第2話プロローグ2

 ウェリー・ランド(15歳)は、ブレイブメン男子学院内でかなり……いや、相当浮いていた。

 学院中の生徒からはもちろん、教師の中でも敬遠されているほどで、最初の頃はアマと同じような扱いを受けていたが、今や認識もされない空気のような存在だ。

 それは単に人相や性格から始まったのではなく、このダンディグラムにとって最も不要な思想、

 『

 を掲げているところからなるものだった。

 祖父からの影響で女への感情が復讐心ではなく好奇心だったランドは、歴史を辿っていく毎に男と女が共存していた時代がある事を知る。

 それは、何処でも気兼ねなく自由に旅できる世界で、男女が笑い合い、助け合い、愛し合って共に暮らしている世界。その世界に憧れ、祖父が生涯願って成しえなかった《男女共存》を自分が実現させると、そんな無謀な夢物語を目指していた。


 *************************


 授業中にも関わらず一目散に教室を出て行ったのは、冷静になって考えてみれば自分自身でも驚きだった。ただダンディグラムが建国されて100年余り、中央エリアからアマが脱走したという事件は前代未聞だ。自分に何ができる訳でもないと分かってはいたが、ランドは気付いたら体が自然と動き出していたのだ。

 少し混み合ってきた廊下を、人混みを掻き分けながら突き進むランド。もうすでに階段にも大勢に生徒が、討伐に参加すべきか大人しく避難すべきか決断を決めあぐね優柔している。仕方なくルート変更を余儀なくされ、突き当たりの非常階段へと脚を伸ばす。そしてそのドアノブにランドの手が差し掛かった時、

 ピーンポーン、パーンポーン。と今度は全校内のスピーカーから、警告のアナウンスが流れ始めた。


『緊急事態発生!緊急事態発生!先刻中央エリアより脱走されたと思われるアマが、さきほど学院内の監視カメラに映っていた事が確認されました。現在、学院敷地内のいづこかに潜んでいるという状況です。

 生徒の皆さんは単独での行動を避け、現時点での授業担当の教師の指示に従ってください』


 校内のどよめきが一層濃くなり、急に慌ただしくなる。しかしランドにとっては、この上なく好都合だった。そのままドアを開くと、一段飛ばしで非常階段を駆け降りて行った。


 あっさりと学院内に侵入したそのアマは、街中とは反対に校庭のど真ん中を堂々と走っている。校内に入ってしまえば、もはや隠れる意味はない。

 アマの力を持ってすれば、血を分けた我が子ならある程度の距離になると大体の位置を把握することができる。

 校庭を疾走しながら校舎の2階、一際強い反応を見せる教室の窓へと跳躍すると、そのままガラスを割って突撃する。

 ガッシャーンという破壊音が鳴り響き窓越しに立ったアマの視界には、大勢の生徒の驚愕の表情とその哀れもない姿をした自分の娘が目に入った。

 刹那、大量の黒髪が全て逆立ち尋常でないスピードをもって幼女に肉薄すると、おおよそ誰の目にも追えない速度で手錠を外した。

 通常男では、しかもまだヒヨッコの15歳かそこらの生徒達では反応もできない速さ。幼女を胸に抱き抱えそのまま生物室を脱出しようとしたアマに、しかしたった1人その行動を全て見切り予想外の攻撃を仕掛ける者がいた。


「おやおや、いけませんねえ〜。大事な実験台を勝手に連れてかれちゃあ、こちとら減給問題なんですよ!」


 おっとりとした口調と同時に、しなやかな打撃と斬撃が逃げるアマ脹脛ふくらはぎを襲った。勢いよく転倒し幼女を抱え落としてしまったアマに、は徐に近づく。

 手に持つのは、サソリの尻尾のような何十もの刃が取り付けられた鞭。伸縮自在でさきほどのように『打つ』と『切る』を同時に行える、アマに対抗するためダンディグラムが造り上げた通称:【滅女器めめっき】と呼ばれる武器だ。

 単純な鉄や金だけでなく討伐したアマの素材を使うことによって、攻撃力・防御力の上昇や素材となったアマの能力の付加など、対アマに抜群の効果を発揮する。目には目を、歯には歯をという訳だ。

