第503話「新天地に向けて」
さてと……随分と長居をしてしまったが、今日でさよならだな。
朝起きてすぐのぼんやりした頭でそう考える。そう、今日でこの町を出ていくのだ。なかなか面倒なこともあったがそれなりに儲けたし、楽しかった町だ、離れるのが悲しいわけではないが、ほんの少しの寂しさもあった。
自分が一つの町にそこまで思い入れを持っていることに少しだけ驚いた。基本的に町など通過点であり、魔族討伐のための拠点くらいにしか考えていなかった時代もあったな……
でも、今じゃあ俺は自由な身だ、少しくらい滞在が長くなっても問題無い。しかしまあこの町とはおさらばだ。最後の飯を食べるために食堂に行くか。
食堂では様々な香りが漂っていたが、俺は迷わず『日替わり定食を頼む』と言っていつものものを注文した。いろいろなメニューがあるが、旅立ちの日に特別なものは必要無い、むしろいつも通りのものの方がいいくらいだ。
「お待たせ、オーク肉のハーブ焼きだ」
薄切り肉にハーブをまぶして焼いたものが出てきた。旅立ちにあまり重いものを出されても困るので非常に助かる。
それを口にしたのだが、ピリリと辛く香り高いハーブが使われており、結構な品だった。上品とは言い難いが、庶民の食べられるものとしては結構な美味しさだ。この町にいる最終日に、こんないいものが出されたのは本当に運が良い。
一口一口噛みしめながら白パンと一緒に食べていき、十分に満足したところで席を立った。おかわりも金を払えばできたのだが、なんだかそれは後ろ髪を引かれているようで女々しいのでやめた。
宿の会計を支払うときに延泊の予約をしなかったので、受付の人も察してくれたのか『ご利用ありがとうございました』と簡単なお別れの言葉をかけてくれた。
宿を出たら後は町を出るだけだ。楽しいことも割とあったな……
思わず笑みがこぼれてしまう。なかなか居心地の良い町だったな。さて、それじゃあ町の門に行くとするか。きっちり町を出たことを記録に残してもらわないといつまでも滞在しているような記録が出来てしまうからな。
そこに向かっていると、よく知った顔が向こうからやってきた。
「クロノさん! その……ありがとうございました! お元気で!」
エーコはそう言い、俺を見送ってくれるために来たようだ。さすがにもう引き留めはしないのだろう、残ってくれとはおくびにも出さなかった。
「ああ、さよなら、エーコ」
「ええ、さよならですね……楽しかったですよ?」
「そいつは何より」
うん、多少は楽しめたようで何よりだ。俺の苦労など知る必要が無い、コイツには楽しかったことだけ覚えていてくれれば十分だ。
「ああそうだ、餞別にこれをやるよ」
俺は一本のエリクサーを収納魔法で取りだしてエーコに手渡した。上級品というわけではないが、一度くらいピンチになったときに完全回復は出来るだろう。どうせ無茶をするのは目に見えているので一度くらいは助けてやるのも悪くないさ。
「いいんですか!? これ……エリクサーじゃ……」
「いいんだよ、素直にもらっておけ。出来ればお前がそのエリクサーに頼らずに済むように祈ってるよ」
エーコは目を潤ませてこちらを見てきた。なんだよ、俺はそんな尊敬されるようなことはしていないぞ。
「ありがとうございます! クロノさんにいただいたものとして大事に使わせていただきますね!」
「いや……それを使うような事態になって欲しくないんだがな」
俺の話は聞いていないようで、ぺこりと頭を下げて俺を見送ってくれた。まあ戦闘のセンスも多少上がったようだしそこまで心配することもないのかもしれないな。
そうして俺は町を出るべく門に向かった。そこでは門兵が朝早いせいだろう、ぼんやりとしながら入出の管理をしていた……と言っても入ってくる人はいない様子だったがな。
「おはようございます、この町を出ようと思いますので入町記録からの削除をお願いします」
「……!? はっ!? はい! 出て行かれるんですね、お名前は……ってあの我が儘娘の世話をしていたクロノさんですか」
驚かれたようだ。というかエーコのやつそんなあだ名を付けられていたのか、気の毒なやつだな。
「本当に出て行かれるんですね?」
「ええ、多分この町は大丈夫そうですしね」
「ハハハ……我々の仕事が増えそうですな」
門兵さんはそんなことを良いながら、俺の名前を入町記録から削除してくれた。これで俺は出て行く準備が完全に整った。
「それではお元気で」
「クロノさんの旅の成功をお祈りしています」
別に目的のある旅ではないのだが、善意から言ってくれたのだろうし、俺は頷いて門をくぐった。これでこの町ともおさらばだ。
さて、門から離れないとな……
俺は町の門を離れ見えないところまで移動した。
『クイック』
加速魔法を使用して町の周囲を駆け巡る。オークやオーガを片っ端から狩りつつ収納魔法に死体をしまっていった。ナイフで片っ端から頭を切って絶命させていく。しかし数が多めだな……
うんざりするほど倒した後で探索魔法を使用して、強力な魔物がほぼいなくなったことを確認する。これでエーコのやつが無茶をしようにも出来ない状態になった。これで平和は取り戻されたな。
俺のやったエリクサーを必要とすることもないだろう。スライム相手にエリクサーを使用するやつなんて聞いたこともないしな、平和そのもののこの町の周囲で危ないことをすることもないだろう。
平和が実現した町の周囲を確認してから加速魔法を解除して道に戻った。これで一つの町が平和になったな……ギルドで報酬が欲しいくらいだ、いや、勝手にやったことでもらえるはずもないな。仕方ないか。
そうして俺は道を行く。退屈な道の途中に時々魔物が出てくる程度で、時間停止を使用して動きを止めてから先に進んでいった。
もう魔物の生息範囲が町まで伸びることはないだろうし、動きだけ止めておけば殺すこともないだろう。
『ストップ』
迫り来るブラッドウルフを時間停止で止めて、そのまま先を行く、そこで二股に分かれた道に行き当たった。
俺は新しい場所へ行く道を選んで歩いて行く。新しい場所はどんなに楽しいだろうか?
期待もできるし不安もある。しかしその場に留まることだけは出来ないのだ。こうして俺は新しい町への道に入った。
あまり路面が綺麗ではないのであまり商人が来ないような場所なのだろう。俺はそこへ向けて歩みを進めていった。
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