陽苑の片思い
ありま氷炎
☆
手袋すればよかった。
ケーキの箱を両手で持ち歩いていると、手に冷たい風が刺さる。雪は降る様子はないけど寒い。
一人で食べるなんて、思わないんだろうな。
直径十二cmのクリスマスケーキ。
自分を祝うために買った。
珍しく時間通りに帰る私を会社の人が冷やかしたっけ。
でも、早く帰る理由は簡単。遅くなると街にカップルが溢れだし、嫌でも視界に入ってくる。あのカップルの中に彼と彼女が紛れているかもしれない、そんなことを思ってしまう。
だから、いつもより早めに退社した。
まっすぐケーキ屋に向かい、予約したケーキを受け取る。
悲しい顔をしないように、同情されないように会計をすました。
あの片想いに終止符を打った日、普段は絶対に買わない高級店のケーキ屋のクリスマスケーキを予約した。
一人で、楽しもうと思った。
美味しいものを食べて、好きなお酒も飲んで。
一年間、彼だけを想っていた。
彼は何年かかって想いを遂げたのだろうか。
ずっと、彼以外を見ていた彼女。
やっと彼の想いに気付いたのか。
いつか……
もしかしたら……
私を見てくれるかもしれないと、想い続けていた。
でもそれは所詮叶わぬ夢だった。
§ § §
カンカンと金属音を響かせ、私はアパートの階段を上る。
一LDKのアパートに住む人はほとんどが独身だ。私みたいにクリスマスイブの夜、家で過ごす人は少ないみたいだ。ほとんどの部屋の電気が消えている。
彼氏、彼女がいなくても、寂しさを紛らわせるために友達と騒ぐのだろうか。
ケーキの箱を片手で持って、空いた手で鍵を探す。
鍵を開けて入ると、少しだけ温かさを感じた。
風が入らない部屋は外に比べると少しだけ温かい。ケーキをテーブルに置くと、まずはエアコンをつける。唸る音が始まり、少しずつ暖かい風が吹いてきた。
「クリスマスは二人だけでね」
「二人だけ?」
「そう。二人だけ」
一週間前、飲み会に遅れていくと二人の声が聞こえた。二人は顔を寄せ合い、その距離はかなり近かった。
クリスマス、去年は真戸香(まどか)と翔(かける)くん、そして他の友達を呼んで騒いでいた。でも今年は違う。
私は頭が真っ白になった。二人は私にはまだ気がついていないようで、楽しそうにじゃれあっている。
鼻がツンと痛み、涙がこみ上げていくのがわかった。
私は背を向け、店を出た。そして携帯を取り出し、メールを二人に送る。
『ごめん。今日はいけない。二人で楽しんで』
するとすぐに返信が来た。
『遅くなってもいいから来れないか?』
そう返事をくれたのは翔くん。
指が震え、何か打とうとする。でも結局何も浮かばず携帯を鞄にしまいこんだ。
最初から、わかっていたはずだった。
二人の間に入った私。邪魔だったんだ。始めから。
彼と会ったのは一年前、真戸香の飲み会。
幼馴染として紹介してもらった。
彼は優しい小さな目をしていた。
ゲジゲジ眉毛じゃないけど、手入されている様子もない眉毛。それが柔らかいカーブを描いている。鼻は少し高めだけど、シャープな感じじゃなくて丸い。
唇は奇麗な三日月みたいで、いつも微笑んでいた。
けしてハンサムな方ではないけど、人懐っこい顔をしていた。
彼の彼女への想いはすぐにわかった。なのに、私は彼を好きになってしまった。
ずっと彼を見てきた。
報われない想いを抱く彼を。
『告白したほうがいいよ』
二人っきりになった時、胸を痛めながらそう助言したこともあった。
でも彼は苦笑するだけで、答えなかった。
一年の間に真戸香は、二人の人と付き合った。全部、彼とは正反対のタイプ。
明るくて、社交的で綺麗な真戸香。付き合う人もカッコイイ人ばかりだった。
彼は真戸香の相談に笑顔でのっていた。私はそんな二人をずっと見ていた。
でも、終ったんだ。
私は暖かくなった部屋で、ケーキの箱のリボンを解く。現れたケーキは真っ白な生クリームのケーキ。小さなサンタクロースがにこりと微笑んでいる。
小さい時から夢だった。
一人で丸いケーキを全部食べる。
それが叶った。
お皿にいれるのも面倒で、椅子に座るとそのままスプーンでケーキをすくう。柔らかいケーキはスプーンで簡単にすくえた。
口に入れるとほわんと甘さが広がる。
するとなんだか、涙が出てきた。美味しいケーキ、だけど涙の味で少ししょっぱい。
私は涙をティッシュペーパーで拭い、お酒を探す。
強い酒が飲みたい。
考えることができないくらいに、酔いたかった。
ピンポーン。
どれくらいたったのだろうか。
三十度の泡盛を見つけて、ロックで飲んでいた。
泡盛とケーキ、なんだか意外にマッチしていてぐいぐい飲んでいた。
頭がぼうっとしてきて、うつらうつらした。
その時になったのがドアのチャイム。
体も重くて、テーブルに乗っかった頭が上がらなかった。柱時計を見ると時間は九時近く。こんな時間に来る人なんているはずがない。酔っ払いか、変な人だ。
居留守を使おうと黙る。
「陽苑!いるんだろう?」
するとドアを叩く音と彼の声。
酔いすぎて、幻聴を聞いているのだろうか?
