4.朝倉さんと遊園地

 九時五十分、待ち合わせの十分前。待ち合わせの時間が近くなって、ようやく二つのことに気がついた。

 ひとつは、朝倉が俺を弄んでいてこの場に来ないことだ。待ち合わせの噴水に来ても朝倉の姿はない。もちろん、まだ十分前だから来ていなくてはいけないわけでもないが、誘っておいてギリギリに来るようなタイプでもない。

 そんなことを心配していたら、後ろから息を荒くしながら朝倉が声をかけてきた。


「はぁ……はぁ……こっちにいたの……」

「おはよう。えっと、大丈夫か?」

「大丈夫じゃ……ない……はぁ……」

「……えっ。もしかして俺、場所間違えてた?」

「ちょっと……待って……」


 息を整えている朝倉に持っていたペットボトル入りの水を手渡す。無言で受け取って少しずつ飲んだ朝倉は、急に顔を赤くしてペットボトルを突き返してきた。


「これ、君のじゃん!」

「そうだけど」

「そうだけどって……ムカつく。君もそれ飲みなさいよ」

「喉乾いてないけど」

「いいから」


 なぜか執拗に水を飲ませようとしてくるので、大人しく飲んでおく。特に変な味がするとかいうわけでもなく何の変哲もないただの水だ。その様子を恨めしそうに見ていた朝倉は、ぐいっと顔を近づけてきた。


「なんだよ。もう顔近づけられたくらいでどきどきもしないぞ」

「……童貞のくせに」

「うるさいな」

「もういい。行こ」


 不機嫌になってしまった朝倉に手を引かれて遊園地へ入る。


「そういえば、なんでそんな息切らしてたんだ?」

「ああ……」


 思い出したように話し始めた朝倉は、少しだけ申しわけなさそうにしている。


「向こうにもね、噴水があるの。わたしはそっちのつもりだったんだけど、三上くんはこっちにいたってだけ。ごめんなさい」

「いや……そんなこと知らなかった。俺の方こそちゃんと調べもしないでごめん」

「わたしが言い出したんだから、わたしが管理すべきでしょうが。気にしないで」

「ならそういうことにしとくよ」


 よほど急いできたようで、呼吸は整ったものの汗が頬を伝っている。


「でも、間に合ってよかった。呆れて帰ったりしたらどうしようかと思ってた」

「むしろ俺は朝倉が来ないものかと思ってたよ」

「えっ? なんで?」


 真っ当な理由があるのだと知っていれば帰ったりはしないが、確かに朝倉が少しでも遅れていたら俺は帰っていただろう。今回の件はきちんと確認をしていなかった俺も当然悪かったのだが。

 それでも、未だになにか企んでいるのではないかと疑っているのも事実だ。


「楽しみって言ったじゃない。それでドタキャンなんてしないから」

「それが嘘かほんとかもわかんないんだよ」


 ぽかんとした顔で小首を傾げる朝倉は普段と同じような

愛らしさがあって、本当にわかっていないんだとわかる。


「わたし、嘘はつかないから。少なくとも素のときにはね」

「……それは、疑って悪かった」

「まあ、日頃の行いよね。建前なら結構やってるし」

「でも、嘘つき呼ばわりされるのは嫌だろ」

「まあね。だから、これからは信じて?」

「おう」

「うん。じゃあ、行こ? わたし、観覧車とかジェットコースターとか好きでさ」


 笑顔でそう言われて、気づいたことの二つ目を思い出してしまった。

 俺は高いところが苦手だ。高いところといっても絶対に落ちないとわかっているような場所なら別だが、ジェットコースターやら観覧車やらは別だ。


「まずは、ジェットコースターかなー」

「えっ」

「楽しそう。早く行こ」


 手を引かれて言い出せずに列に並んでしまう。


「楽しみね」

「…………」

「……どうかした?」

「いや、なんでも」


 こんなに楽しそうな顔を見せられてしまっては、とても言い出せない。俺をからかうことなんて忘れて、ただジェットコースターを楽しみにしている。年相応どころか、少し幼いくらいに感じるその表情を見てしまったら、自分のことなんて後回しだ。


