エピソード、フェイ。
《フェイ! しっかりしろ!》
フェムノの叫び声が頭に響く。
頭痛も相まってぐわんぐわんと視界が歪んで、目に入る全部が廻って見える。
吐き気を堪えて落としたフェムノを拾おうと手を伸ばすと、左腕の手首から先がなかった。
血の気が引く、状況を思い出して急いで右手で剣を拾い上げる。
痛みで霞む視線の先には3mはありそうな巨大な
黒曜石で出来たような光沢、足は2本、手が4本。
全ての手に身体と同じ材質の剣を持っている。
3階層で壁の魔法陣を起動させ視界がぶれると次の瞬間には景色が入れ替わっていた。
目の前に黒い石像が立っていて、いきなり剣で斬りつけられると体が吹き飛んだ。
剣を構えて
凄まじい
(あぁ、自分はここで死ぬのか……)
そう思いながら、それでもフェイは剣をしっかりと握りしめた。
───いいのよ、気にしないで。気を使わせてごめんね───
また戦いの中で反れていく思考が想うのは、忌まわしい故郷での出来事。
(なんでいま、あんなこと思い出すんだろ)
===============
中央大陸の東に広がる大森林。
緑に輝く太古の森。
広大な森林の中、高く高くそびえる神聖樹ファランツリーの中で暮らす森の民、エルフ族。
神聖樹を統治するのは女王フィリア・ファランツリー。
フェイは女王フィリアの第一子として産まれた。
寡黙なエルフには珍しく、屈託なくよく笑う女の子。
自分は女王の娘という自覚を持って、みんなの模範になるように、常に自分を律するようにと母親に言い聞かされて育った。
母親の教えの通り、自分を律し、芯のある強い女性として振る舞った。
「次期女王は賢君であらせられる」
「女王陛下も自慢の姫君だ」
「神聖樹は向こう1000年も安泰である」
そんな声の中で、重圧とも言える中でもフェイは強くあった。
そんな彼女の最大の転機。
許嫁のアルセンに勇者の紋章が現れた時、周囲の反対を押しきって共に旅立った。
最初はアルセンでさえ旅に同行することを渋った、むしろ「ついてきてくれ」と言われると思っていたフェイはそれが意外だった。幼い頃からずっと一緒に、どんな時も2人だったのに。
それでも、どうしてもフェイはアルセンの助けになりたかった。
だが、共に旅立って神聖樹の結界から出ると襲い来る魔物達との戦いにフェイはアルセンの足を引っ張るばかり。
他の事で役に立とうとしてはみた、少しでも戦えるようになろうと努力もした。それが普通の、少し世界を見て回るような旅なら問題はなかった。
"魔王"を倒すという修羅の道には、同行は不可能だった。
神聖樹を旅立ち十数日、もうすぐ大森林を抜けようかという時だった。
「フェイ、この森の魔物にも苦戦する僕には、フェイを護りながら魔王を倒せるだけの力はない。すまない、故郷で待っていてくれないか」
アルセンの言葉に、フェイは頷くしかなかった。
──── アルセンは、何かを誰かのせいにすることはない、私が旅についていけないのは、私に力がないからだ。
フェイは痛いほどに分かっている、それなのに、フェイが旅に付いていけない理由をアルセンは"自分が弱いせいだ"と言う。
このまま無理についていっても、アルセンを傷つけるだけだ。
「フェイ、僕は必ず魔王を倒して神聖樹に戻る。必ずだ。だから、僕を信じて待っていてくれないか?」
俯くフェイに、アルセンが優しく語りかける。
「うん、ごめんね。ついていきたかったけど、私は戦うのが苦手みたい」
フェイは努めて明るく答えた。
「謝らないでくれ」
アルセンが俯くフェイの手を取り、両手で大事な物を包むように手を握る。
「僕が戻ったら、結婚しよう」
涙を溢して、フェイは頷いた。
アルセンはフェイを神聖樹まで送り届けて、再び魔王を討つ旅に戻った。
フェイは神聖樹に戻ってから、アルセンの旅についていくことは出来なくなったがそれでも強くなる努力を続けた。
里の者達はそれを見て"なんと健気な姫君か"と、瞳に涙を浮かべて見守った。
3年。
長命のエルフ族にはほんの一時のような時間だが、アルセンの帰りを待つフェイには永遠のように感じられた。
アルセンが見事、魔王を討ち取り現界から魔族の脅威を祓ったと風の知らせで聞いてから、フェイは神聖樹にある最も高い窓から毎日大森林を見下ろしてアルセンの帰りを待った。
数週間後、アルセンが神聖樹に帰還した。
大歓声の中で迎えられるアルセンの後ろには、黒髪を頭の後ろで束ねた長身の美しい女性がいた。
目付きは鋭く、戦う事に不向きなフェイから見ても凄まじい闘気を感じる。
なんとなく、フェイは胸騒ぎを覚えた。
アルセンはフェイを見つけると、眼をぎゅっと瞑ってから意を決したようにフェイの元へと歩きだした。
───── あれはなにか言いにくい事がある。
幼い頃から一緒に育ったフェイには、アルセンの表情1つで何かを察した。
回りの者達が、アルセンに姫君までの道を開けた。
割れた群衆の間をアルセンが歩いてくる、フェイの元へとまっすぐ。フェイはそれを何処か上の空で眺めた。
フェイの後ろには、フェイの母親である女王も立っていた。