 教師が鞭をしならせ刻一刻と迫る中、廊下に投げ出され怯え蹲る幼女にアマは這うように近づくと、


「逃…げ…て」


 あらゆる液体でグチョグチョになった顔を拭いながらそう言った。


「…でも」


 自分の方がよほど痛く怖いはずなのに、幼女は心配そうな表情で食い下がる。生まれてすぐ引き剥がされたため、おそらく実の母親だということは知らない。それでもこの状況下で他人(だと思ってる)に対してこんな顔ができるのは、自慢できるほどの優しい子なのか、それとも親同様何らかのシンパシーを感じているのか。

 どちらにせよアマには嬉しい事でもあり、悲しい事でもあった。そんな我が子に誇りを持ちながら、アマは再度言う。


「私のことはいいから、あなただけでも逃げて」


「…ッ」


 しかし尚も幼女は首を横に振り、見捨てようとはしない。だがこのままでは、確実に2人とも殺されてしまう。溢れ出そうな涙を必死に堪え、


「早くッ!!!」


 突き放すような大音量でアマは叫んだ。それが引き金になったのか、せっかく拭いてあげた顔をまたもグチョグチョにしながら、幼女はそのアマに背を向けて走り出す。


「は〜い、茶番は終わりましたかあ?どうせ今逃げたところで、ダンディグラムの中からは逃げられない。見つかって殺されるだけなのに、あなたも残酷なバケモノですねえ」


「アンタみたいなキモいのに殺されるよりかはマシよ。それに、あの子は絶対私が守る」


 ニタニタ顔でやりとりを窺っていた生物教師に、アマは立ち上がり正対する。いつの間にか脹脛の傷は完治している。

 張り詰めた空気に生徒達が息を飲む中、両者は一斉に走り出した。



「ハア…ハア…ハア…」


 アマと別れて十数分、幼女はブレイブメン男子学院の廊下を男と会わぬように慎重に進んでいた。

 何処へ行けば良いかも分からず、周囲は敵一色。5歳の少女には大きすぎる世界で、しかし泣くことさえも許されずただただ震える。

 何度目かの生徒をやり過ごし、とりあえず外へと続くドアを開けたその時、突然目の前に現れた何者かとぶつかって転んでしまった。

 階段から降りて来た、ウェリー・ランドだ。

 尻餅をついて見上げるその男は、あまりにも巨大で絶望を覚えるほどだった。もはや逃げることも忘れ『死』を悟った幼女は、


「助…けて」


 無意識にそんな言葉を口にしていた。無理だとは分かっていたが、そう懇願するほか無かった。目を瞑り、決死の覚悟で身構える。しかし、震える身体に伝わって来たのは、冷たい凶器ではなく仄かな温もりだった。

 瞠目する幼女。その男は力一杯その小さな身体を抱きしめると、耳元で呟く。


「大丈夫、もう大丈夫だよ」


 何回も、何回も。その暖かさが、幼女の心を段々と溶かしていき、溜まっていた感情が爆発する。思い切り泣きじゃくりながらランドを抱き返そうとした、次の瞬間、

 グチュッ

 という生々しい音が簡素に響き、ランドの手に生温かい液体が流れ落ちてくる。わけが分からず吐血する幼女に対し、ランドには何が起こったのかハッキリと理解できた。

 幼女の背中越し、ランドの視線の方角には小さな背中に深々と刺さった刃と、その長蛇の刃を辿った先にソレを持つ生物教師の姿があった。


「ハッハ〜、ざまあ見ろあのアマ。必死の思いで助けた小娘は、俺が愛を持ってなぶり殺してやる。この俺がっ!」


 その姿はとてもボロボロで、チャームポイントである白衣は穴だらけの血だらけだ。ハゲ散らかった頭と充血した目でこちらへ歩いてくると、嬉々として言う。


「相手を油断させて捕縛で動けなくさせるなんて、見直しましたよウェリー・ランド君」


「ち、違う!」


 突然の勘違いに否定するランドだが、バグった様子の教師は聞く耳を持たない。そのまま幼女の髪を掴みランドから引き剥がすと、またも嬉々として語る。


「せっかくなのでダンディグラムに貢献したランド君に、ここで一つ授業をしてあげましょう。全能を司るアマ達は、何と意思一つで心臓の位置を変えたり、そもそも心臓が複数存在する場合があるのです。

