8.朝倉さんは寂しい?
若干の疲労感に苛まれながら、ようやく家に着いた頃には二十時を過ぎていた。
「おかえりなさい、兄さん」
「ただいま」
「随分お疲れだね」
わざわざ出迎えてくれたのは、妹の美希。そのまま俺から荷物を受け取って、手洗いうがいを促してくれる。
「なんか悪いな」
「偉い妹です。どやぁ」
「そろそろ嫌われる時期かと思ってたんだけど、そんなこともなさそう」
そう伝えてみると、きょとんとした顔で首を傾げられてしまった。
嫌われたいわけではない。誰しも嫌われるよりは好かれた方がいいだろう。だが、どうにもうちの妹は俺との距離が近い。
「むしろ兄さんを嫌う要素がないからね」
「いや、歳の近い兄貴なんて普通鬱陶しくならないか?」
「どうなんだろ。わたしは兄さんと話すの好きだし、兄さんが変なことしてこない限りはずっと兄さんが大好きな妹でいます」
「そういうもんなのか」
「そういうもんなのです」
両親のいないときも多く、美希は俺くらいしか話す相手がいなかった。元々若干人見知りなところがあるため、なかなか友達もできなかったらしい。
だから、小学生の間は俺が唯一の遊び相手だった。そのせいで若干ブラコン気味に育ってしまったようだが。
「ところで、休日に兄さんが出かけるなんて珍しいよね。北条さん?」
「ああ、いや。ちょっとな」
「ちょっとな、な感じじゃない疲れ方してるよ」
さすが妹だと言わざるを得ない。ジェットコースターに乗ってしまったり自分から観覧車の乗ろうと言い出したり、そもそも朝倉と二人で遊園地というよくわからない状況に疲れているのは本当だった。
朝倉がなぜ誘ってきたのかは、今もまだ疑問だった。だが、どうやら満足させることはできたようなので、今は深く考えないようにしている。
「……もしかして、女の子?」
「ん? ああ、まあ」
「兄さんが! 彼女!?」
「えっ、いやちが……」
「やったー! ついに兄さんの魅力をわかってくれる女の子が見つかりました!」
「違うって!?」
もし俺に彼女ができたとして、ここまで喜べる自信はない。それほどまでに俺を評価してくれる妹の姿に、やっぱり少し恥ずかしくなる。
「いやぁ、長かったね。兄さんはいい人なのに、顔は冴えない学力は普通、話したことがなかったら魅力なんてない兄ですので」
「なんで俺ディスられてんだろ」
「ディスってないよ。褒めてるよ」
にこにこと楽しそうに話す美希。やや喜びすぎな気もするが。そもそも、俺と朝倉は付き合っているわけではない。
美希は夕食の準備をしながら俺の彼女についての妄想を膨らませる。
「美希、彼女じゃないから」
「えー? まあ彼女さんじゃなくてもいいけど。兄さんを遊びに誘ってくれる女の子がいるだけでも嬉しいな」
「あはは……」
朝倉が言うには消去法で俺が誘われただけならしいが。
美希が料理に集中し始めた頃に、メッセージが来た。朝倉だ。
『今日はありがとうございました』
『それやめろって』
『えー? でも、ほんとにありがとね』
『気にしなくていいよ。俺も楽しかったし』
俺の返信に続けて写真が送られてきた。今日の写真だ。
『通話しよ』
『妹いるから無理』
『あー残念。後でわたしと話したいなーってなったらしてあげてもいいよ?』
『なんで上からなんだよ』
その朝倉らしい返答に思わず笑ってしまう。それを見た美希がにやにやとした笑みを浮かべる。
「だぁれ?」
「友達」
「と見せかけて」
「友達」
「かぁ……でも、さっき遊んでた人だよね?」
「まあ」
友達と呼べるのかもわからない。俺の方が一方的に友人と思っているだけかもしれないが、遊園地に誘ってもらうくらいには仲良くはやれていると思っている。
そんなことはお構い無しに、美希はにやけた顔で質問を続ける。
「今のはなんの連絡? また遊びに行こうって?」
「ありがとうってさ」
「それだけ?」
「……通話しようってさ」
「ほー……いいね。わたしどっか行くよ?」
「いいよ別に」
別に朝倉に話したいこともない。むしろ、少し一緒にいる時間が長かったから疲れたくらいだ。
美希が作った夕飯はカルボナーラ。味の好みに関しては俺も美希も味付けの濃いものが好きなので、黒胡椒が普通よりも多かったり他にも工夫があるらしい。
「とりあえず食べよっか。いただきます」
「いただきます」
まだ少しにやついている美希をあまり見ないようにしてパスタを食べ進める。あれもこれも聞きたいといった様子だが、無視しておく。
