第9話 レベル6.2

 ◯

 崇拝、羨望、一方で嫉妬、危惧。

 憎悪、軽蔑、一方で同情、信頼。

 この歪んだ関係は続く。

 二人が路上で横死するまで。


 ◯

 宙野は大規模な雷雲を呼び寄せることだけではなく、空気中の静電気を集めて、軽く焼いたり、痺れさせたりすることもできる。

 それでついさっき、片手を失いそうになった。何せ、彼女の「軽く」っていうのは、脆い人間のボディーでは耐えられるもんじゃ無い。

 それにしても……よりにもよって彼女を騙すとは、俺もどうかしているみたいだ。

 でも反省すべきなのは彼女を騙すことではなく、油断して企みがバレたことだった。

 いや。よくよく考えると、そもそも俺は騙したか!?隠し事しただけではないか。彼女は人に騙されすぎて神経質になったかもな。

 可哀想に……。

 …………

 けど傷付けられても、俺は生き方を変えようとはしない。伏せるべき情報は伏せておく。騙す必要があるなら騙す。そしてピンチだったら必ず助ける。

 もちろん彼女も変わらないのだ。俺を利用する必要があるなら利用する。要がないなら放っておく。邪魔になったら、排除する。

 これが彼女との変わった間柄だ。昔からそうだった。

 能力者の間の牽制、警戒、たまには協力もあるけれど、そんな単純なもんじゃない。

 何せ、俺らは似て非なる存在だ。

 親を失い、辛い思いをして、一人暮らしをさせられる。

 強大な力を持ちながら使い方に悩む。

 そして最も似ているところは、寂しいことだ。寂しいからこそ、偽りでもいいから仲間を求めるのだった。

 ……。

 1人暮らしを始めた俺は問題児だった。今も変わりないが、あの時は高校生だったから、今見ればありふれたことでも、高校生がそれをやってたら、目をつけられる。

 16歳の俺が数十人のグループを率いて、あちこち喧嘩を売ったりして名を揚げてたとは、今思えば目立ち過ぎだ。この正義の連中を持ち過ぎた町では、自殺行為って言っても過言ではない。

 ところが、彼女もそうだった。

 高校生兼アイドルだったなのに、ちょこちょこ2人の変な男とつるんで、警察ごっこをやっていたのを見ると腹が立つ。なによりも一番腹立つのは、彼女が俺の好きな曲の作者であることだった。

 あんな歳で、警察ごっこをやりながら、歌ったり踊ったりもして、それでも尚、創作も兼ねていたのか!?彼女には時間を緩める力を持ってるかってすら疑う。

 俺はそんな彼女を見過ごせなかった。

 彼女も俺という悪党を許せなかった。

 ……。

 戦った末、結局は俺の負けだった。

 勝負にもならず、一瞬で負けを認めた。

 グループは解散に追い込まれ、その上、地上での活動が許されず、地下に住むことを余儀なくされた。

 それ以来、彼女は監視役として、週に1回俺の状況を確認しに来ていた。

 どう見ても軟禁みたいな状況なのに、俺は楽しんでいた。これがいわゆる、ストックホルム症候群なのかな。

 その間、彼女の周りにも変貌があって、その特別捜査隊とやらが突然解散となり、彼女は親友と二人でやっていくと決めた。

 そして一年も持たず、その親友の雫ちゃんもある日突然別れを告げ、勝手に田舎に戻ることにした。

 挙句の果て一人ぼっちになった。

 それを聞いて喜ぶ部分はあったが、心配もあった。

 あの憎たらしい特捜隊の2人の男が憎いが、文句なしの利口者だった。

 一方で、雫ちゃんは彼女を一番知っている人間として、彼女を抑える力も持っていた。

 あの人達が居なくなると、彼女がこの街をどうひっくり返すか、想像するだに恐ろしい。

 確かに彼女は強い。途轍もなく強い。しかし強いからこそ、力に頼り過ぎてただの武器になる。武器であれば、利用される恐れが充分にある。

 じゃあどうする。

 俺は胡座をかいて唯一の天敵の自滅を見届ければ良いか?

 俺はワインを注いで笑いながら、テレビで彼女が逮捕されるニュースを待てば良いか?

 俺は彼女が窮地に追い込まれ、無差別に殺戮を行うのを期待すれば良いか?

