33.朝倉さんとご挨拶
「んじゃ、帰るね。わざわざあたしの好きなの作ってくれてありがと、そゆとこ好きだよ」
「ユー?」
「日向くんはもっと好きだよ」
「とっとと帰れ」
日向たちを締め出して、俺と美希、朝倉の三人はリビングへ戻る。
「わたし、食器洗います。それくらいはできます。多分」
「不安。まあでも、ありがとう」
「わたしもやります」
「あ、いや……」
「いや、俺がやるから美希は風呂入って来て」
「いいの? いいのかなぁ……」
首を傾げながら、美希は自室へと戻って行った。その後部屋着を持って一瞬だけ顔を見せた美希は、朝倉に向けて申し訳なさそうな笑みを向けた。
「いい子すぎる……」
「あの性格だから人見知りにもなったんだろうけどな」
「損しそうな性格ではあるかも。兄さんがいないと、今回もわたしと食器洗ってそうだったし?」
「そうだな。あと次兄さんって呼んだら怒る」
「はーい」
だが、俺が美希から食器洗いを代わってもらったのは、別に美希のためというわけではない。ああ見えて自分がしたくなかったりできないことは後回しにして、そのまま忘れてしまうこともある子だ。
「朝倉は座って待っててくれ」
「えっ?」
「お前も疲れたろ。ずっと朝倉さんやってたわけだし」
「い、いや待って。悠斗と妹さんの方が絶対疲れてるでしょ」
「別に。朝倉に比べたらそうでもないよ」
元々朝倉が俺と一緒にいようとするのは、ただ俺と話すのに気を遣う必要が無いからだ。今日に関しては結花という仲間ができたものの、美希や日向にはまだ演技をしているのだから朝倉も疲れているはずだ。
「悠斗は、もうちょっとわたしのことわかってくれてると思ってた」
「どういうことだよ」
「わたしが悠斗と話してるだけで十分楽しいってこと、気づいてくれてなかったんだって」
「俺なんかと話して……」
「それ、次言ったら怒る。俺なんか禁止」
「……はいはい」
朝倉にしては珍しい、本気で怒った表情。
「他の人は、わたしをすごい人だと思ってくれていい。勝手にしたらいい。でも、悠斗は。悠斗だけはわたしと対等でいてよ。寂しいよ」
「……そうだな、悪かった」
「うん」
朝倉にとって、俺は唯一の友人だ。もちろん結花や朝倉の好きな人も朝倉の秘密は知っているが、それはそれとして今の発言はよくなかった。
朝倉と並んで食器を洗う。機嫌を悪くした朝倉は、むすっとした表情で丁寧に食器を洗う。あまり見せない表情に少しだけ嬉しくなる。きっとこの表情は月城高校の生徒ではまだ俺しか知らない。そんなことを考えて、またなんでそんなことを考えているのかを疑問に思う。
しばらく無言のまま食器を洗っていると、玄関のドアが開いた。
「……えっ」
「は、悠斗!?」
「ここで待ってろ、見てく……」
「あら? 結花ちゃんでも来てるのー? ただいまー」
「……母さん?」
玄関から聞こえてきたのは母親の声だった。
「ただいま、悠斗……誰!?」
「あ……えっと、朝倉玲奈と申します」
「かの、えっ、えっ!? 悠斗が彼女……かの、んん!?」
「朝倉は彼女じゃないし、仮に息子が恋人連れてきたとしてそんなに驚くな。傷つく」
確かに、特別魅力がある男だとは思えないが。それでもそこまで驚くのは親としてどうなんだ。
「そんなことより、早く帰ってくるなら連絡しろ。晩飯くらい準備したのに」
「あら、いいのよ。お父さんと美味しい物食べてきたから。でも、たまには悠斗と美希の料理も食べたいわね」
そう言って、朝倉に目を向ける母さん。朝倉は完全に固まってしまって動かない。
「……大丈夫か?」
「だ、大丈夫……ですけど。あの、本当にわたしは悠斗……くんの彼女ではありません。わたしには勿体ない人ですし」
「おい」
お世辞が必要な状況とはいえ、さっきと言っていることが真逆だ。そもそもどちらかと言えば俺に朝倉が勿体ないという立場だろう。
そんなことはお構い無しに、朝倉はあわあわとしながらも誤解を解こうと一人で喋り続けている。
「まあまあ、お皿なんて洗ってないで座りなさいな。悠斗も。お母さん後で洗っとくから」
「それは悪いからいい。でもまあ、わかった」
とりあえずリビングへ。そのタイミングで、もう一度玄関が開いた。
「おっ、結花ちゃんか。あれ、でも日向が一緒じゃないのか。珍しいな……んんっ!? 誰だ!?」
「失礼極まりないなこの親」
部屋に入ってきたのは、俺と美希の父親。朝倉を見るなりなにかを理解したように頷き始めた。
「そうかそうか、悠斗にもそうか」
「朝倉、説明頼んだ」
「えっ!? あ、はい。えっと、わたしは……」
「まだ彼女さんじゃないんですって、
「ほう、そうか」
そう言って頷く父さんに、俺は深いため息をついた。
