500人の奴隷達。
「神聖樹ファランツリー王家? エルフ王家の証、ですか?」
思考が追い付かず、数秒の間の後にハッと我に返ったシタールは跪いて頭を下げた、回りの奴隷達もざわつき始める。
「無礼をお許しください」
頭を下げたまま、シタールが大きな声で言う、額には汗が浮いている。
「気にしないで下さい、それで身の明かしになりますか?」
いつものどこかフワリとした雰囲気を下げ、凛とした空気を纏ったフェイが気品を帯びた声音で話す。
それを呆然と、ロゼ以外の面々が目を丸くして成り行きを見守っている。というより、頭が追い付かずに見つめるしか出来ていない。
「はい、間違いなく。ですが……」
跪いた姿勢から、シタールが伺うように視線をフェイに向ける。
「何ですか?」
「この剣のみでここの500人の奴隷を全て売るわけには……私のような商人にはこの剣の価値が分かりませぬゆえ、ここの奴隷達は戦災奴隷です。いわばこの国の、ノインドラの持ち物ですので、私の一存では簡単に物々交換とはいきません」
シタールの言葉にフェイが優しい微笑みを浮かべた。
「では、価値の確かな物なら構いませんね? このレリーフを渡しましょう。中心の宝玉は神聖樹の種子です、金貨に変えることも難しくありません。それで構いませんか?」
「お、お待ちを。それではさすがに多すぎますし、それを受け取る訳には……」
「足るなら結構です、受け取ってください」
「そ、それは」
シタールの額の大粒の汗はすでに流れるほどになっている。
「受け取りなさい、私に恥をかかせるおつもりですか?」
フェイがレリーフを跪いているシタールの手に無理に握らせる、回りの者達は誰も何も言えずにただ見ている。
シタールはフェイの瞳を見返すが、有無を言わせぬ光が宿っていることを見て取ると恭しく頭を下げた。
「分かりました、すぐに全ての奴隷を解放致します。こちらの剣はお返し致しましょう」
シタールが手に持っていた魔剣をおずおずとフェイに向かって差し出した。
「いい、取っておいてくれ」
ここまで無言で見守っていたバーンダーバがそれを手で制した、ここで剣を受け取ればバーンダーバの立つ瀬がない。
「シタール殿、奴隷達にあるだけでいいので食料を持たせて頂けませんか?」
黙って聞いていたカルバンが声をかけた、顔はまるで吐いたものを飲見下してでもいるように歪んでいる。
「かしこまりました」
その後、奴隷達は速やかに解放された。
母親と兄に会えたアビーが涙を流して抱き合う様子をバーンダーバは目に涙を浮かべて見守った。
年老いた一人の奴隷が取引のやり取り一部始終を鋭い眼差しで見ていた、その視線はフェイに注がれていた。
バーンダーバは気付いたが、敵意は無かったので特に気には止めなかった。
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小国家ノインドラの門を出てすぐの草原、回りには畑を耕す農夫達が門からぞろぞろと出てきた奴隷を何事かと眺めている。
奴隷達はしばらく進んだ開けた場所でバーンダーバ一行の前で突っ立っている。
新しい主人の命令を待っているのだ、奴隷達の目前に進み出たバーンダーバはその視線を一身に受けながらゆっくりと口を開いた。
「私はあなた達を奴隷として私の下に置くつもりはない、あなた達は自由だ。故郷に帰るといい」
バーンダーバは満足げにそう言った、その隣で、カルバンは「やっぱりか」という顔の後にみるみる表情が怒りに変わっていく。
つかつかと歩みより、バーンダーバの胸ぐらを掴んで激しく揺すった。
「てめぇ、そんなこったろうと思ったぜ」
「どうしたんだカルバン」
バーンダーバを睨み付けるカルバン、バーンダーバはなんの事か分からずに回りを見るが、セルカもフェイもロゼも何も言わない。
「お前は良いことしたつもりなんだろうがな、コイツらは戦災奴隷だ。「自由だ」って言われても帰る家どころか国もねぇんだよ! グルマがいきなりほっぽり出されて生きていける訳がねぇだろうが! お前は、少しは頭を使ったらどうだ!?」
カルバンの剣幕に、怒りを称えた激しい目付きにバーンダーバは自分が何か不味い事をしたんだと思うが理解が出来ない。
「どういうことだ? 分かるように説明してくれ!」
カルバンがバーンダーバを乱暴に突き放した、表情は顔色が青くなるほど怒りに満ちている。
