慟哭、咆哮。

 手から離れたフェムノが叫んでいるが、意識を手放しかけているフェイの耳には言葉を聞き取ることが出来ない。


 あるのは焼けつくような痛み。


 胸から止めどなく流れる血に掌をつける。


 意識が揺らぐ。


 虚ろな目で、ゆっくりと剣を振り上げる岩人形ゴーレムを見上げる。


 岩人形ゴーレムの脇腹には、フェイが切り裂いた傷は跡形もなく消えていた。


 自分がありったけの力でつけた傷はいとも簡単に塞がったらしい。


 あまりの無力感にフェイの身体から力が抜ける。


 弾き飛ばされたフェムノが遠くで叫んでいる。


 あそこに行くまでに、フェムノを拾い上げる前に自分は殺されるだろう。


「かはっ」


 咳き込むと血を吐いた、肺が握り潰されたように痛む。


 胸の傷は臓器まで達している、それなのに、先ほどまでの胸を焼くような痛みは徐々に薄れている。


(死ぬ時は、こんな感じなんだ。なんだか、荒野でベヒーモスに殺されそうになった時とは随分と気分が違うなぁ。あの時は別に死んでもいいやって思えたのに、今はスッゴく嫌だ、死にたくない)


 一筋の涙が頬を伝う。


 目の前にいる岩人形ゴーレムの動きが酷く緩慢に見える、もう既にフェムノの身体強化も思考速度上昇の効果も切れている。


 それなのに、今のフェイには戦っている時よりもずっと遅く時間が流れているように感じた。


(変なの)


