たばこ

スーパーボロンボロンアカデミィー

たばこ




 ふう。

 吸い込んだ煙を、拓也がゆっくり吐き出した。

 半透明の煙が、クルクルと回るプロペラに吸い込まれて消えていく。

 

 タバコを吸っている拓也の横顔を、俺はこっそり見つめていた。


 拓也は、俺の部屋にタバコの匂いが付かないように気を遣って換気扇の下でタバコを吸う。

 拓也は気づいていないけど、換気扇の下で吸っても、しばらくタバコの匂いが残るんだ。


 それを言うと、きっとタバコを吸ってくれなくななってしまうから、言わないけれど。


 ……ああ、もうすぐ帰ってしまうんだ。

 寂しいな。

 でもいいんだ。俺は、部屋に残ったタバコの匂いで、君のことを感じるから。





「なあ。今日もお前の家寄っていい?」



 授業が終わった後。

 拓也は俺にそう問いかけてきた。


 いつものことだ。

 拓也は、バイトがない日は俺の家に寄っていく。絶対と言っていいほどに。


 特別なことはしない。

 レポートをやったり、他愛ないことを話したりする事がほとんどだ。


 たまにそのまま泊まっていく時もある。

 そういうときは酒盛りをしながらドラマや映画を見たりする。


 特別なことはしない。ありきたりなことばかり。


 でも、そんな時間が俺は好きなんだ。



「うお〜。実家のような安心感だぜ!」



 俺の家に入って早々、拓也はベッドを目掛けて走り出しそのままボフンとベッドの上にダイブした。



「上着ぐらい脱げよ。」

「ん、ああー……。」



 俺のベッドでくつろいでいる拓也にそう言うと、拓也は着ていたブルゾンを乱暴に床に投げつけた。


 ブランドものなのに、こんな乱暴な扱いをしていいのか。


 俺は拓也が投げたブルゾンを拾って、ハンガーにかけた。


 ……タバコの匂いがする。

 ところ構わず吸っているから、服にまで匂いが染みついてしまったんだろう。


 とてもいい匂いとは言えない。

 どちらかと言うと、苦手な部類だ。


 でも俺は、その匂いが嫌いじゃないんだ。



「なあ、タバコ吸っていい?」

「ご自由に。」



 はっとベッドから飛び起きて、拓也は俺に向かってそう言った。

 いつものことだ。もういちいち許可を取らなくたっていいのに。


 拓也はキッチンの方へ歩いていき、ポケットからタバコとライターを取り出した。

 タバコを咥えてカリと歯でカプセルを潰す。



「やべ、ガスがねぇ。おっ、あったあった。」



 勝手知ったる様子で、拓也はキッチンの引き出しを開ける。


 引き出しの中には、拓也が忘れていったライターがたくさん入っている。


 そのうちの一つを取り出し、カチッと音を立ててタバコの先に火を灯す。


 ふう。

 吸い込んだ煙を、拓也がゆっくり吐き出した。

 半透明の煙が、クルクルと回るプロペラに吸い込まれて消えていく。


 拓也がタバコを吸うから、換気扇はいつも付けっぱなしにしてある。


 トントン。

 先が燃えて白くなった灰を、彼は指で灰皿に落とした。


 同い年なのに、彼はどうしてこんなに大人びて見えるんだろう。


 タバコを吸っているせいだろうな。

 どうしてか、タバコを吸っている人間は大人びて見えるのだ。



「はー、生き返った。いつも悪ぃな。」

「別に。」

「お前本当に素直じゃねぇな。だから彼女もできねーんだよ。」



 そう。俺には彼女がいない。

 今、いないんじゃない。

 二十年間生きてきて、一度もできたことがないのだ。

 