 そんなことは……できない。

 俺はとっくに獄卒に惚れた囚人だ。


 ◯

 陰湿な地下に住み着き、情緒不安定で、略奪を当たり前のように思う俺が堂々と彼女を守ろうと色々と動くと、彼女の反感を買うことになるだろう。

 だから裏で働くことにした。

 彼女を裏で守るためには、まずは情報網が欲しかった。

 そこで真っ先に、俺は各領域で働く人間に催眠をかけ、定期的に街の動向を報告させた。

 方法は実にシンプルだが効果は抜群。

 その人たちが集めた情報をとあるメモアプリに書き込むと、データがリアルタイムで自動的にデーターベースにアップロードされる。

 俺はそのデータベースでキーワードを入力して検索すれば、欲しい情報は全て手に入る。

 ちなみに彼らのアカウントには書き込みの権限はあるが、読み取りはできない。つまり振り返ることはできない。

 いつか催眠が解けても、自分が今まで書き込んできた内容が見えないようじゃ、彼らにとって、何気なく書いた日記を無くしただけだった。

 振り返ることのできない日記の内容をいちいち覚えるやつはいないだろう。いたとしても、やましい内容なんて何一つない。彼らにとってはその領域において当たり前の内容だったが、すべての領域の知識をかき集めれば、とんでもない力になる。

 このデータベースのセキュリティシステムも最初色々とリスクが潜んでいたが、その分野の天才である来栖君の到来がそれを完璧化にしてくれた。

 しかし予想外のことがしょっちゅう起きるこの街じゃ、予防だけで物足りない。次に用意したのは、即座に動く「戦力」だ。

 何を隠そう、この街の住民30万人の中、少なくとも10万人の頭の中に、俺は『爆弾』を埋め込んでいる。

 その爆弾共々を起動させるキーワードはーーレベル6.2。


 ◯

「異常気象が起こったため、町民のみなさんにお知らせです。

 ただいまより、バイオ・デイライト研究所の上空に雷雲が発見され、落雷が予想されます。活動度はレベル6.2とみなされています。室内にいる人は外出を控え、お外にいる人は速やかに建物へ移動することをおすすめします。

 繰り返します。

 ただいまより、バイオ・デイライト研究所の上空に雷雲が発見され、落雷が予想されます。活動度はレベル6.2とみなされています。室内にいる人は外出を控え、お外にいる人は速やかに建物へ移動することをおすすめします」

 ……。

 始まった。

 彼女が雷を呼ぶたびに、街の皆に知らせできるように町内放送を利用して、ラジオ、テレビ、そして拡声器でアナウンスメントを流させる。

 アナウンスメントの中の『レベル6.2』というキーワードを聞くと、そのキーワードの発生と繋がる場所に赴く。この場合、バイオ・デイライト研究所だ。今や数万人がそれを聞き、の目的で研究所に向かっているだろう。

 これが俺の思いついた催眠の応用だ。一つの目的は混乱を招致して、彼女の脱出を容易にさせる。もう一つの目的は、こんな大勢の人間がいるから、少し力を控えろっていう彼女への警告だ。

 放送が正常に流れてることが確認済みになると、ようやく安静に手の治療に集中できそうだ。

 行きつけの私立診療所に入り、人群れを追っ払った後、腰を下ろした。

「先生、痛い」

「それはそうでしょう。なにせ、前回よりも2倍くらいの火傷ですよ。一体どうやってこんなに……」

「まあ、それは聞かないことにしよ。火遊びが好きな人、だって思っててくれ」

「分かりました。原因は別に良いですけど。ただし毎回来る時に他のお客人を追い払ったのはやめてもらえますか?」

「だから、金払ったじゃねえかよ!貸し切りだぞ!」

「病院に貸し切りはありません!いいですか。またそんな真似したら、診てあげないですよ」

「チェーー。彼らは自分で諦めたじゃないの?さっき見ただろ?」

「何か小細工したでしょう。あなたの話を聞いたらみんな大人しく退散した。もしかしたらあなた、ヤクザ?」

「みんなの意思に尊重してください先生。そして速やかに俺の手の痛みを鎮めてください!」

「はいはい。でも珍しい症状ですから、手間かかりますよ。あ、ちょっと待ってね。電話です。しばらく手を動かさないでね」

 治療中に電話に構うなよ!

