付き合う理由は好き以外

@yayuS

第1話

 あそこで唇を重ねることが出来たら――運命は変わっていただろうか?

 僕、天野あまの 隆之介りゅうのすけは、二年たった今も、その時のことを思い出す。

 僕の手の平に収まる小柄な肩。

 猫のような瞳。

 僕は生涯、彼女のことを忘れないだろう。

 一歩踏み出せば手が届いた彼女のことを。

 手が届きそうだったからこそ、剥がれない執着を――僕は忘れない。





 仕事を終えて帰宅した僕は、明日、東京に向かうための準備をしていた。

 僕が住んでいる街は、東京からほど近い温泉街。新幹線を使えば一時間で移動できる。しかし、距離的には近いと言えど、成人したばかりの僕にとって交通費は大きい。東京はまだ遠かった。でも、どれだけ金銭が厳しくとも、月に一度は東京へ行くことを決めている。その理由は、大好きな芸人を応援するためだ。

 芸人――【芸人モドキ】。

 シュールな漫才でセンスを見せる、僕が推している芸人だ。


「それに明日は初めてのオフ会……」


 いつもならば、孤独で会場に向かい、公演が終われば直ぐに帰宅する。だが、明日は違った。SNSで知り合った人と会う約束をしていた。


「やっぱり、緊張する……」


 人と話すことが苦手な僕が、自分からSNSを通じて話しかけた。その理由はただ一つ。一緒の「好き」を共有できる相手が欲しかったから。

 そんな僕を唯一の親友は「ネットで出会うなんて危険だからやめとけ」と笑う。でも、それでも話す相手が欲しかった。

 だから、明日、僕は会うんだ。





 ライブ会場の最寄り駅。

 僕はトイレの鏡を使って何度も髪型や服装を確認する。うん、大丈夫。不快感は与えないはず……。

 僕は鏡から離れ、スマホを取り出す。これから会う相手の呟きを確認するためだ。アカウント名は「ヨミ」。プロフィール画像は【芸人モドキ】のサイン。

 分かってるのはそれだけで、相手の性別すら分かっていない。


「多分、男性だと思うんだけど……」


 僕が男性だと思う理由は、ヨミさんが、ライブの度に大盛りで有名なラーメン屋巡りをしているからだ。

 同性で趣味が同じ相手。きっと仲良くなれる。

 僕は喉を潤し、合流場所へ向かった。

 約束の場所はライブ会場前。開演までは二時間ある。早めに会って少しお茶でもしようと約束していた。

 二時間前だと言うのに熱心なお笑いファンは既に会場前に集まっていた。


「やっぱり、いつもより人、多いな……」


 今日、この公演にはテレビで一気に人気となったコンビが参加する。身近で見れるチャンスはないと、人が集まったのだろう。その中から僕はヨミさんを探す。


「……」


 ヨミさんは直ぐに見つかった。

 今日、ヨミさんは【芸人モドキ】のオリジナルのシャツを着ていると言っていた。そして、この場で着ているのは一人だけ。

 でも――。


「その、ノノさんですか?」


 相手も僕に気付いたのか、ちょこちょこと近付き僕を呼んだ。

 やっぱり、この人がヨミさんだ。

 話しかけてきたのは女性で、しかも、中学生みたいだ。

 150センチに届いていない背丈。

 化粧っけのない顔は幼く、おさげが良く似合っていた。むしろ、【芸人モドキ】のTシャツが一番似合っていない。

 ヨミさんは固まる僕に「ま、間違えました?」と、表情を強張らせて頭を下げる。


「あ、いえ、合ってます。僕がノノです。ヨミさんですよね?」


 僕がヨミさんの名前を告げたことで、互いが待ち合わせていた人間だと確認が出来た。


「はい。その……、ノノさんって男の人だったんですね」


 上目遣いでヨミさんが見る。

 僕の身長は170センチ丁度。故にどう頑張っても上目遣いになるんだけど……。その目は濡れていた。きっと、僕が男と思っていなかったのだろう。

 少しでも恐怖を和らげるため、笑いながら答えた。 


「そうなんですよ。本名が天野 隆之介だから、ノノにしてるんですよ。それを言ったらヨミさんだって、女性だって思いませんよ。しかも、中学生だとは……。【驚木桃木おどろきももき】もびっくりですね」


