5.朝倉さんと観覧車

 しばらく遊んで、日も沈んできた。満足そうな笑顔の朝倉と並んで、園内マップを確認する。


「はー、楽しかった。もう結構遊んだから、帰ろっか」

「もう帰るのか?」

「君と遊べるものは十分楽しんだと思うけど?」

「いや……」


 まだ、朝倉は満足していないはずなのだ。まだ乗っていない乗り物もある。好きだと言っていた観覧車にも乗っていない。


「三上くん、優しいよね」

「そうか?」

「うん。まあ挙動は童貞のそれだし女の子慣れはしてないみたいだけど、優しい。褒めて遣わす」

「一言どころかほとんど余計なことしか言ってないぞ」

「そうかも」


 くすくすと楽しげに笑った朝倉は、突然スマホを構えてインカメラを起動した。


「記念にね。また遊ぶことなんてないだろうし」

「じゃあ、待て」

「えっ?」

「こんなところで撮っても映えとかしないじゃないのか?」

「わたしはそういうの気にしないんだけど」

「だから観覧車乗るぞ」

「いやだから気にしないって。というか、君が高所恐怖症なのになんでわざわざ……」


 別にいいから、と言ってシャッターのボタンを押そうとする。その朝倉のスマホを半ば強引に引ったくって、画面を落とす。


「ここに来る約束した時に言ってたよな、なんでも聞くって」

「なんでも聞く予定よ?」

「なら、観覧車乗るぞ。それが今回の分」


 驚いたようにも呆れたようにも見える表情で、朝倉は俺の事をじっと見つめていた。


「……なんでそんなに観覧車に乗りたいの?」

「……あー、なんだろうな。言ってもからかわないなら言ってもいい」

「保証はできない」

「なら言わねぇ」

「からかわないから教えてよ」


 本当に不思議そうにこちらを向いてそう言った。

 言ってもいいなんて言ったが、実際のところは自分でもよくわかっていない。嫌な奴ではあるかもしれないが、悪い奴でないことは確かだ。けれど、だからといって俺が朝倉のことを気遣う義理はない。

 それでも、今日一日過ごしてみてわかったこともある。


「朝倉が楽しそうにしてる顔は、嫌いじゃない」


 結局、俺は朝倉の楽しそうにしている顔を見たかっただけなようだ。

 好きかと聞かれれば、今は好きではない。ただ、朝倉が弄ってくる範囲に不快感を与えるものは、今のところはない。それがたまたまなのか、はたまた俺のことを多少はわかっているからなのかはわからないが、それが不快感になるまでは朝倉のことを嫌いになることはどうにもできそうにない。


