、勢いよく開いた。
「─dg──。──Le───o、──s──」
詠唱を始める。
静かに、流れるように紡ぐのは、歴史の中に失われ、伝承の内に散逸した古代の言語。
彼女だからこそ理解し、発声することを可能とする神代の遺物だ。
彼女が形作ろうとしているのは、『転移』の術式。
対象の物や人を任意の場所に届ける移動の魔術、いわゆるワープの魔法である。
今は伝承にのみその存在を語られている、遥か古の特別な魔法。
それは彼女が長年研究し、開発を続けてきたものであり──、その成就は彼女の人生においての目標であり、魔術師としての悲願でもある。
月齢も時間も暦も、マナの質にとって最高のときを選んだ。
必ず成功する。絶対に間違いはない。
体内を流れる魔力をハンドルとし、大気のマナを燃料とし──、この世に『転移』という名の奇跡を作り出す。
自身に収まる矮小な魔力などとは比べるべくもない、大気に満ちる巨大な魔力。
それらが一気に形となり解き放たれ、瞬く間に部屋の中へと拡散し──、
大きく、大きく、その場で渦を巻いた。
──そう、『渦を巻いた』のだ。
それはもう、そのまま弾け飛ぶ勢いで、猛烈に、激烈に!
まるで制御の効かない嵐の如く、大渦に巻き込まれた小舟の如く。
矮小な舵など吹き飛ばし、ぐるぐると、とんでもない勢いで回転を増していく。
「うげ……!やっば……!??」
彼女の金色の髪が乱気流に煽られ、盛大に揺れる。
──これはまずい…!
そう確信したときには、時すでに遅かった。
巨大な魔力のうねりは彼女の小さな手の平を離れ、そこかしこに、あらぬ方向へ乱れ飛ぶ。
魔力とは、力そのものだ。
その流れには特別な意思はなく、その本質は無機質なエネルギーの塊である。
濃度が濃くなればなるほどその力は強くなり、極限に近づけば近づくほど、暴走したときのリスクも増していく。
風船がふくらむ限界をこえてふくらみ続け、今まさに弾ける臨界に至りそうな状態──、といえばわかりやすいだろうか。
問題はその中身が単なる空気の塊ではなく、膨大な魔力の大渦であることなのだが。
「まずいまずいまずい……!」
もはや魔術の行使どころではない。
とにかく止まらない暴走を食い止めるのが先である。
マナの制御に自身の持ちうる全ての魔力を回し、荒れ狂う渦の流れを必死に整える。
「止まれ止まれ!止まれってぇ!ふぎぎぎっっ!!」
大気のマナが燃料であるならば、自身の魔力はハンドルでありブレーキだ。
つまりこの暴走を止める最も原始的な方法は、気合いをいれて魔力を絞り出し、根性でもって押さえ込むしかないのである。
それはおそらく数秒の出来事であったろうが、彼女にとっては数十分の出来事に感じられたことだろう。
とりあえず激流をいなし渓流程度に抑えることに成功し、両腕と意識から、ふっと力とこわばりが抜けた──、
その瞬間のことであった。
彼女が急ごしらえで作った魔力の堤防。
抑え込まれた膨大な大気のマナが、仮組みの壁に小さな亀裂を入れ──。
次の瞬間、その堤防は文字通り、『決壊』した。
「ドンッ!」という音とともに、衝撃が腹を突き抜け、背中を穿つ。
弾けた爆音に耳を貫かれ、立ち込める煙に視界を遮られ──、一瞬で聴覚と視覚を奪われる。
荒れ狂う魔力と風の渦が部屋をかけぬけ、部屋の中に嵐でも現れたのかと錯覚したその直後──、
ふいに、静寂の凪が訪れた。
嵐が去り、そよ風の残る室内。
衝撃でめちゃくちゃになった部屋の中心で、一人の少女が呆然とその場に立ち尽くしていた。
「……………。」
家財道具はあらゆるものが砕け、小物は見るも無惨に刻まれている。
誰がどう見ても悲惨の一言であろう。
低い天井が存在した場所からは、夜明けの薄明るい空が見える。
事前に自身に結界魔術を張っていなければ、今頃彼女の清らかな肢体も黒焦げミンチになっていたかもしれない。
「あー………。あはは、……やっちゃった……」
もはやショックを通り越して笑いしか出てこない。
風情ある厚手の土壁が見事に吹き飛び、大通りの様子が完全に丸見えだ。
なかなか開放的なプライベートルームである。
天井まで吹き抜けになってしまった彼女の部屋は、もはやちょっとした見晴らしのいい展望台のそれだった。
──しかし、そんな呑気な感想もそこまでであった。
「アーニャ!アーニャ=クロイスぅ!!!」
床下から飛んできたのは、彼女の名前を呼ぶ熱い怒号。
当人であるその少女、アーニャ=クロイスは、思わず額から冷や汗を垂らし、目前の惨状から目をそらす。
この住処は、残念ながら彼女の所有物というわけではなく、他人からの借り物──、いわゆる賃貸である。
つまり貸し主という大家が存在するのだ。
大家の体躯は、文字通りに熊みたいな大男であり、性格も猛獣のごとき荒々しさ。
対してアーニャの体躯は、か弱いひょろガリのエルフであり、心清く美しい女の子である。
仮にもし、彼の太い腕でワンパンでもされたなら、彼女の貧弱な命そのものがノックアウトされかねない。
「おい、いるんだろ!アーニャっ!!」
(どどど、どうしよう……!)
まずいまずい!何か言い訳を考えなければ!と、あわあわしているうちに、数秒も立たず、大家が彼女の自室に飛び込んできた。
吹き抜けになった天井、見晴らし台となった壁と床を凝視し──、彼は数秒固まった後、アーニャへと無言で向き直る。
額に血管を浮かび上がらせつつも、表情は唇の端をひきつらせた満面の笑顔である。
もはやブチ切れとかいうレベルではない。
アーニャはすべてを諦めた。
「あの、ガルドさん、これはですね…………………。
そ、その…………。
──も、申し訳ございませんでした!!!」
「謝って済むか、このアホんだら!!!」
むんず、と突然に襟首を捕まれ、カチコチに固まっていた視界が宙を舞う。
次の瞬間、自室から大通りにぶん投げられたアーニャは、背中から石畳みの地面に激突していた。
ぐえぇ、と情けない悲鳴が肺から漏れる。
本来なら悶絶か気絶ものであろうが、本当に防御結界さまさまである。
「あいててて……、……ぶへっ!?」
大家が投げたであろう、アーニャの愛用の杖が、彼女の顔面のど真ん中に、無遠慮にぶち当たる。
杖を拾い上げ、おそるおそる怯える彼女が上を見上げると、憤怒のオーラを纏いし大家がアーニャを見下ろしていた。堂々たる仁王立ちで。
「出ていけ!二度とおれのまえに顔を見せるな!このクソ魔法使い!今度うちの敷居またいだら挽き肉にしてゴブリンの餌にするからな!!」
鼻息荒く雄たけびを上げると、大家はのしのしと壊滅した部屋の奥へと消えていった。
いつもは猛々しい後ろ姿も、今回ばかりはなんだか少し物悲しい背中に見えるような気がして、アーニャもつられて肩を落とす。
「ああぁあっ………!」
そして、早朝の道端にて、頭を抱え、もだえ悩む少女が一人残されたのだった。
「あああああっ、これからどうしよう……」
その陰鬱としたうめき声が、清々しい夜明けの空に響いていった。
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