「……まあ、頑張ってみるか」

「えっ? 何か言った?」

「いや、なんでもない」

「そう? まあ、君もわたしとデートできるんだからよかったんじゃない? 顔だけは君好みだろうし」

「だけってところは自覚してるんだな」

「さすがに性格まで好かれてるとは思わないから。三上くんこそ、顔は好きって認めちゃっていいの?」

「どうせ見抜かれてるならな」


 本性を知ったときに恋愛感情なんてものは消え去ったと思っていた。それでも、顔は変わらないんだからそこは嫌いにはなれない。我ながらなかなか最低な人間な気がする。

 だが、そんなくだらない会話をしたおかげで、少しだけ恐怖心が和らいだ。それに、朝倉に高所恐怖症がバレたらまた弄ばれるに決まっている。


「黙ってればいいだけだしな……」

「ほんとに大丈夫? どうしたの?」

「大丈夫だから」

「ならいいけど」


 とても好きにはなれそうもないが、いつも無理をしているならせめて今日くらいは朝倉にとって楽しい日になればいいと思った。




 そうして、ジェットコースターに乗った。


「あははっ、久しぶりで楽しかったー」

「そう……だな……」

「……酔った?」

「大丈夫だから。行くぞ」


 弱っているのを悟られたくなくて、気丈に振る舞う。高所というだけでもつらいのに頭を揺られて、朝倉とは真逆の気分だった。

 次はできれば落ち着いたものがいいなと思っていると、いつの間にか隣に立っていたはずの朝倉はいなくなっていた。

 少し離れたベンチに座って、こちらをじっと見ていた。


「……こっち、来なさいよ」

「なんで」

「君が来ないならわたしは絶対ここ動かないから」


 それでは、せっかくここに来た意味がなくなってしまう。あれだけ楽しみにしてくれた朝倉の笑顔を思い出すと、今すぐにでも次の場所へ行きたかった。けれど、朝倉が動く様子もない。

 素直に朝倉の隣に腰掛ける。水を飲むと、少しだけ気分もマシになった。


「横になる? もしあれなら膝、貸してあげるけど」

「……いい。つか童貞にそんなことしていいのか」

「まあ、三上くんがわたしの太ももの匂いを嗅ぐとかそういうことするなら話は別だけど? シンプルに軽蔑する」

「しねぇよ……」

「でしょうね。まあ、膝枕を人前でってのは恥ずいからあれだけど、肩に頭乗せるくらいならいいんじゃない?」

「……後で弄るのは、控えめにしてくれ」

「わたしはスマホ弄ってるから何も知らない」


 言い終えるや否や、朝倉はスマホを操作し始めた。園内マップを見ているらしい。

 少し楽になったとはいえまだ意識がぼんやりしているので、朝倉の言葉に甘えて肩に頭を乗せる。

 ふわりと、花の香りがした。なんだかんだで気づかなかったが、いつもはこんな匂いはしない。


「香水……?」

「太ももじゃなくても匂い嗅がれるのはあんまり良い気はしないんだけど。正解」

「悪い」

「別に。煩悩払おうとして変に頭使ったりされるよりは匂いの分析されてる方がマシ」


 顔色も変えずにスマホを見つめながらそんなことを言う。

 今日はからかわれてばかりの予定だった。朝倉はそういう奴だと思っていたから。だけど、違った。本当は早く回りたいはずなのに、俺の事を置いていくわけでもなくむしろ肩を貸してくれている。


