泥中で腐る

やなぎ怜

泥中で腐る

 典型的なアルファって、あたしのお母さんのことだと思う。


 学生時代から成績は常にトップだったってお祖母ばあちゃんが言ってたし、高校のときの卒業アルバムを見せてもらったら品行方正な清楚美少女って感じだったし。きっとモテたんだろうなあっていうのがすごくわかるんだ。だってお母さんに似てるって言われるあたしも、まあまあモテるからね。まあそのうちのいくらかは、「あたし」じゃなくって、あたしの「アルファ性」が目当てなんだろうけど。


 進学校で有名な高校を出て、いい大学に入って、そこでお父さんと出会って、いい会社に入ってしばらくしたら結婚。早いうちにあたしを産んで会社に復帰してバリバリ働いて。同年代には何人かアルファがいるけれど、その中でも学生時代みたいにやっぱり頭ひとつ抜け出てるって。「典型的なアルファ」と言うか……「大多数が想像する完璧なアルファ」って言った方が、正しいかな。


 家にいても外にいても、とにかくなんでもできちゃうスーパーウーマン。あたしもアルファだけど、お母さんみたいになるのは無理だなあって思っちゃう。まあお母さんはあたしにそういうことは求めないんだけど。そういう点で言えば、やっぱりわたしにとってもお母さんは「憧れのスーパーウーマン」って感じかな。


 お母さんを前にすれば、たいていのひとがすごすぎて憧れちゃうんだよ。お母さんの足元にも及ばないっていうのがわかっちゃってると、余計。


 それ以外だと嫉妬したり、敵愾心を抱いたりするんだろうね。そういうひとは、やっぱりアルファが多いかな。アルファ同士の夫婦って珍しくないらしいけど、でもやっぱりアルファがふたりっていう状況は、上手く行かなくなることも多いみたい。ひとつの船に船頭がふたりいるようなものだからかな?


 それでもアルファ同士で結婚しちゃうのは、やっぱり価値観が近い方がラクだと思っちゃうからなのかな。だからこそ、上手く行かなかったことがあると、裏切られた気持ちになって、一度に崩れちゃう。……まあ、これは結婚したこともない、子供の想像にすぎないだろうけど。


 そう、でも、お母さんとお父さんはそんな感じだったかも。お母さんに比べると、お父さんって覇気がないというか……おっとりとしていて陰に隠れがちな感じだったんだよね。アルファらしい、がつがつとした肉食獣感っていうの? そういうのがあんまりないのがあたしのお父さん。


 だからもしかしたら、お母さんについて行けなかったのかも? ってちょっと思ったり。アルファはやっぱり、目立つことの方が好きな人が多いし。……こう、自らの力を誇示して行きたいというか……。たとえ、自分がそういうキャラじゃないってわかっていてもね。アルファの本能なのかな?


 だから、お父さんにとっての絵葉えばのお母さん……朋絵ともえさんは、お父さんの力を誇示できる対象だったのかなあって、わたしは思ったの。


 朋絵さんはオメガでしょ? 見た目からしてすごくオメガって感じだし、実際オメガだし。そんな朋絵さんに貢いだりするのって、あんまり裕福じゃない朋絵さんを「守ってやってる」感に浸れて、気持ちよかったんだろうね。お父さんもアルファだからさ、やっぱり同じアルファをどうこうするより、オメガをどうこうする方がよかったのかもね。


 そんなに朋絵さんが好きならさっさとお母さんと離婚すればいいのにって思ったけれど、お父さんはそうしなかった。なんでだろうね? 今の生活の質を落としたくなかったのかな? それとも、朋絵さんのことはしょせん遊びだったとか?


 まあなんにせよ、不倫関係をズルズル続けた末に、絵葉にバレて、あたしにバレて、お母さんにバレちゃって。


 ……絵葉はなんであたしに朋絵さんとお父さんが不倫してるって教えてくれたの? もしかして、あたしの家をメチャクチャにしたかったとか? ……なーんてね。ゴメンゴメン。絵葉は臆病だから、そんなことできないもんね。きっと絵葉の価値観じゃ黙っていることは許されることじゃなくて、耐えられなくて、罪の意識から逃げたくて、あたしに言ったんでしょ?