 それに動かさないでくださいって?動かそうとも動けない。重度の火傷だけじゃなく、痺れが一番の問題だ。ものすごい痛みを感じると同時に、痺れがその痛感を恣意的に抑えたり拡大したりして、まるでその手が俺の一部ではないような、腕との繋がりが弱まりつつある。その腕を今すぐ切り落としても、今以上の痛みを感じることはない気がした。

「来栖って人ですよ。大変だって。っていうかなんで私の携帯に?」

 来栖の連絡は予想のうちだったけど、「大変」とは予想外だ。なにせ、雷が落ちてきたんだ。窓越しによく見えてるし、聞こえてる。今の轟きじゃ、宙野の元気ぶりが伝わってくるぜ。

「あーー。代わってくれ。変わったぞーー。来栖君、どうした?」

「実は電波が遮断されて、宙野さんとの通信が切れたんです」

「初耳だね。そんな技術まであるんだ。宙野の心配なら無用だぞ。大丈夫だろ」

「いいえ。心配です!宙野さんだけではない。親父も心配です!うちの会社は電波遮断装置なんか持ってないです!それに関しては僕が一番良く知ってる。100%!絶対!ないです!それは親父でも宙野さんでもない、第三者が起動した。目的は知りません。おそらくそのビルにまだ何かの秘密が隠されてて、それを狙ってる人間がやったのかもしれません。一緒に現場に行きましょう!」

 来栖がそこまで衝撃ってことは、彼の想像を超える事態だな。

 それに第三者。聞き捨てならないな。

 これはあり得ない。

 宙野がデイライトに行くと決めたのはたまたまだ。色んな偶然が絡み合わせ、そうなったと思える。俺もその偶然の一部だから、確信は出来る。計画なんかしたことがないはずだ。

 それでも「第三者」がいるとしたら、たまたまこの日に、このビルで、このタイミングで、装置を起動した?

 それとも待ち伏せか。宙野が来るまでずっと待っていたか?彼女がデイライトに行く決め手は俺が作ったのだ。あの時バレてなければ、いつまで経ってもデイライトに行く気にはならない筈だ。

 どっちだって、とても受け入れられない。まさか俺たちはずっと、監視されてた!?

 百歩譲ってだ。そのことの意味はなんだ?宙野と来栖君の間の通信を切って何になる……。

 この事件はますます俺の想像を上回る。

「一旦落ち着け。その装置ってやら、警察のものってことにはならないか?」

「あり得ませんね。僕が思いつく可能性はEMP装置です。確かに今時、小さな簡易EMP発生装置なんて個人でも作れます。でもおかしい。攻撃を受けたのは、宙野さんが持ってたスマホだけでした!他の電気も電子装置は全部無事です。そこのPCに繋げることもまだ可能です。そんな精確性の高いEMP武器、僕の想像を超えました」

「心当たりは?」

「ないです。でも……」

「なんだ。言えよ」

「前にも言いったんですね。宙野さんが暴れるのは別に何も困らないですが、巻き込まれる社員が可哀想だ。だからいつでも疎開できるように準備をしていた。そして宙野さんが行くと決めた時、僕は全社員に通知メールを送った。つまり今会社に誰も居ない……もしそれさえもあの第三者の計算のうちでしたら……」

 怖いことになる。

 来栖君の力を利用して、ビルを無人状態にさせた。それからはやりたい放題だ。

「お前以外に、誰が疎開のことを知ってる?」

「僕たちクラブの人間全員知ってます。あとは宙野さんだけです」

 そう。そこは間違いない。来栖以外のクラブのメンバーとはあまり会話しないけど、信用はできる。情報を漏らすような人間じゃない。そうなると、漏らしたじゃなくて、盗み聞きされたか?

 いずれにせよ。俺の出番だ。

「今現場に行く。お前はうちのネットワークにハッキングされた痕跡はあるか調べてくれ。結論があったらこの携帯に」

「分かりました。調べてみる」

 来栖との通話を切り、解いた包帯を巻き戻す。まだ痛くてしょうがないけど、今は少しの辛抱だ。

「じゃ携帯借りるぞ先生。夕方ぐらいにまた来るので」

「あっ!勝手に私の携帯を!それより治療が遅れたら大変なことになるよ!」

 先生の忠告にはありがたいが、今は行かなくちゃ。

 親から授かった能力で人を見縊って虐め、何の働きもせずに何もかも手に入れたこの汚い手より、守るべきものがあるんだ。

 

