第16話実力の差

 アンダーシフトを何とか無事脱出したランドは、さきほど出会った幼女・ネモを探して再び洞窟内を走っていた。

 時間は無い。一刻も早く見つけなければならないが、現在地が何処なのかも、何処に向かえば良いかすら分からない。


「クソッ」


 ただ闇雲に走るだけで、焦燥しょうそうだけが募っていくランド。

 そもそも数千の道が混在するこの洞窟で、常に動いているであろう1人の幼女を見つけるなんて不可能に近い。それこそ、アマの力に頼らない限り…。


 それでも何とかランドはアイリスの身を案じ、普段ならあり得ない無尽蔵の体力で、手当たり次第に洞窟を駆け回っていく。


(これで無関係だったら、ほんとに終わりだな)


 そんな洒落にならない事が頭に過ぎるほど卑屈になりながら、ネモを探して数十分、ずっと同じ様に見えていた洞窟の景色に変化が生まれた。


「…ここは!」


 それは、忘れるはずも無い。

 アイリスと初めて出会ったあの監禁部屋だ。

 もう中には誰もいないはずなのに、相変わらずここだけ別世界のような冷たさを感じる。

 確率は低いが、いるかもしれない。

 そう思ったランドはその分厚くデカい扉に手を掛け、前回同様力の限り押す。

 ギギィーッと重苦しい音を立ててゆっくり開いた扉に、時間が無いので流し見で覗いたランドは、思わず体を止めて2度見してしまった。


「あ、お兄ちゃん!」


 まさかそこに、小柄な小軀しょうくの幼女がいるとは思っていなかったから…。


  ***********************


 《アイリスVSアンデール》

 古代ローマを思わせる建物造達が一帯に屹立しており、その中央、巨大な穴の遙か下方に幻想的な地下神殿がそびえ立っている洞窟の最深部。

 しかし現在、そんな風情は何処へ行ったか、辺りは崩落した建物と無数の衝撃痕。キラキラと降る雪結晶と、土煙が舞う戦場へと変貌していた。


「はあ、はあ、はあ」


 その一角、建物の影に隠れる少女が一人。純白の髪を染める赤い血と、髪が顔にひっつくほどの大量の汗。小さい口から溢れんばかりの吐息を漏らしていた。

 至近距離で【白雪の咆哮ホワイト・ローア】を撃ち込まれ、さらにアイリスの渾身の一撃【偉大雪崩グランデ・アバランチ】を諸に受けても尚、アンデールはほとんどダメージを負っておらず、現状劣勢なのはアイリス。

 ぴったりと身を貼り付け建物と一体化し、少しの間でも時間稼ぎを図る。

 そしてその鼓膜に届くのは、ドシンッ、ドシンッと定間隔に揺れる小地震。


(…早い)


 さきほど何とか下半身を氷漬けにし、アイリスは一時撤退。体勢を立て直して休憩兼打開策を思案したかったが、どうやらそんな余裕は無いらしい。

 盛大な足音は、まるでアイリスの居場所が分かっているかのように、真っ直ぐこちらに近づいてくる。


「…クッ」


 まだ全然回復できていなかったが、このままではジリ貧だと意を決したアイリスは、前傾姿勢でクラウチングスタートのポーズを取ると一閃。

 風も音も置き去りにし、アンデールの前を一瞬横切った。

 目が桁違いに良いアンデールがそれを見逃すはずが無いが、それで良い。

 アンデールの攻撃範囲スレスレ、仕掛けるか否かの絶妙なラインで建物と建物、瓦礫と瓦礫の影を高速に蠢動しゅんどうし、四方八方神出鬼没にアンデールを翻弄しようとするアイリス。

