ノインドラ。

「最近、ずっとシュルスタの王は人が変わったように悪政を強いて民から税を絞り上げていると聞いてはいたが。戦争というのは初耳だな」


 カルバンがアビーを見ながら誰に言うでもなく喋る。


 いつ魔族が攻めてくるか分からない中央大陸では国家間の戦争はほぼ起こらない、あるとしても国の悪政に反発した内乱や、国の中枢が起こす政権争いによる物が主である。


「シュルスタと、ノインドラにルイズベルか。同盟国というからには仲の良い国同士だったんだろう?」


 バーンダーバがカルバンの言葉に反応した。


「ああ、天翔山という山を囲むようにある三つの小国家なんだが、その歴史は古い。中央大陸は魔族が攻めてくる玄関口だ、魔族が攻めてくる度に三国は連携して防衛にあたってきた。最近じゃ西大陸の帝国が傘下に入れと圧力を強めていたがそれにも三国で結束して反発していたと聞いている、それが何故、戦争状態になっているのか……」


「アビー、私で良ければ是非アビーの力になりたい。お母さんとお兄さんはどこにいるんだ?」


 バーンダーバがアビーの目線にしゃがみこんだ、スープを飲み終えたアビーは多少、血色が良くなっているように見える。


「ノインドラにいます、捕まって、早く行かないと売られちゃう」


 アビーの瞳にまた涙が浮かぶ、バーンダーバは見ただけで目頭が熱くなった。


 泣きそうなアビーの頭をフェイが優しく撫でる。


「大丈夫だ、私が必ず助ける」


 バーンダーバが力強く答えた。


「おい、助けるって奴隷を買うつもりか? 冒険者の根なし草がやめておけ」


「見てしまった以上、放っておく事は出来ない。すまないが寄り道を許してくれ」


 バーンダーバの顔を見つめてカルバンが何事かを言おうとするが、梃子でも動きそうにないバーンダーバの憮然とした表情に大きくため息をついた。


「金はあるのか?」


 それを聞いたバーンダーバは青い顔で懐から財布を出したが、中身は迷宮への準備でセルカに全て渡したので空っぽである。


「金がなくては奴隷は買えんぞ、奪うつもりか?」


「いや、だが」


「おいくらぐらいでしょうか?」


 アビーを慰めていたフェイがバーンダーバの後ろから声をかける。


「……戦災奴隷なら、1人大銀貨2枚もあれば買えるはずだが」


「それなら、アビーの家族分は何とかなると思います」


 フェイがバーンダーバに笑顔を向ける。


「すまないフェイ、恩に着る」


「良いんです、行きましょう」


「決まりだね、んじゃあ乗りな」


 ロゼがいきなり龍に姿を変える。


「大丈夫だアビー、彼女は喋れるドラゴンだ」


 バーンダーバがすぐにフォローするが、アビーは巨大なレッドドラゴンを見上げて固まっている。


『怯えずともよい、私が家族のもとまで連れていってやろう』


 鎌首をアビーへ向け、地響きのする声を極力優しくなるよう配慮はあるが、どう考えても小さな少女には恐怖しかない。


「……綺麗な赤色」


 バーンダーバの危惧とは裏腹に、アビーはロゼを見上げて子供特有の好奇心に満ちた眼をしていた。


『お褒めに預かり光栄だ、さあ、家族を迎えに行こう』


 食事の後片付けを済ませ、一行はロゼの背に乗りさらに西に進んだ。


 空を舞い、一行に会ってから初めてアビーが笑顔を見せた。


 空を進むこと一刻もしない内に、天を衝くような切り立った山の麓に巨大な城を中心に築いた四角い塀が見えてきた。


「あそこです」


 アビーの言葉に応じるようにロゼが高度を下げる、塀から程近い場所の草原地帯に降り立った。


 降りると同時にアビーが塀へと駆け出していく。


 裸足のままで息をきらせて走るアビーをバーンダーバがひょいと担ぎ上げた。アビーが「ひゃっ」と可愛い声をあげる。


「私が走ろう、アビーは道案内を頼む」


 アビーの「はい」という返事と小さな手の指を目一杯に伸ばした道案内に、バーンダーバが他の皆を置いてどんどん走っていく。


 門をくぐり抜け、人でごった返す通りをアビーの指示で壁沿いを走る。


 すぐに見えてきたのは首に縄をされた人、人、人。


 檻に入れられているのは目付きの悪い者、外で手を縛られている者は虚ろな眼、一つ所に集められた子供達。子供の回りに女の奴隷がいる。


 見るからにアビーと同じ戦災奴隷が何百人といた。


 その近くでは棒を持った男が奴隷を突いている。


「おい、お前はあっちだ。お前はいくつだ? なら向こうのガキ共と一緒だ」


 まるで人間とも思えない扱いで奴隷達を小突き、時には叩いて動物の群れを相手にするように奴隷を並べていく。


(人間の世界でこんなにも酷い事があるのか……)