 〇

 壮観な光景は想像してみたが、これほどとは流石に規格外だった。

 空の大半が憤りの雷雲に覆われ、高い頻度で落雷が恣意的に横行する。世の末だって、こんなもんだろう。この事件における彼女の本気が伝わってくる。

 それらに全く恐れない人々はライブを観てるようにこの研究棟を舞台にして円を作り、尻を据えた観客は恐らく2000人をも超えた。

 人混みの一番前にパトカーのランプが急激に閃くのが見えたけど、音はさっぱり聞こえない。いくら危険性を説明しようと、周りの人間は全然退こうとしない。もはや警察の威厳は皆無だった。

 そんな状況で、流石の俺でも手こずった。何か別の事件で人達の目を逸らさないと簡単にはこの建物に入れそうにない。

 そこでたまたま持ち歩いているTNTが役立つ。1キロのTNTを隣の廃ビルに取り付け、爆発させた。

「ドカーーーーーーーン」と。

 まるでマジックのように、さっきまで研究棟の話で盛り上がった人達が一瞬にして目をこの方向に向かせた。

 ちなみにこの廃ビルはいずれ取り壊されるから、俺はちょっと背中を押しただけだった。衝撃力で雷と争うのは無理だけど、結果的には成功にみんなの目を引けた。

 ある意味こっちの方が人を驚かせるであろう。何故なら雷は自然現象としてたしかに怖いけど、それよりも人為的なテロ活動がよっぽど恐ろしいのだろう。

 その機にこっそりと人目を避けて、来栖から聞いた通用口を通して研究棟に踏み入ることに成功した。

 こうもあっさりと侵入できたのは事前の調査と支度のおかげだ。やっぱり情報が大事だと改めて痛感した。外で火勢や電網くらいで塞がれた警察たちは滑稽なように見える。

 廊下に目をやると、外の大暴れとは真逆で、薄暗さに包まれた部屋と通路はあまりにも静寂で、さっき爆発させた廃ビルよりも人気がなかった。

 誰も見当たらないため、俺の能力で人から資料室の所在を聞き込むことはできない。もちろん宙野の所在も。一応元のスマホを追跡してみたけど、早くも廊下でその残骸を見つけた。どんなことがあってこんなバラバラになれるか想像もつかない。でも彼女が負けるはずないよね。

 とにかく、片っ端から探すしかなさそうだ。

 と思いきや、頼れる来栖君がメールで情報をくれた。

『4階の機材は操作された痕跡がある』

 そこだな。

 近接戦では必ず勝つ俺だが、こんな初見のビルではやはり心細い部分はある。俺は慎重に一歩一歩上を目指し、耳を澄まして見回していた。

 その時、ある部屋から会話の声が響いた。大きくはないが、話す人たちの雰囲気が壁を突き抜けて伝わってくる。そしてその中、絶対にここで聴こえるはずのない人物の声が、俺の注意を引いた。

 ある筋から入手した小型催涙弾を右手に持ち、左手は防毒マスクを握る。慎重な足取りで壁伝いで声の元を辿り、やがて目標の部屋を見つけた。

 宙野もそこにいるかを確認する前に、下手に催涙弾を投げるわけにはいかない。しかしもし俺の耳に間違いがないなら、武器と催涙弾そのものが要らなそうだ。

 自動扉が開き、俺はそこを潜った。

 そして目に入ったのは予想の内の光景だった。

 首謀者1人、ともう1人がそこで対峙している。宙野はいない。

 巨大な端末の前で、見るに劣勢に立つ白髪の老人は来栖宗一である。テレビやニュースの常連のため、顔は覚えている。彼がいわゆる洸太のガキをあそこまでにした張本人なんだろう。だから首謀者っていうのは彼のことを指す。

 その向こうで偉そうなツラをしているのはこの事件を利用して、宙野楓を利用して、間接的に俺と来栖君を利用して、ここまで辿り着いた人間だった。

「千坂伽内。なるほど、やはりお前なのか」

 これで全て辻褄が合う。

「曳橋さん。何かあったんですか?わざわざこんな騒がしいところに足を運ぶとは」

 彼女は武器を持たず、招かれた客人のようにそこに立ち、滅多に見れない普段着が更に生活感を上げた。逆に催涙弾とマスクを持つ俺が余所者のように見えて、笑える。

「最初からここが目当てだった。宙野からガキの話を聞いてお前はそれを良いチャンスに捉えて、捕まったフリをして彼女をここに誘き寄せた。そして彼女は雷を呼んだ。混乱に乗じてお前は自分の目的を達成する。彼女を良いように利用したな」

