36.朝倉さんと期末テスト

「それじゃあ、試験はじめ」


 先生のその声と共に、一斉に問題用紙を開く。ビッシリと書かれている問題用紙の一問目から順に、落ち着いて、でも時間をかけずに解いていく。

 詰まるところは特にはない。が、そういうときほど注意した方がいいことくらいはそろそろわかってきている。

 ゆっくりと見直しをしながら、空白に解答を書き入れ終わる。問題がそもそも理解できない、なんてことはさすがになかった。これも全部朝倉のおかげだ。

 朝倉の方を見る。余裕の表情で問題を解いて見直しをしている……と思っていた。


「……朝倉?」


 顔面蒼白で問題用紙を見つめて震えている朝倉に、俺はその名前を呼んでしまう。咄嗟に口をつむぐが、どうやら周りに聞こえる声量ではなかったらしい。

 だが、教室の端にいる朝倉にはなぜか聞こえたらしく、顔は動かさずに泣きそうな視線だけをこちらに向けてきた。

 それからも朝倉は、ずっと顔色の悪いまま試験を受けていた。






 一週間のテストが終わった。俺の隣には相変わらず死にかけている日向がいる。


「終わった俺の夏休み」

「お疲れ様。じゃあな」

「親友からの労いの言葉がそれか……」

「忙しいんだよ俺も」


 本当は予定なんてない。それでも、そんな適当なことを言ってでも俺は朝倉を放っておけなかった。


「朝倉」

「三上くん……どうかしましたか?」

「ちょっと来てくれ」

「またそれですか。今は気分が……」

「いいから来い」

「ちょっ……」


 周囲の視線が痛い。朝倉の言っていた噂は、どうやらこういうことらしい。だが、そんなことを気にしている余裕なんてない。

 真っ青になった顔で、それでも俺の手だけは握っている。そんな朝倉を俺はいつもの空き教室へと連れ込む。


「……なに?」

「どうした」

「どうしたって。いきなり連れ出したのは君だよ」

「顔色悪いぞ」

「……だから、君はそゆこと女の子に言うのやめなって」


 話を逸らそうとする朝倉。前は素直に従ってくれたので、おそらく体調が悪いわけではないのだろう。

 だとしたら、考えられる可能性はひとつだけだった。


「……試験、上手くいかなかった」


 ぽつりと、俺の耳に届くか届かないかの声で言った。届かなかったらそれでも良かったのだろう。

 朝倉玲奈は素直じゃない。それが自分の弱さを見せないためだと知っている。本当は俺にも言いたくないのだろう。


「問題わからなかった……は、ないか」

「見直したら見直しただけ間違い見つかって。どの科目もそうで。なんかもう、どうしたらいいのかわかんなくなっちゃって」

「そっか。でも……」

「うん。悠斗と同じくらいはできてると思う」

「……俺と、か」


 それは確かに、上手くいかなかったと落ち込むのもわかる。


「あ、ちがっ……君の成績が悪いとかそういうわけじゃなくて!」

「わかってるよ。大丈夫」


 朝倉は俺の数倍努力をしている。だから、俺よりも高い点数を取れるはずなのだ。それなのに俺と同じくらいしかできなかったとなれば、落ち込んでしまうのも当然だ。それを言われたところで、俺も別に気を悪くしたりはしない。

 むしろ、テストの結果でここまで落ち込むことができる朝倉が少しかっこいいとすら思えた。


「朝倉は頑張ったよ」

「……うん、ありがと」


 いつものような笑みではないが、少しだけ笑顔になる。


「今回は、俺も早く切りあげろって言いすぎたかも。その辺はごめんな」

「ううん、ありがと。おかげさまで体調はばっちり」

「俺としては、朝倉が元気でいてくれる方が嬉しいんだ」

「……うん。ごめん、さっきまで君のせいにもしようとしてた」

「それでいいよ」


 実際、いつも通りならばこんなことにはなっていないのだろう。その原因のひとつは、間違いなく俺が早く寝ろと言いすぎたせいでもある。それで朝倉の気持ちが少しでも晴れるなら、俺としてはそれでもいいのだ。

