第362話「魔導書の作成を頼まれた」

 その日、ギルドに入るとびっしりとクエストボードに依頼が貼られていた。いや、依頼が貼ってあるのはいつものことなのだが、奇妙なことに普通の依頼から離れたところにまとめて規則的に貼ってあった。興味が湧いたのでそれを読んでみた。


『子供でも読める魔導教本の執筆者募集! 報酬は原稿の出来で応相談』


 なんだかよく分からない依頼だった。放置して他の依頼を受けようかとも思ったのだが、残念ながら他にめぼしい依頼は存在していなかった。


「クロノさん、その依頼に興味があるんですか?」


 ネリネさんにそう訊かれたので正直に答える。


「そりゃあこれだけわかりやすく貼ってあれば目にも付きますよ」


 隔離されて大量の依頼が貼ってあればいくら何でも気が付かないわけがない。しかし報酬が応相談というところも気になれば、子供でも読める魔導教本という特殊な条件も気になる。


「実は、町で有名な魔導師の方の家にお子様がこの前お生まれになったのですが……」


「まさかその子供でも読める魔導教本を書けと?」


 ネリネさんも苦々しく頷く。


「はい、無理だって言ったんですがね……ギルドには魔導師も来るだろう、そいつらに頼んでくれ、とギルドに依頼料と掲載料を先払いされてしまいまして……断ることが出来なかったんですよ」


「お疲れ様です、俺は薬草採集でもしてきますね!」


 そう言って薬草を採りにいこうとしたのだが肩にポンと手が置かれた。


「クロノさん、魔法が使えますよね?」


 ニコニコした顔でそう言われても困るのだが俺は魔導教本なんて書いたことはないぞ。


「俺は参考書なんて書いたこと無いですよ、それに人に教えるなんて結構なことはしたことが無いですし……」


 全部自己流だからな。一応大抵の敵には勝てるが子供に真似できるようなことではない。突然空間を吹き飛ばすような威力の魔法を子供が使っても困るだろう。


「大丈夫です! どうすれば魔法が使えるようになるかとか、魔力の上手な扱い方とか初歩的なものだけで構いませんので!」


「初歩的なものって……例えば収納魔法の使い方とかですか?」


「そうですそうです! 無限に近い収納は出来なくていいのでちょっとした小物入れ程度のものでも使えるようになれば問題無いんです!」


 とは言ってもなあ……


「あれはかなり生まれついての才能に左右されますよ? 本を読んだから誰でも使えるようになるものではないです」


 うんうんと頷くネリネさん。そんな悠長な話ではないような気がするのだが。


「魔導師様のご子息ですから大丈夫ですよ! それと文字はまだほとんど読めないので絵をメインにしてくれという注文も付いてますね」


「無理では?」


 俺は思わず素直にそう言ってしまった。子供どころか文字も読めない幼児に魔法の訓練をさせるなどということが無理だろう。


「いえ……ご両親が出来るはずだとそれはもうゴネられまして……ギルマスも結構なお金を積まれては断れなかったらしく」


 ギルドの腐敗ではないのだろうか? つーか親も親で魔導師の素質なんて突然目覚めるものを、生まれてすぐに強制的に覚醒させようなんてやり方が無茶なのでは?


「ゴブリンの群れの中にでも置いてくれば生存本能で使えるようになるという話を聞いたことがあるのですが……」


 噂だがな、あくまで噂だ。


「そういう荒っぽいのを持ち出すと怒らせてしまいます! そうしたら怒られるのは私なんですよ! もう少し穏当な方法をお願いします」


「穏当な方法ねえ……」


 ネリネさんが紙束と辺を俺に差し出してきた。


「まさかこれに……」


「子供でも分かる魔導教本を一冊お願いします!」


 ネリネさん渾身の頼みだった。ギルドの上の方から降りてきた依頼を受注してもらわなければならないというのは大変だな。世の中というのはなんとも世知辛いものだ。


「はぁ……効果は保証しませんよ?」


 幼児が魔法を使えるようになる本など思い通り書ければその才能一本で食っていけるのじゃなかろうか?


「大丈夫です! クロノさんに絵心は期待していませんから!」


 紙束を捨てたくなった。いきなり依頼をぶち込んできてしかも報酬が不透明と来ている。都合がいいにも程があるだろう。


「ちなみに報酬は? 応相談だそうですが効果が無かったので払わないとか言われたら断りますよ?」


「ご安心ください、ギルドが魔法を使えると認定した人に書かせれば一冊金貨千枚は最低でも支払うと言質を取りましたので」


 ものすごく金持ちっぽいな、貼り出されている依頼全部を受ける人がいたら払えるのだろうか?


「分かりましたよ……ダメ元ですからね?」


「ありがとうございます!」


 ネリネさんの華麗なお辞儀を見てからギルドを出て宿に帰った、執筆作業の始まりだ。


「子供でも分かるってなんだよ……」


 思わずそう声が出るほど難しい問題だった。魔導師の理論を語ることは出来ても、文字すら怪しい幼児でも分かるとなると難易度が全然違う。特に文字が読めるか怪しい年齢というのが厳しい。簡単な言葉に書き起こすことは可能だが、そもそも字すら怪しいと言われると困ってしまう。


 ええっと……炎魔法でやってみるか……心の中で炎が燃えるイメージを……燃えるって絵で細かく描くってどうやればいいんだ? 俺は学校の先生ではないんだぞ?


 大体読み聞かせなら文字が読めなくてもなんとかなるだろう、ほぼ絵だけで伝えろなんていうのは親の怠慢だろう。


 ええ……熱を持たせるとものは燃えるわけで……つまり燃やすためには温度を上げていく感じで……


 俺は小さな火種を描いてそれを大きくしていくイメージを描いたのだが、そもそもの火種を起こすイメージってどうすればいいのだろう? マッチをするイメージか? マッチを理解できるのか?


 考えれば考えるほど分からなくなってきた。炎ってなんだっけと言う原始的な問いかけにまで思いが至ってしまう。当たり前のことほど分からないものだな。


 そうだな……熱いものをもっと熱くしていくイメージだろうか?


 俺は氷の浮いたミルクを描いて、それを温めていくイメージを描いた。徐々に熱を持たせて氷が溶けて行きグツグツとミルクが泡を出す、その過程を描いてみた。


 これだとミルクに目がいきがちだよなあ……よし!


 俺は紙束の一番初めに手のひらの絵を描いてそこに魔力を込めた。多少ズルいがこれで熱いという感覚は理解できるはずだ。


 こうして俺は手をあてながらイメージすれば魔法が使える魔導教本を書いた。こういうのは成功体験が大事とも言うし、補助付でも魔法が使えるようになる方が大事だろう。


 そして翌日まで、表紙の魔力を調整して燃えたりしないようにしてからギルドに持っていった。結局徹夜作業になってしまったな……


「クロノさん! 出来たんですか?」


 ネリネさんは他人事のように言ってくる。


「出来ましたよ、一応ね」


「それでは見せていただけますか?」


「これです」


 俺は薄い紙束を差し出した。ネリネさんは極端に手を抜いていないか確認してから、俺に報酬は後日割り増しで払うと言ってくれた。


 その本を納品して三日後、俺は金貨二千枚をもらった。果たしてご子息が魔法を使えるようになったのかは分かろうとも思わないが、報酬はきっちり貰ったのでそれでよしとした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る