「だから言っただろうが、根無し草の冒険者の癖に奴隷なんぞ買うなってな! よく聞け。彼らは戦災奴隷、つまり戦争によって国を失くした者達だ。ここで「自由だ」と言われても明日食べる物もない、グルマだったら冒険者になる事も出来ないし、仕事がなければ働くことも出来ない。働くことが出来ないのにどうやって食っていけと言うんだ!」
両手を大きく振り回してカルバンが怒鳴りながら喋る、バーンダーバにとって、魔族にとって生きるとは呼吸をすると同意だ食事や住む場所と言われてもピンとはこない。
「畑を耕し、作ればいいのでは?」
魔族としては、現界の土地は生きるのに困るという概念がない。現界のどこまでも広がる草原、深い森はバーンダーバからすれば食料に溢れた宝庫だ。
それでも、戦う力のない人間だという事を改めて考えたバーンダーバにとってはその答えは至極当然の物だったが、バーンダーバの答えを聞いたカルバンの怒りがさらに火を吹いた。
「どこを耕せってんだ! 種はどこから持ってくる! 仮に畑を作っても、収穫までは早くても4か月は掛かる。4ヵ月だ、それまで何を食って過ごすんだ? 水だけじゃ1ヶ月も持たないぞ」
ようやっと、バーンダーバはカルバンの怒りの意味がぼんやりと見えた。
「私が森へ狩りに行こう」
まるで子供の言い訳のようにバーンダーバが呟く。
「バカなのか? 500人分だぞ、毎日、お前が、獲ってくるってのか? それが可能だとして、ずっとお前が養うのか? そうやってこの500人を永遠に」
永遠に、カルバンの言葉の意味を暫く頭で咀嚼したバーンダーバはようやっと理解した。
生きる糧を得続けなければ死んでしまう、生きる環境を整えなければ人間はすぐに飢えて死んでしまう。
自分が狩りをして養い続ける、それは可能かもしれないが、自由を与えると言った自分に完全に依存して生き続ける人間に自由があるとは到底言えない。
それは奴隷に他ならない。
「カルバン、私はどうすればいい? 教えてくれ、私はただ彼らを助けたいだけなんだ」
その場に跪き、バーンダーバはカルバンに頭を下げた。
カルバンはそれを見ていくぶんか頭が冷えてくる。
(……阿呆だが、気持ちとしちゃあ分からんでもない。なんで俺はコイツにこんなに声を荒げてんだ、俺らしくない。さっさと済ませて帰りたい、こんな事に付き合ってられん)
バーンダーバはなおも頭を下げている、それをカルバンは見つめ、意識を別の事へ向けようとする。
(誰かに振り回されるのはもう御免だ)
バーンダーバはひたむきに、カルバンに向かって頭を下げる。
カルバンはその姿にいつかの自分がちらついた、勇者の為に力を貸してくれとそこらじゅうに頭を下げて回っていた自分を。
(俺に頭を下げてどうなる、俺だって500人の奴隷を救う方法なんて知るわけがないだろう)
カルバンが視線をバーンダーバから上げると、フェイと目があった。
(元はと言えばこの姫さんのせいだ、奴隷商人を前にエルフの姫君が啖呵きってて止められなかった。あの場じゃ確かに胸を打たれる物があったが、しくじったな)
実際、カルバンは奴隷商人を相手にいかにも世間知らずな駄々を捏ねるバーンダーバの目をどうやって醒まさせてやろうかと口上を考えていたら、フェイの行動に一歩先を行かれてしまった。
いつもバーンダーバの数歩後ろを歩く姿からは信じられないような雄々しい姿に何も言えないまま、気付けば500人の奴隷を抱え込んで歩いていた。
「はあ」
カルバンが大きくため息をついた。
(どうやってこの500人を救えってんだ。奴隷商人から貰った食料は切り詰めて1週間分。問題は山積みだな……)
カルバンはターバンを取って頭をくしゃくしゃとかきむしり、忌々しそうに頭を下げるバーンダーバの後ろ頭に向かって「おい」と声をかけた。
「頭を上げろ魔族エルフ、今回はエルフの姫さんの顔を立てて手伝ってやる」
「本当か! ありがとうカルバン、恩に着る」
笑顔で手を握ってくるバーンダーバを鬱陶しそうに払いのける。
「着なくていい、俺にも救えるかどうか分からん。お前を手伝うのはこの500人を見殺しに出来んだけだ」
バーンダーバの後ろでフェイやセルカが笑っているのを見て、なんだか嵌められたような気になったカルバンはもう一度大きくため息をついた。
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