 さらに相手の怒りを煽るため、間あいだに微少な氷柱つららで追撃。大したダメージにはならないが、はえ程度には意識させる事ができる。


「ウガアアアアアアアァァァァッッッ!!!」


 ちょこまかとした動きと攻撃。アンデールは案の定、敵愾心てきがいしんマックスでよだれを撒き散らしながら呻った。

 大砲級のパンチが次々と放たれアイリスは紙一重で回避していくが、身を隠す建物は段々と破壊されていく。 

 普段は冷静沈着、ポーカーフェイスで少しミステリアスなアイリスだが、この大砲の雨の中かつて無いほどまでに焦っていた。

 パワー、スピード、戦闘センスから経験まで、それは一括りに『実力』において圧倒的にアンデールに劣っている。

 今すぐにそれをくつがえす事は不可能で、一発逆転の目処も立たない。

 一縷いちるの望みであるあの幼女を、ランドが見つけここに連れて戻って来るまでの時間、アイリスにこの猛攻を凌ぐ自信と体力はもう残ってはいなかった。


(どうする?。どうする?。どうする!)


 動きは段々鈍くなっていき、隠れられる場所もあとほんの片手で数えられる程度。

 まるで壁際まで追い込まれ逃げ道を完全に絶たれた虫のように、アイリスはジリジリと自身の寿命のタイムリミットが迫っているのを感じた。

 

 そしてついに、轟音唸らすアンデールの一撃が、蠢動するアイリスの身体を捉えた。アイリスの身体の、3分の2程の面積を有する拳は破壊力十分。

 全ての感覚が一瞬、気づけば散らばる瓦礫を掻き分けて盛大に吹っ飛ぶ。

 遺跡の端まで到達しその勢いが止まった時にはもうすでに、全身血だらけで複数箇所骨折。『大重症』だ。

 

(やば…い!)


 しかしそんな状態で尚、アイリスの警鐘けいしょうはサイレンを鳴らし、凄絶な悪寒が脳から頸椎けいつい、背筋を通って全身へと伝播でんぱする。

 見やると、それは先のアイリスのように、最大の一撃で追撃を図ろうとするアンデールの姿が霞む視界の中に映った。 

 両手を上下に前に突き出し、そこに収束していくのはアイリスとはまた別種の、おそらく光子だ。

 そのまま大きいアンデールの手にピッタリ収まるほど光子達は肥大化していき、やがて一つの光球こうきゅうが生まれる。


 アイリスの時とは違い、明らかにオーバーキルの一撃。

 『S』と『SS』、S一つが足りないだけでここまで違うのかと、圧倒的なまでの力の差が残酷に物語っていた。


 何も考えられず、意識は朦朧もうろう。体はまともに動かす事ができず、倦怠感の波がアイリスを覆っていた。

 ずっと暗く、痛く、寂しい所からやっと解放されたと思えば今度は何も覚えていない記憶喪失で、自分は100年近く眠っていたらしい。

 もっと、自分を知りたかった。

 もっと、外の世界を見たかった。

 そしてもっと、自分を救ってくれたあのランドという少年と話したかった。

 だからアイリスは今この瞬間、この絶望的なこの状況下で、と思った。

 右腕にありったけの力を注ぎ込み何とか持ち上げると、


氷宝ダイヤモンド………」


 ゆっくりとだが確実に、その手に氷の盾が形成されていく。そして…、


「オオオオオオオォォォォォォ!!!」「シールドッ!!!」


 光球から光りが漏れ出るほどに光子の収束は最高点に達し、アンデールから光線が放たれるのと、アイリスの眼前に【氷宝の盾ダイヤモンド・シールド】が顕現するのは同時だった。

 

 *************************


「急に居なくなっちゃったからビックリした!お姉ちゃんは?」


 部屋へと入ってきたランドに気づいたネモは、また会えたことが嬉しいのかテッテッテと足早に駆け寄る。その手にもう、3人の首は無い。


「お姉ちゃんは今、とっても大事な事をしてるんだ」


「どんな事?」


 立て膝を着いてしゃがみ、その幼女に視線を合わせるランド。

 意外にも興味を示したネモに、「それは…」と事の顛末てんまつを語ろうとして、しかしその言葉を途中で中断した。

 代わりにリュックへと手を突っ込み、取り出したのは『女図鑑』。

 今は一刻を争う状況で、細かく説明している時間は無い。

 アンデールと関係があるのならそれで、無関係ならハッキリ言って絶望だが、あの老婆かいぶつがこの幼女に危害を加えない保証は無いので、結局連れて行くことになるからその戻りの道すがら話せば良い。