「そろそろ大丈夫?」

「おう……その、さ。なんで待ってくれたんだ?」

「体調悪いって言ってる人を放って遊べるほど性格悪くは無いから」

「そりゃそうだな」


 朝倉の態度で勘違いしてしまいそうになるが、朝倉は俺のことが好きではないにしても、決して嫌いとは言っていない。一人の友人くらいには思ってくれているのだろう。

 だから、これは疲れた友人を待ってあげているだけに過ぎない。


「さて、じゃあ次行こっか。でも激しい乗り物が駄目なら……」

「いや、高所恐怖症」

「あ、そうなの? そっか……」


 ぽつりと呟いた朝倉は、少しだけ寂しそうな顔をした。


「じゃあ、いろいろ回れるか」

「今日は一応連れ回される気でいるから」

「わたしとしては介抱した記憶しかないから、連れ回させてもらうね」


 そう言って立ち上がった朝倉は、まだ少しだけふらついているらしい俺を支えてくれる。


「童貞くんに汚名返上のチャンスをあげます」

「ん?」

「お化け屋敷なら男らしいところを見せられる、かも?」

「……まあ、高いところに行くよりは何倍もマシだな」

「じゃあ、行こっか。あ、手でも繋ぐ?」

「お前とカップルだと思われるのは嫌だ」

「えー、顔は可愛いのに」

「顔だけだ」


 けれど少しだけ、優しいところもちゃんとあるらしい。

 お化け屋敷に入った俺たちは、順路に沿って進んでいた。男らしいところがどうとか言っていた朝倉はそもそも怯える様子もないので、本当にただ歩いているだけになっている。

 おどろおどろしい音が微かに聞こえる道をただ歩いている。そんなとき、朝倉が腕を掴んできた。


「み、三上くん……怖い……」


 からかっているとも本気で怖がっているとも取れる声色だが、さっきまでの様子を見るに本気で怖がっているわけがない。


「ちょっ……置いてかないでよ!」

「付いて来ればいいだろ」

「怖い無理無理無理だからちょっと!」


 腰にしがみついてそのまま立ち止まってしまった朝倉は、少しだけ震えていた。


「……もしかして、怖い?」

「そう言ってんじゃん!?」

「……あー」


 可愛いところもあるんじゃないか、なんてことを考えてしまった。でも、今までの事を考えてみればこれくらいの演技はなんでもない。


「お願いだから待って! ほんとに! 足、足ガクガクして歩けないから!」

「わかったから。おぶる」

「……えっ?」

「嫌ならいい。いくらでも待つけど」

「い、嫌じゃない。うん……ありがと」


 朝倉は照れたような声で、俺の首に腕を回す。腕にはかなり力がこもっていて、本気で怖がっていたことが伝わってくる。


「なんでこんなことに……」

「……三上くんは、わたしと遊園地来るの嫌だった?」

「ん? いや、別に。まあはっきり言うと弄られるのは嫌だったけど、そういうこともあんまして来なかったし楽しんでる」


 性格云々は置いておくとしても、朝倉は容姿端麗だ。百人が見たら九十九人は朝倉を可愛いとか美人とか、そういう感想が真っ先に出てくるはずだ。それは俺も変わらない。

 だからというわけではないが、別に嫌な気分ではなかった。ほんの少しだけ、朝倉のことを知れたような気もしたから。


「……そっか」


 ぽつりと呟いた声音は、どこか不安そうだった。まだ俺が楽しめているのかを心配しているのかもしれない。あるいは、ただ単にお化けが怖いだけなのかもしれないが。


「俺としては、あんま話したことない女の子と出掛けるのは初めてだし、ちゃんと朝倉が楽しめているかの方が心配だよ」

「わたしは、楽しいけど」

「そりゃよかった。童貞くんとのデートでも楽しめるみたいで」

「うっさい。そういうの良くないからね?」

「どの口が」


 童貞童貞とからかってくるのはそっちだろう。

 ともあれ、少しでも朝倉が楽しめているのなら良かったとは思う。先程散々迷惑はかけてしまったので、その分くらいは楽しんでもらえるように付き合うつもりだ。

 朝倉と話すことに夢中になっていると、いつの間にかお化け屋敷の出口にたどり着いた。


「話してたら怖くなかったかも」

「本末転倒だろ。降ろすぞ」

「うん。ありがと」


 にこっと笑顔で礼を言って、耳打ちしてきた。


「どう? 童貞くんはかわいい女の子を背中に乗せて、どきどきした?」

「あーもうお前と二人では出かけない」

「つれないなぁ。まあいいか、次行こ!」


 気丈に振舞ってはいるが、抱きつく腕にはしっかり力がこもっていた。


「可愛くない奴」


 最後まで素直に怖がれば可愛げもあるのに、なんて思いながら俺は早足で歩き始めた朝倉の後を追った。

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