「うん。その通りです。あなたにしては良い推理ですね」

 あっさりと認め、宙野に対する罪悪感は一切なしだった。

「そのこと、宙野が知ったらどうなるか。俺には想像もつかないな」

「彼女に告げ口などはしないでしょう。あなたも私と同じ嘘つきです。彼女が一番嫌いな人間です。互いに秘密を守るのが一番お得でしょう。本当を言うと、私もウチもマルも、楓に嫌われたくない。私たちにも心があるんです。でも、私は仕事を全うせねばならないです。それが私を実の娘のように育ててくれた町長への唯一の恩返しですから。そこは理解してくれませんでしょうかね」

「汚い仕事ばかり押し付けて、偉大な町長様はあなたをただの道具として使ってるんじゃないのか?」

 俺を殺せそうな目で睨みつけて来た。武器無しでも、体術に長けた彼女なら俺を一瞬でやっつけることが出来るけど、そうはしないだろう。こんな悪人の俺でも、横死になったら、楓はともかく、預言者の坊主と来栖君は最後まで調べ上げるだろう。

「断じて違う。私は町長の思考を認めた上で実行に移している。まあ、あんたに言っては無用です。悪いが私は仕事を続ける。そしてこれが終わったら、互いにここで起きたことを忘れよう」

 俺は肩を竦め、道を譲るなり、彼女がその場にいるもう1人に押し迫る。

「来栖宗一社長。先程お聞きした通り、私は町長の命令で違法研究を取り締まりに参りました。あなたには二つの選択肢を与えられています。一つ、今すぐ全ての関連研究を取り止め、臭い飯を食うことになります。二つ、社長の座を取締役員ーー平田巌夫(ひらた いわお)に譲りましょう」

「平田……?やつが会社を売ったか!?」

「そうです。何故真っ当な研究ではダメで、クロンだと予算申請が通ったのか、それについておかしいと思いませんでしたか?みんながみんな、社長さんと同じ研究熱心ではないのにね。あなたは研究に没頭するあまり、会社の経営を疎かにして、弱みも握られて、最終的にこんな結果を招きました。誠に残念です。私どもにとっては幸運ですが」

 今の千坂は警察より、情のない裁判官のように見える。しかも彼女に裁かれたが最後、無間地獄に落とされるオチになるだろう。

「返す言葉もない。自分一人じゃ、やはり無力だなぁ」

 来栖社長は敗北を認めた。

「これを機に、会社を手放しましょう。危険なブツは政府が管理するのが妥当です」

「私の会社を手に入れて何をするつもりか。悪い想像しかしない」

「想像に任せます。退位してもらったら、清海町にあるゴルディン大学へ赴任することは許可される。教授科目は人工知能。そこで好きなように研究してください。私たちはAIについて一切口を出さないので、ご安心を」

「どのみち、わたしはこの街に居てはダメか……」

 来栖社長は無力そうに嘆く。

 この街を故郷のように思い、尽力して貢献していた元老が、駆逐される羽目になるとは。

 それに対して千坂はゆっくりと頷く。

「チーターにはゲームから外れて頂きます。社長さんのためだと思ってください」

「ゲームから?なんのゲーム?何が起きてるんだ?」

 恰も研究に没頭してた研究者のようだ。自分が何に巻き込まれてるか全く見当がつかない。老人は考えるのをやめた。そして早くも結論を話す。「まあ分かった。言われた通りに大学に行く」

「正しい選択を行ってくれて私としても嬉しい限りです。感謝します。ちなみに御社の盗聴システムに関する特許申請は済みましたか?」

 やっと本題に入ったな。AIでもクロンでもない違法研究っていうのはそれか。

「それが……まだ公表するつもりは」

 老人は気まずい顔を示した。

「心配いりません。違法ではないと私どもが判断したのです。息子さんが作ったセキュリティーシステムを元に改造出来た立派な監視盗聴システムですから、それを御社が特許を確保しなければなりません。出来れば退位する前に申請を出してください。特許局の認可はこっちが対処します」