 不思議そうな視線で見つめるネモに、ランドは恐る恐る最後の希望を託してカメラを向けた。


【〈ランクC〉 名前:ネモ・ロムナ 年齢:5歳 能力:想造(自身が認知した物) 経歴:アンダーシフトの地下格納庫で生まれ、アンデール・バイマイアに育てられる。】


(ビンゴッ!)


 そこに映し出されたのは、間違いなくアンデールの名前。これで関係性の裏付けはできた。

 そして今はどうでも良い事だが、彼女の年齢は5歳。経歴に歳を若返らせたなどの記載が無いことから正真正銘、この世に生を受けて5年しか経っていない『真の幼女』だった。

 他にも能力など気になるものはあったが、今はそれを深く追求している暇は無い。


「お兄ちゃん?」


 自分に変な物を翳し動かなくなったランドに、いい加減耐えきれなくなったネモが顔を覗き込みながら尋ねる。

 するとランドは突然ネモの腕を掴み、


「付いてきてくれ」


 そう一言告げる。しかし、いくら幼女でもあって間も無い見ず知らずの人間に、理由も聞かされず何処か分からぬ場所へ連れて行かれそうになれば、警戒もするし納得もいかないだろう。

 だからランドは、こう付け足した。


「お婆ちゃんが大変なんだっ!!」


 それを耳にすれば、例え見ず知らずの男でも付いていくのに十分な条件へとなり得る。

 そこで幼女は、心配で心配で溜まらなくどんな状況かを訊きたいといった表情を浮かべたが、案外大人っぽく、ランドの様子から余裕がない事を悟り押し黙った。

 それだけに余計に、あの凶暴な老婆とこの無垢な幼女の関係性に懸念が生まれてくる。


「…行こう」


 知りたい事は山ほどあったが、まずはアイリスの所まで戻らないと始まらない。

 説明は歩きながら話すと、神殿からしっかりとマーキングしてきた道を戻ろうとした。その瞬間………。

 ゴゴゴゴッ

 という地鳴りのような音が微かに、そして段々大きくなっていくのを感じ取った。


「何だ?」


 2人がいる監禁部屋の入り口付近ではなく向かって左側の壁から響いてくるそれは、ズガーーーンと部屋の壁を突き破り、その勢いのまま反対側の壁に衝突するとピタリと静止した。

 何が起こったのか、一瞬状況を理解できずにいるランドとネモ。

 分かったのはが、すごいスピードでこの監禁部屋に突っ込んできたという事だ。

 衝撃で土煙が舞い、ネモを庇うようにして前に立ったランドは警戒しつつその何かを見て、目をありったけ見開いた。


「アイ…リス?」


 そこには先程別れる直前まで可憐で美しかったはずアイリスが、見るも凄惨せいさんな姿へと変わり倒れていた。

 アンデールの一撃によって神殿からこの監禁部屋までおよそ、十重二重とえふたえの壁を貫通していき、運良くここで止まる事ができた。

 全身血だらけのボロボロで、壁にへたり込む様子からは生死の判別がつかないほどだ。


「大丈夫かっ!」


 急いで駆け寄り、その体を抱き抱える。


「…全然、大丈夫」


 明らかにそんな筈は無いのだが、心配ないと微かに微笑むアイリス。とりあえず、息をしていることにランドはホッとした。


「お婆ちゃん?」


 とそこで、怯えるように掠れたネモの声が鳴った。自分を拾い育ててくれた優しいお婆ちゃんの、そんな恐ろしい姿を初めて見るかのように。

 振り返ると、アイリスが今し方通ってきた穴から後を追うように、この世界に厄災をもたらアマを圧倒する化物じみた大老婆:アンデール・バイマイヤが、悠然と佇んでいた。

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