第14話《ランク:SS》

 地面に当たるほどの濃赤色こきあかいろの毛に、くりっとした目。それはどこからどう見ても、まだほんの5、6歳の見た目をした幼女であった。

 否、この女照アマテラスという世界で、相手が幼い女児だからと言って油断する男はいない。

 出会った幼女が真の幼女である確率は、まさに宇宙全体の中の地球ほど小さい。

 真の幼女とは与えられて間も無い身体に、この世界の歴史も知らず、能力もまともに扱えない。アマの中でも極めて安全なアマ

 遭遇した大体が変身・擬態したアマか、次いで幼体時で成長が止まり、だが精神年齢が成長しているアマだ。

 よって現状、たかが女児だからと言って無警戒で近づくのは、フィンリンやマリスといった普通のアマと対峙するより危険だ(この屡述るじゅつは、逆の老婆でも十分あり得る)。


 途端、ランドは自分の胃が急激に引き締められるのを感じ、嘔吐感を必死に堪えその場にへたり込む。

 ランドが女照を旅し、幼体のアマに出会ったのはこれが初めて。本人も気づかぬうちに約3年前の事件がフラッシュバックし、無意識下で体が拒絶反応を起こしていた。


「大丈夫?」


 心配そうに駆け寄ろうとする幼女だが、その行く手を身体を割ってアイリスが阻んだ。


「アイリス!」


 ランドが驚く中、しかし、その行動はもっともであったと言って良いだろう。

 一見普通の幼女、だがその小さい手から垂れ下がっているのは、カリム・ダン・クロットの3人分の頭だった。もちろん首から下は無い。


「ッッッッッッッッッッッッッッ!!!」


 さらなる追撃に、耐えきれず嘔吐してしまったランド。

 男狩人メンター育成学校【ブレイブメン学院】では、今のようなグロテスクな光景が日常茶飯事な女照において、その都度嘔吐や気分が悪くなってはアマとの戦闘などまともにできないので、定期的に耐性を付ける授業を行っていた。

 しかしやはりか、本番と訓練ではレベルが違いすぎ、元々使えないランドがもっと使えなくなってしまった。

 

「ソレは、どうしたの?」


 警戒心全開で、幼女に問うアイリス。『ソレ』が3人の頭なのは、言うまでも無い。

 しかし尋ねられた本人は事の重要性を理解していないのか、何の屈託くったくも無い無邪気な顔で答えた。


「おっきい建物から助けてあげたの。体探してる最中にお婆ちゃんとはぐれちゃって、お姉ちゃん達のお友達?」


 まさに、悪気ゼロ。この子が3人を殺したとは考えられないくらい、幼女は純粋そのものに見えた。

 すると今度は体調が少し回復してきたランドが、ひとまず誰が殺したのかは置いといて、胸の痛みを押し殺しながら幼女へと告げた。


「その3人は、もう死んでる。体を探して何をしようとしてるのかは知らないけど、静かに弔ってあげよ」


「?、まだ死んでないよ」


 さすがのランドも、その幼女の返答には怒りを覚えた。首から下はキレイに無くなっており、血が固まっている事から切断されてからかなりの時間が経っている。

 確実に、死んでいると言える。

 それでも尚生きていると明言するのは、それは命への冒涜ぼうとくと捉えられる。失った

命を元に戻すことは、おそらく人智を超えたアマでも不可能。


「………いいや、もう死んでるよ」


「嘘だよ!だってお婆ちゃんは首だけでも動けるし喋れるよ?ネモがいつもくっつけてあげてるモン!」


 ネモと名乗った幼女は必死に訴えるが、その言葉がさらにランドの神経を逆撫でさせる。


「だからっ!男と女じゃ、身体の造りがとうの昔に違うんだって!」


 自分でも情けないと思うほど、ランドは大人気なく怒鳴った。それ程までに、現状の余裕が無いのだ。しかし荒ぶる感情の中で、不思議とこれだけは確信していた。

 『この子は、3人を殺していない』

 何の証拠も根拠も無いけれど、この世界に溺れていない無垢の心の持ち主だと、ランドは今の僅かの会話の中で悟った。…やがて、


「うあああああああああん!!!何でえええええええええええぇぇぇぇぇ!!!」


 洞窟内に大反響するほど、幼女は泣き出した。


「…泣かした」


「ち、違うって!」


 アイリスにジト目を向けられながら、ランドは心底当惑とうわくする。アマが涙を流したのももちろんそうだが、この幼女がここまで『生きている』という事にこだわるのかが分からなかったからだ。

 通常アイリスのような《記憶喪失》などのイレギュラーでなければ、女が男の生死にこだわることも無ければ、気に留めることすら絶対にありえない。それほどまでに今や男は、アマの眼中にもない存在なのだ。

 男が女に、女が男に《良の感情》が芽生えることは決して無い。それがダンディグラムの教えであり、全国民が胸に刻んでいる事だ。ランドも信じてこそいないが、いざアマと対峙した時頭の片隅でよぎるのは同じ。

