商人カルバン。2

「お前はなにも分かっていない、お前の慕っていた魔王も含め、なにもだ」


 カルバンは淡々と喋り始めた。


「さっきの話じゃ、お前は恨めしそうにクライオウェンの王を罵るが、金を払えば無制限に食料が手に入るとでも思っているのか? そんなワケがないだろう、よく考えれば分かるはずだ」


 カルバンが懐から羊皮紙と羽ペンを取り出して、なにやら書き始める。


「いいか、まずは魔界の人口だが、ざっと数十万人と言っていたな?」


「恐らくだが、それくらいだろう」


 カルバンが羊皮紙に羽ペンを走らせる。


「では、ここでは50万人と仮定して話を進める。クライオウェンは現界最大の都市だった、人口は首都と周りの大小の街村を合わせて100万人以上はいた」


 1,000,000と記す。


「この内、何人が食料を生産していると思う?」


 バーンダーバは魔王への侮蔑で苛立った頭を深呼吸で落ち着かせ、羊皮紙に眼を落として考える。


「そうだな、街のなかには色々な職業の人間がいたから、半分くらいだろうか?」


「大ハズレだ、人口全体の内、農業に従事している者は約80%。100万人いれば80万人は農業をしている、それでやっと食料はすこし余る・・。余りは棄ててるワケじゃない、備蓄しておいて敵が攻めてきたときの兵糧や、不作だった時や災害で失った時の為に残しておく。他には売ったりもするが、それは特産品等が主だ。食料は基本的に自国で全てを消費する。どうだ? 言ってる意味が分かるか?」


 羊皮紙には余りの食料は1年分とある。


「つまり、魔界へと送る分は……ないのか?」


 バーンダーバは羊皮紙を見つめながら、背中に冷たい物が流れるのを感じた。


「そういう事だ。不可能という事はないが、50万人を満足させるだけの食料を送り続ける何てのは不可能だ。もっと言えば、魔石も沢山あればあるほど価値は下がる。理屈が分かるか?」


「それは希少価値の話だな、同じ物でも多ければ価値が低くなり、少なければ価値が高くなるという」


 答えながら、バーンダーバはカルバンへの反論で頭がいっぱいになっていた。


「そうだ、魔石も魔族が山ほど持ってくれば価値は下がる。そして食料は減る一方だから価値は上がる」


「だが、それならば食料を他の国から買ってきても良かったのではないか? それだけでは私だって納得はいかない、クライオウェンの王は他にも魔界へと食料を送る方法があったはずだ!」


 そうでなければ、クライオウェンを攻めた魔王が何もかも悪になる。「あれは仕方なかったんだ」と、バーンダーバの頭には反響していた。


「1つずつ説明して、お前のユルい考えを改めて貰おう。まず、なぜ他所の国から食料を買えないか。クライオウェンはどちらかと言えば鎖国のような体質の国だった、国民には貿易を禁じていたし、人の往来も規制があって自由ではなかった。そんな国がいきなり飢饉でも災害でもないのに大量の食料を買い込もうとすればどう思うかだ?」


「説明すればいいだろう、魔界へと食料を送る為だと」


「なん十万年と侵攻を繰り返してきた魔界に食料を送ってあげるから売ってくれってか? そんなことを言えば国の信用は地に落ちるだろうな」


 駄々をこねる子供に諭すようにカルバンは辛抱強く話す、だが、その目は憎しみを持った冷たい目だ。


「そして、魔界へと食料を送ることを黙って他所の国から食料を買い込むとすれば、他国から見れば戦争の準備かと思われるだろう。肥沃な土地の国が食料を買い込む合理的な言い訳が何処にある?」


 立ち上がっていたバーンダーバがゆっくりと椅子に座る、そこに答えを探すように羊皮紙を見つめるが、バーンダーバは大きく息を吸っても言葉に出来ずそのまま吐き出すしかない。


 バーンダーバは今まで、現界へ侵攻したことをクライオウェンの王にも、いや、クライオウェンの王にこそ原因があると心のどこかで思っていた。


「お前の魔王は、魔石を倍の量を渡したら倍の食料を渡せと言うが、元々が魔石というのは贅沢品だ。無いと生活が困るような物じゃない。それを山ほど送られたら、価値は下がるばかりだ。逆に、食料は急に増やせる物じゃない。お前は畑を耕す大変さは分からないだろう? 木を切り、石をどけ、土を掘り返すには1年かかる。そこから種を植えて収穫までにはさらにかかる、それに、国というのは元々が人口に対していっぱいいっぱいで食料を生産しているものだ。畑を増やそうにも畑を耕す人間だっていない」


