第10話 痛まない少女

 一階の廊下で、1人の美少女と1人のクソガキが適当なところに居座り、天井の方へ目を向かせていた。

 足を止めてしばらく観察すると、2人は何の会話もせず、ただ何も無い天井に夢中していたのが解せないのだった。

 まるで、俺にだけが見えない何かが天井に吸い付いているみたいだった。

 わざと足音をたてて2人に近づく。

 鋭い宙野は気付くなり、脅威を感じた猫にように毛を逆立ち、迅速に立ち上がった。

「誰だ!2秒以内に返事しなさい!イチ!ニーー」

 こいつは警戒しすぎだ。無闇な雷撃を防ぐように、俺は即答した。

「おれ!おれおれ!」

 俺の声くらいは聞き分けられるだろうと思って、自信げに一歩だけ前に進む。

 そしたら足元の一枚の床板が何故か急に光り出して、焦げた匂いと出所の知らない煙を発して、バネのように高く跳ね上がってしまった。

 それが一瞬にして天井とぶつかり合ったあげく、また勢いよく落下した。高く持ち上げられまた強く落とされる。恰も彼女の人生だ。なんてね。

 聞くに堪えない鈍い音が廊下で木霊する。おかげでここの床が木製だと分かった。

「俺だ!曳橋だ!わかんないのか!」

「曳橋、落夢ーーなの!?」

 ほかに曳橋はこの世に居ないはずだ。

 まさか俺が来るとは思わなかったか。単なる驚きで彼女は声を上げる。

「やぁ。宙野楓」

「なんで来たの?それにどうやって?」

「来栖が連絡した。お前が危険だってさ。彼に感謝しろ。でもどうやってって聞かれてな。普通に入れたよ」

「……怪しい。来栖君にはもちろん感謝だ。間違えたとこがあるけど、彼のおかげで涼介を助けることができた。涼介、あとで一緒に礼を言いに行こうね」

 涼介と呼ばれたガキは、例の洸太のやつよりも背が低いが、どこか似た部分があるような気がする。

「あら、ローレンIIは節電モードか」

 宙野が足元に置かれた大きめの箱を軽く叩くと、無邪気な笑顔を見せた。なんで人じゃなくて箱を叩くの?ていうか、ローレンツーってなんだ。外国人か?

「やけに上機嫌そうだ。その子供は?隠し子か」

「あなたのバカさ加減は相変わらず私の期待を裏切らないですね。ちなみに、助けに来たのは感謝ですが、君を許してはいないよ」

「あ……う……ん……それは……」

 さすが宙野、ストレートだ。

「今はいいわ。パトカーの声が聞こえるけど、どうやって逃げるか考えたの?」

「ルートは確保した。まず屋上に向かおう」

「おお!さすが逃亡に慣れてる常習犯。心強い」

 彼女の異常なテンションは別に今に始まったことじゃない。目的達成とか悪者捕まえた時にはいつもそうだった。でも喜びが大きかったお陰で俺への怨念を一時的に忘れてくれるだろう。

「おら。行くぞ」

 そう言うと、善良な俺はガキの箱運びに手を貸そうとする。そこで思ったのは、何故宙野は一切手を貸さず、箱運び全般をガキに任せたか。その疑問を持ったまま、俺は箱に手を伸ばした。

 しかしそれに触れた瞬間、大事なおもちゃを奪われそうになったように、そのガキは不機嫌な顔を見せて、全力で箱を抱え込む。

「触らないでください。精密機械ですだから、命がかかっています」

 精密機械だから命がかかる?何の理屈だ?高卒の俺でも、この論理は間違っているとわかる。そこで俺は気強く反撃した。

「勝手にしろ!過労で死ね!クソガキィ!!」

 子供相手にムキになった。みっともない自分を恥じる。そこで俺は少し補足する。

「更にお前が死んだら俺は生命保険でボロ儲け!はっ!」と喚いた。

 ガキは恐らく俺の恐ろしさを思い知り、口を噤んだ。

 まあ、ガキはともかく、俺は足を緩め、後ろの宙野と平行になってから話し掛ける。

「宙野、ついでに相談があるんだ」

「相談?なによ改まって。君らしくないよ。任務成功の時はパーーと、ハイタッチしたり打ち上げしたりするのがキマリでしょ?無事に帰還できたら私の奢りだ!でももちろん!許してはいないよー」

