商人カルバン。3

 ダイナスバザールの西門を出てすぐの開けた場所で朝日に照らされた紅い龍を見上げて固まる男が一人。


『乗るがいい』


 紅い龍から発せられた地響きのような声に男は一瞬ビクリと体を震わせたが逃げ腰ではない、龍を見つめるその眼は少年のように輝いていた。


「……なんと美しい」


 カルバンは胸を押さえた、伝説や伝承を愛する彼にとってイスラン火山のレッドドラゴンは勇者の次に憧れの存在である。


 子供の頃の熱い気持ちが胸の奥から沸き上がってくるのを感じる。


《乗り物としてはなかなかに優秀なのは認めよう》


 そんなカルバンの憧憬の思いを砕くように魔剣の雑言が聞こえてくる、それを聞いたカルバンは一気に現実に引き戻されてため息が出た。


『聖剣よ、イスラン火山の頂上に放置されたくなければ声を控えよ』


 ロゼの言葉がさらに低くなった。


「フェムノ、私も反対しませんからね、ちょっと黙ってましょうね」


 フェイが冷たい笑顔で釘を刺した。


《……》


 ちなみに、カルバンはフェムノを聖剣と聞いた時も胸が高鳴ったが、あまりに口が悪くて理想が壊れたので若干フェムノが苦手である。


「光栄だが、本当に私のような者が乗せて頂いてもいいのでしょうか?」


 フェムノの存在を振り払ってから、カルバンはロゼに向かって恭しく頭を下げる。


『人を乗せて飛ぶのは嫌いではない、遠慮なく乗るといい』


 カルバンはもう一度深々とお辞儀をしてから靴を脱いだ。


「いや、靴は脱がなくて大丈夫だろ」


「馬鹿な、龍の背に乗るのに靴を脱がなくてどうする! 失礼だろう!」


 セルカの指摘をキッと睨み付けるカルバン、そして脱いだ靴の紐を結び、靴を肩から下げて意気揚々と背中に登っていく。


 カルバンの気迫にセルカは(まぁ、自分の背中に土足で乗られたら嫌かな?)と考え直し、カルバンに習って靴を脱いで肩から下げた。


 雰囲気的にバーンダーバとフェイも靴を脱いでからロゼの背中に登った。


「では、よろしくお願いいたします」


 カルバンの言葉に『うむ』と返事を返すとロゼが力強く羽ばたいた、揺れにカルバンが体を低くしてロゼに捕まる。


「おぉ、素晴らしい」


 上空まで上がるとカルバンがため息混じりに感嘆の声を漏らした。


『カルバンよ、方角はどちらだ?』


「はい、太陽を背に10時の方角です」


『分かった』


 まだ登り始めたばかりの太陽を背に、ロゼが速度を上げる。冷たい風が背中に乗る面々の頬を赤く染め、肺が苦しくなるくらい冷えた空気が胸を満たす。


 大地の上は初夏の陽気だが、雲の近くまで上ると季節が追い付いていないようだ。


 川幅が100メートルはありそうな川の上を通るとバーンダーバが身を乗り出して眺めた、キラキラと朝日を反射する川を眺める。


「大きな川だな」


「あれは中央大陸最大の川、ブラストリバーだ」


 バーンダーバの呟きにカルバンが答えた。


爆発ブラストか、ずいぶんと物騒な名前だ」


 見下ろす川は穏やかで、おおよそ爆発ブラストとは程遠い。


「あの川は雨季になるとこの辺の地形を変えるくらい氾濫するんだ、それこそ、爆発したようにな。だからブラストリバーって呼ばれてる」


 みんなが大地を見て楽しんでいると、バーンダーバが険しい顔で遠くのなにかを見つめた。


「ロゼ! 子供が襲われている! あっちだ!」


 バーンダーバが立ち上がり指を差す。


『あっちでは分からん、方角で言え』


「左だ! 違う行きすぎだ!」


 バーンダーバがロゼの背中から飛び降りた。


「マジかっ!」


 上空数千メートルの空中から落下しながら弓を構えて射つ、狙い通り子供を襲う魔物の足元を撃ち抜いた。


 子供はそれに気付かず走り続けるが、魔物は何処から射たれたのか周りを見回すが何も見つからない。


 地上へ降り立ったバーンダーバが凄まじい速さで駆け、数瞬で子供と魔物の間に躍り出た。


 子供は服とも言えないボロ切れを身に纏った少女だった、首に縄を巻かれてそれが擦れて血が滲んでいる。少女はバーンダーバを見て足を止めた。


 バーンダーバは少女を背中にかばい、魔物に矢を向ける。


「止まれ、お前達も喰わねば生きていけんだろうが、見てしまった以上は見過ごせない。諦めて別の獲物を探せ」


 喋りかけられた魔物は首を捻ってニタリと笑った。


「グギャ、オマエモ、クッテヤル」


 小さい体に大きな頭、醜悪な表情でバーンダーバ見る。魔物の名は小鬼ゴブリン、5体の小鬼ゴブリンがニタニタと笑いながら錆び付いたナイフや短い棍棒を持って襲いかかってきた。