 たまに告白されたりするけれど、男女交際に興味がないから断っている。


 本当に彼女なんていらないんだ。


 それなのに、拓也はいつもしつこい。



「いいんだ。いらないから。」

「つまんねぇ奴。今時童貞なんて流行んねぇよ。」



 拓也はフィルターぎりぎりまで吸ったタバコを灰皿に押しつけて、火を消した。


 もくもくと白い煙が拓也の姿を隠している。



「なあ、好きな子とかいねぇの?」

「……いるよ。」

「じゃあ告れよ。言わなきゃ何も始まんねえぜ。」



 言えるわけないだろ。

 そんな簡単な話じゃないんだ。


 そんなことを言っても、お前にはきっと伝わらないだろうけど。



「……まあ、そのうちね。」

「そーそー。その意気だ!!」



 僕の背中を拓也がバシンと叩いてそう言った。

 ズキンと心が痛くなる。


 だって俺はゲイで、お前のことが好きなんだから。



「……うん。」



 俺と拓也は友達。少なくとも、拓也にとってはそうだろう。


 俺の、片想いなんだ。


 俺がおかしいのは、分かってる。

 分かっているから、俺は拓也にとっていい友達のふりをしている。


 最初は俺だって、本当に友達だと思っていたんだ。

 けれどいつのまにか友情だと思っていた感情は、愛情に昇華してしまった。

 俺はお前を愛してしまったから、もう友達ではいられない。


 けれど、俺は自分の想いを伝えるつもりは一切ない。

 だから、今まで通りに友達のふりをする。


 我ながら、ずるいと思う。

 友達のふりをしながら、心の中では別のことを思っているんだから。



「今日は、何する?レポートはないだろ。」

「映画見ようぜ。DVD借りてきた。」

「いいね。」



 拓也がカバンから青い袋を取り出す。

 拓也の家の近所にあるレンタルビデオ店の袋だ。


 袋を留めていたマジックテープをバリバリと剥がして中に入っているDVDを取り出す。


 袋の中には、有名な映画のDVDがいくつか入っていた。

 


「これがいい。」

「お、それ有名だよな。音楽だけは知ってる。」

「俺も初めて見るよ。」



 俺が選んだDVDは、昔の邦画だった。

 今でも根強いファンが多い、いわば、名作と言われているもの。



「オッケー。じゃあ、セットするわ。」



 拓也は、DVDをプレーヤー代わりにしているゲーム機にセットした。


 ……映画が、始まる。


 俺はさっき拓也に嘘をついた。


 俺はこの映画を何回も見ている。

 

 嘘をついた理由は、この映画を見た拓也の反応が知りたいから。


 ……男が男をレイプした。それを叱責するというシーンから始まる。

 その事件を中心に、話は進んでいく。


 映画の舞台は、戦時中だ。

 閉鎖された空間で、男同士の複雑な感情を描いた物語。



「………。」



 俺は、拓也の横顔を見つめていた。

 拓也は退屈そうに、ぼーっとテレビを見つめている。


 電気を消した部屋で、小さいテレビの明かりだけが付いている。


 映画は、最初の佳境を迎えている。

 冒頭で男をレイプした男が、切腹を命じられている場面だ。


 男が、短刀を腹に突き立てる。

 アア、と苦しそうな声をあげる。しかし、死に対する恐怖なのか、顔を上げられずに、苦しみ悶えている。


 それを見た、被害者……レイプされた男は、舌を噛んで自害してしまった。



「……はぁ?」



 拓也はそれを見て、理解できないと言ったふうな顔をしている。


 俺は、この二人は実は加害者と被害者の関係じゃなくて、相思相愛の関係だったんじゃないかと思っている。


 映画の中の二人は両方ともストレートだとはいうけれど。


 閉鎖された男ばかりの空間で、友情が愛情に昇華してしまったんじゃないか。


 その感情はなんだか、俺に似ている。

 まあ、俺は一方的なものだけれど。



「…………。」



 映画も、終わりに近づいている。

 この映画は、男同士の感情の動きが緻密に描写されている。


 メインとなるのは、同性愛だ。

 映画の中に直接的な恋慕の描写はない。

 けれど、確実に『そういった感情』を匂わせてくる。


 禁断だけれども高潔で、そして切ない男同士の恋の物語。


 それを中心に、道徳観や宗教観、価値観の違いなどが随所随所に散りばめられている。



「はぁー。なんか深い映画だったぜ。」



 ……エンドロールが流れる。

 途中でつまらなさそうな顔をしていたくせに、妙に悟ったような口調の拓也。



「男同士って、究極の愛だな……。」


 

 かっこつけた様子で、拓也はタバコに火を付ける。

 映画に影響されたのだろう。実にわかりやすい男だ。


 ふう。

 吸い込んだ煙を、拓也がゆっくり吐き出した。

 半透明の煙が、クルクルと回るプロペラに吸い込まれて消えていく。



「俺も、お前のこと好きになりそう。」



 拓也は、アンニュイな表情を浮かべ、薄っぺらい言葉を吐く。

 その言葉は、俺が拓也に言って欲しくてたまらなかった言葉だ。


 影響を受けやすい拓也は、きっとあの映画を見たらこういうことを言うだろうと思って、俺はわざと嘘をついたんだ。


 全ては俺が望んだ通りになった。

 そのはずなのに、どうしてこんなにイライラするのだろう。

 