 バーンダーバは目の前の光景に吐き気すら覚えた。


 男がバーンダーバに気づいて近寄ってくる。


「あんたも奴隷の買い入れか? それなら向こうのテントに行ってくれ」


 棒で指した先には円形の簡素なテントが立っている。


「この子の親と兄弟を探している、分かるか」


 バーンダーバがアビーの肩に手をおいて尋ねる。


 手持ち無沙汰に棒をくるくると回す男に、バーンダーバは努めて冷静になろうとするが、口から出てきた声は自分でも驚く程に冷たい声音だった。


「あぁん? なんで親兄弟がここにいるんだ、逃げた奴隷か? そういや、2~3日前にガキが一匹逃げたって報告があったな」


 アビーがバーンダーバの後ろに隠れる、目には恐怖の色が滲んでいる。


「この子がそうだろう、ここに家族がいるはずなんだ」


「やっぱり逃げた奴隷か、なら見せしめに棒で叩かなきゃならねぇ。売るのはその後だ」


 アビーの髪を掴もうと伸ばした手を遮るようにバーンダーバが体を入れる、棒男はアビーを庇うバーンダーバを見て気分を害したように表情が歪む。


「おいアンタ、情が移ったのか? 気持ちは分からんでもないけどよ、逃げた奴隷を他の奴隷の目の前で無罪放免にしたんじゃ示しがつかねぇ」


「ならばここにいる奴隷を全て買い取ろう、それならば示しもなにもないだろう」


「はぁ? なに言ってんだアンタ? そんな金があるようにゃ見えねぇが」


「これならどうだ?」


 バーンダーバが腰から剣を引き抜いた、剣と言うには異様な姿形をしている。


 動物の骨を繋ぎ合わせた片刃のような刀身だが、見るからに斬る事の出来ない刃。所々に魔石が嵌め込まれていて、刃の背の部分は毛皮が貼り付いている。


「なんだそりゃ?」


「これは魔界のエクナという名の魔獣の死体から刀匠バルカが造り上げた幻魔剣・エクナバルカ。魔力を流し込み増えろ増えろエクナエクナと唱えれば自らの意思で動く分身体を生み出すことが出来る魔界の宝剣だ」


 剣を掲げ、バーンダーバが「増えろ増えろエクナエクナ」と唱える。幻魔剣から黒い霧が勢いよく噴出されバーンダーバの隣で人の形を成すとみるみる内に細部まで全く同じバーンダーバが現れた。


 男が絶句して棒を落とした。


 そこへようやっとフェイ達が追い付いてきた。


「…… バン?」


 走っていったバーンダーバに追い付いたと思ったら目の前にバーンダーバが2人いる光景に、フェイもロゼもセルカも固まってしまった。


「おい、なんの騒ぎだ?」


 全員がその場で固まっていると騒ぎを聞きつけたのかテントの中からでっぷりと腹の出た男が顔を出した。


「……シタールさん、この男が奴隷を全て寄越せと言っているんですが。代金は剣で払うと」


 棒を地面に転がしたまま、男がバーンダーバを指差してシタールに喋る。その視線は二人のバーンダーバに釘付けのままだ。


「剣?」


 シタールが棒男の隣に立ってバーンダーバを見る、今さら同じ顔をした男が二人いることに気付いて息を飲んだ。


 フェイ達の後ろにカルバンが追い付いたが、現状に追い付けなくて口をぽかんと開けて固まる。


 バーンダーバはシタールに剣を手渡した、シタールが受け取った途端にバーンダーバの分身は黒い霧になって欠き消えた。


「魔力を込めてみてくれ、それで価値が分かるはずだ」


 渡された剣をシタールは少し眺めてから棒男に手渡した。


「やってみろ」


「ですが」


「いいからやれ」


 まだ何か言おうとしていた棒男だが、渋々と剣を受け取る。魔力を込めるとバーンダーバの時と同じく、黒い霧が噴出して人形を形作る。


「うわ、本当に出た」


 棒男の隣に全く同じ顔をした棒男が現れた、虚ろな顔でボーッと立っている。


《ほほう、面白いな》


 フェムノが1人呟く。


「頭で念じてみてくれ、それで動かせる。慣れれば自分と全く同じように動かすことが出来る」


 言われて棒男は自分の分身を見つめて懸命に念じる、棒男の分身はぎこちなく歩いたかと思うと転び、起き上がろうとするがまるでひっくり帰った昆虫のように手足を動かすばかりで起き上がれない。


《あの男はセンスの欠片もないな、棒を持ってるのがお似合いだ》


 フェムノの罵倒を最後に、男の分身が黒い霧になって消える。


「すみません、上手く出来ないです」


「もういい、お前は下がっていろ」


 シタールが棒男から剣を受け取って下がらせた、シタールがバーンダーバに向き直る。


「見たところ冒険者とお見受けする、これが凄い物だというのは分かるが、これでここの奴隷全てと交換という訳にはいきません」


「なぜだ?」


「まずは身元を明かして貰えますか? これだけの数を売るとなると身元は確かでないと」


 バーンダーバが首に下げている冒険者ライセンスを取り出した。


「これでいかがか?」


白色ルーキーですか、ん? レベルと、種族が魔族となっていますが?」


「私は魔族だ、元魔王軍四天王筆頭・魔弓のバーンダーバだ。今は現界で冒険者をしている」


 シタールはバーンダーバをしばし眺め、難しい表情で頭を掻いた。


「……いくら戦災奴隷でも、身元が不確かな者には売れません。お引き取りを」


 シタールが魔剣をバーンダーバに差し出す。


「待ってくれ」


「お待ち下さい、これで身の明かしになるでしょう」


 フェイがバーンダーバの前にサッと割って入り、手に持った物をシタールに向けた。


 それは緑色の宝石の回りを枝・葉・花の形の銀細工で囲った美しいブローチ。


「これは神聖樹ファランツリー王家の証です」

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