 あたしは……別にびっくりしなかったかなあ。お父さんって、家じゃ影が薄いし。離婚になったらお母さんについて行きたいなあとか、そういうことばっかり考えてたよ。


 不倫については「お父さんけがらわしい!」ってなる前に、相手がオメガだって聞いたら「ふーんそうなんだ」って、なんか納得しちゃった。やっぱり、アルファはオメガのつがいが欲しいのかな? とかね。あたしもアルファだから、なんとなくそう思ったの。


 あたしと絵葉はさ、そんなに仲良かったわけじゃないじゃん? だもんで呼び出されたときはなにごとかと思ったよ。おまけに絵葉はよくわからないうちに泣き出すしさ。はじめはハッキリ言って「なにこのウザイやつ」って思ったよ。


 それで絵葉が「わたしのお母さんと澤野さわのさんのお父さんが不倫してる」って言ったときは、最初は信じられなかったなあ。「嫌がらせなのかな」って思ったりね。そういうやつがいるんだ、学校に。たいてい無視してたら向こうも時間の無駄だって気づくのか、それなりの確率でやめてくれるけど。


 でもなんとなく絵葉の言ったことをウソだとも断じれなくて、お母さんに相談したの。お母さんは思うところがあったのかな? しばらくしたら「お母さん、お父さんと離婚するから」って言われて、「どっちについて行きたい?」って聞かれたのね。


 あたしはもちろんお母さんを選んだんだけど。だって、やっぱりあたしにとってお母さんは憧れだし、これからのことを考えたら同性同士の方がいいかなって。特別、お父さんが嫌いだからそうしたわけじゃないんだよね。不思議に思えるかもしれないけど。


 その日の夜、帰ってきたお父さんにお母さんが離婚を切り出したの。お母さんはあたしを部屋に返したけど、あたしはこっそり抜け出してそれを聞いていたんだよね。やっぱり、どういう風に話し合うのか気になったし。お父さんは言い訳するのかな? とかさ。気にならない?


 お父さんはちょっと動揺してただけだったけど、お母さんが「慰謝料は請求しない」とか言い出して、余計に戸惑っているように聞こえたな。お母さんは「性格の不一致で離婚したことにしたい」って言い出して、わたしもちょっと「え?」ってなったの。お母さんの性格からして、お父さんが不倫してたならきっちりお父さんから慰謝料貰って、どっちが悪かったかハッキリさせるんじゃないかなって想像していたから。きっと、お父さんもそう思ってたんだろうね。


 でもね、お母さんが「私もあなたに悪いことをしたから」って言い出してさ。あたしはもう「ええーっ?!」ってなっちゃったのね。びっくりして。お父さんもきっとびっくりしていただろうね。……でもね、お母さんが「悪いことをした」って表現した理由を話し出したら、もう、あたしびっくりするどころじゃなくなって。


 お母さんと朋絵さんはさ、「運命の相手」だったんだよ。ほら、特定のアルファとオメガは出会った瞬間に相手が「運命」だってわかるっていう、アレ。いわく「雷が走ったような感覚」を覚えるとか。眉唾だけど。それで出会った瞬間にもう、仮に伴侶がいたとしても「運命の相手」のことしか考えられなくなって、その人のところに行ってしまうという……。


 お父さんは可哀想なくらい動揺してたなあ。お母さん、淡々と朋絵さんのところに話をつけに行ったら運命だってわかって、その場でセックスまでしたって言うんだもん。流石のあたしもちょっと閉口しちゃう気分になったよ。


 でも運命って皮肉だよね。もしお父さんが朋絵さんと不倫しなければ、お母さんは一生朋絵さんとは出会わずに生涯を終えていたかもしれないんだよ。お父さんが不倫したからお母さんは「運命の相手」に出会えたって、なんとも言えないよね。


 それでさ、最後にはお父さんは泣き出しちゃった。お母さんがお父さんと離婚したら朋絵さんと結婚するからって言ったら、急に。


 だってお母さんと朋絵さんは「運命」なんだもん。出会っちゃったら結婚するのは当たり前だよね? お父さんはちょっと可哀想かなあって思うけど、でもまあ自業自得な部分もあるわけだし。でも、お母さんと朋絵さんが出会うための踏み台みたいで、やっぱりそこは可哀想かなあ。


 これってお母さんが朋絵さんを略奪した……ってことになるのかな? 絵葉もまさかこんな展開になるとは思ってなかったよね。あたしもそう。お父さんとお母さんが離婚したら、てっきりお母さんと二人暮らしになるんだと思ってた。でも、お母さんと朋絵さんが結婚して、それで絵葉はあたしの義理の姉になって……って、ぜんぜん想像してなかったよ。


 ……でもさ、それ以来、あたしはちょっと「運命」が怖くなっちゃった。どれだけ愛していても「運命」が現れたらかっさらわれちゃうなんて、理不尽だよね。


 だからさ、あたしは「運命」がくる前に、好きな人を奪っちゃえばいいんだって思うようになったんだ。え? 酷い? 酷いのは――いるとすればだけど――神様とかじゃないかな。


 あるいは、あたしの中に流れる略奪者の血のせいかもね。……ちょっと中二臭いか。


 それでさ、絵葉。あたしたちセックスしたわけだけど、あたしと絵葉の彼氏……どっちがよかった?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

泥中で腐る やなぎ怜 @8nagi_0

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