第17話別れと、共に

 終わりが見えないほどの高い天井と、ダークブルーの鉄のような金属によって造られた直径20メートル前後、円形状のこの部屋は、相変わらずの凛烈りんれつさと暗鬱あんうつ感を醸し出し、まるでここだけ別世界かのように錯覚させていた。

 それがアイリスがここに長年拘束されていたからなのか、はたまたこの世界の季節が現在絶讃真冬だからなのか、それとも何か別の理由か定かではないが、とりあえず異常なほどに寒いというのはランドの勘違いでは無かった。


 今この空間は、ランドからしたら最も悪い状況『最悪』という言葉が諸に当てはまるほど、絶望的だった。

 目の前には化物じみた、戦闘力〈ランクSS〉の大老婆。この場で唯一対抗できるアイリスはもはや瀕死状態で、残された希望と言えば一つ。

 アンデールと関わりのある幼女:ネモ。だが…、

 ネモがランド達を助ける理由も義理も無ければ、それで得るメリットも無い。もし助けようと説得を試みても、今の凄まじい剣幕のアンデールが聞き入れるとは到底思えない。

 以上の事から逃げ道は無く、詰み。何も成し遂げること無くランドの旅は、幕を閉じることとなる。


 ゆっくりと部屋へと足を踏み入れた老婆は、想像以上にデカく威圧感が半端ない。


「お婆ちゃんっ!」


「あっ…!」


 足が竦んで動けないランドに反して、育ての親同然の老婆に恐れること無く近づいていく幼女。

 「危ない!」と急いで止めようとしたランドだが、それは以外かそれとも当然か、アンデールはネモを優しく出迎えた。

 サイズ感はまさに巨人と小人。一歩間違えれば簡単に捻り潰してしまいそうな幼女を、しかしアンデールは見た目からは考えられないほど繊細に、慎重に抱き抱えた。

 そのまま2人頬をすり付け合い、仲睦まじい家族愛の光景が広がる。

 さきの怪物は何かの間違いかと思えるほど温厚になったアンデールと、まるで何年かぶりの親との再会を心の底から喜ぶようなネモ。

 そんな光景にランドは少しの安堵と、同時にどうしようもなくやるせない怒りが込み上げてきた。


「どうして………、」


 幸せそうな表情を作るアンデールとネモ。しかし対照的に、アイリスはとても苦しそうだ。


「どうしてその優しさを、少しでもお前が傷付けた奴らに向けないんだよっ!!!」


 それはこの現代、このにおいて、仕方のない事だった。

 突然天変地異の力を手に入れ、他を制圧し自分こそが一番になろうと『力』が跋扈ばっこする世界。

 そんな中で今目の前にある【家族愛】ですら、数少ない奇跡なのだ。


「大切なものさえ無事なら、他は全部どうなっても良いって事かよ?」


 分かっていた、どうしようもない事だと。

 分かっていた、誰が間違っているとかでは無い事だと。

 それでもランドは、自分の無力への八つ当たりのように吐き捨てることしかできなかった。


「それが本当に正解なのかよっ!?」


 乾ききった喉に、少しピリッとくる音声おんじょう。怒りとアドレナリンで、いつの間にか寒さも恐怖も無くなっていた。

 見えない天井へと吸い込まれるようにランドの声は部屋の上空へと反響していき、やがて空間は静寂に包まれた。


 暫く経ってから、アンデールは抱っこしていたネモを下ろすと、徐にランド達に向かって歩き出す。


(やばい!)