 宙野とハイタッチする気分ではあるが、今はやめておこう。

「これは任務なんかじゃない。成功も、してない」

 俺の陰鬱な顔を見ると、もともと節電モードの涼介とやらが更に節電を貫いて、表情変換機能まで閉じたらしい。そして宙野も、俺の意図を知らず、困惑していた。

 上を目指して階段を上り続け、沈黙が続いた。

 やがて階段を上り尽くし、トップの階に辿り着いた。あとはこの扉を開ければ、目的地の屋上が目に入るはずだ。

 俺は鍵を差し込んでから強く回した。

 どこの研究員が勝手に俺に渡したかは略すとして、扉が開くと、一面の絶景がまぶたにぶつかる。

 その時は既に夕焼けは去ると心決め、藍色の空が訪れようとする。宙野が呼び付けた雷雲は今でも怒号しているも、後ろの星空はそれに怯えず、依然としてあるべき静寂と美しさを語る。

「宙野。例えば、お前にはもう、この星空が見えないだろう」

 宙野は目を丸くして、俺の面を凝視する。きっと俺が思い掛けない質問をしたせいだった。

 彼女は弁解するために空に向かって呼びかける。

「雲がいるから当然見えないんだ。雲君、ちょっと穴を開けて!」

 すると雷雲の真ん中に小さな穴が現れ、渦のように回転しながら広がっていく。その過程を見届けたガキの口も目玉もその穴の拡大に連れ、だんだん大きくなって行き、やがて限界に至って、「うわー」と声を出した。

 それを見て誰もがうわーする。俺と宙野を除いて。

 さっきまで圧倒的な威圧感を感じさせた雷雲が、今や巨大なドーナツの形となってしまった。青色の稲妻が中で不規則に走っているけれど、ふわふわした見た目で、誰が見ても怖く感じるどころか、愛しく思うはず。下に集まる女性たちは写真を撮りまくり、SNSにアップしているところだろう。

 遮られた星空が垣間見れる。

 恐らく雷のお陰で、乾燥な空気の中の静電気が自由に動き回り、空気中に漂う不純物をどっかに連れて行かれた。

 それはいつもより高く澄み切った空、いつもより輝く綺羅星、いつもより絢爛とした星空が、多分彼女にはもう見えない……。

「もっと早く気づくべきだった。俺が睡眠を失ったように、お前の能力に副作用が全くない訳がない。時々呼びかけに応えないとか、会話中に返事しないとか。意図的な無視なんかじゃない。聞こえなかっただけなんだな」

 そこまで言うと、彼女も観念した。

 ドーナツ君も彼女の気持ちに共感したようにしょぼんして、今や溶けたチョコレート、あるいは空に浮かぶコンクリートのようだった。こうなったじゃ、雷撃も弱まっていき、警察もそろそろ突入を始めるだろう。

 でもそんな些細なことより、彼女の返答が一番大事だ。目を背けず、俺は目力で返事を迫る。

「そう。見えないよ。視力が退化してて、メガネを借りても……真っ暗な空しか見えないなぁあ。無念……」

 ガキにとっては物凄く難しい話を聞いているようで、どんな言葉をかけるか分からずに、発言を慎んでいた。

「やはりな。じゃお前の聴覚も触覚も、もしかしたら味覚も、どれも鈍くなっただろ?それが雷に打たれた副作用だ」

「雷のせいじゃない」

 宙野は直ちに否定した。

 彼女がいつも各種の雷を〇〇君と呼んでいることからすると、彼女は雷を相棒のように思っているみたいだ。

 その気持ちはわかる。もし俺の能力も実在するイメージを捉えるんだったら、間違いなく毎日のように「彼」に感謝する。いくら眠れなくなっても、この力は放棄しない。例え、本当に28歳に死ぬことが既に定まっていても……。