「真戸香から聞いてる。今日は友達の誰とも飲んでない。家にいるんだろう?」
幻聴ではない。
急に目が覚め、胸がどきどき言い始める。
「……真戸香もいるの?」
声まで緊張していて、そう聞いた私の声は震えていた。
「いないよ。なんで?寒いから、早く入れて」
くしゅんとくしゃみの音まで聞こえてきて、私はのろのろと体を起こす。ドアを開けると、風と共に彼が部屋に入ってきた。
彼は腕をすりすり擦り、とても寒そうだ。
「な、なんで?」
どうして彼がここに?
変な期待が膨らんでいき、胸が破裂しそうになっていた。
「クリスマスなのに、一人で過ごしているって聞いて心配になって」
「心配?翔くんには関係ないでしょ」
期待がやはり期待だけだったと、私はそっぽを向く。
「ああ、俺には関係ないよ。でもいきなり電話をとらなくなった理由を教えてくれよ。なんか突然シャットアウトされて、どうしていいかわからない」
彼は困った顔、悲しい顔をしていた。でも悲しいのは、惨めなのは私だった。
「……わからないって。私、あなたが好きだったの。でも真戸香と付き合うと知って、自分が惨めで連絡をとりたくなかったの」
お酒の勢いのためが、私は自分が溜め込んでいた感情を吐き出す。
「俺が真戸香と付き合う?誰が言ったんだよ。そんなこと。だから。なんか一週間前からおかしくなったのか。俺と真戸香が連絡しても答えない。あげくに着信拒否。ありえねー」
そんな私に彼も少し怒った様子を見せる。
「だって、私、聞いたもの。二人がクリスマス、二人だけで過ごすって」
「あ?いつの話?」
覚えがないと彼が口をへの字にする。眉毛は怒ったままで不思議な顔だ。
「あの1週間前の飲み会」
「あの時、来てたんだ。でもどうやったらそんな勘違いが生まれるんだよ。俺と真戸香は普通に話していただけなのに」
彼の言ってることが全然わからない。
「確かに俺は真戸香が好きだった。でもそれは終わった話だ。とうに告白して玉砕して終わってる」
「いつ?聞いてないよ!」
「話すわけないだろう。ぎくしゃくするのが嫌だったから」
「でも、ずっと真戸香のこと見てたよね」
「俺は、陽苑(ひその)の顔を見るのが恥ずかしかったんだよ。だって、俺が振り返るとずっと俺のこと見てただろう。だからなんだか」
彼はくしゃくしゃっと自分の髪をかきあげる。
「……見てたって。私が見てるの気が付いてたの?!」
「うん、気づいていた。だから」
私はあまりにも恥ずかしく、その場に座り込む。
気がつかれていたんだ。
「ごめん。俺、気づいていたけど、言わなかった。誰かに好かれてることがこんなに嬉しいことだと思わなかった。でもそれは想っているほうが辛いんだよな。俺も片想いで苦しんだのに。ごめん」
彼は私に視線を合わせるようにしゃがみこむ。
「俺はこんなやつだし、お前に好かれるようなやつじゃないと思う。だけど、俺はいつの間にか、お前が好きになっていた」
「……」
頭がぼうっとして何も考えられなかった。
「さあ、立って。二人でクリスマスのお祝いしようぜ」
彼はにこっと笑い、手を差しだす。
私は恐る恐る、その手に掴まった。
すると遠くから聖歌が聞こえてきた。どこから聞こえるのか、わからないけど、たしかクリスマスによく聞く聖歌だった。
やけにタイミングよくて、私はびっくりしながら彼の前に立つ。
「ごめん。遅くなって」
彼は申し訳なさそうに笑い、私をぎゅっと抱きしめた。
コートの冷たさが私の火照った頬を冷やす。
ひんやりとした感触が、これは夢ではないことを伝えてくれる。
クリスマスの夜、サンタクロースは私に恋人を贈ってくれたようだった。
陽苑の片思い ありま氷炎 @arimahien
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