 なんかとんでもない領域の話をしてる。追及するとややこしくなりそうで辞めた。

 千坂の話もやっと終わったようで、その無表情な顔を俺に向ける。

「曳橋さん、その辺もご協力お願いします」

「は?何の話だろうな」

「一緒に来栖君を探してくださいって話です。来栖君がいれば、そのシステムの実用化ももうすぐでしょう」

「そういうことか。俺のとろにいるの分かってんだろ。俺に言えるのは、来栖は自分の意思で俺のとこに残ってるんだ。もし彼に去る気があれば、止めはしないさ……逆に、彼は残る気だったら、誰かに奪われるのは許さないさ」

「そうですか。分かりました。では私はこれで。曳橋さんも、用がないなら退散したら?楓に疑われますよ」

「要があるから来たんだ」

「あら。もしかしていよいよ告白?」

 さっきまで殺し屋みたいに冷酷だった千坂は女子高生だった自分を思い出したように目を細めて、いたずらの微笑みを漏らす。千坂というロボットにはそんな機能があるなんて今年一番の大発見と言える。

「そうなのか若造!あらぁ!」

 この来栖の親父らしきジジイまで若返りプラスキャラ変わりとなって、敵対するはずの千坂の話に相槌を打つ。

「お前まであらじゃねえよ!ジジイ!関係ねえだろうが!」

「それは違うぞ。彼女の母とは長い付き合いだった。ここだけの話なんだが、鈴には恋を寄せる時期はあった。わたしは、彼女の父に成りそびれた人間だ。あの子を見届ける義務があるんだ」

「お前ぇ!今となって何を言いやがる!恥ずかしくないのか!てめえの妻に謝れ!来栖君にもな!」

「若造、思ったよりよりうぶだね。宙野楓のように、宙野鈴もまた傾国の容姿だ。特にあの時代だ。ただでさえ大学の女性が少なくて。急にあんな天使のような人が同じ研究グループになったとは。はっきり言って好きにならない訳がない!しかし一方で、その性格と思考回路について行けるほどのわたしではない。宙野楓と違って、鈴は怖い女だからな」

「それは聞いてない。話さなくていい。それに楓の方も十分すぎるほど怖いけど。俺の手を見ろ!」

 黒く染めた片手は薫製の肉のようで、2人は同情の顔を示す。

「酷いことをしたな」

 千坂は珍しく人間らしいことを言った。

「だろう!」

「あんたがね」

「はっ!?」

「あんたが酷いことをしなかったら、そうはならないでしょう」

 当たり前のように言い切る。そこはやっぱり宙野の親友って感じだ。

「返す言葉もないだろ。若造」

 来栖社長が横で笑い出すと、面白かったせいか、我慢できずにタバコに火をつけた。そしたら煙を吐きながらヘラヘラ笑い続ける。まったく息子と違って落ち着かないな。

「うるせえ!ジジイ」

 罵られても動じず、ただ楽しさと回想に浸って、煙を出し続ける。

 千坂はタバコに明らかな嫌いな表情を見せた。一刻も早くここを離れるが為かもしれない、俺に向かって話をしようとする。

「そうだ。もう知ってるだろう?寿命のこと」

「お前知ってたか!?なぜ隠した?」

「そこでひとつお願いだ」

「冗談か。俺に?」

 その願いを聞くまでは、まだ千坂に良心というものを求めていた。野良犬を見つけるとすぐ餌を投げる女の親友だ。そんな彼女の親友なら、聞くだけは聞いてやるべきだ。そう思った俺が甘かった。

 彼女が次に発した言葉はあまりにも非道で、悪人と自称する俺でも脱帽する。そいつがどれだけ歪んだ人間か思い知らせてくれる。

「あと7、8年です。彼女に子供を産ませてくださいませんか。誰とかは問いません」

 ……。

 来栖社長のタバコが滑り落ちた。目の前の小娘がこんなセリフが言えたとは、彼は心底から、千坂の養父である町長に恐怖を抱き始めた。

「キサマァ……正気か!」

「本気です。我々は、彼女の能力が必要です」

 奴らにとって、やはり彼女はただの武器だ。

 千坂が彼女に接近して、友達になったのも、誑かすためか。監視しながら利用している。今回の事件のように。

 考えるまでもなく、千坂の提案に返事する気はない。

 ……。

「ちなみに、あなたが何もしないというならば、我々が強引な手段を使うまでです。どっちが良いか、考えてみてよ」

 今思えば、千坂は狭山の野郎と一緒だ。人の弱みばかり握りやがる。これが政府の人間のやり方だな。

「てめえ。わかってんのか?強引な手段だと?宙野にごり押しが通じると思うか?彼女がその気になれば、街を滅ぼすのも容易い。もちろん俺もだ。ずっと身を隠してたからって、俺の脅威を忘れてんの?立場をわきまえられなくなったか?」

