7.三上くんのこと

「はぁ……楽しかった」


 三上くんと別れて、暗い夜道を歩く。別れ際にあんなことを言うから、何度も後ろを確認してしまうが。

 立ち止まって、スマホを取り出す。写真フォルダには、今日の日付で撮られたいくつかの写真。その中で、撮影してすぐの写真を見返す。

 観覧車には、乗れないと思っていた。そんなことよりも、三上くんが少しでも楽しんでくれるならそれでもよかった。それなのに、三上くんの方が楽しませようとしてくれた。無理やり誘ったのはわたしなのに。

 バレてしまったのが三上くんで、正直なところわたしはよかったと思っている。きっと三上くんはこんな奴だと知って裏切られたと思っているだろうけれど。

 そもそも、距離の詰め方を明らかに間違えている。なんだ、連絡先を交換して初めてのまともなやりとりが遊園地デートって。わたしがクラスメイトの男子にもし同じように誘われたら、間違いなく断る。


「でも、来てくれたんだよね」


 正直、来てくれないとばかり思っていた。あんなことを言っていたから、来るはずがないとすら思っていた。でも、ちゃんと来てくれた。

 優しいところは、数ヶ月前とは変わっていなかったのだ。




 二月。まだ寒い時期。わたしは県内有数の私立進学校である月城つきしろ高校の入学試験を受けに会場へと来てきた。時間は試験開始の三十分前、予定にはかなり余裕もある。

 だが、時間があってもどうにもならないこともある。

 一つは、体調がすこぶる悪い。頭がひどく痛み、物事を考えられる状況ではとてもなかった。そんな状況でも試験会場へしまったのは、親に体調が悪いなんてことを伝えるのが頭痛なんかよりもずっと怖かったからだ。

 そして、もう一つ。試験に必要な時計を忘れてしまったのだ。時間の確認ができないと、精神的な不安がとても大きい。もちろん、全てを迷うことなく解くことができればなんの問題もないのだが、そんなことができる保証はどこにもない。

 そんなとき、一人の男の人が声をかけてきた。


「顔色、大分悪いけど。大丈夫か?」

「えっ……と……」

「入試で無理すんなとか言えないんだよなぁ……薬は? 時間あるから買ってこようか?」

「いや、そんな……」

「あ、頭痛のならあるけど。飲んどく?」

「じゃあ……はい」

「ん。ほら」


 瓶に入った、市販の薬。この人が言うには、頭痛と腹痛はなんとか薬で対処できるからと持ってきていたらしい。

 少しだけ飲んだ形跡のあるペットボトルの水で薬を飲む。関接キスというのに少しだけどきりとしてしまったが、わたしが持ってきた飲み物は緑茶なので仕方ない。

 その人はわたしよりも焦ったような様子で、でもそれを顔に出さないようにして話してくれた。きっと、わたしよりも焦ってしまうと緊張させてしまうと思ったのだろう。


「落ち着いた……わけないけど、まあ、ないよりはマシだろ」

「その、ありがとうございました」

「気にしないで。あと、必要なものは早めに出しといた方がいいと思う」

「えっ?」

「時計とか」


 どこまでも親切な人だ。だが、生憎わたしは時計を持ち合わせていない。

 この人のおかげで頭痛がどうにかなりそうなのでもしかしたら時計がなくてもいけるのかもしれない。別に余裕があるわけではないけれど、これはわたしが引き起こしたミスなのだ。自力で何とかしなければいけない。


「……もしかして、ない?」

「忘れてしまいまして」

「早く言ってくれればいいのに。はい」

「えっ?」

「二つある。壊れたりしたときの予備で持ってきてた。めちゃくちゃ安いやつだから、あげるよ」

「その……ほんとにいいんですか?」

「困ったときはお互い様」

「その、でしたら後でお礼を」

「なら受かってくれ。俺も絶対受かる」

「えっ、ちょっ! ……行っちゃった」


 それから、わたしは入試を難なく乗り越えることができた。なんと、入試成績はトップ。後にわかったことだが、彼も合格することができていたらしい。




 そのときに助けてくれたのが、三上くんだった。だから、自分でも気づかないうちに三上くんには話しかけてしまっていたし、気になってもいる。それは、仕方ないと思う。別に好きになったわけではない。断じて違う、気になるだけだ。そう、それだけ。

 左の手首。小さくてどこか安っぽい腕時計は、まだ時を刻み続けている。


「……笑ってるわたしは、嫌いじゃない。か」


 嫌われていても仕方ないとすら思っていた。素直になれないだけじゃなくて、童貞童貞と罵ってばかりなのだから。もし三上くんがまだ経験のないことをコンプレックスに感じていたらわたしは最低だし、そもそもわたしは三上くんの過去を何も知らない。

 それに、わたしだって経験なんてない。知られたら二度と顔なんて合わせられない。


「素直に、ならなきゃ」


 せめてあの日のお礼くらい、本当に嫌われてしまう前に伝えなければ。そう決めても、まだまだ素直になれそうにはない。別にただお礼を言うだけなのにあんな事ばかり言ってしまう自分が理解できなくて、わたしは今までにないくらいの深いため息をついた。

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