「そろそろ行こうか。雲君も弱まってるから」

 宙野は話を切るつもりだった。

 でも脱出方法を知らない彼女には、話を切る権利はない。俺は強引に話を続ける。

「それなら安心だ。死傷者が出ないここより、警察にはもっと優先すべきところがあるんだ」

 さっき俺が爆破させた廃ビルのことだ。中に人がいないなんて誰も保証出来ないはずだ。それにもしそれがテロ活動だったら、雷より危険なのは間違いない。連中は最後まで確認を通す筈だ。

「お前の生きる意味を否定するつもりはない。ただ懲らし手段を変えてほしいんだ。お前は今のままでいい。調査を行ったり懲罰を下す相手を決めたりして、ただ最後の仕上げは俺が代わりにやろう。その雷君を呼ばずにさ。お前は、裁きの快感のためにやってるんじゃないだろう」

「勿論です。ただ、それがあなたには何のメリットがあるの?警察に目を付けられ、返って目立ってしまう。君の生き方に反することでしょう?」

 その質問は予想したが、回答はイマイチ出せないのだ。

「さあ。何のメリットがあるだろうか。答えてみ、涼太」

 ガキを指差すと、命令口調で言い放った。

「涼太じゃない、涼介です。洸太は洸太、涼介は涼介です」

 節電モードから目覚めたそうそう、怒りっぽく強調した。それはどうでもいい。

「うるせえ。答えろ!」

「ふん。兄さんはそこそこ手腕があるあるかもしれないけど、どうせお姉様ほどじゃないです。上手いこと言って、本当は手柄を奪いたいだけでしょう!そして名を挙げて、何でも屋を立ち上げて、所詮金稼ぎです!汚い大人ですね。そうですよね、お姉様」

「このガキ!どんな思考回路なんよ!アニメの見過ぎかよ」

 それほど真剣に言っちゃったからには、冗談のつもりじゃないだろうな。頭がおかしいとしか思いようがない。

「ほー。なるほど〜」

 悟ったように頷いて、宙野はガキのデタラメに付き合うことにした。まあ。それでいい。別に彼女を苦しめるつもりはないし、楽に事が済めば何よりだ。

「ガキの前だけど、とにかく言いたいのは、残り少ない時間をもっと色んなことに使いなってこと。お前のやりたいことは俺が代わりにやるから。どうせ俺は暇から。というわけで、納得は?」

「行かないね。借りを作るばかりだ」

 そう言うと思った。

「ガキたちをどうするつもりだ?」

「責任を持って守る」

「具体的なやり方は?」

「それまだ考え中……」

「金持っていないお前にゃどう考えても結果が出ないんだ。そうだ。奴らのために学校を建てようか」

「へ?」

 俺の口からそんな真っ当なアドバイスを聞けたのが心外かもしれない。ましてや学校という施設だ。

「お前が引き取ったガキ共を入れて、教師でも募集して、学校を作る。ガキはだいたい8歳〜15歳くらいだろ。なら中学卒業までの内容を教える。小中一体の学校だな。最初は厳しいかもな。取り敢えず今の段階は収容所として使った方がいいな」

「そんな都合の良いこと……どのくらい金が掛かると思ってるの?」

「さあな。帳簿をつける慣習はないな」

「帳簿……?それって……」

「ああ。もう建てた。でもまだ学校とは呼べない。人手不足だからな。近いうちに俺は偉大なる校長先生になる。そしてお前が、うちの音楽教師にでもなれ。お前だって俺を監視する必要があるだろう?学校に来れば、俺への監視、ガキ共への介護、情報収集、何でもできる。おまけに給料も払ってやるぞ」