 急に冷静さを取り戻し、打開策を思案するランド。しかしこんなの人間の前の塵に同じ、どうしたって勝ち目は無い。

 あっという間に眼前へと立たれ、その腕が動く直前。


「させるかっ!」


 自分でも自分を褒め殺したくなるほど、恐れずアイリスを庇う形を取ったランド。だがその勇敢さも束の間、グワンッと体に衝撃が走り気づけば側方へと吹き飛ばされていた。

 しかし痛みは余り感じず、ノックバックもそれ程では無い。

 すぐさま体勢を立て直し、再度無駄な抵抗を試みようとする。が、ランドはその駆けりを途中でやめた。

 もうすでにアイリスへと伸びている、土管のような腕。しかし攻撃というよりは、そこから灯る仄か光りはアイリスを癒やしているように見える。

 それに糸引くようにアイリスの傷は段々と消えていき、渋面も緩和されていく。


「なんで…」


 呆けて、ポツリと漏らすランド。まさに理解不能だった。

 あれだけ殺意剥き出しで辺りを蹂躙じゅうりんしていた老婆かいぶつが、今度はそれを清算するかのように自身が付けた傷を治した。

 おそらく、ランドがあの逞しい腕に吹き飛ばされて立ってられるのも、アンデールがそのレベルまで手加減したからだろう。


 ランドの必死の言葉が胸に響いたのか、否。

 アンデールの元々の目的は、突如としていなくなってしまったネモの捜索だった。誘拐されたのかと心配し、怪しい奴を片っ端から潰していっただけ。

 無事に元気なネモを見つけ目的は達せたのだから、これ以上暴れる気は更々無かった。

 お腹空いてるだろうし、沢山歩いたからとても疲れてるだろう。後はネモを連れて帰って、いつもの日常に戻るだけ。


 、アンデールはそう思っていた。


 アンデールはネモの元へと戻ると、年季の入った自分の白い髪を1本引き抜きネモの腰辺りに巻き付けた。

 髪の長さと幼女の腰の細さからそれは何重にも巻かれ、やがてベルトのような形で収まる。


「お婆ちゃん、どうしたの?」


 突然、髪を腰に巻かれた。何をされてるのかその意図がさっぱり分からず、不思議そうに問う5歳の幼女。

 しかしアンデールはその問いに答えること無く、ただジッと、我が娘のように愛しているネモをずっと見ていた…。


 冬にしては少し、いやかなり寒いであろう襤褸らんるの布切れ1枚。

 美味しいご飯も、暖かいお風呂も、ふかふかのベットも何も無い部屋で、他のアマと出会う危険性も避け、外で精一杯遊ばせる事もさせてあげられなかった。

 贅沢とはとても言えない、寂しく暗い洞窟の中の貧相な暮らし。

 それでもいつも明るく元気で、その太陽のような笑顔があるだけでとても幸せだった。

 満足のいく生活では無かったろう、辛く苦しい事も少なくなかったろう。

 それでもと、アンデールは心の底から思う。胸を張って言える、


 『幸せな時間』だったと。


 やがてアンデールは顔中の皺を寄せ完爾かんじすると、


「バイ…バイ」


 そう優しく言った。

 今までの獣のような呻りとは明らかに違い、ちゃんとした人間に伝わる言語。それはしっかりネモに伝わったが、さきほど同様その真意までは分かっていない様子だ。


「お婆ちゃん…?」


 はさっぱり分からないが、言葉のに怖くなり急いで近づこうとネモだが、それはまさに光のように、アンデールは一瞬にしてその場から姿を消した。


(何で?)


 辺りの密度が減っていくのを感じながら、ランドは分からなかった。この監禁部屋に来てからの、アンデールの行動全てが。

 ボコボコにしたアイリスを治しのも、ランドに手加減したのも、あんなにも愛で大切にしていたネモを置い去った理由も全て。

 また此処に戻ってくる可能性も無くはないが、あの去り際の悲壮ひそうめいた表情は、明確に相手とのを表す顔だった。

 頭を抱えるランド。すると…、


「ぅぐっ………」


 静謐せいひつな部屋に一つ、小さな嗚咽おえつが漏れた。

 顔をグチャグチャにし、涙も鼻水も限界まで溜まっていた。グスッ、グスッと啜り泣くがしかし、ネモは涙を一滴も垂らすことは無かった。

 あの老婆に育てられただけあり、やはりこの幼女は逞しく、賢く、悲しいほどに大人だった。


 やはりどう考えても、アンデールの真意を読み取る事のできないランド。ただ一つ___、

 《アンデールが、ランド達にネモを》。

 それ以外考えられなかった。


   *************************************


 真冬の凍えるような空の下、ランド・アイリス・ネモの3人は帰り道である、山中の岨道そばみちを慎重に歩いていた。

 辺りはすでに深い闇に落ち、時刻は深夜0時をとっくに回っている。たった十数時間前行きに通ったこの道を、ランドは遙か昔の記憶に感じた。

 それほどまでに、あの洞窟・地下神殿での出来事は多大だった。



「前方に、別れ道。どっち?」


「たしか、左だ」


 『深夜の山』は恐ろしいほど暗く、一寸先はまさに闇で何も見えない。草偃そうえんによる葉擦はずれが、周囲を一層不気味にさせる。

 一応予備の懐中電灯をもう2、3本持っていたランドだが、この漆黒の中での光はかなり目立ちすぎる。

 女照アマテラスの進化した怪物モンスターアマとの無駄な遭遇を避けるため、暗視能力も持っているというアイリスに今のように口頭で説明し、帰路を辿っていくという方法にシフトした。

   

 その方法でかれこれ30分弱。ボロボロの布切れ1枚でブルブルと震えるネモに、ランドは羽織ってたマントを優しく被せた。

 それを渡したら自分も薄手の長袖・長ズボンなのだが、そんな事はお構いなしだ。ちなみにアイリスもかなり薄そうなミニスカートのドレスだが、寒そうな様子は微塵も見せない。