 バーンダーバは黙っている、他の誰も、なにかを言うことはない。


 バーンダーバは大事ななにかが崩れていく心地を感じていた。


「少しは分かったか?」


「……ならば、なぜ魔族に土地を分けてくれなかったんだ。食料を送れないならばせめて」


「お前は、現界に来て自分は魔族だと名乗っているんじゃないのか? そこで学ぶ物はなかったのか? 数十万年、唯々お前ら魔族は奪う・・しかしなかった。そんなお前らに、土地を貸せると思うか? 魔族をお隣さんにしたいと思うか? 信用を得たいなら、せめて迷惑をかけた時間と同じだけの時間をかけてほしいものだな。数十万年かけて侵攻を繰り返し、何千万の命を奪い続けたんだ。それならば数十万年かけて信用を取り戻せ。まだそんな事も分からないのか」


 バーンダーバの脳裏に、グレイソードのアニーの顔が浮かんだ。


『命を助けていただいて、ありがとうございます。ですが、貴方が魔族と知った今は、貴方と火を囲んで語らう気にはなれません。私は、魔族を赦すことは、できません。貴方を殺す気にも、なれない』


 バーンダーバは隣に立つフェイの顔を見た、フェイはまっすぐバーンダーバを見ている。


 フェイの表情に不安はない、優しく微笑んでいる、バーンダーバへの信頼がそこにあった。その顔を見ただけでバーンダーバは勇気づけられた。


「俺は冒険者ギルドお抱えの商人だ、イオレクさんの厚意で働いてる。それでもこの話しは断りたい、お前さんと関わってこれ以上、商人としての信頼を損ねたくない。悪く思わんでくれ」


 広げていた羊皮紙をくるくると丸め、内ポケットに仕舞う。


「……困難な事は分かっている、それでも私は諦める訳にはいかない。信頼が無いならば信頼される行動を取る、行動し続ける。わざわざ話してくれてありがとうカルバンさん、少し道が見えたような気がする」


 カルバンの言葉が正しいのだと、バーンダーバは理解した、そして、信頼を得るには行動しかないとも学んだ。


 真っ直ぐにカルバンを見る、バーンダーバはもう一度"諦めない"と自分の心に言い聞かせた。


 意外な物を見るように、カルバンの表情が変わった。


「以前にクライオウェン出身の者に出会い話しをした事がある、その時、その者に誓った。死ぬまで贖罪を続けると」


「許しを乞うならやめておけ、誰も許しはしない。そんな事をするならさっさと魔界へ帰った方がいい」


「いや、許される物じゃない、それは分かっている。だが、だからといって何もしない訳にはいかない。私は現界で救えるだけ人を救いたいと思っている、私は愚かで、お世辞にも賢いとはいえない。だから単純に魔族が殺めた数だけ人を助けようと、そんな事しか思いつけないだけだ。そして、魔族が現界へ侵攻するのを止めたいと思っている。ここにはもう、私にとって大事な人が大勢出来た」


 以前のバーンダーバなら、カルバンの話を聞いただけで心が折れていたかもしれない。


 だが、今のバーンダーバには信頼してくれる人がいる。


 それだけでバーンダーバはまっすぐにカルバンを見つめ返す事が出来た。


「どうだ? 俺はこの馬鹿な魔族にダニの糞程度だが、魔界の侵攻を失くせるかもしれねぇって思って冒険者ライセンスを渡した。カルバン、お前もどうせもう失うモンなんてねーんだ。ダニの糞程度の希望だが、乗っかってみねぇか?」


 ギルドマスターが満足そうな顔をしている。


「…… ダニの糞か」


(国家予算規模の金額を稼いで勇者に飛空艇を提供する)


 自分の目標も、周りには絶対に無理だと散々言われた。


 最後までは出来なかったが、後一年あれば出来たとカルバンは確信している。


 そんな自分が他人の夢を「不可能」だと言っているのが、自分に不可能だと言っていた者達の側に回ったようで心の何処かがチクリと傷んだ。


「俺も焼きが回ったな」


 カルバンはまた懐から羊皮紙を取り出し、黙りこくって考える。


 たまに羽ペンを走らせるが、羊皮紙に染み込んだインクが描くのは誰にも判別のつかない記号。


 自分の考えをメモする際、誰にもアイデアを盗まれないためのカルバンが考えた文字だ。


「いいだろう、どうせイオレクさんの頼みだ。俺が魔法都市での商いを引き受けよう」


「ありがとう、よろしく頼みます」


 バーンダーバの差し出した手を、カルバンは少し躊躇ってから軽く握ってすぐに放した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る