「確かにうまい話ですね。でも……」

 宙野のような状況に置かれた以上、脳に欠陥のない人間なら、こんな話を断るわけがない。それでも宙野が躊躇う理由は、一つしかない。

「心配なのは、あの屋台のロリが言ったことだろう。28歳……考えてもしょうがないじゃないか。その間にやりたいことをやれば、別に死んでも良いじゃないって俺は思う。ってわけだ。勿論強要はしない。お前が来ないなら、あの建物は学校なんかにならない。俺の新しい隠れ家になるだけだ。二週間後俺は今の地下施設を取り壊す。それまでに返事をくれ」

 そろそろ話を切る。余計な詮索される前に、脱出だ。

 インターホンを取り出して助っ人に連絡すると、彼女はまた同じ質問を繰り返した。

「分からない。結局あなたに何のメリットがあるの?」

 まだそれを聞く?

 いっそ全部を言っちゃえば良い。残り少ない人生だ。遺憾無く過ごしたいと俺は一瞬そう思った。青春というものとはほど遠い俺も、本能やホルモンに駆られる時がある。

 綺麗な夕焼けに心を動かされたかもしれない。

 彼女の愛おしい吐息に魅惑されたかもしれない。

 空気に漂う優しさに感染されたかもしれない。

「俺はっ」

 バタンッーーーーー。

 しかし屋上の扉が開く音に連れて、俺は一世一代のチャンスを取り逃がした。

 俺の告白を邪魔するヤツが現れた。世界において一番ここにいて欲しくないヤツが現れた。それもここにいる全ての人間を驚かせる人物だ。

「テレビで見た刑事さん!」

 ガキが真っ先に叫び出す。彼にとってテレビが唯一の世界を知る手段だから、興奮するのは分かる。

「俺ってそんなに有名か」

 狭山速矢が扉前に現れ、明るい笑顔を漏らす。

「どうして……?」

 宙野は衝撃のあまり、言葉を失った。

「結構長い付き合いだもんね。落雷くらい、突破出来るさ。俺は一人で来たんだ。話があるから」

 その話とやらは言わずに分かる。

「ごめん」

 宙野は子供みたいに謝った。

「もう2度と使わない約束だろ?」

「うん。守れなかった。でも後悔はしないから。これからもどんどん使うかもしれない。責めるならあの時救ってくれたあんたを責めて」

「そうか……俺は救うつもりなかったけどな」

 狭山の言う通りだ。あの時の状況、どう見ても彼は宙野を犠牲にする気だった。ちょうどその時の落雷のおかげで宙野が命拾いしただけだ。

 狭山は命令にそむいて単独行動をしたものの、犯人を捕まえたので逆に評価された。彼のリーダーがいわゆる結果主義の人間かもしれない。

 それが始まりだ。

 3人で仲良く警察ごっこ。

「よぉ。子供好きな警官さん。以前は宙野と、今度は預言者の坊主と組む気か?ペドフィリアってもんかな?そんなに好きなら舞宮山に行ったらどうだ?奴らは登山に行ったよ」

 俺は容赦なく彼を冷やかして貶める。馬が合わないだけじゃない。こいつは一番嫌いなヤツだから。

「こうして面と向かって話すのが初めてだな。君とは距離を取れって楓ちゃんに言われたからさ。彼らとは協力関係だ。誰かを利用するつもりはない。もちろん楓ちゃんも、仲間だった」

 楓ちゃん……。

 それを聞くとさらに怒り出す。

「消え失せな。てめえがチームを解散したせいで彼女がこうして自分でやらなきゃいけなくなったんだろうが!どのツラ下げて約束を守ってって言えるんだよぉ!」

 こんな乱暴な言い方で宙野の元「上司」に当たって、彼女に嫌われるかもしれないって言った側からほんのちょっと後悔した。

 でも横目で彼女の顔を見ると、そうじゃなかったみたい。

「楓ちゃん。もうやめろ。正体を突き止められたらもうこの町にはいられなくなるよ。君の母が暮らしてたこの町に」

 この男、さっきの千坂とそっくりだ。人の弱みを握るのが上手だ。彼からみれば、ただ情に訴えながら利害を述べているだけかもしれないが、一般的には、それが脅しってやつだ。