 バーンダーバはため息をついて引き絞っていた矢を放つ、小鬼ゴブリン達が5体同時にその場で崩れ落ちる。


 少女が安心したのか疲れからか、その場にぺたんと足を崩した。


「大丈夫か? なんでこんな所に?」


 バーンダーバがしゃがんで少女に視線を合わせる、虚ろな目で少女がバーンダーバを見る。唇はしばらく水すら飲んでいないのかカサカサで、頬も痩せこけている。


 バーンダーバは魔界の子供達を思い出して胸が苦しくなった。


「ひっ」


 バーンダーバの背後の空を見上げて少女が小さく悲鳴を上げた、そこには翼を広げて降りてくるロゼの姿があった。


「大丈夫、私の仲間だ」


 笑顔を向けるバーンダーバを少女が困惑の顔で見る。


「信じらんねぇ、なんであの高さから飛び降りて無事なんだよ」


 セルカが呆れた顔でバーンダーバを見る。


「それよりセルカ、食料と水を出してくれないか。傷はなさそうだが酷く弱っている」


 バーンダーバの前にいる少女の様子を見てセルカがリュックを下ろして鍋と食料を取り出した。


「フェイ、これに水を入れてくれ。かなり弱ってるし乾燥した食い物じゃしんどいだろ、すぐにスープ作るから待ってくれ」


 バーンダーバは少女の首縄を掴んで千切った、少女の首は痛々しく擦りきれ赤く腫れていた。


「フェイ、回復魔法を」


「はい」


 魔力を込めたフェムノから銀色の光が少女の体を包む、痛ましかった傷が綺麗に治っていく。少女が驚いた顔で傷のあった首を触る。


「あ、ありがとうございます」


 礼を言って頭を下げる少女、その横でカルバンがバンの千切った首縄を拾い上げて渋い顔になる。


「バン、これは奴隷の証の首縄だ。勝手に外したら窃盗で捕まる」


「血が流れていたから取ったんだが、すまない」


 バーンダーバがすまないと思っていない顔で謝る。


「やってしまった物は仕方ない、お嬢さん、何処から逃げて来たんだ?」


 少女が瞳に恐怖の色が浮かぶ、目に見えて身体が小刻みに震え始めた。


「カルバン、食事の後でもいいだろう、今は落ち着かせる方が先決だ」


「……分かった」


 なにかを言いたそうだが、カルバンは言葉を呑んだ。


「あの、大丈夫です。助けてくれてありがとうございます、私はアビーです、ここはどこですか? ルイズベルに行くのに道に迷って、お爺さんに逃がしてもらったのに、分からなくなって。ルイズベルの叔父さんの所に行かなくちゃ、お母さんとお兄ちゃんが捕まってるから」


 早口で話しながら、アビーの目に大粒の涙が溜まっていく。


「落ち着きな、ほら、スープだ。慌てずにゆっくり飲むんだぞ」


 セルカがアビーにスープを差し出すが、アビーは頭を振って受け取らない。


「お母さんとお兄ちゃんもお腹空いてるから、アビーだけ食べれない」


 アビーは口をぎゅっと結び、セルカを見た。10才にも満たない少女の健気な言葉にセルカも胸が詰まる思いがした。


「これからお母さんとお兄ちゃんを助けに行くんだろう、なら、そんなにふらふらじゃ途中で倒れて助けに行けなくなっちまう。しっかり食べて助けに行こう、話しもゆっくり聞かないと分かんないからな」


 セルカがゆっくりと言い聞かせるように話すと、アビーは少し考えてから器を受け取った。


「ありがとうございます」


 アビーはまたお礼を言ってから、ゆっくりとスプーンでスープを掬って口に運んだ。


「いいんだ、随分と言葉が綺麗だね、アビーは貴族かな?」


「はい、アビリシア・ラシュフォードです。シュルスタに住んでましたが、戦争になって負けました。お父さんは騎士だったので、戦争で死にました」


 言葉の最後はか細い、ほとんど欠き消えそうな声だった。


「シュルスタ、シュルスタ!? なんでシュルスタが戦争なんか、どこと戦争になったんだ?」


「ノインドラとルイズベルと戦争になりました」


「はぁ? 同盟国じゃねーか!」


 セルカが裏返った声で叫び、思わず立ち上がった。


「セルカ落ち着きな、嬢ちゃん話しは後だ。先ずは飯を食っちまいな」


 アビーの話しにどんどん感情が高ぶっていくセルカ、ロゼに止められた後もぶつぶつと呟いて考え込んでしまった。

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