37.三上くんとぐちゃぐちゃの気持ち

「やっちゃったなぁ……」


 名も知らぬクラスメイトを叩いたり突き飛ばしたりした件で、わたしは一年生の夏休み前という時期に停学を食らっていた。泣きそうである。というかちょっと泣いた。

 幸いというべきか、わたしの起こした騒動をわたしが全面的に悪いなんて思う人はいなかったらしい。北条くんが「つかよぉ、今のはさすがの朝倉もキレんだろ」なんて言ってくれたらしく、結花ちゃんもそれに便乗してわたしを庇ってくれたらしい。だからかどうかはわからないが、停学もたった三日だ。それならもう行ってもいいと思う。

 しかし、わたしと悠斗の噂は更に真実味を帯びてしまった。


「迷惑かけたかったわけじゃないのに」


 悠斗のことを馬鹿にされた。それがただ悔しかった。何も言い返そうとしない悠斗に少しだけ腹が立った。

 わかっている。彼もわたしを馬鹿にされたときには怒ろうとしていた。けれど、それがわたしを困らせることだとわかっているからちょっと抓ったら黙ってくれた。悠斗が本気で怒っていたのは、目を見たらわかる。

 それなのにわたしは抑えられなかった。


「ふがいなーい。あー! あー……」


 火曜日の昼に何をしているんだろう、わたしは。成績優秀で入試はトップ。中間テストでは全教科一位の完璧美少女。男女共に慕われる存在。それが朝倉玲奈だったはずだ。

 それが、停学で学校にも行けない。本当に何をやっているのだか。まして自分のことでもない人のために。


「わたしも変わったのかねぇ」


 人のためになにかをしてやろうと心から思ったことなんてない。みんな、どうせわたしを見ようとなんてしていない。それは構わない。わたしが見せようとしていないのだから。

 だから、わたしが人のために動いてしまったのは、間違いなく悠斗のせいだ。ただ一緒にいるだけでどきどきさせてくるし、優しいし、かっこいい。細かいところに気がつけて、わたしが困っているといつも助けてくれる。

 そんな彼のために動いた結果がこれだ。


「……悠斗、絶対心配してるよね」


 どうせ自分のせいでとか考えている。そのうえ、おそらく今は朝倉とどういう関係なのかということを聞かれまくっているだろう。あそこでブチ切れてしまったのは本当によくなかった。


「寝よ」


 朝倉さんはこんなとき、何をしているのだろうか。残念ながらわたしにはわからない。勉強をしようかとも思ったがこの状況では気分が乗らないし、本でも読もうかと思ったけれど一番感想を話したい人とは会えない。ならもう、わたしは寝るくらいしか思いつかなかった。






「……な、れな。玲奈」

「……んん」


 うるさい。部屋のドアがひたすらノックされている。父だ。


「お友達が来てるよ。三上くんって子」

「……わかった」


 正直、今はお父さんとは話したくない。申し訳なさすぎる。馬鹿みたいに高い学費を払ってもらって、その結果がこれだ。

 悠斗はなんとなく来るような気がしていた。わたしが不安だろうから、放っておかない気がした。

 わたしがなかなか部屋から出ないでいると、お父さんは悠斗を部屋の前まで連れてきてしまった。


「朝倉、入っていいか」

「いいよ」


 ガチャリ、と扉が開く。やや申し訳なさそうな表情をした悠斗が入ってきた。時期が時期なので、制服はやや暑そうにも見える。


「よう」

「寝てた。おはよ」

「……その、元気か?」

「めちゃくちゃ元気だけど」


 なにせ、寝てしかいない。寝すぎてもっと眠たくなっているくらいだ。


「言っとくけど、気にしないでね」

「わかった」

「心配して来てくれるのは嬉しいけど、来なくていいから」

「それは……まあ、わかった」


 おい。また来るつもりだな。なんだ、わたしのこと好きなのか。

 悠斗は何も言わない。本当にただわたしの顔を見に来ただけらしい。彼氏か、なんて思いながらわたしは話題を探す。


「ちょっと話していい?」

「いいよ」

「やったね」


 話題がないから話すことでもないかもしれない。気分の良い話では無いのは確かだ。

 それでも、悠斗にだけは知っておいてほしい。


「うち、お母さんいないんだ。さっき会ったと思うけど、お父さんがああいう人だからお母さん浮気して。どっか行っちゃった」

「……そうだったのか」

「なんかそんな母親とヤッてできた子どもって考えると悲しくなるけどね」

「それは関係ないと思う。朝倉は朝倉だよ」

「うわっ、真面目だー」


 今のは別に茶化してくれてもかまわなかったのに。女の子がそんなこと言わないの、とか。そんな程度で雑に流してくれていいのに。

 そんなことを言われたら、少しだけ自信になってしまう。


「だから、これ以上迷惑をかけたくないから、わたしは完璧美少女な朝倉さんになることにしたの」

「……立派だな、朝倉は」

「そう、なんだよね。わたしは偉い子だったはずなのになぁ」


 お父さんに迷惑をかけたくなかったから、完璧になることにした。そしたら思いのほか周りの評価が良くて、そっちの方が楽なことに気づいた。でもやっぱり面倒で、そのくせ人の悪意はやっぱり苦手で。

 そんなわたしに、上辺だけじゃない優しさをくれたのが君だったんだよ。顔も名前も知らないわたしを助けようとしてくれたのは、君だけだったんだよ。


「あ、朝倉!?」

「あれ、なんでぇ……?」


 涙が出てきてしまった。別に悲しくなんてないのに、どうして。


「……泣いてもいい。今なら、俺しか聞いてない」


 ああ、そうか。わたしは話を聞いて欲しかったんだ。わたしのことを受け入れて欲しかったんだ。いつからか誰にも話さなくなってしまった気持ちを全部、話してしまいたかった。


「ずっと、勝手に我慢してた。ちょっとでも成績落としたらお父さんに迷惑かかるとか、特待生にならないといけないから死ぬ気でがんばらないといけないとか。中学校のときはずっとそんなことばっかり考えてた」

「そっか、偉いぞ。朝倉はすごい」

「でしょ。偉いでしょ」


 褒められて、また涙が出てしまった。恥ずかしいけど、止まりそうもない。


「ちょっとだけ、見ないでほしい」

「わかった」

「ぎゅってして、ほしい、です」

「……わかった」


 少しの間の後に、わたしの背中に腕を回してくれた。わたしが細いからか、はたまた悠斗がわたしが思っているよりもしっかりしているのかはわからないが、しっかり抱きしめられると思ったよりも温もりを感じる。恥ずかしい。


「でも、その辺りでね。だーれもわたしのことなんか見てないんだって。みんなが好きなのは朝倉さんなんだって」

「朝倉」

「だから、別に今回もなんとも思わなかったんだよ。君が怒ってくれたのはうれし……」

「好きだよ」

「……えっ?」


 耳を疑った。顔を見上げると、悠斗と目が合った。


「朝倉の素直じゃないところも、そのくせ褒められたら嬉しそうにするところも。お父さんのためにずっと一人で頑張ってたことも、俺のために怒ってくれたことも。意外と寂しがりなところも、怖がりなところも、面倒なところも全部」

「あ、えっ、いや……」


 咄嗟に悠斗を突き飛ばしてしまう。完全にキャパオーバーだ。情報量が多すぎる。

 それよりなにより、悠斗がわたしのことを好き?


「……まあ、そうだよな」

「えっ?」

「困らせて悪い。またな」

「えっ、ちょっ……」


 わたしの言葉を待つことなく部屋から出ていった悠斗は、少しだけ悲しそうな瞳をしていた。

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