 殺していないのなら、道端に落ちているゴミなど放っておけば良い。何故面倒な事までして、男のために身体を探しているのか。

 その行動の心理をランドは知りたいと思い、ふと思い至る。この子を女図鑑で観れば一発じゃないかと。

 純粋無垢な幼女を盗撮するみたいで気は進まないが、最初からこれを使っていればこの子が白か黒なのかは一目で見破ることができるし、その行動原理も知ることができる。

 過去のトラウマと衝撃的な出会いで完全に頭から飛んでしまっていたが、女図鑑さえ見れば全て解決なのだ。

 そう思い、女図鑑を取り出して幼女をカメラに収めようとしたその時、


「待って…」


 それを遮るように、またしても自分のテリトリーに何者かが侵入したアイリスが警戒を強める。今度は正確な位置が特定できるらしく、幼女のいる方とは反対の洞窟後方、アイリスは振り返り暗闇を凝視する。

 するとこちらもいきなり襲ってくることも無く、コツコツと響かせるのは不穏な足音。時を重ねるごとに段々と近づき、光に照らされながら姿を現したその人物は……、


「マリスッ!?」


 全身血だらけのマリスだった。

 今にも死にそうで、立っているだけでやっとの状態。アイリスとの戦闘で氷漬けにされ、ここまでの傷は負っていなかったはずだが、氷が溶け敗北の罰としてゼーナにやられたか、はたまたあのが関係しているのか…。

 アイリスとネモが驚く中、敵ながら否応なしに駆け寄っていくランド。


「おい!大丈夫か?」


「…ゼ……」


 何かを伝えようとするが、かなり衰弱すいじゃくしておりまともに喋れる状態ではない。するとマリスは最後の力を振り絞り、ランドの肩口へと手を添えた。何らかの攻撃だとマリスのその腕をアイリスが掴んだ瞬間、3人は眩いに光に包まれ、幼女1人を置いてその場から姿を消した。


 目を開けるとそこは、さっきまでの暗晦あんかいな洞窟とは異なり柱が無数に立ち並んだ広大な地下神殿:アンダーシフト。どうやらマリスの瞬間移動で見事に帰ってきたらしい。

 白一色に展開されていた氷庭ひょうていは衝撃痕と、所々に付着した鮮血の赤で酷い景色へと変わっている。

 そしてランド達がこの大広間に瞬間移動してきてから数秒、もはや意識もなく力を使い果たし崩れ落ちていくマリスを尻目に、2人は気に留める余裕も無いほど広間の狂気に浸かっていた。


 『ゾワッ』と、


 アイリスが発する物理的な寒気ではなく、今まで感じたことの無いようなおぞましさに身の毛がよだち、ねっとりと絡みつくような恐怖。360度死角の無い圧迫感が、ランドとアイリスの肺腑にヒシヒシと充満する。

 その発生源は、広間の中央。

 刹那、ランドとアイリスは、マリスが何故自分達を此処に連れてきたのかを理解する。マリスが瀕死状態で尚、男を頼ってまでこの場所にテレポートさせた理由ワケを。

 マリス同様、満身創痍なゼーナの首を鷲掴みにし軽々と持ち上げる老婆が1人。身長180センチのゼーナに対し、その老婆は3メートルを超えている。縦にも横にもデカい巨大な体躯に、揺蕩ようとうする白銀の髪毛。

 後ろ姿だけで分かる獰猛なオーラは間違いなく、ランド達が一度戦線離脱する直前に見たあの怪物と同一人物だ。

 そのまま死んだか否か、流血したまま動かないゼーナをゴミのように投げ捨てると、老婆の標的は次いで新たに現れた2人へと遷移する。

 猛る出立いでだちは、まさに《怪物》そのものだ。


(ありえない…)


 と、ランドは瞠目する。【四姫災】と称されるアイリスでも苦戦したゼーナを、あそこまで圧倒できることに。それはつまり、この世界に厄災をもたらすことができるアイリスより『上』という事になる。

 ランドは足がすくみ、全身が震えてまともに動けなくなる。どうやらそれはアイリスも同じようで、相手から目を離さずしかし無闇に手は出せないと言った感じだった。

 老婆が威嚇とばかりに2人を睥睨へいげいし、緊張と圧が充溢じゅういつする空間。するとそこで…、

 《テレレレーーーン》。っと、

 この空気に似合わぬポップな効果音が広間中に響き渡った。

 それは、さっき幼女に当てようとしてそのまんまだった女図鑑。そのレンズの照準が偶然にも老婆に定まり、女図鑑に『初』のアマデータが記録され映し出された音。

 間抜けな音に我を取り戻し、その液晶画面に映るデータを覗いて、ランドは千切れんばかりに目をかっ開いた。


「〈ランクSS〉………!!!」


 そう、静かに呟いて…。

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