 さすが、氷雪系能力を得意とするアマといったところだ。

 マントを被され、頭まで深く包み赤ずきんのようになったネモは一拍置いて淡く輝くと、素材も、生地も、サイズもをもう2つ想い造った。


「ありがとう」


 と言って2つの内の1つをランドに手渡し、もう1つを前を歩くアイリスへと届けに行く。そのチョコチョコと早歩きする後ろ姿を、ランドは軽い笑みを浮かべて見守っていた。


   *************************************


 アンデールが去ってからすぐ完治したアイリスが目を覚まし、その反応はランド同様困惑していた。

 アンデールとネモの関係性を知らない分、その動揺はランドより数段深いだろう。

 親との別れを遂げ立ち尽くす幼女と、重たい空気に当惑するアイリス。そんな2人に、一々細かい事後報告は無粋だった。

 だからランドは………、


「帰ろう」


 そんな、暖かい言葉を贈った。

 2人それぞれ違う反応を見せたが、最後はくつわを並べて首を縦に振る。

 そうと決まれば、まず最初の目標はこの洞窟から脱出しなければならない。しかし現状、この難解な迷宮を攻略できる手立ては無かった。

 そんな初手から詰みかけたランド達だが、ネモの手が急に淡く輝き出すとそこからA4サイズ、少し黄ばんだ迷路のようなものが書かれた紙が顕現する。


「これは…」


「地図!?」


 何処の、までかは分からない。だが今の流れ、このタイミングで出された地図なら、誰でも期待したくなる。

 と喜んだのも束の間、ランドはすぐに険しい表情へと戻る。


「けど、どうやって?」


「彼女の、能力かも」


 アイリスに補足され、そこでハッとランドは思い出す。

 ネモのデータを女図鑑で見た際、アイリスの予想通りアンデールとの接点だけに目が行ってしまったが、他にも注目するべき箇所があった。

 それがネモの能力、【想造】。


 【想造】とは、

 認知した物体を『造る』という意思によって、が分析・構築して創造する能力。

 今し方ネモが発動させたように、どんな時・場所でも想像すれば瞬時に物体を自分の手元で創造することができる。とても強力な能力だ。

 そしてこの能力自体というのは、5歳の幼女が同じ工程を踏んで想像し創造しても、それは単にお母さん・お父さんの似顔絵を描いた幼稚園児の絵のように、『想像した物・現実の物・創造した物』の三角関係において、大なり小なり形状に差異が生じてしまう。そのため、能力自体による補正が掛かるのだ。

 だがおそらく、この能力はまだ本領を発揮していない。

 想像するということは、頭の中にその物のシルエットと細かな詳細を精緻せいちに浮かべなければならない。

 まだ生まれてすぐの赤子などでは効果は無いに等しく、それは歳を重ね物の知識が増えれば増えるほど強力になっていく。

 当の能力所持者も、いくらアマとは言えまだ5歳の幼女。地図はおそらく女図鑑にも書いてあった、神殿のどこかにある格納庫とやらで知った物だろうが、レパートリーはまだまだ未熟。それ故、強力だがまだ〈ランクC〉に収まっている。

 もし、アンデール程のクラスがこの能力を持っていたらと、ランドはゾッとしたのだった。


   **************************************


 地図によりあっさりと洞窟を抜けれたのは良いものの、問題はまだまだあった。そしてこれがかなり難易度が高く、この上なく厄介。

 「帰ろう」と大見得切って言ったが、ランドの帰る家は女を嫌い憎む男の国・【ダンディグラム】にしか存在しない。

 あの国がアマを正面から入国させる事は絶対にあり得ない。

 つまり南門の前に四六時中立っている門番にバレずに、尚且つ調査から帰還した事を確実に確認させた状態で、2人を家まで連れて行かなければならない。

 山道を歩く最中さなかその事ばかりを考えていたランドだが、今のネモの想造を見て閃いた。


 やがて長く不気味だった山を越え、景色は茫漠ぼうばくに広がる平原へと差し掛かる。

 さらに進むと、を主張させるほど巨大な壁。見知ったダンディグラムの外壁が見え、過去一とも言えたランドの女照調査は、最後の関門を残して終わりを迎えようとしていた。

 アンデール・マリス・ゼーナに、ガーベラ・ハナ・キャシー。そしてダン・カリム・クロット。気になる事も残念な事も心に深く残っているが、悪い事ばかりでは無い。それと同じくらいに喜ばしい、今の自分の力以上の成果。

 その望外ぼうがいすぎる結果を噛み締めて、ランドは闇夜の地をゆっくり歩いて行くのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る