「ふふっ!!」


 僕の言葉にヨミさんは表情を和らげる。


「【驚木桃木】も知ってるんですね。あの二人、ネタだけじゃなくて、ルックスもいいからテレビ映えすると思うんですよね~」


 早口でヨミさんは語る。

 良かった。

 やっぱり、お笑い好きには通じた。笑顔を浮かべたヨミさんが言う。


「私、中学生じゃないですよ。よく言われるんですけど、私、これでも23歳ですからね!」


「へ……? と、年上?」


 誰がどう見ても――中学生だ。

 彼女は悪戯好きな子供のように笑った。


「でしょう? ですから、ちゃんと敬ってくださいね!」


 これが僕が彼女と初めて知り会った時のことだった。





 それから3ヶ月。

 僕とヨミさんは【芸人モドキ】のライブがある度に、必ず一緒に行くようになった。

 何度か顔を合わせる内に、互いのことも自然と知れた。

 ヨミさん。

 本名は高野たかの 美夜ミヨ

 名前をひっくり返してヨミ。

 ヨミさんが住んでいるのは栃木県で、職業は看護師。

 3姉妹の末っ子。

 推しは推せるときに推しとかないと後悔するをモットーに、色んなライブに参加しているらしい。


「はぁ~。明日も楽しみだな」


 チラリと僕は自室に掛けられたカレンダーを見る。明日は【芸人モドキ】のライブがある。しかも、夏だから、海に作られた特設ステージでのライブ。僕とヨミさんは2人で参加する予定だった。



 ◇



 翌日。

 僕はヨミさんと会場の最寄り駅で待ち合わせをした。


「お待たせしました~!」


 改札前で待っていた僕にヨミさんが手を振った。

 僕はヨミさんの服装に思わず釘付けになる。いつもは芸人のTシャツを来ていたのだけど、この日は海だからか短いスカートに肩が大きく露出したシャツ。

 いつもとは違うヨミさんの姿に、心臓が高鳴るのを感じた。


「どうしました?」


「う、ううん。なんでもないよ……。じゃあ、行こうか」


 僕たちは駅の階段を下りて会場へ向かう。

 その途中、不思議なオブジェクトが置かれていた。人の手と犬が混ざったような銅像。ヨミさんはそれを指差すと、一目散に走って行った。


「あ! アレ!! 今朝、【芸人モドキ】がアップしてた写真にあった!!」


 数時間前。

 会場入りした【芸人モドキ】がこの銅像を前に写真を撮っていたのだ。同じポーズで僕に写真を撮ってとねだるヨミさん。

 凄い楽しそうだ。


「フン、フン~!」


 同じ場所、同じ格好で写真を撮ったヨミさんはご機嫌だ。

 鼻歌を歌いながら歩いていく。

 街を抜けると、眼前に海が広がった。

 白い砂浜に潮の香り。

 さほど、海が好きでない僕でも、少し心が高まった。


「海だ~!!」


 ヨミさんが目を輝かせ海へ走る。

 その瞬間、ヨミさんの身体が傾いた。

 砂浜と歩道の境。風に運ばれた砂でヨミさんが滑ったんだ。

 僕は思わず手を伸ばす――。

 僕の手がヨミさんの右手に触れ、彼女を支えた。

 良かった。

 ヨミさんはなんとか、転ばずに済んだ。


「……ありがとうございます」


 手を繋いだままヨミさんが僕にお礼を言う。


「……」


 思わず握った手。

 彼女の手は小さく、力を込めれば握り潰してしまいそうだ。

 僕はこの手を放したくないと思った。

 ああ、そうか。

 一緒に好きなものを語る友達。そう思っていたのに、いつの間にか「好き」に変わっていた。

 ヨミさんはどうなのだろう?

 彼女もまた、握った僕の手を振りほどこうとしない。

 それって、つまり、彼女も僕を好きということなのか?