 しかし意外なことに、宙野は折れなかった。彼女もちゃんと思考が出来る大人になったから、そろそろこの男の卑劣なところに気付いただろう。

「何があっても私は母さんを追いかける。これだけは予告しておく。例え狭山さんであろうと、邪魔はさせない」

 彼女の言う「追いかける」ってのはどう言う意味か、俺は分からずにいた。

 ただ俺の完全なる疑惑の顔と違って、奴は何かを考えている。こいつはやっぱり宙野に隠し事をしてる。それも彼女にとって一番大事な母に関することだ。

 ……。

 対峙は長く続かず、雲を潜り抜けて、逃走用具がやってきた。強風を巻き起こし、話し声を全部遮ったのは仕込んでいたヘリだった。そこにパイロット1人と来栖君が乗っていて、俺らを迎えるジェスチャーをした。

「乗れ!」

 ヘリの到来でびっくりする2人だった。

「いつそんなものを購入したの?」

 そう言った途端、全てのものは購入しなければならないっていうルールに制限されていた宙野は怪訝に叫ぶ。「盗んだの?」

「ちげえよ!来栖君のおもちゃだ。気にせず使え」

 ローターが巨大な騒音を発して、もはやガキの「うわわわーー」っていう叫びが聞こえなくなる。パイロット一名がその中で待機して、いつでも飛べると俺に合図をした。彼が礼儀良く残りの2人に敬礼して、如何にも経験豊富なパイロットのように見える。こんな雷雲の真下でも穏便にやってくれるだろう。さすがは俺が見込んだ男だ。 

 来栖君は色々話したい顔をしてるも、極力に抑えたようだった。

「いくぞ!」

 俺が先に階段を上がり、彼女に手を伸ばす。焦げてない方を。

 狭山はずっとこっちを見ている。なんなら睨んでいると言っていい。

 そして狭山に何も言わずに、彼女は。

 俺の手を繋いだ。

 ……。

「飛ぶ前に一つ。いいか。お前の雷をよぉ〜くコントロールしろよ。ぜってえにこのヘリに近づかせるな!能力者2人がこんな死に方じゃ、神が許しても俺は許さないんだ」

「そんな迂闊な私ではない……けど、万が一ってもんがあるから。パラシュートを着用した方がいいね」

 宙野が如何なる交通機関に乗れない理由がそれだ。彼女にとって電気の漏れは汗をかくのと同じくらいで、なんとかコントロール出来るもんじゃないらしい。ちなみに例の引退ライブの時に起きた漏電事故も、そのせいだった。

 もうこんな規模の雷を呼べてるから、使いこなしているだろうと俺はそう思いたい。

 それに俺はパラシュートの使い方が分からないから、億が一何があったら、せめて墜落の際に彼女を抱きしめたら、生き残る確率はまだあるだろう。いや。それとも彼女に触れた瞬間、空中で雷に打たれて粉々になってしまうか?

 そんな汚い花火になったとしても、どうぞご観覧を。

「へえーーヘリか……意外と安全な脱出策になるわね。今度私もこうしよう」

「そうだな。お前の場合、雷雲を呼べるから、向こうはヘリが使えない状況だからな。ん?今度って。だからもうやめろっつってんだろ」

「まだ決めてないよー」

 宙野の頑固さは知っていた。

 まだ手はある。宙野を放って置くと、俺は涼介に向ける。

「ガキ、お前のその歳で、学校行く以外の選択肢はないぞ」

 俺は渋い顔で教え諭す。

「行きますし。お姉様は手配してくれます」

「手配?無理だな。お前のような出所知らずがのこのこ普通の学校で歩いたり出来ないくらいは分かってるだろうな?」

 涼介は不安な目で宙野を見つめて、確かな答えを求める。しかしどれだけ宙野の後頭部を見つめたところで、彼女は振り向くことはなかった。彼女は何か考え込んでいるようで、窓外ばかりを見ていた。それとも聞こえなかっただけか。