「ねえ、兄さん」
「違うぞ」
「まだ何も言ってないんだけど。その人と後で通話してあげてね」
「なんで?」
別にしたくないわけでもない。外面の誰にでも優しい朝倉とは比べるまでもないが、それでも朝倉が悪いやつじゃないということはわかっている。
ただ、美希がそんなことを言う意味がわからなかった。
「もしかしたら、寂しいのかもしれないし」
「どうだか。そういう奴じゃないと思うけど」
「わからないよ? わたしと兄さんくらい一緒にいても、わからないことばっかり」
「……まあ、それはそうかもな」
もしかすると、俺にちょっかいをかけてくるのは退屈だからじゃなくて寂しいからなのかもしれない。そう考えると、少しだけ可愛げがあるようにも思える。
そんなことを考えてみてありえないと頭を振る俺を見て、美希は優しく笑った。
「お風呂入る前にちょっとだけでもいいからさ」
「はいはい」
美希に言われたからというわけでもないが、どうせ時間もあるのだから朝倉の暇つぶしに付き合うのもいいのかもしれない。
そんな話をして夕食を終える。最後に、美希に気になったことを聞いてみることにした。
「俺のことよりお前はどうなんだ?」
「わたしはまだいいのです」
「そっか」
「お風呂湧いたら先に入ってる。その後呼びに行くね」
「ん」
美希は俺なんかよりずっと異性から注目されそうなものだが、自分の方はいいらしい。
自室で朝倉にメッセージを送る。
『通話、するか?』
五秒ほどして、既読がついた。早すぎる。
『したい?』
『どっちでも』
『えー? どうしてもっていうならしてあげてもいいんだけどなぁ?』
『じゃあいいよ』
『ごめんって。今?』
『今』
すぐに着信が来た。
「もしもし」
「もしもし。えっと、うん。何?」
「別に。なんもないよ」
「えっと……じゃあ、あれ? わたしの声が聞きたかった……みたいな」
「いや別に」
「違った」
どこか落胆したような声だが、そもそも付き合っているわけでもないのにそんなことを思うわけもない。俺と朝倉の関係で、仮にそんな理由で通話をしているなら普通に気持ち悪がられる気がする。
それでも、朝倉にとってはかなりショックなことだったらしい。
「別に話したくないわけでもないからな?」
「うん、まあ。わかってるけど」
「じゃあなんでそんなテンション下がってんだよ」
「形的にはデートだったわけじゃん。なのに、通話して別に理由はないって言われるとなぁ……いや、何言ってんだろ。忘れて。忘れろ」
「別にお前は気にしなくていいだろ。かわいいとは思ったぞ」
「……ほんとに?」
「そんな嘘つかない」
やや食い気味にそんなことを聞いてきた朝倉。自分の魅力くらい朝倉なら気づいているだろうに、そんなことを聞いてくるのが不思議だ。
嬉しそうに何度も確認してくる朝倉が少しおかしくて、でもどこか可愛らしくて細かいことがどうでもよくなってしまった。それが少しだけ悔しくもなったが。
「お前の方こそなんか話したいことあったんじゃないのか?」
「えっ? あー……君の声が聞きたかった、みたいな?」
「嘘つけ。さては、忘れたんだろ」
「そ、そうなんだ! ごめんね!」
「いいよ別に。思い出したら言えば」
忘れてしまうくらいならそれほど大切なことというわけでもないのだろう。
「なんもないなら、切るか」
「えっ」
「ん?」
「……もうちょっとだけ話したりしない?」
「別にいいけど」
小さくやった、と呟いた朝倉の声と共に小さく水の音が聞こえてきた。
「……朝倉、どこで通話してる?」
「ん? お風呂だけど」
「切るぞ」
「ちょっ、なんで!?」
「風呂で男と通話すんな、馬鹿」
「……ふーん?」
しまった、と思った頃には遅かった。朝倉は楽しそうにそっかそっか、と呟いている。
「意識しちゃうよね。童貞くんだもんね」
「切るぞ」
「いいのかなぁ? 切ったらお風呂の……」
「うるせぇ」
言葉を遮って通話を終える。
「……兄さん、お風呂に入ってる女の子と通話してたの?」
「びっくりした!? いたなら声かけろよ……」
「兄さんは痴女に誘惑されてる!?」
「違うからな!?」
「だ、駄目だよ兄さん? 身体目当てはよくないよ!?」
「美希、俺の事そんな感じで思ってたの?」
それから美希の誤解を解くのに小一時間かかった。
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