 僕たちは手を繋いだまま歩く。

 この日のライブは――何一つ、僕の記憶に残っていなかった。





 それから一か月後。

 僕はヨミさんに2人で会わないかと勇気を振り絞って告げた。

 ライブでも何でもない只の休日。2人きりで遊ぼうとメッセージを送った。返信が来るまでの2時間。そわそわと何も手が付かずに過ごした。

 僕の緊張を笑うかのような軽い機械音。スマホに飛びつき、ヨミさんの返事を確認する。


『遊びましょう。楽しみにしてます』


 その言葉が嘘じゃないかと何度も再起動して確認するが、メッセージは消えない。

 夢じゃない。ヨミさんとデートだ。

 そこから、僕の日常は輝いていた。単調だと思っていた仕事も何故か楽しい。

 そして、約束の日がやってきた。

 僕はヨミさんの住んでいる栃木へ向かった。彼女の住む場所を知りたかった。

 ヨミさんの最寄り駅で降りると、一台の車が止まっていた。車内には沢山の芸人のグッズが並べられており、一目でヨミさんだと分かった。

 運転席に座るヨミさんに手を振って中に入る。


「凄い車だね」


「でしょ? でも、私、これで通勤とかしてるからね」


「もう、これ宣伝カーじゃん」


「そうなの! 私は道行く人に布教してるんだよ!」


 興奮したように力強く話す。

 僕はそんなヨミさんの横顔を見て、いつもと雰囲気が違うことに気付いた。今日は――化粧しているのか。

 凄い――綺麗だった。

 運転する彼女の横顔に見惚れていると、すぐにカラオケ店に到着した。


「よーし! 今日は時間いっぱい楽しもうね、ノノ君!!」


 本当に楽しい時間だった。

 お笑いの趣味が同じ僕たちは、好きな音楽も一緒だった。2人で歌い、好きな漫才を再現して過ごした。

 楽しい時間はあっという間に終わり、時間が迫ってきた。


「あと、数曲しか歌えないね。ノノ君、歌う?」


「……」


 僕はヨミさんの言葉に首を振り、音量を下げた。

 今日、一緒に過ごして分かった。

 僕は――ヨミさんが好きだ。


「ヨミさん。もしよかったら、僕と付き合ってください」


 僕の言葉に、一瞬、顔を綻ばせたが、ヨミさんはその表情を殺した。


「冗談でしょ?」


「いえ……。最初は友達のつもりだったんだけど、何度も会ってヨミさんのことが好きになりました」


 僕の初めての告白。思いを伝えるよりも報告のようになってしまったが、これが僕の精一杯の伝え方。僕の告白にヨミさんは困ったように言った。


「実は……同じようなことを別の人からも言われてるんだ」


 ヨミさんに告白しているのは――僕だけじゃなかった。

 もう一人。

 別の方法で知り合った相手にも告白されてるのだとヨミさんは言った。


「その人は近くに住んでて、何時間も掛けなくても会えるんだ……」


「距離なんて関係ない位、僕は本気でヨミさんが好きですよ?」


 舞い上がった僕は、ドラマのような台詞が自然と出てきた。

 もう一人、相手がいると知って僕は焦っていたんだと思う。僕に「もう一人」の存在を隠していたということは――そう言うことで。

 長い沈黙を破る様に、時間を告げる電話が響いた。


「行こっか」


「はい……」


 僕たちは静かに立って、カラオケ店を後にする。

 外に出ると日は暮れていた。

 車に乗り込み駅へ向かう。

 道中――僕はヨミさんに聞いた。


「そ、その……。ヨミさんは僕のことどう思ってるんですか?」


「……話してて楽しいし、一緒にいて楽しいよ」


「じゃあ……「もう一人」の方は?」


 考えるように瞳を閉じたヨミさんは、言葉を選んでいく。


「その人には、私が必要なんだ。親が死んで、精神を病んでるの。そんな人が私を好きって言ってくれて、もし、ここで私が彼を振ったら――可哀そうで。だから、振るわけにはいかないの」


 それは――同情なのではないか?

 好きでも嫌いでもない同情。

 僕には理解できなかった。そんな人と一緒に居たら駄目だ。

 駅近くに車を止めたヨミさんの肩に僕は手を触れた。暖かいのに、滑らかな素肌。僕はもっと、触れていたい。僕が全部奪ってみせる。


「……嫌だったら、避けてね」


 肩を掴んだまま、僕はヨミさんに顔を近付ける。

 彼女は目を瞑り、僕を受け入れた。 

 そのことが――僕の行為を止めた。

 唇を重ねなかった僕に、ヨミさんは言う。


「なんで、しないの?」


「……ッ!」


「なんで?」は、僕の台詞だった。

 なんで、避けないんだ、抵抗しないんだ。

 僕には彼女が分からなかった。僕のことを好きじゃないから、「もう一人」の存在を言わなかったんじゃないの?

 可哀そうだから振れないんじゃないの?

 振れないってことは、付き合うってことで……。なら、なんで、「しないの?」なんて台詞が出てくるんだ?

 混乱した僕は、彼女の肩から手を放して――車から降りた。

 季節は秋。

 夜、肌寒いはずなのに、彼女に触れていた手は温かかった。




 僕は今でも思い出す。

 あそこで唇を重ねることが出来たら――運命は変わっていただろうか?

 人が一緒になるのは「好き」だけではない。別の理由がある。それを受け入れて口付けをすれば、ヨミさんと一緒に居られただろうか?

 僕も大人になれたら――。

 そこまで考えた僕は首を振って自分に言い聞かせる。


「本気でヨミさんが好きだった。それでいいじゃないか」


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