「拓也、お前。軽々しくそういうこと、言うなよ。」



 そんな気もないのに、軽々しく言うな。


 ……俺は、お前のことが好きなんだ。

 好きで、好きでたまらないんだ。

 俺は本気なんだ。

 本当に、お前のことが好きで、苦しいんだ。


 お前はストレートだろ。俺みたいにゲイじゃない。

 お前にゲイである俺の気持ちなんて、わからない。

 それなのに、分かったような口を聞くな。



「……俺は、本当にお前のことが……。」



 そこまで言って、俺はぐっと口をつぐんだ。

 拓也は、少し驚いたような顔をしている。


 そんな拓也の顔を見て、俺は我に帰る。



「……なんでもない。忘れてくれ。」



 俺は拓也に向かってそう言った。

 拓也は少し気まずそうな顔をして、うつむいた。



「……悪ぃな。帰るわ。」



 まだ長いタバコを灰皿に押しつけて、拓也はそそくさと帰る支度を始めた。


 DVDをカバンにしまって、ハンガーにかけてあったブルゾンを羽織る。


 ぎゅっと拳を握る。

 手のひらに爪が食い込んで痛かった。



「本当、ごめんな。」



 そう一言だけ言い残して、拓也は僕の家を出ていった。

 カンカンと早足で鉄の階段を降りる音が聞こえる。


 拓也が帰っても、俺はしばらくその場から動くことができなかった。


 火の消えきっていないタバコが、もくもくと白い煙をたてて燃えている。

 長いタバコが半分ぐらい燃えたところで、俺は正気に帰って灰皿に水を入れた。


 ジュッという音を立ててタバコの火が消える。



「煙いな……。」



 火のついたタバコを長い間放置してしまったから、部屋が煙たい。

 タバコの煙が目に染みて、勝手に涙が零れてきた。



「うう、ぅ……。」



 どんどんと涙が溢れてくる。

 煙が目に染みたんじゃない。俺は、泣いているんだ。

 

 換気をするために、窓を開ける。


 冬の冷たい空気が、俺の心を冷やしていく。


 しばらく窓を開けっぱなしにしていると、部屋の空気はすっかり綺麗になった。


 けれど、どこかからほんのりとタバコの匂いがする。

 ……俺の服からだ。さっきの煙の匂いが染み付いてしまったんだ。


 俺は、さっきのことを思い出して、また少し泣いた。



 拓也からは『ごめん』という短いラインが来ていた。

 どう返せばいいか分からないから、返事はしなかった。


 もう、拓也とは前のような関係には戻れないだろう。

 前のような関係はおろか、嫌われてしまったかもしれない。


 なぜなら、俺の本当の気持ちを知られてしまったから。


 それでも、俺はどうしてか、ほっとしていた。


 これ以上拓也と一緒にいたら、ぎりぎりのところで保っている理性が、どこかで弾けて抑えきれなくなりそうだったからだ。


 いつかは、こうなっていた。

 たまたま今日が、その日だっただけだ。



「あいつ、タバコ忘れてる。」



 キッチンのシンクの上に、拓也のタバコが置いてある。


 どうやら、気が動転したのかタバコを忘れて帰ってしまったらしい。


 もう二度とうちに来ることはないだろうし、捨ててしまおうか。



「…………。」



 なんとなくこのまま捨てるのが惜しい気がして、俺はタバコのフタを開けてみた。


 新しいタバコが五、六本まだ入っている。


 俺は、そのうちの一本を口に咥えて、カリとカプセルを歯で潰す。


 そうして拓也がいつもしているようにライターでタバコの先に火を灯す。

 


「うっ……、ゲホッ、ゲホ……ッ」



 拓也の真似をして、煙を吸い込んでみた。

 けれど、拓也のように上手にできない。


 煙が変なところに入って、俺は派手にむせてしまった。



「…………ッ、」


 見よう見まねで煙をを吸ったり吐いたりしているうちに、だんだんと上手にタバコを吸えるようになってきた。


 ふう。

 吸い込んだ煙を、俺はゆっくり吐き出した。

 半透明の煙が、クルクルと回るプロペラに吸い込まれて消えていく。


 ……ああ、拓也の匂いがする。


 俺はまた少し、泣いた。

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