第476話「ゴブリンの駆除、エーコを添えて」

 俺はその日、あまり素晴らしいとは思えない朝食を食べていた。理由は一つ、エーコに付き合った食事のおかげで脂を大量に摂取したからだ。脂身は美味しいが体に悪いこともよく知っている。少しでも健康的に生きていこうとさっぱりした朝食を食べることにしたのだ。


「味が薄い……」


 昨日の強烈な食事を経験したあとだと、宿の健康的な食事はあまり満足感がなかった。少しは美味しい食事のために体を動かすとするかな……なお時間加速で体から食事を抜くという方法は健康的に問題無かろうが精神面に問題があるのでお断りだ。


 微妙な食事を終えて宿を出る。町は平和に流れていた、まるで凪いだ水面の如く何事も無く人が目の前をせかせか動いていく。きっと多くの人はこの町の住人なのだろう。何せロクに観光客がいないのだから町で生きる人の大半は仕事に追われていることになる。


 その時頭の中でこの前俺が何度も蘇生させた高等遊民のことを考えた。エーコみたいな存在もこの町には少なくないのだろうか? 少なくとも目に付く範囲にそういった人はいなかった。


 俺もこの町にいる以上お勤めでもしようかと思いギルドに向かおうと決めた。大勢の人が働いている中でのんびり遊んで暮らすのは金が許しても気分が許さない。


 ギルドへ向かう道中にも大勢の人とすれ違った。誰一人として――期待していたわけではないが――挨拶の一つをくれる人もいなかった。どうやら労働というのは人から余裕というものを奪うらしい。もしかすれば……あるいは勇者たちが遊び歩いていたのは自分たちの人間性を維持するためだったのだろうか? そんな馬鹿げた考えが浮かぶほどにはこの町はよそ者に厳しかった。


 とはいえ観光客向けに町を改造するわけにもいかないので諦めてギルドのドアを開けた。見慣れた風景が広がっていたのだが、その中に昨日も見た顔を見た。


「オークを狩ってきた私がゴブリンを倒すのに何の不安があるんですか!」


「いや、どう考えてもエーコさんの手口じゃないですよね? 明らかにクロノさんがメインで倒したでしょう? そんな人にゴブリンを倒させるなんて出来るわけが……」


「あーもう! じゃああのクロノさんが居ればいいんですね? ちょっと連れてくるので待っていてください」


「いえ、待つ必要は無さそうですよ?」


 怒りをはらんだエーコがディニタさんの言葉に反応して彼女が見ている方に首を向けた。その視線の先にいるのはどう考えても俺だった、逃げ出したいなあと軟弱な俺は考えるのだが、逃げる先がないので全てを諦めた声を絞り出した。


「で、この状況はなんなんですか?」


 そう問いかけるとディニタさんは手招きをしてカウンターに呼んだ。そうして俺とエーコが集まり三人での会話が始まった。


「それがですね、大変困ったことにエーコさんがどうしてもゴブリン退治の依頼を受けたいと仰りまして……」


 わあ、なんて分かりやすい情報公開だろう! これだけの情報で先ほどの口論の理由も全て分かってしまった。出来ることなら分かりたくはなかったというのが正直なところだが……


「そしてクロノさんがいればこの受付も文句のつけようもないわけですよ! なのでクロノさんはゴブリン退治を一緒に受注する義務があるわけですね」


「クロノさんがいれば受注を許可するとは一言も言っていないのですが……」


 そう、俺の聞いたかぎりではオークを倒したのが俺だと言うだけで、俺がいれば受注を許可するなどとは一言も言っていない。物事は注意深く子細を聞かなければならない、オークを倒したという事実と受注許可は全くの別問題なのだ。


「何が問題だと言うんですか! クロノさんが一緒なら何の不安もないでしょう? 大体ゴブリン退治の許可が下りないというのが異常なんですよ! 私の実力をもう少し信頼してくれても良いでしょう? ね、クロノさん」


「……」


「なんで黙るんですか!」


 だってなあ……アレだけ助けてやってようやく依頼が完了したんだぞ? 役に立たないのは新人なら仕方のないことだがエーコの場合は足を引っ張ったというのが正しい。それなら何もしない方が良かったという悲嘆に暮れる事態だったからなあ。