それでもアルセンは視線もまっすぐに向けたまま歩いてくる。
変わらないなぁ、フェイは密かにそう思った。
何事にも逃げずにまっすぐ向かっていく、旅立った時のままのアルセンだ。
アルセンはフェイの前に立つと、両膝をついて両手の平をフェイに向かって広げた。
エルフ族の謝罪の所作だ。
女王の眉間に皺がよる。
集まっていた者達のざわめきが静まる。
静寂の中で、アルセンが口を開いた。
「フェイすまない、僕は君を裏切ってしまった。僕には、君よりも大事な人が出来た」
なんとなく、予感していたのに、久しぶりにアルセンを一目見ただけで、その言葉が浮かんでいたのに。
現実を突きつけられるとフェイの心臓は激しく脈打ち、心が急激に冷えていくのを感じた。
アルセンが、初めて視線を泳がせた。
それを見てフェイは自分がいま、どんな顔をしてるんだろうかと思った。
「アルセン、何を言っているのか分かっているんですか?」
凄まじい形相で女王がアルセンを睨む、元より肌の白い女王の顔色が、陶器のように蒼白になっている。
「お母様、お待ち下さい。アルセン、まずは魔王討伐おめでとうございます。その、わざわざ来てくれてありがとう。気を使わせてごめんね」
なにかを言わないと、その一心でフェイが一歩前に出るとアルセンの後ろに立つ女性と目があった、鋭い目付きのままフェイを見つめている。
数瞬、見つめ合うと女性はそっと視線を外した。
「フェイ、彼女を責めないでくれ。僕が全て悪いんだ」
責める気なんて一切なかったフェイは、アルセンのその言葉が逆に辛く感じた。
「責めるなんて……」
「もういいでしょうフェイ。アルセン、何も聞きたくありません。貴方は未来永劫、この神聖樹に足を踏み入れることを許しません。貴方の偉業に免じて処罰は無しとします、即刻出ていきなさい」
女王の言葉は稲妻のように鋭く響いた。
アルセンはゆっくりと立ち上がる。
フェイはまだ話したい事が山のようにあった。
でも、何も言うことは出来なかった。
去り行くアルセンの背中を見ているしかなかった。
それから半年もしない内に、フェイは神聖樹を旅立った。
3年間、強くなる努力を続けたフェイは初めてアルセンと旅に出た時、まるで敵わなかった大森林の魔物を倒せるようになっていた。
少し、自分に自信が持てた。
大森林を出て、冒険者になって中央大陸をあちこち旅した。
美しい物を見て、美味しい物を食べて。
こんなにも世界は広いのかと感じた。
でも、フェイの心は何も満たされない。
あの時から冷えきったまま。
自分でも分かっていた、自分は旅がしたかったんじゃない。
アルセンと一緒にいたかっただけ。
どんどん空っぽになっていく心、凍てついた心は何かの拍子にピシリとヒビが入っていく。どれだけ時間を掛けても温もりを感じない。
フェイはいつからかあてもなくただ歩くだけになっていた。
いつの間にか、見渡す限り岩と土しか見えない荒野にいた。
歩いていると横合いから突然ベヒーモスに突き飛ばされ、数度回転して荷物も飛ばされた。
腰から剣を抜いて応戦したが、すぐに刃は中程から折れた。
なんて自分は無力なんだろうか。
アルセンに別れを告げられた時、アルセンの恋人を見た時。
怒りは湧いた。
それはアルセンに対してでも、女性に対してでもない。旅について行けずに、アルセンを支える事が出来なかった自分に対してだった。
アルセンの後ろにいた彼女が最後まで支えたのだ。
アルセンの旅を支えたのだ、共に魔王を倒したのだ。
自分ではない。
自分は、森から出ることすらできなかった。
そんな自分に、アルセンの隣に立つ資格はない。
ベヒーモスが鋭い牙を剥いて唸る。
───── そんなに睨まなくても、自分にはもう戦う気力なんてない。空っぽの自分を食べても、ベヒーモスはお腹が膨れるんだろうか?
訳の分からない事を考える。
ベヒーモスがもう一度大きく叫び、フェイを喰らおうと踏み出した瞬間だった。
ベヒーモスを蹴り飛ばしてフェイとベヒーモスの間に割って入った男。
一瞬でベヒーモスを仕留め、振り向いた男を見てフェイは心臓が止まりそうになった。
アルセンにそっくりな顔で、自分と同じ空っぽの眼をしたみすぼらしい男。
それがバーンダーバだった。
なぜか一緒にご飯を食べて、何年かぶりに笑った。
一緒に旅をして不器用なバーンダーバの助けになれればと思った。
同行を断られた夜も、もしも断られたらこう言おうと思って用意していた言葉で強引に同行をお願いした。
───── 最後はバンがお酒に酔って一緒に旅をしようと言ってしまっていた感じだ、今も、私を旅に誘ったことを彼は後悔しているだろう。
フェイはそう考えている。
フェイは、未だに自分を呪い続けている。
ロゼが一緒に旅することになり、自分はまた足を引っ張ることになる。
───── 嫌だ。
───── イヤだ。
───── いやだ。
===============
「もう、置いていかれるのは」
ぼそりとフェイが呟いて、眼前に迫る
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