 その隙に、さらに攻勢を畳み掛ける。

「俺の学校ならお前らを引き受けられる。しかも最高級の安全レベルだ。身の状況わきまえて、よ〜く考えてみな」

 今度は涼介が考え込む番だ。彼にとって俺も宙野も知り合ったばかりの人間だ。言い換えれば選択の場面において、両方は同レベルで、一体どっちについて行くかは将来的利益で判断するはずだ。俺はガキの判断力に賭けてみた。

「涼介を誑かさないでもらえる?」

 宙野はいつのまにか我に返って、早速俺に白目を向けた。

「なんの話かな?俺はただ、利害を述べただけ。賢い子は自分で正しい選択をするはずだ」

「そうまでして涼介を引き入れたいの?子供が大っ嫌いじゃなかったっけ?」

 今はまるで子供の扶養権で争っている離婚夫婦みたいで、バカバカしくてしょうがない自分にふと気付いた。

「じゃいいよ。そうまでして邪魔するなら、別にどうだっていい。もう何も言わないから」

 俺は疲れを感じた。

 手間をかけて人に気付かれない場所で学校を建てるとか、策を練って彼女の保全をするとか、全てが無意味なように感じる。

 ここで引けば、ただ昔の生活に戻るだけだ。俺が踏み出した一歩はただの足踏みだけだ。

 論争を止め、俺は後ろから助手席に座る来栖の肩を叩く。

「来栖、こいつをどこに止める気だ」

「他の街に行くふりをして、最終的には舞宮山(まいみやざん)に降ります。このピンポイントです」

 来栖がスマホのマップで目標地点を示したが、それがどこなのかさっぱりだった。来栖は全て手配したような顔は頼もしく見えるため、信じることにした。

「そこで車2台用意したから、後は車で街に戻れます。曳橋さんは運転できますよね」

「免許ないけどできそうだな」

「安全運転お願いしますね。曳橋さんと涼介君と宙野さん3人で先に行ってもらって、俺とパイロットさんはヘリを処分してから街に戻ります」

「処分ってどうやって……?」

「それは消滅させるしかありません」

 冷静な顔で来栖は言い切る。「今日はもうバレたから、また再利用すると警察に見つかってしまいます。そのヘリの番号が知られ、購入記録を辿られると、僕だけじゃなく、このヘリをくれた親父にも被害及びます」

「なるほど。一理ある。勿体無いけど、処分だな」

 これは豪華なヘリだ。この5人が自由に乗れるのではなく、ノイズが少なくて、安定性もいい。こんなもんが使い捨てとは、あまりにも贅沢だ。しかし一方で、これは目立ち過ぎる。一度見ただけでもう忘れられないくらいだった。

「宙野、今のところ漏電は大丈夫そうだな。次は車だぞ。今の調子を保つんだな」

 前回の漏電からはもう2年以上だった。それからの2年間は一度も交通道具使ったことないため、彼女の雷捌きが上手くなってきたかもしれないし。知らずのうちにそれが完治したの知らなかっただけかもしれない。

「頑張る。歩きで戻るのは流石に無理だから」

「舞宮からお前のアパートまでは……一時間半くらいだな。このガキ、いかにも車酔いの顔してるな」

「六年以上あの施設に閉じ込められてたから……車酔いはするよね。それより携帯バッテリーが保たないでしょ」

 宙野が指差す箱はバッテリーなのか。言われてみれば直ぐ分かった。

「うん。せいぜいあと30分ですね」

 涼介のガキが落ち込んだ顔でそう言った。

 その時の俺にはさっぱりだった。電池切れたら何が起こるのか。まさか街が停電になるわけがないよな。俺は窓外を見ながら、静かに会話を聞き流していた。

「そうだ。充電と言えば。うちの家庭用コンセントで大丈夫なのかな。来栖君、ちょっと見てくれる?」

 宙野が渡したのはもう一個の箱だ。その箱もどこかバッテリーのように見えるけど、一段階複雑な機械で間違いない。

「これはバッテリーじゃないですね……何かの端末……標準電圧でいいですよ。でも仕事率が高いので、1200ワットになります。電力の消耗が激しいし、発熱量も大きい。出来れば低温の環境作った方がいい」