「もちろんそれ相応の力は用意してます。口では言えないが、あなたの能力を用いて探ってみましょうよ。意外な発見があるかもしれません。一つ覚えておきましょう。この町ではあなたたちをのさばらせるわけには行きません。発言権は我にあり」

 そんなに自信満々に言ったなら、俺も少しは慎重にならないといけない。

 前にも言ったけど。こいつには催眠が無効だ。能力同士だから通用しないってわけでもない。預言者の坊主には簡単に操れたから。

 千坂は何か隠されるものを持っている。そしてそいつの言う、相応の力ってのも……。

「千歩譲って俺が引き受けたところで何になる。そんなこと俺に言ったって……意味ないぞ」

「自分を蔑ろにしてはならないですよ。私の観察によれば、あなたが彼女の心に一番近い男です。あと数歩で踏み入れるはずです。彼女の恩人の狭山さんをも遥かに超えて」

「なっ!……ほん、とうなのか?」

 俺はおそらく信じられない目をしていた。目玉が目の縁から発射されそうになった。

 その言葉、信じて良いのか?

 例え数百万人に催眠をかけても、正しい解答を見つけるわけがない。

 でも千坂は……能力者であり、彼女の親友であり、観察眼を持つ賢い人間である。

 いや。落ち着け。

 忘れるところだった。と同時にそいつはとんでもない虚言癖だ。人を利用するためならどんな嘘もつく。動揺しては彼女の罠にかかるだけだ。

「だからあの日。楓の成人式の夜、彼女をそちらに連れて行きました。彼女の学友でも父でも狭山でもないあなたのところに」

「だからなんなんだよ。酒飲んで無駄話してただけじゃないか。参考の意味ない」

「その行動の目的は連れて行ってから何かをやるわけではありません。曳橋のところに行くと同意した時点で、その行動が既に意味づけられていました。あなたは彼女の成長を見届けられる人、喜びを分かち合える人、過去を語り合えて信頼できる人、として見られているではないでしょうか。例えば私が、うちに来てくださいと誘ったら来てくれませんか?」

 ……俺はあっさり論破された。

 少し心臓の鼓動が早まり、体温も急上昇する。操り人形のように俺は彼女の手のひらの上で踊らされてい気がしてならない。

「でも喜ぶのはまだ早い。他の条件も付きです。もしあなたが成功して、彼女と子供を作ることができたとしても、その子に能力は持っていない場合、他の男を用意させていただく。そこは理解しているでしょうかね?」

 俺を馬鹿にしているような口調だったが、そんな場合じゃない。

 そうだ。

 能力者同士が産んだ子供って、どうなるか?

 片方の能力を継ぐか?

 両方の能力を継ぐか?

 それとも、無し?

「今まで能力同士の子供が居なかったってことだね」

「そうです。能力者たちを見つけるだけで難しいのに、子供を産ませてから自分のものにするなんて尚更でした。でも今私がそのプロジェクトの担当者です。成功させます」

 ……。

 どこまでも町長に忠実な狂犬だな。もう会話する気もないくらいだ。

 しかし彼女は話を続ける。

 言葉で俺の心臓を握りしめ、一番弱いところを見付けるまでは、ずっと喋り続ける気みたいだ。でもそこまでする必要はない。彼女の次の言葉がトドメになる。

「ちなみに、そのプロジェクトの代案を教えてあげましょう。それで少しやる気を出してください。もし彼女が24歳までに誰とも付き合っていなかったら、彼女と仲がいい狭山さんに立候補してもらいます。歳の差はあるけれど、そう難しくないでしょう」

 俺はその場で絶句した。弁論も争いもやめ、罵ることさえしたくなかった。

 彼女は俺の想像を絶するほどのクズ女だ。宙野はずっとこんなやつを親友に見ていたか。もちろん俺もゴミ人間だ。でも彼女と比べたら、まだ清々しいゴミと形容出来るだろう。

 俺の返事を待たずに、彼女は部屋を出ようとする。

「楓は下の廊下ですよ。今はどう逃げるか悩んでいるはずですよ。ヒーローのように助けてあげましょ」と最後のセリフを言い残して姿を消した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る