 フェイはそれを最後に思考を止めた。


 目をゆっくりと閉じて、瞼の裏に、今の自分にとって一番大切な人を写し出した。


 黒曜石の剣が振り上がり、頂点まで達する。


 その時だった。


 フェイと岩人形ゴーレムから離れた位置で爆発が起こった。


 岩人形ゴーレムの手が止まり、爆発から距離を取る。


 フェイが閉じた眼を開いて上を見ると天井に穴が空いている、何かがあそこからやってきたらしい。


 また立て続けに爆発が起こった、穴がみるみる大きくなる。


 もうもうと上がる土煙でなにも見えない、上から何かが降ってきた。


 何かは土煙の中に降り立つと、一瞬で煙が霧散した。


 コートを翻させた男が弓を構えると岩人形ゴーレムは呆気なく穴だらけにされて地面に崩れ落ちた。


「…… バン?」


 フェイの呼び掛けは、掠れて声にならない。


 その声が最後の力だったのか、膝立ちでかろうじて支えていた身体が倒れる。


 地面に肩がつく前にバーンダーバが身体を支えた。


「ああ、フェイ。何て事だ」


 フェイの傷を見たバーンダーバが震えた声を出した。


《バン! 我はここだ! 今すぐに魔力を寄越せ!》


 フェムノの声に反応したのはすぐ後に降り立ったロゼだった、ロゼは抱えていたセルカを下ろすとフェムノを拾い上げてバーンダーバに向かって投げる。


 バーンダーバは飛んできたフェムノを掴むと同時に魔力を流し込んだ。


 そのあまりの魔力量に空間全てが銀色の閃光に包まれる。


「どうだフェムノ! フェイは治ったのか!?」


《…… 分からん、我は傷は塞げるが、失った肉体を修復することは出来ない。血も同様だ、フェイは血を流しすぎている》


 バーンダーバが腕の中のフェイを優しく抱き締める、フェイの身体は血を失いすぎたせいで冷たい。


「そんな、私は、また、護れないのか……」


「バン?」


 微かな声がバーンダーバの耳に届く。


「フェイ! 大丈夫か?」


「…… アナタに、会えて良かった、、旅が出来て良かった」


 フェイがバーンダーバの頬に触れる、その顔は死を前にしているとは思えないほどに穏やかだ。


 頬に触れた手が、力なく落ちていく。


「嫌だっ、フェイ、頼む、目を開けてくれ」


 フェイの眼は閉じられたままだ。


「なぜだ、なぜ私は、大事な人を護ることが出来ない。なぜ大事な時に側にいない……」


 腕の中で命の火が消えるのをただ見ているしか出来ない。


「……くそ、、くそぉぉぉおぉあ"あ"ぁぁぁぁっ」


 バーンダーバの慟哭が響く、涙が溢れ、何もかもが霞んでいく。


 ロゼとセルカはなにも言わずに、なにも言えずにただただ見ているしか出来ない。


 ふと、セルカが崩れた岩人形ゴーレムの残骸が淡く光るのを見た。


 歩み寄って光を探して残骸をよける、少しすると光の正体が現れた。


 掌ほどの小振りな瓶、首が細く、首の先にはガラスのキャップがしてある。


 なんだろうかとセルカが掲げて底を見る。


 その時、セルカの脳裏に閃きがよぎった。


「バンっ! フェイが助かるかもしれない!」


 バーンダーバの元へ走る、すがるような目でバーンダーバがセルカを見上げる。


「確信はないけど、もしかしたら大霊薬エリクサーかもしれない。でも、違ったら白金貨100枚を捨てる羽目になる」


 セルカがそれ以上何かを言う前に、バーンダーバが小瓶の首をへし折ってフェイに中の液体をかける。


 1秒。


 2秒。


 永遠のように感じる時間が流れる、なにも変化は起こらない。


 3秒。


 4秒。


 5秒。


 フェイの身体が金色に淡く光り始める。


 弱かった光が徐々に強くなり、全身を包んでいく。


 みるみる顔色に赤みがさしていき、失っていた左の手首を金色の光が形造ると元通りに再生された。


 フェイの身体を完全に癒すと、光は現れたときのようにゆっくりと消えていく。


「フェイ、フェイ!」


 バーンダーバが優しく揺する、フェイの表情が「んんっ」という唸り声と共に険しくなる。


 フェイがパッと目を開いた。


「あれ? 私、なんで?」


「よかった」


 バーンダーバがフェイをギュッと抱き締める。


「ちょっとバン! どうしたんですか!?」


 フェイの顔が耳まで真っ赤になる、バーンダーバの肩越しにロゼとセルカの顔を見る。


「全く、無事で良かったよ」


 ロゼも疲れたとばかりに大きくため息をついた。


「あぁ、運が良いんだか悪いんだか」


 セルカも疲れた顔でその場に座り込む、場の雰囲気に安堵の空気が立ち込める。


《お前たち、一体どうやってここへ来たんだ?》


 フェムノの問にセルカが天井を指差した。


「バンがあっちこっちに弓矢を撃ち込んでフェムノの真似事で魔力感知をしたんだ、それで」


 セルカの言葉は地響きと揺れに遮られた。


「今度はなんだよっ」


 セルカが首を回して周囲を見る。


《ふむ、迷宮が崩壊しそうになっているな。バンがそこらに穴を空けまくったせいだろう。かははははっ》


「なにが可笑しいんだよっ」


 セルカの突っ込みも、どんどん大きくなる地響きに欠き消される。


 ドーム状の壁のそこかしこに亀裂が走り、大きな岩が落ちてくる。


 ここにいれば確実に生き埋めになる。


「どうすんだ!」


「安心しろ、誰も死なせはしない」


 フェイを下ろし、立ち上がったバーンダーバが弓を構えて天井に向ける。


 バーンダーバが具現化した弓矢に魔力を込める、いつもはぼんやりとしている弓の輪郭が光沢を放つようにはっきりと現れる。


 矢に集中した魔力は空気を震わせるほどに張り積め、今にも弾け飛びそうなほどに脈打っている。


 フェムノがそれを見て僅かに戦慄した。


(…… これは、化け物か)


 バーンダーバが矢を放った、次の瞬間には同じ軌道で同じ威力の矢が立て続けに後を追う。


 魔力の矢が、まるで滝が逆流するかのように天井を穿つ。


 見るまに天井に巨大な穴が開いていく。


「お"お"ぉぉぉぉぉお"ぉぉぉぉっ」


 雄叫びと共に魔力を放出する。


 それに戦慄するのはフェムノとロゼ。


(これが、闘争の龍アグレスドラゴンを退けた男の本気かい。化け物だね)


 現界、魔界を合わせても十指に入る使い手の2人をして"化け物"と言わしめた。


 魔力の奔流が途切れると、バーンダーバはその場に倒れ込んだ。


 頭上には夜空の月が見えるほどの大穴が開いている。


 迷宮の崩壊がさらに進む。


 ロゼがドラゴンに姿を変え、倒れたバーンダーバを咥える。


『セルカっフェイっ、速く乗れっ』


 セルカとフェイが飛び乗るとロゼが翼を羽ばたかせて穴に向かって飛び上がる。


 もう既にドーム状の空間の半分が瓦礫に埋まっている。


 大穴が上から崩れ落ちて、見上げる月が隠されていく。


 落ちてくる岩を避けながらロゼが上空へ羽ばたく。


 大穴から飛び出した瞬間に迷宮が完全に崩壊した、上空から見下ろすと荒野の地面が広範囲に陥没している。


『ギリギリだったな』


「死ぬかと思った」


 ロゼが崩落した場所を避けて地面に降り立った、咥えていたバーンダーバを下ろすとフェイが駆け寄る。


「バン、大丈夫ですか」


 膝に抱き寄せて静かに声をかけた。


《魔力が一気に枯渇したせいだろう、すぐに目を覚ますはずだ》


 フェムノの言葉通り、バーンダーバがゆっくりと目を開いた。


「…… フェイ、無事で良かった」


 フェイの顔を見上げてバーンダーバが笑った。


「はい、お陰さまで」


 フェイも笑顔を返した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る