「それで、クロノさんは依頼を受注してくださりますか? ゴブリン十匹につき金貨三枚です」


「ふむ、それならクロノさんの取り分は金貨二枚になりますね。私は謙虚ですから分け前は少なくて構いませんよ」


 分け前をもらう気なのか……俺に任せっきりになるのが確定しているというのに随分と自信満々じゃないか。是非とも謙虚という言葉の意味を辞書で確かめて欲しいものだ。


「まあ……お支払いの分け方はお二人の問題ですが……クロノさんは同意してくださるんですか? 明らかに乗り気ではなさそうなのですか」


「俺は面倒事は嫌いですし、エーコは安全に町の中で待っていてくれた方がまだマシ……」


「クロノさん? もちろん私が同行しても構いませんよね?」


 その言葉には迫力があった。少女の声なのだがどこか聞いた相手を同意させるような力強さを持っていた。しかし俺には断る勇気が……


「ダメですか……?」


 目を潤ませて上目遣いでこちらを見るエーコ。俺はそんなものにほだされたりはしない……


「ダメ……?」


「はぁ……分かったよ、ゴブリン退治くらいやってやる」


「やったあ!」


 すぐに笑顔に変われる情緒の変化は見習うべきものかもしれないな。あるいはエーコは商人として交渉術が重宝されるのではないだろうかと思ってしまう。


「ではお二人で共同受注ですね、処理しておきますのでお二人でゴブリンを適当な数ほど倒してきてください」


「はい!」


 いい声で返事をするエーコ。俺はコイツがあてになるとは欠片も思っていない。むしろついてこない方がいいのではないかと思っている。


「じゃあさっさと狩るぞ。エーコ、ついてこい」


 そう言ってエーコを町から連れ出した。門兵さんは『ご苦労さん』とだけ言って素通り出来た。


 そして町を出るとエーコはとんでもない声を上げた。


「で、ゴブリンってどの辺にいるんですかね?」


 ちなみに現在ここからやや離れたところにゴブリンがノロノロと歩いている。どうやらエーコはゴブリンを見たことがないようだ。あきれながらアレがゴブリンというものだと教えてやると即座に素早く突っ込んでいった。


 さすがにオークほどの相手ではないのでエーコでも戦いの末に倒すことに成功した。


「クロノさん……どうです!」


 自慢気に言っているエーコはボロボロだった。


「これを飲め、ポーションだ」


「ああ、これはどうもご親切に」


 そうしてポーションを飲んで怪我を治したエーコは俺の方に近寄って来て言った。


「クロノさんの実力も知りたいですし、あの辺に見えるゴブリンを倒してみてくださいますか?」


「別に構わんが……」


 俺は魔法など使うまでもなくゴブリンの方にゆっくり歩いて行って、俺に気がつき襲いかかってきたゴブリンの腹にナイフを刺した。一撃で死んだので余裕の勝利だ。


 手本を見せてやったのでエーコに『こうやって倒すわけだな』と言いながらゴブリンの死体を収納魔法でしまう。


「なるほど! 私でも倒せるのですが……いやー実に惜しいのですがクロノさんの名誉のためにあなたがゴブリンをたくさん倒したという名誉をあげましょう! なのでゴブリンを狩ってきて頂けますか?」


 もう言い返す気にもならずエーコを先に町の入り口に返して見えなくなったところで加速魔法を使った。


『クイック』


 あたりを風の如く駆け回ってゴブリンの命を刈り取ってストレージに入れていった。


 数を稼いだところで町の入り口にいくとゲンナリした顔のエーコが待っていた。


「どうだったかな? 初めてのゴブリン退治の感想は?」


「私には役不足が過ぎますね。もう少しやりがいのある依頼でないと本気を出せませんよ」


 寝言を堂々と言うエーコを連れてギルドに帰った。


「クロノさん、やはりご無事でしたね。エーコさんも息災なようで何よりです」


 そう声を掛けられたエーコはばつの悪そうな顔をした。一匹は自分で倒したのだからもう少し自慢するかと思ったのだが始終しおらしくしていた。


 俺は査定場でゴブリンをまとめて取りだし、査定を頼んだのだが、一体だけ明らかに状態の悪いゴブリンの死体があり、どうしたのか訊かれたので『それはエーコが倒したやつですね』と答えた。ディニタさんは『一応倒せるんですね……』と渋い顔をしてその死体を見ていた。結局、報酬はしっかりもらったのだが、エーコの取り分は金貨一枚だった。


 その事に不満をブーブー言っていたエーコだったが、『ポーション代を払うなら分け前を増やすよ』と言ったところ、あの効き目のポーションがいくらくらいするのかは知っていたようで大人しく引き下がったのだった。

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