「そう……ですか」

 宙野には理解できない機械で、来栖の話を信じる他ない。涼介と2人で顔を見合わせ、失望の色が見え見えだった。そういえば宙野の部屋、エアコンがなかったな。低温環境は無理だ。

 すると来栖が慌てて補充する。

「僕と曳橋さんの住所なら問題ないですよ。ちゃんとサーバールーム設置したから……」

 話が俺のところに転んだ。

 涼介とは短い付き合いだったけど、さっきはちょいと争いがあったため、俺を直視出来ずにオドオドしていた。

 来栖は明らかにその機械に抱く好奇心が膨らんで、全力の見張った目で俺に頼んでいる。

 そして宙野はーー滅多に見ない困った顔だった。

 困っているのはこっちだけどな。

 唇は小刻みに震えてて、口を開けそうになるとまた閉じてしまう。遂に決心して、俺を見ずに発話した。

「ごめん。頼めるか」

 そう言う彼女の目は静かで広い湖のように見えた。

 小石を投げれば小さな波紋が返される。白鳥が羽ばたけば大きな波紋が立つ。俺はとっくにそこに身を投じた。そこで立つのは大きな波のはずだけど、そうではなかった。

 俺は努力が大嫌いだったのに、彼女のために空回りしていた。俺の好意を拒絶したにも関わらず、いざ頼み事があると、また容易く俺に頭を下げる。

 さっきまで極力に俺とケジメをつけたかっただろう。貸し借りをはっきりしたがっただろう!

 だから彼女は別の方法を探すべきだ。俺に頼るべきではないのだ。

 だって。

 俺は彼女の要望を断らないから。何度でも。

 せっかくはっきりした貸し借りは有耶無耶になって、天秤は傾いてしまった。それが彼女にとっては重荷だろう。

 いずれにせよ。彼女が口を開けたなら、俺はいつだってこう答える。「わかった」と。

 彼女はほっとして、涼介を見て微笑んだ。

 俺が断るわけが無いと分かってるのに、何をそんなに緊張する?解せない女だ。

 ……。

 計画通り、俺ら3人で先に1台の車をもらった。運転するのは俺だ。リアリティのあるレースゲームはいつもやってるから、問題ないだろう。

「じゃあ暫く俺ん家で預かりだな。ついでに一緒に夕飯食べるか?連中は用意したはずさ。男たちが作ったんで、口に合う保証はないけど……基本まあまあって感じだな。奴ら全員理系だから、栄養バランスとカロリーにも気を配ってるさ。そのあとお前は自分で帰れるか?嫌ならまあ、車はあげてもいいぞ」

「免許持ってないよ」

「そりゃそうだ!そんな体質だからな。わぁった。送ればいいだろ。酒飲みたいのになー」

 宙野は俺の顔を見ず、小さく頷いた。

「代わりに私が飲むわ」

「お前も飲むな!お前の酔っ払う姿もう2度と見たくないぞ。前回あんたに暴れてたのに自覚ないのか。それに今回千坂もいないし。夜道で問題起こしたらとても手に負えない」

 運転しているせいか。集中力を保持できなくなる。いつもはよく考えて答えるつもりだったけど、今はそれどころじゃなかった。考えることをそのまま口にした。それに無駄に饒舌になった。

 集中力のせいじゃないかもしれない。

 俺は別の何かに、既に酔っているかもしれない。

 彼女の無口は魔力を蓄えてるように、撃ち放つ時俺はどうなるか。

「ありがとうね」

 とっさに、心臓を彼女に打たれた。危うく運転に支障が出るところだった。

「何だ急に……まだ早いじゃないか。俺の目論みでは、それはお前の遺言に出てくるセリフだぞ」

「遺言はもっとたくさんのセリフを用意するから」

「え?そう……なのか」

「あなたは変わった悪党だね」

「そう……なのか」

「ついでにその学校を見に行こうかな」

 俺の胸が今や嵐だ。

 

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