朝倉は俺の隣に座って、恥ずかしそうに目を伏せている。
「……でぇ!? 今日はなんで玲奈ちゃんはいるのかしら!?」
「おいおい、そんなの決まってるじゃないか。男女が二人でするなんてせっ……」
「うわあああああああ!?」
「うっわびっくりした。どうした」
「な、なんでもありませんはい……」
俺には父さんが何を言おうとしていたのかがわからなかったが、朝倉は顔が真っ赤になっていた。母さんも笑いながらではあるが父さんのことを叩いているあたり、女の子には言ってはいけないことを言おうとしていたのは確かだ。
しばらくして落ち着いた朝倉は、まだ若干赤い頬を抑えながら両親の方を見た。
「夜分遅くにお邪魔して申し訳ありません。その上勝手に夕飯までご馳走になってしまいました」
「あら、そんなこと気にしなくていいのよ。むしろいつでも来てあげて。悠斗も美希も嬉しいと思うから」
「そうだぞ。元からそのつもりだって言ってるだろ」
気にするなと言っても気にする性格なのは知っている。それでも気にしないで欲しいところだが、それは無理だろう。
母さんは俺をそっちのけで朝倉と話している。その勢いに若干押されながらも、朝倉は返答をしている。
「にしても、綺麗な子ねぇ。ほっぺなんて見て、こんなに柔らかくて」
「あぅ……」
朝倉の頬を引っ張る母さん。それを苦笑しながらも文句ひとつ言わずに受ける朝倉に、俺は少し複雑な気持ちになる。
「悠斗?」
「ん?」
「随分と怖い顔をしていますが、どうかしましたか?」
「いや、してないよそんな顔」
「してました。しーてーまーしーたー!」
軽く頬を引っ張られながらそんなふうに言う朝倉。普段なら可愛らしいなと思って終わることなのに、なぜかもやもやしている。
「あら悠斗、嫉妬?」
「……違う」
「そうなのですか?」
「違うって」
違うはずだ。俺が嫉妬なんてする意味もない。それなのに、その嫉妬という言葉に少しだけ納得してしまったのはどうしてだろう。
「とりあえず、遅くなるから帰るぞ」
「あ、はい。ではお母さん、お父さん、お邪魔致しました」
「あらお義母さん?」
「うるさいな」
半ば強引に朝倉を連れ出す。俺に腕を引かれて、朝倉も慌てて鞄を手に取った。俺も、朝倉が買った服を朝倉の腕を掴む方とは逆の手で持つ。
そのまま家を出て、しばらく歩く。
「……悠斗さーん? 歩くの早いでーす」
「あ、悪い」
「いいけど。珍しいね、そんなに怒ってるの」
「……怒ってたか?」
「わたしにはそう見えたよ」
朝倉がそう言うのなら、そうなのだろう。俺は多分なにかに怒っている。でも、それが何に対しての怒りなのかはわからない。
朝倉の腕を引いて、暗い夜道を歩く。
「というか、わたしはなんでまだ手を引かれてるのかなぁ」
「悪い」
「別に嫌ではないけどね? 強引な悠斗も。でも、どっちかと言うと手を繋ぐ方が嬉しいかな」
「いや離すよ」
「……あっそ」
今度は手を離した朝倉が不満そうな顔をする。やっぱり朝倉はよくわからない。
「まあいいや。そういえば、君のお母さんいい人だね」
「よくあれでいい人って思えるなお前」
「そう? わたしはいい人だと思ったけどなぁ。お父さんとももうちょっとお話したかったかも」
「……連れ出して悪かった」
「あ、いや! そういうつもりじゃないよ!」
あわあわと手を振る朝倉。だが、今回はただ朝倉のことを考えて連れ出したというわけでもない気がする。自分でも理由はわからないが、母さんにべたべた触られている朝倉を見ているとなんとなくもやもやしてしまったから。
「ほっぺた、今日いっぱい引っ張られたなぁ」
「…………」
「どうかした?」
「いや、柔らかかったなと思って。大変だろ」
「スキンケアはちゃんとしてるよ。もっかい触っとく?」
「いい」
そもそも、そんなに無闇に女の子の顔を触るわけにはいかない。仮に俺と朝倉がもっと親しい男女の関係ならしてもいいのかもしれないが、俺たちはそんな関係じゃない。
「今度また、ご挨拶に行きたいな。今度は君の選んでくれたかわいい服で、もっと印象良くしたい」
「別に、お前は今日も可愛かったと思うけど」
「……そーですかー、はいはい」
「なんで機嫌悪いんだよ」
褒めたつもりだったのだが、お気に召さなかったらしい。
「まあでも、うん。君のそゆとこ好きだよ」
「そうかい」
「……伝わんないよなぁ……」
「どうした?」
「なんでも」
時折考えるような仕草を見せる朝倉。俺は「好きだよ」と言われたことが少しだけ嬉しかったことを悟られないようにするのが精一杯だった。
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