 それでも、俺はやっぱり朝倉がつらそうにしているのは見たくはなかった。


「……そーれーよーりぃ? こんなことしたらわたしたちカップルだよもう」

「まあ、仕方ないだろ」

「仕方ないけども。悠斗がわたしのためにやってくれたのもわかってるからなんも言えないけども!」

「俺が週明けから学校来なかったら男子に殺されたと思ってくれ」

「ダメだよ!?」


 初めて朝倉のことをからかうことができた気がする。でも、そんな満足感よりも弱っている朝倉の気を少しでも紛らわすことができたことが嬉しかった。

 あっという間ににこにこ笑顔を作った朝倉と一緒に旧校舎から出る。


「あー、いたー! 日向くん、こっちこっち」

「おっ、いたいた。ほら、お前らの鞄」

「結花ちゃんに北条くん? どうして……」

「さすがにあそこに戻んのはダルいだろ。帰ろーぜ」

「助かる」


 結花は俺にだけ見えるようにピースを作る。


「日向くんから聞いたよ。慌てて玲奈を連れてどっか行ったって。かっこいいじゃん」

「別に。気づいたのが俺だけだったからだよ」

「どーだか。そもそもハル以外はそんなこと気にしてないよ」


 それはそうだろう。あの教室には朝倉の顔色を窺うことのできる奴なんていない。


「……そもそも、俺以外のやつに朝倉は任せたくないな」

「ほー……そっか。がんばれ」


 元から気づいていたのか、はたまた今の発言で気づいたのかは知らないが、結花は明るい笑顔を向けてくれる。素は暗いやつだが、人ががんばろうとしていることを本気で応援してしまえるところはずっと変わっていない。


「おーそだ、週末また遊びに行こーぜ」

「いいね。ハルと玲奈はどう?」

「是非」

「いいよ。ところで日向」

「テスト結果は大丈夫なのですか?」

「うっ」

「ひーなーたーくーん?」


 四人で笑い合いながら、週末の予定を決める。楽しい週末になればいいな、なんて思っていた。






 週明け。テストの上位者が張り出されていた。


「……また五位か」


 もう少し上がってくれていたら嬉しかったが、残念ながら順位は変わっていなかった。


「あ、三上くん。おはようございます」

「……おはよう。大丈夫か?」

「ええ。思いのほか平気です」

「そっか」


 朝倉玲奈。全ての科目に名前はある。が、それは一番上ではない。

 三位、四位、五位。全科目一位の面影は確かに無くなっていたが、朝倉の表情はどこか晴れやかだった。


「次は一位。また取り戻しますから」

「がんばれよ」

「おや? えらく他人事みたいに言っていますが、付き合ってもらいますよ?」

「……まあ、ほどほどに」


 なんとなく、これは本気で言っているような気がした。

 結局あれから噂が加熱しているということを日向たちから聞いた。それに対して俺と朝倉が出した結論は、とりあえずやんわりと否定することだ。なぜか朝倉は若干不満そうにしていたが、その方法が一番手っ取り早いだろう。

 逆にきっぱりと否定しまうと朝倉の男避けとしての役割が果たせなくなってしまうので、ちょうどいい具合の影響がいい。

 教室の扉を開ける。視線が朝倉へ向いた。


「ねぇ、朝倉さんさぁ」

「はい?」

「前のテストってまぐれだったの?」


 心無いことを言ったのは俺は名前も覚えていないが、クラスの中心にいる女子だ。なにもしなくても注目を浴びる朝倉への嫉妬もあるのだろう。


「まぐれ、とは言わせません。次で結果は出します」

「……なんそれ、きも」

「なんとでも」


 余裕綽々の表情でそう告げた朝倉に、自分の席から日向が爆笑しながら親指を立てる。それに対して朝倉はこっそりピースで返す。


「だ、だいたいさぁ。なんなの。三上くんといるけど、付き合ってんの?」

「いや、それは……」

「遊び呆けてるから成績下がったんじゃないの?」

「……おい、いい加減に……」


 言おうとしたところで、朝倉に腕を抓られる。


「だいたい、こんな男とか見る目無さすぎー」

「……はぁ?」

「朝倉、痛い」


 抓る力が強くなる。俺がそう伝えると朝倉は手を離して、代わりに女子の顔を叩いた。


「……えっ?」


 驚いたような声。それだけでは気が済まなかったのか、胸ぐらを掴んで壁に押し付ける。鈍い音と同時に、壁に押し付けられている女子は頭を抑える。


「おい! なんの騒ぎだ!」


 通りすがりの教師が止めに入ったことでその場はなんとかおさめることができた。

 朝倉は、泣きそうな瞳で俺の事を見ていた。

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