 …なので確実にトドメを刺す時には首、もしくは急所を全て抑えなくてはならないの、です!」


 言って幼女の背中から刃を抜いた教師は、再度別所へと突き刺す。今度はしっかりと、貫通するように。


「ギャアアアアアアアアアアアアッッッッ!!!」


「やめろっ!」


 幼女の断末魔が轟き、ランドがすぐさま止めに入る。が、アマチュアのたかが生徒が、滅女器を持った教師に敵うはずもなく簡単に吹き飛ばされ、狂ったような教師の勢いは加速する。


「アハハハハハッ、ここか、ここか?、ここかーーーっ!」


 その数、実に何百。イかれた教師の気がすむまで、幼女はひたすらに刺し続けられた。

 その間の幼女の表情。音なく放たれた「助けて」という言葉は、粘りつくように脳裏に濃く焼き付き、


「アアアッ、アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


 気づけばランドは…、気を失っていた。



 前代未聞のアマ脱走事件は、前例の無い大事件としてダンディグラム中に広まった。

 南エリア、ブレイブメン男子学院内で暴れ回ったアマに、

 死者:28人。負傷者:114人。

 という被害状況。

 脱走したアマの力は予想を遥かに上回り、教師・生徒何百人の力を持ってしても討伐するのにかなりの時間を要した。結果負傷者多数、校舎は半壊。当面の間休校となった。

 

 今思えばこれが、男という無価値な存在に興味を無くし眼中にも無くなったアマとの、ダンディグラムが建国されてからの最初の事件であり、でもあったのかもしれない。


 *************************


 …約3年後。

 学院から遠く離れたど田舎。見渡す限りの緑に、広大な草原。

 南エリア辺境の片隅で一人、ウェリー・ランドは寝そべりながら風を感じていた。

 なびく黒の天パに、少し垂れ目の碧眼。手に持つはタブレット型の電子端末。

 ブレイブメン男子学院を無事卒業した者には、男狩人メンターであることを証明するメンターカードと、記念品として1人1個滅女器が贈呈される。

 このタブレットは、『女図鑑おんなずかん』という名の滅女器だ。

 その昔だったら、即生産終了になりそうな名称の図鑑は、アマに向けてカメラを当てるだけで、そのアマの名前や性格、能力や弱点。おまけにスリーサイズまであらゆる情報を一瞬で開示することができ、そのデータ量は現在の女の人口全てを記録している。

 まさに、21世紀までの世界であれば犯罪級の代物。

 しかし、この現代でその図鑑を使って女に卑猥な事をしようなどと考える奴は、おそらく国中探しても存在しない。 

 男女が共存していた時代から時は流れ、一層狂暴化する女達をダンディグラムは、

 世界最重要討伐対象、通称|アマと総称した。

 女図鑑の真の用途は、そのもはや人間では無くなったバケモノを殲滅するのに弱点、生息場所など、歴とした攻略データとして用いられている。

 かと言って、この滅女器を駆使して女を殲滅しようなどとも、『男女共存』を望むランドには絶対に考えられない。

 

 ランドは女図鑑の液晶画面を、指で弾きながらスライドする。S〜Gと分別された中の、【ランクS】と書かれた項目に映される一人の少女。

 肩口を微かに撫でる透き通った白髪に、見た物を虜にするようなどこまでも深く美しい蒼眼そうがん。端正な相好は美しく、左目の斜め下にある、不思議な引力を放つ泣き黒子がチャームポイントだ。画面越しで彼女の顔を見ているだけで、ランドの心は高揚し、熱を帯びた。

 これが噂に聞く『恋』や『愛』といった感情かは自分でも分からなかったが、この少女と話してみたいと本気で思った。

 しかし同時に、自分にそんな資格があるのかと思う時がある。今も尚蘇るのは、あの時の幼女の顔と言葉。

 あの時何もできず、幼女を見殺しにしてしまった無力でどうしようも無い自分が、女との共存など願って良いのかと…。


 そこまで考えて不意に立ち上がると、ランドはここらで一番の高さを誇る灯台の頂上へ登る。

 ダンディグラムが隔絶する壁の向こう側、地平線の彼方に茫漠に広がる『女の世界』。その遥か遠い世界を見つめて、独りでに呟く。


「絶対、あの時代を取り戻す」


 考えても仕方ない。ただ今の自分にできるのは、もうあんな無意味な死者を二度と出すまいと、遠い空にそう誓う事くらいだった。

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