「……馬鹿なんじゃないの」

「素直に喜べよ。嫌われんぞ」

「うっさい。まあ、でも。そこまで言うなら甘えとく」

「そうしとけ」


 朝倉は少しだけ照れたようにはにかんだ。

 観覧車の乗り口は話していた場所からすぐ近くにあった。スタッフに観覧車へと誘導されて観覧車の中に入る。

 扉が閉まり、二人きりの密室が完成した。俺と反対に座った朝倉は外を見つめていて、あまりこちら気にしているようには見えない。


「……ん、なに? なんか付いてる?」

「外を見たくないだけだから気にしないでほしい」

「ああ……うん、そういうことなら見てていいよ。どう、可愛いでしょ」

「不本意だけど可愛いとは思う」

「一言余計」

「お前に言われたくない」


 童貞童貞と人のことを散々罵ってきたのは誰だったか。そんなことを話していたら、段々と観覧車は頂上へと近づいてきた。


「あ、写真写真。こっち来れる?」

「俺、写真嫌いなんだけど」

「えぇ……」

「一人で撮れよ。撮ってやるから」

「……それだと意味ないじゃん」


 むすっと頬を膨らませた朝倉がとんでもない破壊力で、咄嗟に目を逸らす。


「わかったよ、撮ればいいんだろ……」

「素直にそう言えばいいのよ」

「悪かったな。で、どうやって撮るんだ?」

「一緒に入ってほしいから、こっち来て」


 ぽんぽんと自分の隣を叩いた朝倉は、スマホで撮影の準備をしている。朝倉の隣に移動しようと立ち上がった瞬間に、ゴンドラが大きく揺れた。


「あ……」

「危ないっ!」


 咄嗟に動いた朝倉は、俺を抱きしめるような形で受け止めた。が、体格差がある俺を受け止められるわけもなく、頭を打ちつけそうになったところを、今度は俺がなんとか庇う。


「……悪い」

「ううん、こっちこそ。ありがと」


 抱きついてきた朝倉を俺が抱きしめ返すような状態になってしまって、なんとも言い難い感情になる。そっと朝倉の頭から手を離すと、にやついた表情でこっちを見ていた。


「欲情しちゃった?」

「残念だったな」

「そんなこと言っていいの? ここ、密室だからシようと思えば……バレないよ?」

「そういう誘惑には乗らないし、自分を安く見せるのもやめろ。本当に歯止めが効かないやつだったらどうするつもりなんだ」

「……あっそ」


 少し目を伏せて、寂しそうにため息をついた。


「そんで、そうやって照れた感じ出しても引っかからない」

「駄目かぁ。まあ、とりあえず撮ろ?」


 ぐっと体を寄せて、スマホを前に構える。画面にはインカメラに写った俺と朝倉が映っている。


「撮ってもいい?」

「嫌って言っても撮るんだろ」

「ちょっとは躊躇うけど」

「じゃあ嫌だ」

「はい、笑ってー」

「何が躊躇うだ……」


 シャッターの音が鳴った。呆れたような表情の俺と、楽しげに笑う朝倉が画面に映っている。


「……ありがとね」

「なにが」

「全部。わたしのわがままに付き合ってくれて」

「わがままの自覚があってよかったよ。俺以外にはやめとけよ」

「なんで君は付き合ってくれるの」

「さっき言ったろ。朝倉が楽しそうにしてるのは嫌いじゃないって」

「……えっ、なに。告白?」

「お前がいいのは顔だけだ」

「ちぇ。三上くんも、女の子にそういう意地悪言うのやめた方がいいよ」


 そっぽを向いてしまった朝倉に苦笑を返す。


「……ちょっと聞きたかったこと、いい?」

「どうぞ。ふざけた質問だったら口利かねぇ」

「さっきさ、『あんま話したことない女の子と出掛けるのは初めて』って言ってたけど……もしかして、よく話す女の子はいるの?」

「いるけど。妹とか」

「妹!?」


 三上美希。中学生三年生になった今でも俺の事を兄さんと呼んで離れない、少なくとも朝倉よりは可愛げのある妹だ。とはいえフィクション作品のような恋愛感情は一切ない。


「まあ、どっかで会うかもな」

「えっ? そ、それってわたしが君の家に……いや……うーん……」


 何かを考え込むようにして俯いてしまった朝倉に、俺はただ首を傾げることしか出来ない。


「さっきから大丈夫か?」

「……あ、うん。大丈夫。童貞くんは女の子とデートするのも初めてかなと思っただけで。それで聞いただけで。別に深い意味はないから」

「そうかい」


 何の念押しかはわからないが、やや慌てた様子で言葉を重ねる。その様子がおかしくて、少しだけ笑ってしまう。


「笑わないでよ」

「いや、悪い。あ、そろそろ下に着くな」

「ほんとだ。怖くなかった? 大丈夫?」

「ほんとに心配してるのかわからない言い方だな」

「うん、心配なんかしてない。ずっとわたしのこと見てたもんね?」

「……うるさい」


 言い訳はいくらでも思いついたが、朝倉のことを見ていたのは言い逃れもできない。


「そうだねぇ? 顔は可愛いもんねぇ?」

「あーうるせぇ! 黙れ!」


 にやにやと楽しそうにからかう朝倉を少しだけ、ほんの少しだけ可愛いなんて思いながら、俺と朝倉は遊園地を出ることにした。

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