第257話「イヴリン町を発つ」

「さて、準備はこんなものでいいかな」


 俺は来たときと同じ状態に戻った部屋を見てそう独りごちる。うん、なにも持って行かず、何も置いていかない、いつもの俺の旅立ちだ。いい加減この町にも飽きたというシンプルな理由だが、旅立ちの理由なんて大抵そんなものだ。


 俺は片付いた部屋をあとにして食堂に向かった。まともな食事はまともな精神を養ってくれる。旅の道中にはあまり良いものを食べられないのでここでたっぷり食べておこう。


「いらっしゃいませー! あ! クロノさん! いつものオークステーキでいいですか?」


 繁盛している食堂で俺は「いつもので、あ、パンは白パンで」と頼んで席に着いた。すぐに焼けたオーク肉といつもより柔らかめのパンをかじる。少し贅沢して白パンにしたので柔らかな感触が口の中でもちもちと響く。美味しくてありがたい、しばしこの美味しさから離れなければならないと思うと少し悲しい。


「ごちそうさま」


 食堂を出て受付で宿の解約を申し出る。少し驚かれたものの『この町は退屈だったかねえ……』などと世間話をして出て行く。あとは念のためにギルドに話しておこうと思い、ギルドに向けて歩き出したのだが、アウラさんが引き留めようとする様が容易に予想出来てしまう。気が進まないが話を付けておかないと無茶な依頼を振り分ける先が無くなって困るかもしれない。根回しは大事だな。


 カランカラン


 ギルドのドアを開けると幸いにも平和な光景が広がっていた。どうやら指名依頼を押しつけられることもなさそうだ。アウラさんに話しかけることにしてカウンターに向かった。


「クロノさん、おはようございます! 本日も受注ですか?」


「いえ、この町から出て行くのに挨拶をしておこうかと思いまして」


 そう答えるとアウラさんの顔がサーッと青くなった。


「ちょ! ちょっと待ってください! 出て行くってどういうことですか!?」


「聞いての通り旅人らしく次の町を目指そうかと言うことです」


 納得のいかないようなアウラさんが文句をつける。


「クロノさん、この町のギルドにはお世話になりましたよね? もう少しギルドに恩返ししてから旅立とうとか思わないんですか? いえ、むしろ旅人なんていう根無し草をやめてこの町に移民してはどうでしょう? あなたほどの実力者ならギルマスが土地建物を確保してくれますよ!」


「それは大変美味しい話なのですが、俺は定住はしないって決めてるんですよ」


 しかしアウラさんも食い下がる。


「一生旅人ってわけにもいかないでしょう? 旅路の途中で倒れて誰にも助けてもらえないような人生は嫌でしょう?」


「俺はそういう人生を歩もうと決めましたから。旅の途中で倒れてそれきりならそこまでの人間だったと言うことですよ。しょうもない人生を生きようと決めたんですからね、くだらない死に方をしてもしょうがないんですよ」


 アウラさんは少し悲しい顔をした。


「クロノさんに私は真っ当な人生を歩んで欲しいだけですよ……きっと後悔しますよ、本当にそんな生き方でいいんですか?」


 生き方か……勇者パーティに懇願でもして籍を置かせてもらえば魔王討伐に参加して輝かしい成果が手に入ったのかも知れない。しかしそれは俺のちっぽけなプライドが許さない。旅人として自由に生きる方が魔王を倒すより重要だと思っただけだ。


「俺は後悔したとしても自由に生きたいのでね、どこかに所属するような生き方はしたくないんですよ」


 組織の一部として動くのはもう勇者パーティで十分経験した。お世辞にも気持ちのいいものではなかったし、指図されて戦いに明け暮れるより、自分でのんびり生きていく方が好きだ、たとえそちらの方が大変な生き方だったとしてもだ。自由というのはいいものだ、戦いだって自由に出来るのだからそちらの方がいいさ。


「決意は固いんですか?」


「ええ、あまり長居すると固い決意も柔らかくなりますからね、まだ決意が固いうちに出ていこうと思います」


「そうですか……クロノさんにはお世話になったので、ここに所属して頂ければ嬉しいんですがね……旅人ですからしょうがないですね」


「済みませんね、どうも俺は定住が苦手でしてね」


「はぁ……分かりました、クロノさんへの指名依頼は断るようにしておきますね。幸い今は指名依頼が出ていないのでそのまま出て行って大丈夫ですよ。私としてはクロノさんに指名依頼が出ていれば引き留める材料になったんですがね、残念です」


 ギルドとしても俺には滞在して欲しいようだが、俺は出て行く。繋がりがやたらと増えると面倒なしがらみが積み重なっていくからな。適当なところで綺麗さっぱり切り捨てた方が簡単に生きることが出来る。


「アウラさん、お世話になりました」


「そう思っているなら定住して欲しいんですがねえ……」


「ごめんなさい、それだけはしたくないんです」


「旅人は自由ですからねえ……食い詰めているわけでもなければ自由ですよねえ……」


 食い詰めている人ほど定住したがるというのは皮肉な話だ。俺のように流されるまま生きていると町に執着を持つことが無い。有能だとまでは思っていないが、この町への貢献はそれなりにできたと思う。


「アウラさん、ここでは本当にお世話になりました。それではさよならです」


「そうですね、いつまでも引き留めても無駄でしょうね……」


 アウラさんは諦めのため息を一つついて、ギルドのノートにこの町を出ていったことを記していた。


 俺は軽く手を振ってギルドを出て町の門に向かう。粗末なもので、出て行くのを止めるような人はいなかった。よそ者に優しいわけではないようだが、少なくとも俺には優しい町だったし、金もそれなりに稼げた。お礼の一つも言いたくなるような町だったな。だからこそここに甘えないためにも出て行かなければならない。俺は町の門を通り、ここではなんの関係もない人間に戻ったのだった。

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